老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

7甲飛12期会

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            第二正統隊の勇士。
       中列左から二人目、鹿島昭雄。
       前列左から、小野義明・伊東宣夫・福田周幸・右端漆谷康夫。(以上同期生)
       前列中央は、後藤中尉。中列右端は山下少尉。


甲飛12期会 http://www.warbirds.jp/senri/12-3/  
        7-102、まだ死にたくない!

父上様 母上様 姉上様、 在世中は色々と有難う御座いました。
此の度、醜敵米鬼に断固反攻すべく、沖縄へと選ばれて征く事になりました。
かへりみれば、私在世中は思い出深い事ばかりでした。
在世中十八年の間、父上母上様の御慈愛により、私も空の特攻として
短い十八年を立派に散る事が出来て、誠に本懐に堪へませぬ。
私も台湾沖航空戦に死場所を得たにもかゝはらず、おめおめと生き延びて、
先に逝った先輩に対して、誠に申訳ないと存じて居ましたが、今度破格にも
漸く立派な死場所を得て此れで先輩にも、父上母上様にも申訳が出来て、
何の未練も無く敵艦に突っ込んで行く事が出来ます。
故郷の友達諸君も職場に学窓に又野良に、元気で一生懸命頑張って居る事と
存じますが、私から宜しく言ったと御言傳下さい。
中村の叔父様にも、その外知人にも宜しく。
今生の御別れに一筆記して、一生の離別の辞と致します。ではお体を大切に。
 父上様、
 母上様、
 姉上様、  御機嫌よう                       義 明
    二〇、四、一五、


新春お健やかにお迎えの事とお慶び申し上げます。
弟からは、上海より二回ハガキが来ただけです。 それと遺書だけが残されております。
昭和二十年四月二十五日の朝、福田さんのお母様がおみえになり、「今鹿児島より面会
しての帰りですが、今すぐに行かれたらまだ息子さんに会えるかも知れません」と、知ら
せに来て下さいました。

早速切符を手に入れて、母と二人で夜行列車で久留米を発って、翌早朝西鹿児島駅に着
きました。 すぐに、空襲警報にあい、昼ごろまで足止めされました。日豊線も不通となり、
困りましたが、午後四時ごろ開通。隼人駅まで行き、歩いて夕暮れせまるなか、日当山温泉
に着き、その夜は温泉に泊まりました。

翌朝早く出発。歩いて基地に向かう途中、またも空襲警報に会い、ここでもまた足止めさせ
られました。昼ごろ解除になり、やっと山にたどり着き、二十七日の午後一時ごろ面会する
ことが出来ました。農家の庭先で三時間ぐらいの短い別れの一刻でした。

母が折角作って持って行った「おはぎ」も、 暑さと長い時間が経った為に、味が変わって
食べられませんでした。残念でなりませんでした。

母が苦心して手に入れた白絹のマフラーと交換に、自分の首に巻いていたマフラーをはず
して私達に渡しました。これが唯一の形見となりました。

いよいよ別れるという時に 「まだ死にたくない」 と、唯一言呟やいたことが胸にジーンと
きました。これが最後の言葉となりました。 弟から渡されたマフラーには、寄せ書がして
ありました。

散れ彗星の花吹雪     鹿島二飛曹
九州男子大いにあばれよ 原島一飛曹
悠久の大義に死す     本川上飛曹


遺書の上書には「百里空」と書いていましたが、破損がひどく複写出来ませんでした。
遺書と写真をお送り致します、宜しくお願い致します。寒い折りからお身体を大切にお暮ら
し下さいませ。    
                                      小 野 陸 子

小野義明君は遺書を書いたものの、 どうして家族に渡そうかと思案していたと思われます。
そこえ幸運にも福田君の母親が面会に来たので、これ幸いとことづけたのでしょう。福田君
の母親は、 面会の帰りに久留米市の小野君の家に立ち寄って届けたそうです。

あの当時、戦死は最高の名誉とされていました。そうは言っても、必ず死ぬと分かっている
「特攻隊」にわが子を送り出す母親の胸中はいかばかりだったでしょうか。 いくら名誉だと
言われても、わが子の死を願う親はいません。母親の苦衷が痛いほど感じらます。

筆者も経験したことですが、人間の感情には起伏があります。「特攻隊」に編入された際には、
「よし、やるぞー」と、 決心を固めていても、 時間が経つにつれて「まだ死にたくない」との
思いが募ってくるものです。だから、小野君が遺書に書き残した決意も本心であり、母親との
今生の別れに漏らした言葉もまた本音です。

「世間の人は、特攻隊だ、特攻隊だと称えて下さるけれど、本当はまだ死にたくない」。
これが死を翌日に控えた、小野義明君の偽らざる本心でしょう。だが、そう打ち明けられても、
なす術のない母親の苦衷を察すると、胸が張り裂ける思いがします。

☆第二正統隊 搭乗割

1D−1  操縦 中 尉 後藤 俊夫 (鹿児島・海兵73期)
      偵察 少 尉 山下 久夫 (兵庫・予備14期・関大)

