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岩部敬次郎君 遺影。
戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/01iwabe/index.html
11-68、岩部敬次郎君事績
葉隠れ武士たらんと
本田 敏明(兵庫県揖斐郡)
岩部敬次郎君と始めて出会ったのは、昭和十八年十月予科練で操縦専修と偵察専修
に別れて分隊の編成替えが行われ、二十三分隊三班に編入された時であった。彼は
班の中では「中」ぐらいの体格で特に目立った存在ではなかった。
また自分の意見を主張する際には、大きな目玉をクリクリさせて佐賀弁まじりで喋った
が、人のよい彼は他人と言い争いをするようなことはなかった。一度彼と会ったことの
ある者なら殆どが忘れられない愛嬌如きものを感じたものだった。
彼がハガキの宛名に「相知町相知」と書いているのを見て、「それは何と読むんだ」と
聞いたところ、「オーチ町オーチだ」と教えてくれた。それは、自分の故郷に強い誇り
を持っている口調であった。
「武士道と云うは死ぬことゝ見附けたり。二つ一つの場にて早く死ぬ方に片附くばかり
なり。云々」と葉隠の文句をよく聞かしてくれた。私は彼によってはじめて葉隠の一部
を知ることができた。 葉隠は鍋島武士道の教えで、彼はこの教えで自らを鍋島武士
たらんとしていたと思われる。
「二つ一つの場にて」とは、生きるか死ぬかの場に臨んでのことと解釈していたのだが、
正しくは、「二つ二つの場にて」であり、私の聞き違いであった。葉隠は、生きることを
初めから考えていないという、凄まじい生き様を述べたものであると知ったのは後年の
ことである。
送信訓練で彼が電鍵を叩いているのを見ていると、 農作業で鍛えられたのであろう
節くれだった指をしているので、「お前の指はキーを叩く指じゃないナー」と、冗談を
云ったこともあった。
上海空の飛練を卒業して台南空の艦攻隊に配属され、また彼と一緒になった。入隊して
十日目の十月十二日から始まった台湾沖航空戦では、敵の空爆の目標になった防空壕
の中にいて、共に「今日が最期か」と、 観念したこともあった。
その後、特攻隊編成に志願した約四十名の同期生が、茨城県の神ノ池基地の七二一空
へ転勤となり内地へ帰還するこになった。その時彼も私もその中にいた。神ノ池基地では、
昭和二十年の初頭から約二ヵ月余り、彗星三三型で錬成訓練を受けた。そして三月下旬、
私たちは百里原空へ転勤を命ぜられた。
百里原空に入隊して間もない日のことである。夕食後皆で雑談している所へ先任下士官
がやって来て、「六〇一で彗星の偵察員を欲しがっている様子だが、行く者はいないか」
と云った。いないどころではない、皆が彗星に乗りたがっていたのである。
そのうえ、六〇一空と云えば海軍切っての精鋭部隊である。我も我もと全員が希望した。
そして、岩部敬次郎君以下数名の者が指名され、勇躍六〇一空へ転属して行った。我こ
そはと皆が思っていたのだが、彼らが抜擢されたのは、彼らが我々より高い評価を得て
いたからに外ならない。
数日後、岩部君が真新しい飛行服に身を固め、首から大きな航空時計を下げて晴れ姿
を見せに我々のデッキにやって来た。 六〇一空の隊員になって、まだホヤホヤなのに、
グーンと貫録がついたように感じた。 「よかったなあ、しっかりやってくれよ……」と、
みんなが羨ましがりながら激励した。
ところが、これが彼の勇姿を見た最後であった。その後、六〇一空での彼の行動は知ら
ないが、彗星の優速を利して索敵や偵察それに哨戒などに飛び回ったものと想像する。
郷里の生家の上空を低空で飛んだとの便りがあったと聞く。また、唐津市の映画館で、
ニュース映画に彼の姿が映っていると知らされたご両親は、何度も映画館に足を運んだ
そうである。
昭和二十年八月九日一四三〇。六〇一空攻撃第一飛行隊で編成した、「神風特別攻撃隊
第四御盾隊」の彗星艦爆十二機は、勇躍百里原基地を発進した。第三小隊一番機榊原中尉
の操縦する彗星艦爆の偵察席に搭乗した岩部一飛曹は、一五五〇、「敵艦見ユ、金華山ノ
一二五度一四〇カイリ」と、電報を打ったあと消息が途絶えた。
敵発見と同時に、猛然と突撃して行った彼の胸中に去来したものは、あの葉隠の「死ぬ
ことゝ見附けたり」であったのかも知れない。岩部敬次郎君は葉隠のサムライであった。
それにしても何たる運命のいたずらか、その時期には既に戦争終結が目前に迫っている
ことなど夢にも知らず、ただ必勝を信じて若い命を散らしたことは、返すがえすも残念で
ならない。
彼の魂魄還り来って、今は戦死された二人の兄上の霊と共に、古里の山ふところに抱か
れて静かに眠ってる。五十回忌の法要には、旧制唐津中学校の同級生二十二名の方々が、
墓前に参詣されて彼の生前を偲ばれたそうである。彼が郷里の人々にいかに愛されてい
たかを知る、 慶ぶべき話である。 また彼の中学校の同級生の一人は、昭和四十七年に、
鹿屋航空基地史料館に展示されている、岩部兵曹の遺影に偶然対面して涙を流されたと
いう。
601空攻撃第1飛行隊所属の、岩部敬次郎1飛曹は、「神風特別攻撃隊 第4御盾隊」
に編入され、昭和20年8月9日、百里基地を発進。 金華山沖の敵機動部隊に体当たり
攻撃を敢行。 (彗星) (佐賀県・17歳)
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