これは戦没同期生の慰霊顕彰と、ご遺族のご存念を後世に伝えるものです。
ひき続き、自衛隊のうら話を紹介致します。
|
突然で失礼します。 貴ブログ(19-189、昭和20年5月25日)で写真で掲載されている相川和夫は私の伯父にあたります。伯父は私が生まれるはるか前に17歳で亡くなりましたので、当然のことながら私自身は面識は全くありませんが、貴ブログのお蔭で昔可愛がってもらったような錯覚を感じています。父の記憶によると祖母にとっては身を引き裂かれるような出来事だったようです。
これだけの年月が経って、伯父の姿を見ることができるのも、sen*i0*20様のお蔭です。せめてもの感謝の気持ちを伝えたくメールした次第です。
依然として、寒さが厳しい折ですが、sen*i0*20様におかれてはお身体にはくれぐれもご自愛ください。 ありがとうごさいました。
|
|
はじめまして、佐賀県在住の者です。昨年の年末に福岡の雁ノ巣飛行場跡地近くの古い旅館を解体したところ壁の中に隠して置いてあった裸婦のスケッチが出て参りました。建物は大正時代より建っていた旅館で特攻隊員の宿舎にもなっていたとの事です。スケッチには M.Takahira もしくは M.Takahara のサインがなんとか確認できます。
もしお心あたりががあればご一報頂けると幸いです。
|
|
はじめまして、私は島根県在住で「青山繁」の親戚のものです。10戦没者追悼欄にて名前を拝見しましたので、投稿させていただきました。
青山繁さんの妹が私の義母になり、戦死した兄の話として聞いた内容を先日検索してみたところです。長い間、兄は特攻隊で熊本県出水から出撃して亡くなったこと(義母のイメージとしては零戦のような機で出撃した)、戦死の知らせも戦死の日がこのブログの記載の日と異なっていたため、今まで命日の日が違っており、結果として法事の日が異なっていたこと等、青山家で伝え聞いていたことと大きく異なっているようです。
このたびブログの内容を義母に知らせたところです。数年前には姉も亡くなり、青山繁さんを知っている家族は義母が最後です。海軍航空隊での話はほとんど知らないようですので、もう少し当時の様子を知りたいようでした。
もし、お願いできるものならば、連絡方法を義母に知らせたいと思っていますので、よろしくお願いします。
|