老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

7甲飛12期会

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           古里の山。

甲飛12期会 http://www.warbirds.jp/senri/12-3/
       7-72、両親の無事を願って  


私が死を意識して、真っ先に考えたことは、最も身近な者のことでした。 即ち、両親や姉
たちの肉親のことでした。自分が犠牲になることで、国家が存続し親や姉達が無事に暮ら
す事ができるのであればという、切羽詰まった考え方でこの問題に対応したのです。

恐らく、 私以外の者の考え方も大同小異であったと思います。この問題を解決するのには、
肉親に対する深い愛情が根本にあったものと信じています。その対象が妻子であり、また
約束を交わした最愛の女性であった者もいたに違いありません。

この肉親に対する愛情が、わが身を犠牲にして顧みない、重大な決意を可能にしたのです。
また立場を変えて、親の側からこれをみるとき、親もまた複雑な思いに駆られていたに違い
ありません。

 親想う 心に勝る 親心
   今日のおとずれ 何と聞くらむ

吉田松陰の辞世を、 現実に体験することになったのです。 いかに国のためとは言っても、
わが子の無事を願わない親はいません。 お互いの愛情と信頼が、「特攻」という常軌を逸し
た行動の原動力になったとすれば真に非情です。

    八洲隊の若桜

一、あの教官も あの友も 神風隊の 若桜
   笑って散った 勲に続き 征くぞ 俺らも体当たり
    一機命中 轟沈だ

二、あゝ南海や 北冥に  手柄残して 散華した
   同期の友に 後れをとった 悔し涙も 幾度か
    今日は門出の 嬉し泣き

三、八幡菩薩の 旗風に  地獄の使者だ 俺たちは
   敵に恨みの いざ体当たり 富士がほほ笑む この朝だ
    友よ笑って さあ征こう

四、さらば祖国よ 山河よ 離陸のあとは 何もない
   心は澄んで 気は落ちついて 笑顔が写る 計器盤
    目指す針路へ 真っしぐら

7-71、特攻隊員の心情

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            靖国神社が唯一の拠り所。


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       7-71、特攻隊員の心情  
   
「特攻隊員」を命じられた場合、覚悟が決まるというか、決心がつくというのか、死に対す
る気持ちの整理ができるのに、2〜3日かかるのが普通です。中には一週間程度も悩み
続ける者もいました。そして、一週間が過ぎても、なお決心がつかなければ脱落するしか
ないのです。

それでは、特攻隊員はいかにして、死に対して自分の気持ちを整理し、覚悟を決めたの
でしょうか。まず一般的に死を解決する要素として考えられるのは、宗教です。私の家は
真宗の信者でした。 子供のころから、仏壇に向かう母親の後に座り「正信偈」その他の
お経を読む程度の関心は持っていました。

また法要などで 「夫レ人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ観ズルニ・・・」に始まる蓮如上人の
「白骨の御文章(おふみ)」に無常を感じたり、 説教師の法話を聞いて感銘を受けること
もありました。しかし、いくら「極楽浄土」を信じていても、 敵とはいえ「殺生」に変わりは
ありません。だから、「極楽」ではなく「地獄」に落ちるのではないのか。などと考え始める
と、ますます混乱します。

「そうだ! 狙うのは敵艦であって敵兵ではない!」そう心に決めることで、自ら安らぎを
求めるのでした。

当時の年齢や人生経験から、信心といっても程度が知れています。それに比較して解決
すべき問題が、あまりにも大き過ぎたのです。だから、宗教によって死を肯定する心境ま
でには至りませんでした。

次に、「悠久の大義に生きる」という国家神道の教えです。当時の精神教育は、この一点
に集約されていました。 だが、前述の宗教と同じように、真にこれを理解し、これで死を
納得するまでには至りませんでした。

日ごろ同僚との会話の中で、
「俺たちは、戦死すれば軍神として靖国神社に祀ってもらえるんだなあ……」
「そうだよ、靖国神社にも先任後任があるんだ、俺が先に行って待っている。遅れて来た
奴は食卓番だぞー」

「そらつくな、軍神が食卓番なんかするものか。毎日が上げ膳据え膳で、 お神酒は飲み
放題だ!」
「そうだー、俺たちは軍神なんだ。だからお神酒だけは今から供えて欲しいなあー」
「なに言ってる。お前さんの供えてもらいたいのは、おふくろさんのオッパイだろう」
などとふざけ合っていても、本心から、軍神になることや靖国神社に祀られることでこの
問題を解決できた者は、恐らく一人もいなかったのではないでしょうか。

人間はどうせ一度は死ぬのです。それなら多少とも、後世に名を遺したいという見栄が
あります。そして、軍神や靖国神社は生前に予想できる唯一の死後の姿でした。 地獄や
極楽など単なる幻想の世界ではないのです。

立派に戦って戦死すれば、靖国神社に軍神として祀られることは約束された現実です。
しかし、初めからそれを目的として考えることは、神に対する冒涜でしょう。 私たちは、
国家神道を観念的には理解できても、それは、死後の姿を想定する手段としてであって、
死を解決するには別の何かを求めざるを得なかったのです。

