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宇佐基地で編成した 八幡護皇隊の勇士。
青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/
16-140、特攻隊員の名誉のために
終戦に際しては、命令を無視して徹底抗戦を叫ぶ「厚木事件」を筆頭にしていろいろ
な混乱がありました。大井航空隊でも兵科士官の一部が、軍刀で野良犬を切ったり、
附近の立ち木に切りつけたりして暴れていました。
われわれ搭乗員は、あり合わせの酒や缶詰などを持ち寄って酒盛りでした。 しかし、
酔っ払って暴れるような雰囲気ではありませんでした。 今まで胸に痞えていた物が
取れてホッとした気分でした。 死に直面した重苦しい生活から解放されたのです。
先に逝かれた方々には申し訳ないと思いながらも、「助かった!」「もう死なずにすむ
んだ!」これが本音でした。
生還は認められず、如何にして有効な「体当たり攻撃」を実行するかのみを考えてい
た特攻隊員と違って、生還が前提であり自分の判断で戦闘に参加したり離脱するこ
とができる、邀撃戦闘機の連中には、別の意識があったものと思います。徹底抗戦
を叫ぶ檄文が、302空の銀河によって各基地に撒かれました。 しかし、 特攻待機
から解放されて安堵していた、われわれ特攻隊員は、「何を今更!」との思いが強く、
賛同する者は居ませんでした。
戦後の混乱は宇佐基地でも同様だったと思います。終戦の報に悲憤慷慨した一部の
士官がその夜、行きつけの中津市の料亭に押しかけて酒を飲み、興奮の余り軍刀を
抜いて床柱や鴨居に切りつけたとしても当然の成り行きだと思います。 その痕跡は
今でも残っているそうです。
先年その料亭の刀痕がテレビで放映されました。ところがその刀痕の由来を「特攻隊
の下士官が、出撃の前夜につけたもの」と解説していました。私は特攻隊員の名誉に
かけて、この話を否定します。
理由1.軍刀の所持について。
映画などで、軍刀を片手に飛行機に乗りこむシーンを見かけます。地文航法を行う
陸軍は別として、推測航法で洋上を飛行する海軍の搭乗員は、軍刀を機内に持ちこ
むことはありません。その理由は羅針儀が狂っては正確な航法ができないからです。
また、海軍の士官は正装の場合は軍刀ではなく、短剣を釣リました。 陸戦隊要員で
ある兵科の士官は、 編成に際してのみ軍刀を装着します。しかし、下士官兵は軍刀
など持ちません。 例え下士官で軍刀を持った者が意たとしても、 「外出員整列」の
所持品検査で、持ち出しは禁止されました。
理由2.料亭の立入りについて。
海軍では士官と下士官兵の遊興の場は画然と区別されていました。料亭などは士官
の専用で下士官兵は立入ることはできませんでした。下士官兵は海仁会の集会所か
軍指定の食堂で飲食しますが、 士官と違って酒の提供はありませんでした。 但し、
隊内で配給された酒類を隠して持出すことはありました。
理由3.軍の規律について。
宇佐基地で編成した特攻隊が出撃したのは、4月6日から5月4日の間です。 その
当時、まだ軍の規律は厳重に保たれていました。外出して民間の器物を損壊すれば、
巡邏に検束されます。また憲兵隊の職務も機能していました。 体罰によって軍規を
叩き込まれていた下士官兵が、酒の上とは云っても軍刀で床柱や鴨居に切り付ける
などとは論外です。また、軍刀は刃こぼれして使えなくなります。
終戦の混乱時には軍規は乱れ、 憲兵隊の威厳は失墜し、その上警察官もまだ軍に
は遠慮がありました。だから、この時期にいろいろと理不尽な暴挙が行われたのです。
また軍刀にしても、 どうせ占領軍に接収されるのだから、 刃こぼれなど問題ではな
かったのです。
以上述べたように、料亭の床柱や鴨居の刀痕は、決して特攻隊員の付けたものでは
ありません。 恐らく終戦の混乱時に興奮した一部の士官によって付けられた刀痕を、
宣伝のために特攻隊の名を利用したものと思います。
☆今日の一言☆
根もない嘘から芽が生える
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テレビでは面白おかしくするための捏造は茶飯事ですね
無神経な話しです
私はテレビが嫌いだから置いていません(^人^;
2009/6/15(月) 午前 6:21 [ - ]
城山三郎さんの出た最後の特攻を主題にしたTVですね
私も見て、そのとおり受け取ってしまいました
教えてくださってありがとうございます
2009/6/15(月) 午前 9:12 [ のん ]
私の父は陸軍の兵器関係の部門にいましたが、外地へ行く直前に終戦になって(命が)助かったという話を聞いています。
一度死を覚悟された方々の心情はいかばかりであったか・・・と察して余りある物があります。
それを後世に伝えていかなければなりませんが、当時の方々の純粋なお気持ちを、色々な思惑でさまざまな面に利用しようとする人達がいる事を悲しく思います
2009/6/15(月) 午前 10:06 [ chp*d4*9 ]
のん様
城山三郎氏は日系二世がフメリカを相手に戦った史実を書くのが目的でした。
私の著書を読んで、戦後ハワイに帰った、南進保君を紹介してくれとの連絡を
受け、ハワイまで行かなくても内地にも居るからと、佐世保市の上野君を紹介しました。
彼と面談した帰りに宇佐基地跡などを訪問しました。そして、「指揮官たちの特攻」
を執筆したわけです。それ以外にも問題を起こしています。下記をご覧ください。
http://www.warbirds.jp/senri/23ura/43/43-4.html
2009/6/15(月) 午後 1:15