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昭和戦友会の集まり。
特攻くずれ
4-14、昭和戦友会
方城村でも一番山奥に位置する上弁城区は戸数七十戸余りの集落です。われわれが子供の頃は
一戸当たり数名の子供がいるのが普通でした。支那事変から大東亜戦争にかけて大勢の若者が
この集落から出征しました。総勢九十六名です。そのうち、私の長兄を含めて二十三名が戦死し
ました。そして、七十三名が無事に帰還することができました。
わが家のように、男兄弟三名がすべて出征した家庭も珍しくありませんでした。七十戸余の集落から
九十六名の者が出征したのです。年齢的に該当する者はすべて召集されていたのです。これが戦時
中における農村の平均的な姿でした。
戦争中ここ上弁城区から出征して無事帰還した者が集まり「昭和戦友会」を結成しました。そして毎年
正月の第三日曜日に集まり、総会と懇親会を行っています。
この会合には、家業を継いで田舎に残った者も、古里を遠く離れて他所に居を定めた者も、万障繰り
合わせて参集します。横だけの関係である同窓会と違って、縦の繋がりを含んだ構成なのです。
年齢的には相当の隔たりがありますが、何の違和感もありません。同じ古里の同じ環境で育ち、同じ
方言で話し合える者同士が、年齢を超えての交流です。
この会は「戦友会」の名称とは裏腹に、軍歌も歌はなければ戦功の自慢話もありません。話題の中心
になるのは、晩春の神事「祇園祭り」の山笠や、夏の夜の「盆踊り」、「六夜待」と呼ぶ青年団主催の
田舎芝居など、集落共通の四季折々の行事です。皆が共有している楽しかった思い出を語り合いな
がら、昔日を偲ぶのです。
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