次に運命として諦める方法があります。確かに人の運命には予測できない面があります。
それは、過去の戦闘や飛行機事故などの例で、生死は紙一重であることを痛感していた
からです。だから、これに運命的なものを感じていたとしても不思議ではありません。
 
しかし、これは結果としていえることで、運命そのもで死を解決するのは、諦らめの理論
です。 諦らめ切れないから悩むのであって、これが解決の手段にはなりませんでした。
要するに理屈で解決するのでなく、感情的に納得できる何かを求めていたのです。

7-70、特攻隊員の心情

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           先任下士官を囲んで。


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       7-70、特攻隊員の心情  
    
今日は人の身、明日はわが身、いつ出撃命令が出るか分からない状態で、更に死ぬため
の訓練が続けられました。 一度は死を決意したものの、夜半ふと目覚めて故郷に思いを
走らせることがあります。そして、まだ死にたくない、何とか生き延びる方法はないものかと、
生への執着に悩まされることも度々でした。

特攻隊が編成された当初は、 皆一様に無口になり、決意を胸に秘めている様子でした。
ところが、日が経つにつれて、今度は以前にも増して快活になってきのです。皆それぞれ
自分の死を納得したのでしょうか。それとも、表面の快活さは、心中の悩みを隠すための
手段なのかも知れません。

心を許し合った同期生の間でも、直接この問題に触れて話し合うことはありませんでした。
それは、他人の介在を許さない、自分自身で解決すべき問題だからです。そうは言っても、
人生経験の浅い18歳の若者に、このような解答を出させるとは非情です。

だが、内心の葛藤とは裏腹に、飛行機を操縦している時だけは、緊張のため雑念も涌かず、
死ぬための訓練でありながら、超低空飛行を行っても怖いというよりもむしろ爽快な気分を
味わうことさえありました。

訓練は続き技量は上達しても、 死に対する不安や恐怖は消えるどころか益々強くなって
きました。 この生への執着は、出撃命令を受けて最後の離陸の時までは、恐らく断ち切る
ことはできないであろうと感じていました。

だれでも、一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れません。しかし、理性的に自分
の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、いかに大変
なことであるか、経験しない者には想像もできないことでしょう。 日ごろ大言壮語していた
者が、「特攻隊」の編成に際し、仮病を使ってまで逃げ隠れした事例からも判断できます。

見方を変えれば、あれが人間の正直な姿であったのかも知れません。当時のような「全機
特攻」の重苦しい雰囲気の中で、なお死から逃れようと努力する者には、それ相当の勇気
が必要であったと思われるからです。

他人の心を計り知ることはできません。 だが、意識して皆との話の輪に加わり、他愛ない
話題に興じて、  無理に快活に振る舞っている自分の姿を、彼らはどう見ているのでしょう。
彼らもまた私と同じような心理であったのかも知れません。皆と一緒に談笑の輪の中にい
ながら、ふと脳裏を掠める不安に戦(おのの)く事も度々でした。

昼間は同僚との馬鹿話で気を紛らわす事もできます。しかし、夜中は自分だけの世界です。
眠れぬままに、遠い古里の思い出に浸り、死後の未知の世界を想像することも再々でした。
際限なく次々と頭に浮かぶ雑念を振り払いながら、 儚い人生につかの間の安らぎを求めよ
うと、 焦燥する日々がが続いたのです。

7-69、春木1飛曹の最期

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        実用機に伍して闘った「白菊」


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       7-69、春木1飛曹の最期  

「白菊特攻隊」に編入されて戦死した同期生は次のとおりです。

昭和20年5月27日、神風特別攻撃隊菊水白菊隊。1飛曹 増田 幸雄(宮崎)
        鹿屋基地発進、嘉手納沖の敵艦船群に対し、「体当たり攻撃」を敢行。
                           (聯合艦隊告示156号)

昭和20年6月25日、神風特別攻撃隊菊水第3白菊隊。1飛曹 春木  茂(愛知)
        鹿屋基地発進、沖縄周辺の敵艦船群に対し、「体当たり攻撃」を敢行。
                           (聯合艦隊告示236号)

「白菊特攻隊」の殿を務めて沖縄の空に散華された、春木一飛曹の出撃の模様を紹介
致します。 すでに沖縄は玉砕し、基地では「いまさら特攻とは」という気分が蔓延して
いました。だから、前日出撃した3機は全機引き返しています。

6月25日、「菊水第3白菊隊」 は前日の3機を含めて6機の出撃を予定していました。
1900から1930までに3機が発進しました。 ところが、 この日も全機が引き返して
きました。

春木機は油漏れのため止むを得ず引き返したのです。整備兵を督励して修理を急が
せました。
「次の機会を待て、もう出なくてもよい!」
そう言う隊長の制止を振り切って、春木1飛曹は単機で離陸し、南の空へ消えていき
ました。