1D−4  操縦 1飛曹 阿部 一之 (島根・乙飛17期)
      偵察 2飛曹 漆谷 康夫 (福岡・甲飛12期)

2D−1  操縦 上飛曹 緒方 忠幸 (福岡・丙飛10期)
      偵察 少 尉 久保 強郎 (福岡・予備14期・明治専)

2D−2  操縦 少 尉 小野 喜市 (東京・予備13期・慶大)
      偵察 2飛曹 伊東 宣夫 (大分・甲飛12期)

2D−3  操縦 少 尉 熊井 常郎 (群馬・予備14期・慶大)
      偵察 2飛曹 福田 周幸 (福岡・甲飛12期)

2D−4  操縦 1飛曹 片寄 従道 (福島・甲飛11期)
      偵察 2飛曹 小野 義明 (福岡・甲飛12期)

7-101、最後の親孝行

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                 福田周幸君遺影。


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        7-101、最後の親孝行

拝啓 永らく御無音に打ちすぎ相済みません
皆様には 御無事で御暮らしの事と思います
私も希望の特攻隊に入り
桜の花と散ることが出来る様になりました
今日までの御恩は死しても忘れません    
私の最後の親孝行は必中攻撃でありませう
必ず敵の艦船に体当り攻撃を行ひます
お母さん御元気で暮らして下さい 
弟妹の事はしっかり御願ひ致します
村の皆々様にもよろしく御礼を言って下さい
ではお先に失礼致します 又靖国の庭で会ひませう
  若桜今を盛りと咲きにほふ 
     共に散り行く琉球の空
 お母様へ            周幸 より




村御一同様
遂に肉嗅相別る 心中亦空し 再び相接するの期あらんや
唯靖国の庭に会ふことを期す 邦家の為完爾として散らん
戦局まさに危急 国家存亡の秋 雲染む屍
大空以外 誰か他に散らんと欲せん
悠久三千年の歴史を顧み 唯大義に生くるのみを本分とす
国を思ふまにまに 一命敢て論ずるに足らず
見敵必殺の意気に 沈まざる敵空母なしと信ず
終りに在世中の御厚意を深く謝し 御多幸を御祈りします


この手紙は、出撃を目前にして母親と、福岡県三井郡三国村の村長に宛てて出されたもの
である。 母親に最後の別れを告げるとともに、 生まれ育った三国村に思いを馳せ、出征に
際してお見送りくださった、古里の方々の面影を瞼に浮かべながら書いたのであろう。

当時の憲法では、国民の三大義務として兵役の義務が日本男子に課せられていた。そのう
え、出征は一族一家の名誉に止まらず、郷土の誉れとして称賛された。 また、戦死すれば
村民あげての「村葬」が行われた。  そして門口には、「誉の家」の標識が掲げられて、その
栄誉が称えられ時代である。

筆者も予科練に合格して鹿児島航空隊に入隊するに際して、友人や親族が集まり壮行会を
開いていただいた。 出立の日には親戚縁者と連れ立って氏神様に参拝して、「武運長久」を
祈願した。そして、「祝入隊」の幟を先頭にして小学校の音楽隊が軍歌を吹奏しながら最寄り
の駅まで、先輩や友人から激励を受けたり、 お別れの言葉を交わしながら歩いた。

駅前の広場では、お見送りくださった皆様方を前にして、入隊の決意とお別れの挨拶それに
お見送りのお礼を述べた。 そして、万歳三唱に送られながら列車に乗り込んだ。線路沿い
には近郷の方々が総出で、 日の丸の小旗を打ち振っての、盛大な見送りを受けて古里を
後にしたのである。 この見送り風景は、支那事変が勃発して以来、次々に出征する軍人を
送り出す儀式として定着していた。

7-100、十有七春秋

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           伊東宣夫君の遺稿集。


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        7-100、十有七春秋

小野 昭二郎(大分県佐伯市出身)

昭和18年8月1日、 伊東宣夫、小寺一男、宮崎昭、渡部義彦、安藤裕康それに私は、
佐伯中学校同級生のトップをきって、 第12期海軍甲種飛行予科練習生として、鹿児島
航空隊に入隊した。

憧れの七つボタンの予科練の制服を着て、鹿児島まで送りにきた親たちの前で、笑顔で
敬礼。予科練生活のスタートをきった。 入隊したらすぐにでも飛行機に乗せてくれるも
のと思っていた。 ところが、予科練とは本科に相当する飛行術練習生に対する予科の
意味で、搭乗員としての基礎である気力、体力、学力を身につけるところであった。

入隊の日はやさしかった教員は、翌日から豹変した。海軍伝統の「軍人精神注入棒」い
わゆるバッターで追い回されることになった。基本教練をはじめ、陸戦、水泳、カッター
と、息つく暇もない猛訓練の連続である。 モールス信号の送受信をはじめ、発光信号、
手旗信号、旗旒信号など搭乗員として必須の通信手段は徹底的に教育された。

