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原爆の威力。
青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/
16-143、京都は戦災を免れたか
「京都は戦災を免れた」というのが定説になっています。東洋美術学者ウォーナー氏
がルーズベルト大統領に、古代美術品の宝庫である京都に対する爆撃回避を進言し
たためと伝えられています。 しかし、この説には疑問があります。 私は復員途中に
京都の街を歩き、爆撃の跡をこの目で見ています。強制疎開のため壊された家屋と、
爆撃によって破壊されたものとは明らかに相違があります。
ところが疑問は解明されました。西日本新聞の「春秋」に京都爆撃の記録が掲載され
たからです。 これは「昭和二十年六月九日、知事事務引き継ぎ書」という公文書から
抽出されたものです。
昭和二十年一月十六日二三・一〇 (東山区東大路通・常盤町・上馬町・下馬町。
死者三十四人。負傷者五十六人。
家屋損失四十四戸)
同 三月十九日〇七・三〇 (右京区春日通。負傷者一人。家屋損失一戸)
同 四月十六日一二・〇〇 (右京区太秦。死者二人負傷者四十八人)
同 四月二十二日〇九・五〇(右京区大宮町。負傷者四人)
同 五月十一日一〇・〇〇 (上京区河原町通・荒神口通。負傷者十一人)
以上のとおり京都市は五回にわたって爆撃を受け、死者三十四名と多数の負傷者が
あったことが、公式文書に記載されていたのです。 これは昭和二十年六月九日付け
の文書です。だから、これ以降にも爆撃を受けた可能性も否定できません。
やはり、私の記憶は正しかったのです。だが、なぜ「京都は戦災を免れた」との話が
生まれたのでしょうか。 まず第一に、東京・名古屋・大阪などの他の大都市に比較
して、被害が極端に少なく目立たなかったことが理由でしょう。
次に原爆投下との関連であります。 アメリカ軍は原爆投下の候補地として、 新潟・
京都・広島・小倉・長崎の各都市を選定していました。最終的には広島と長崎(小倉)
が目標となり、結果的に京都は原爆投下を免れたのが、第二の理由です。
この二点が、「京都は戦災を免れた」との誤解を生んだ要因でしょう。最近になって
さらに新しい資料が発表されています。 アメリカ軍では原子爆弾を投下するため、
特別な部隊を編成しまし。そして、新兵器の効果を試すために色々な方策が検討さ
れました。
まず、原子爆弾での被害の評価が正確にできること。次に、原子爆弾が最も経済的、
効果的に使用できること。 以上の二点から、新潟・京都・広島・小倉を候補地として
選定されました。 そして、この候補地に対しては爆撃や艦砲射撃などの通常攻撃を
禁止したのです。
この決定は五月二十八日のことです。 さらに、七月二十五日に至って長崎が候補地
として追加されました。理由はともかく、この時期京都や新潟が通常攻撃の禁止地区
となっていたのも事実です。 逆説ながら原爆投下の候補地となったお陰で通常攻撃
を免れる結果となったのです。
これらの事情が積み重なって、「京都は戦災を免れた」との神話が誕生したのでしょう。
☆今日の一言☆
人を呪えば穴二つ
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