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鹿児島航空隊 第23分隊3班。
亡き戦友を偲ぶ http://www.warbirds.jp/senri/
17-24、葉隠れ武士たらんと
本田 敏明 君(兵庫県揖斐郡出身)の手記を紹介致します。
岩部敬次郎君とはじめて出会ったのは、昭和18年10月予科練で操縦専修と偵察
専修に別れて分隊の編成替えが行われ、23分隊3班に編入された時でした。彼は
班の中では「中」ぐらいの体格で特に目立った存在ではありませんでした。
また自分の意見を主張する際には、大きな目玉をクリクリさせて佐賀弁まじりで喋
りましたが、 人のよい彼は他人と言い争いをするようなことはありませんでした。
一度彼と会ったことのある者なら殆どが忘れられない愛嬌如きものを感じたもので
した。
彼がハガキの宛名に「相知町相知」と書いているのを見て、「それは何と読むんだ」
と聞いたところ、 「オーチ町オーチだ」と教えてくれました。 それは、自分の故郷に
強い誇りを持っている口調でした。
「武士道と云うは死ぬことゝ見附けたり。二つ一つの場にて早く死ぬ方に片附くばか
りなり。云々」と葉隠の文句をよく聞かしてくれました。私は彼によってはじめて葉隠
の一部を知ることができました。 葉隠は鍋島武士道の教えで、彼はこの教えで自ら
を鍋島武士たらんとしていたと思われます。
「二つ一つの場にて」とは、生きるか死ぬかの場に臨んでのことと解釈していたので
すが、正しくは、「二つ二つの場にて」であり、私の聞き違いでした。葉隠は、生きる
ことを初めから考えていないという、凄まじい生き様を述べたものであると知ったの
は後年のことでした。
送信訓練で彼が電鍵を叩いているのを見ていると、農作業で鍛えられたのであろう
節くれだった指をしているので、 「お前の指はキーを叩く指じゃないナー」と、冗談を
云ったこともありました。
上海空の飛行練習生を卒業し台南空の艦攻隊に配属され、また彼と一緒になりまし
た。入隊して10日目の10月12日から始まった台湾沖航空戦では、敵の空爆の目
標になった防空壕の中にいて、共に「今日が最期か」と、 観念したこともありました。
その後、特攻隊編成に志願した約40名の同期生が、茨城県神ノ池基地の721空
へ転勤となり内地へ帰還するこになりました。 その時、彼も私もその中にいました。
神ノ池基地では、昭和20年の初頭から約2ヵ月余り、彗星33型で錬成訓練を受け
ました。そして3月下旬、私たちは百里原空へ転勤を命ぜられました。
百里原空に入隊して間もない日のことです。夕食後皆で雑談している所へ先任下士
官がやって来て、「601空彗星の偵察員を欲しがっている様子だが、行く者はいない
か」と云いました。いないどころではない、皆が彗星に乗りたがっていたのです。
そのうえ、601空と云えば海軍切っての精鋭部隊です。我も我もと全員が希望しま
した。そして、岩部敬次郎君以下数名の者が指名され、勇躍601空へ転属して行き
ました。我こそはと皆が思っていたのですが、彼らが抜擢されたのは、彼らが我々よ
り高い評価を得ていたからです。
数日後、岩部君が真新しい飛行服に身を固め、首から大きな航空時計を下げて晴れ
姿を見せに、我々のデッキにやって来ました。601空の隊員になってまだホヤホヤな
のに、グーンと貫録がついたように感じました。
「よかったなあ、 しっかりやってくれよ……」と、 みんなが羨ましがりながら激励しま
した。
ところが、これが彼の勇姿を見た最後でした。 その後、601空での彼の行動は知り
ませんが、彗星の優速を利して索敵や偵察それに哨戒などに飛び回ったものと想像し
ます。
郷里の生家の上空を低空で飛んだとの便りがあったと聞きました。また、唐津市内の
映画館で、ニュース映画に彼の姿が映っていると知らされたご両親は、何度も映画館
に足を運んだそうです。
昭和20年8月9日14:30。601空攻撃第1飛行隊で編成した、「神風特別攻撃隊
第4御盾隊」の彗星艦爆12機は、勇躍百里原基地を発進しました。第3小隊1番機
榊原中尉の操縦する彗星艦爆の偵察席に搭乗した岩部1飛曹は、15:50、
「敵艦見ユ、金華山ノ125度140カイリ」と、電報を打ったあと消息が途絶えました。
敵発見と同時に、猛然と突撃して行った彼の胸中に去来したものは、 あの葉隠の、
「死ぬことゝ見附けたり」だったのかも知れません。岩部敬次郎君は葉隠のサムライ
でした。それにしても何たる運命のいたずらか、その時期には既に戦争終結が目前
に迫っていることなど夢にも知らず、ただ必勝を信じて若い命を散らしたことは、
返すがえすも残念でなりません。
彼の魂魄還り来って、今は戦死された2人の兄上の霊と共に、古里の山ふところに
抱かれ静かに眠っています。50回忌の法要には、唐津中学の同級生22名の方々
が、墓前に参詣されて彼の生前を偲ばれたそうです。彼が郷里の人々にいかに愛さ
れていたかを知る慶ぶべき話です。また彼の中学校の同級生の1人は、昭和47年、
鹿屋航空基地史料館に展示されている、岩部兵曹の遺影に偶然対面して涙を流さ
れたといいます。
合 掌
昭和19年11月下旬、帰仁基地から721空に転属したのは、艦爆10名、艦攻30名
でした。そのうち百里原空には30名が移り、次の13名の者が「神風特別攻撃隊」に
編入され還らざる攻撃に飛び立ち、沖縄の海に消え去ったのです。
昭和20年4月17日 [階級は出撃当時]
神風特別攻撃隊第3御盾隊
2飛曹 右田 勇 (大 分・18歳)601航空隊
昭和20年4月28日
神風特別攻撃隊第1正気隊
2飛曹 弥永 光男 (福 岡・18歳)百里原航空隊
神風特別攻撃隊第2正統隊
2飛曹 漆谷 康夫 (福 岡・18歳)百里原航空隊
2飛曹 小野 義明 (福 岡・17歳)同
2飛曹 福田 周幸 (福 岡・17歳)同
2飛曹 伊東 宣夫 (大 分・17歳)同
昭和20年5月25日
神風特別攻撃隊第3正統隊
1飛曹 鹿島 昭雄 (福 岡・17歳)百里原航空隊
昭和20年6月3日
神風特別攻撃隊第4正統隊
1飛曹 南里 勇 (佐 賀・17歳)百里原航空隊
昭和20年8月9日
神風特別攻撃隊第4御盾隊
1飛曹 増岡 輝彦 (福 岡・18歳)601航空隊
1飛曹 万善 東一 (鹿児島・17歳)同
1飛曹 岩部 敬次郎(佐 賀・17歳)同
昭和20年8月15日
神風特別攻撃隊第4御盾隊
1飛曹 溝口 和彦 (佐 賀・18歳)601航空隊
1飛曹 田中 喬 (福 岡・18歳)同
写真説明 前から2列目中央が岩部君。
☆今日の一言☆
人は涙の下に立つ
[AOZORANOHATENI]
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