昭和19年3月、無事に予科練を卒業した。操縦員に指定された安藤君を除いた同級生
は、揃って上海空に転属となった。 ここで、第37期飛行術練習生の教育が始まった。
分隊や班こそ違ったが、暇をみつけては同級生が集まり、語り合ったものである。

昭和19年9月、 飛練を卒業して晴れて一人前の搭乗員として実施部隊に配属された。
伊東君と私は台南空の所属となり、ダグラス輸送機で台北を経由して赴任した。伊東君
は艦爆、私は艦攻とそれぞれ配置が決まった。

小寺君は701空の所属となり、上海空で別れたのが最後であった。小寺一男2飛曹は、
昭和20年4月7日、沖縄周辺の敵艦船攻撃の命令を受け、96陸攻に搭乗し、1555
新竹基地を発進し、雷撃敢行中に被弾戦死した。

台湾沖航空戦の終了後、二人とも721空に転属となった。艦攻、艦爆それぞれの飛行
機で沖縄を経由して宇佐空に向かった。一足先に発った伊東君は、久しぶりに佐伯の
土地を踏むことができた。池船橋でお墓参りに行った母親と偶然出会ったそうである。
最後の別れにどんな話をしたのであろうか。 私も僅か1時間ではあったが、 家に帰り
両親と会うことができた。

昭和20年3月26日、私たちは百里原空へ転属となった。 その当時、練習航空隊から
実施部隊に編制替えになった百里原空では、次々と「特攻隊」の編成が行われた。台南
空時代に、艦爆の配置にあった者から順次編入されたように思う。伊東君は第2正統隊
の一員に選ばれた。 私はどうしたことか、特攻出撃を前に厚木空に転勤を命ぜられた。
「俺もすぐいくから……」そう言って別れたのが最後であった。

伊東君は学校時代は成績もよく、文才家であり漢詩にも長けていた。 また、いくつかの
小説や詩などを書き残している。彼が特攻出撃に際して家族へ送った「十有七春秋……」
にはじまる遺書は、予科練に入隊してから最後まで行動を共にしていた私には、涙なくし
て読むことはできない。祖国の必勝を信じ、国のためとは言え何のためらいもなく17歳
の若さで散った彼を思うとき、何とも言えない気持ちになる。

  遺稿集表紙 写真  前列左から、小野義明・伊東宣夫・福田周幸

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            鹿児島空24分隊6班。


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        7-99、逝く春に 逢はで散り行く若桜

伊東宣夫君は、郷里の区長宛てにも次のような決意を書き送っています。出撃を目前にして、
入隊に際してお見送りくださった、郷里の皆様方の面影を瞼に浮かべながら、 別れの言葉を
書き残したのです。
    
一筆申し上候 
 沖縄方面作戦愈々緊迫せるとき 大死一番 特攻の一員に加はるを得候事は
 無上の本懐 今日をおきてまたいづれの日にか是れ求め候はん
 一途に 皆々様の御鞭撻のお陰と深く感謝申上候  思へば一昨年夏八月 
 皆々様に 山崎の広場にてお別れして以来 幾度か念願致し居り候事 
 勿論生還は期しておらず…………
 末筆乍ら 区民一同様の御多幸のほどを御祈り申上候

   逝く春に 逢はで散り行く若桜 
       御国のためぞ 心は楽し 



写真前から3列目左から2人目伊東宣夫君。後列中央右田勇君。右端山口昭二君。

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            右田勇少尉の絶筆。


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        7-98、渡り鳥 帰らぬ身とは知りながら

伊東宣夫君の遺書の中に「既に右田戦死し……」と記されているのは、601空攻撃第1飛行隊
所属の、右田勇2飛曹のことである。右田2飛曹は大分県宇佐郡の出身で、 鹿児島空の予科練
時代は彼と同じ24分隊の6班に所属し、 厳しい訓練に耐えた。次に、上海空に移り偵察専修の
飛行術練習生として、共に技量の錬磨に精進した仲である。

昭和20年4月17日早朝、 「神風特別攻撃隊第3御盾隊」指揮官天谷中尉機の偵察員として、
彗星艦爆に搭乗した右田2飛曹は、0700第1国分基地を発進。 喜界島155度80浬付近の
敵機動部隊に対して、必死必殺の「体当たり攻撃」を敢行した。

  渡り鳥 帰らぬ身とは知りながら  一筆かきし 文となりにし

   これは出撃の前日家族に宛てた、故右田勇少尉の絶筆である。

神風特別攻撃隊 第3御盾隊 彗星隊搭乗割 (聯合艦隊告示138号)
1番機
  操縦 中 尉 天谷 英郎 (福井・予備学13期)  攻撃第1飛行隊
  偵察 2飛曹 右田  勇  (大分・甲飛12期)
2番機
  操縦 飛 長 飯村 清一 (京都・乙飛特1期)   攻撃第1飛行隊
  偵察
3番機  
  操縦 中 尉 岡田 敏男 (東京・予備学13期)  攻撃第1飛行隊
  偵察 中 尉 和田守圭秀 (島根・予備学13期)
4番機
  操縦 飛 長 真島  豊  (佐賀・乙飛特2期)   攻撃第1飛行隊
  偵察
 


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