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忠華隊の勇士。
甲飛12期会 http://www.warbirds.jp/senri/12-3/
7-110、全機突入
ある整備兵曹の回想(百里会々報に寄稿)
昭和二十年三月下旬から四月初旬にかけて、「菊水一号作戦」参加のため、練習航空隊で
編成された特別攻撃隊が串良基地に進出してきた。 その使用機は九七式艦上攻撃機で、
出撃予定日は四月六日である。第一陣は姫路航空隊。そして第二陣の宇佐航空隊は早々
に到着した。直ちに、垂水航空隊から派遣された魚雷調整班員の手によって魚雷投下器の
整備が施された。あとの一隊である百里原航空隊の進出日は、四月四日とされていた。
その日、天山艦攻担当の整備員は一般の雷撃隊出撃に備え、その整備点検・雷装作業に
従事していた。当日薄暮の作業予定としては、百里原空より到着する九七艦攻を掩体壕に
収容した後、直ちに出撃する天山艦攻の列線を敷くことになっていた。
陽春の昼下がりは何となく眠気を催す。作業を一段落した整備員たちは、それぞれの掩体
壕で休息をとっていた。そのとき百里原空の進出機から、「発動機不調のため、不時着指定
飛行場である宇佐基地に着陸する……」との電報を基地通信室が受信した。
他隊に遅れて串良基地に到着した、 百里原空の各搭乗員の面持ちには、「菊水一号作戦
の参加に遅れをとってなるものか……」との強い気魄に満ちあふれ、出迎えの整備員たち
は思わず目を見張った。
使用機である九七艦攻は、晴化粧をしたばかりなので、一見したかぎりでは逞しく感じられ
た。 しかし、 飛行科事務室の係員が、 その来歴簿から判断したところによれば、
「まさにスクラップ寸前のしろもの」だとのことであった。
機体・発動機・プロペラそれぞれ別葉に備えられた来歴簿は、海軍軍人の考課表に相当す
るものである。それには、製造会社名・製造番号・製造年月日・飛行時間・整備記録その他
の必要事項が細大漏らさず記録されていて、飛行機と共に移動することになっている。
艦攻担当の整備員が百里原空所属の機体のそばに近寄り、それに触れながらしみじみと
語った。「昔の老武士が、白髪を染めて戦場に赴く姿にも似ている……」と。
四月六日、「菊水一号作戦」発動。 串良基地から最初の特攻出撃が敢行された。 当日、
在鹿屋基地の第五航空艦隊司令部から、 金ピカのお偉方をはじめ、金モールの参謀や
報道班員たちが、乗用車とバスを連ねて続々と来訪してきた。そして形ばかりの出陣式を
済ませるや、さっさと引き揚げてしまった。
この日、なぜか百里原空の九七艦攻には出撃の命令が出なかった。 そのことについて、
整備員たちは例によっていろいろと憶測した。上層部にしてみれば「ポンコツ機」に雷装は
不適当だと判断してのことかもしれない。だが、あれほど特攻の先陣(九七艦攻隊での)
を承りたいと願っていた百里原空の搭乗員たちは、その旨を告げられたときには、どんな
にか悔しかったことだろう。
当時、「ガソリンの一滴は血の一滴に匹敵する」と、 燃料の使用は厳しく監督されていた。
しかし、その厳しい中にも燃料担当の掌整備長からは、「搭乗員には決して燃料の心配は
させるな、必要とあらば惜しみなく使用せよ」と、 申し渡されていた。
そのような話し合いができているところに、 百里原空の中西中尉(海兵七十二期)から、
「基地の燃料供給並びに使用状況」についての質問を受けた。彼はすでに、基地の飛行長
や整備長から大体のことを聞かされていたのであろうが、練習航空隊で燃料の厳しい使用
制限を受けていた体験から、基地の燃料係から直接に実情を聞き知っておきたかったので
あろう。
私は掌整備長からの指示もあったので、 「在庫は充分にありますから、いくらでも使用して
ください」と答えた。この時、中西中尉には春原上飛曹が付き添っていた。この先任搭乗員は、
南方戦域の経験が多く、戦闘体験のない列機の若鷲たちに、「基地外体験談」を面白おかしく
物語り、彼らの心に安らぎを与えていた。
出撃の日(菊水二号作戦)、燃料作業員が燃料の搭載作業を終えて、 飛行機から燃料車に
移ったとき、 春原上飛曹は彼ら作業員に向かって、「有難う、有難う」と礼を言った。 彼は
なにげなく言ったのかもしれないが、作業員にしてみれば、燃料を積んだことで礼を言われる
ことなど、初めてのことだったので、少なからず感激していた。
この日も、 串良基地総員が見送りの位置についた。 ヒレのない特攻専用の爆弾を抱いた、
「老朽機九七艦攻」は短い滑走路を一杯につかい、 少しばかりヨタヨタしながらも雄々しく
飛び立って行った。とかく思い出は遠ざかるものだが、この時の「帽振れ!」の別離の感傷
は今も忘れられない。
百里原空の出撃機は、二段、三段に構えたグラマンの警戒線を突破し、外周に配備されて
いる見張りの小型艦艇などには目もくれず、見事敵の本陣に向かって全機突入を果たした。
さすがに、 経験豊富な教官や教員を主体にして編成しただけのことはある。 その様子は
戦果確認機によってつぶさに報告された。
串良基地に於いて、 出撃全機が突入を果たしたのは、 百里原空(常磐忠華隊)が初めて
であった。また、魚雷を改装した特攻専用爆弾使用の「爆装攻撃」も最初であった。 ただ
惜しむらくは、使用機が余りにも老朽すぎた。
常磐忠華隊員の中で、ただ一人海兵出身の中西中尉。彼のことを基地のお偉方は、「海兵
精神の権化」 と口にしながら連日祝杯? をあげていた。 そして、「百里原空に続け!
百里原空を見習え!」と、口癖のように発言された。
一方、基地に展開した各飛行隊の若鷲たちは、お偉いさんの、おざなりのつぶやきなど意
に介することなく、「百里原空に負けるな!」を合言葉にして、勇躍敵機動部隊へ捨て身の
殴り込みをかけたのである。
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