6月26日0018、「ワレ今ヨリ突入ス ユタ ユタ ユタ 」との、 春木機からの電信
を受信しました。 この電文は、「我今ヨリ、輸送船ニ体当タリスル」 という略語です。
この電信を打ったのは、彼のペアである甲飛13期出身の岩下武2飛曹でした。

春木1飛曹は予科練では同じ分隊で、 隣の6班に所属していました。 正義感が強く、
責任感も旺盛でその行動は常に積極的でした。 分隊対抗や班対抗の競技などを
実施する場合、纏め役の中心として、存在感のある人物でした。

その彼が、「白菊特攻隊」最後の指揮官としてその名を残したのも、偶然とは思われ
ないものがあります。

       *
零式戦闘機  631機
九九艦爆    135機
白 菊      130機
彗星艦爆    122機
銀 河      100機
九七艦攻     95機
水上偵察機   75機
一式陸攻(桜花)54機
天山艦攻     39機
九六艦爆     12機
合  計    1、393機

以上は、昭和20年4月から6月までの間、沖縄方面の作戦に「特攻機」として出撃した、
機種別の機数です。零式戦闘機は別格として、 練習機である「白菊」が実用機に伍して、
いかに数多く、 特攻作戦に使用されたかを知ることができます。

7-68、白菊特攻隊」出陣

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          出撃前の徳島空隊員。


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       7-68、白菊特攻隊」出陣  

昭和20年3月、 練習航空隊から実施部隊に改編された第13聯合航空隊は、第10航空
艦隊の命により「白菊」による「神風特別攻撃隊」を編成しました。高知航空隊(菊水白菊隊)
徳島航空隊(徳島白菊隊)・鈴鹿航空隊(若菊隊)・大井航空隊(八洲隊)です。これが世に
いう「白菊特攻隊」です。

編成を完了した各航空隊は、離陸発進・接敵・攻撃(体当たり)などの訓練を、昼夜に亘って
実施しました。 そして、着々とその錬度を向上していったのです。夜間出撃が可能となった
「白菊特攻隊」は、5月20日、聯合艦隊の命を受け、第3航空艦隊及び第5航空艦隊にそれ
ぞれ配属され、ついに「菊水作戦」と呼ばれた「特攻作戦」に参加することになりました。

関東方面に備える第3航空艦隊に配属された大井航空隊(八洲隊)と鈴鹿航空隊(若菊隊)は、
「特攻待機」の状態で更に訓練を続行していました。九州及び沖縄方面に備える第5航空艦隊
隷下の第12航空戦隊に配属された高知航空隊(菊水白菊隊)は鹿屋基地へ、 徳島航空隊
(徳島白菊隊)は串良基地へとそれぞれの作戦基地へ進出展開しました。

そして、5月24日の「菊水7号作戦」が開始されるや、 勇躍基地を飛び立って沖縄周辺の
敵艦船群に対して「体当たり攻撃」を敢行したのです。 「白菊」の速力は最大でも120ノット
と極端に遅く、 爆装すれば100ノットそこそこです。 だから、昼間の攻撃は不可能と判断
され、夜明け前に突入する戦法がとられました。そのため、基地を発進したのはすべて夜半
でした。 (私の調査した資料によると、夜間に発進した「特攻機」は白菊と水上偵察機のみ
です)

(菊水7号作戦) 
昭和20年5月24日        
菊水白菊隊    (高知空) 中 尉 野田 勉 20機  8機16名 鹿屋
徳島第1白菊隊 (徳島空) 少 尉 須田 治 14機 11機22名 串良

昭和20年5月25日
菊水白菊隊   (高知空) 一飛曹 坂本 俊実 15機 1機 2名 鹿屋

(菊水8号作戦)
昭和20年5月27日
菊水白菊隊   (高知空) 中 尉 川田 茂 20機 9機 18名 鹿屋

昭和20年5月28日                                
徳島第2白菊隊 (徳島空) 中 尉 田中 正喜 16機 7機 14名 串良

昭和20年5月29日
徳島第3白菊隊 (徳島空) 一飛曹 北  光圓 15機 4機  7名 串良

(菊水9号作戦)
昭和20年6月21日
徳島第4白菊隊 (徳島空) 中 尉 井上 國平  8機 3機  6名 串良
菊水第2白菊隊 (高知空) 同    古賀 一義  8機 5機 10名 鹿屋

(菊水10号作戦)
昭和20年6月25日
徳島第5白菊隊 (徳島空) 少 尉 三浦 猛輝  8機 5機 10名 串良

昭和20年6月26日
菊水第3白菊隊 (高知空) 一飛曹 春木  茂  6機 1機  2名 鹿屋

以上は出撃月日・指揮官・出撃機数・突入確実と認められた機数及び特攻戦死と
認められ聯合艦隊告示により全軍に布告された人数です。(防衛研究所資料)

徳島航空隊61機、高知航空隊69機、  合計130機が出撃し、56機110名が
特攻戦死と認められました。 このように、6月25日の「菊水10号作戦」までに、
130機の「白菊」が出撃し、  多数の尊い命が「白菊」と共に大空の彼方へ消え
去ったのです。

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