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B29の空襲
甲飛12期会 http://www.warbirds.jp/senri/12-3/
7-84、無駄な犠牲者
8月10日前後の出来事でした。 大井航空隊に最後まで残って「特攻待機」を命じられて
いた、 われわれ第3八洲隊(第3中隊をこう呼んでいました)は、引き続き、夜間飛行訓練
を実施していました。その夜、私は前段での夜間接敵訓練を終了し、指揮所の近くで休憩し
ていました。すでに夜半も過ぎて、後段で出発した飛行機が次々に帰投し始めていました。
その時、突然《空襲警報》が発令されました。B29による夜間爆撃です。 上空まで帰って
いた飛行機を急いで着陸させ、「夜設」が消されました。整備員は、着陸した飛行機を地上
滑走ではなく手で押して、飛行場の周辺に設けられている掩体壕に搬入しました。ところが、
「搭乗割」の黒板を見ると、1機だけまだ帰投していない飛行機があります。
B29の編隊は東の方向から御前崎の上空まで来て、ここで南に変針して飛び去って行き
ます。 静岡方面を空襲しての帰りです。高度は夜間空襲のためか、5000メートルから
6000メートル程度で、昼間の空襲に比較してやや低く飛んでいます。コースは飛行場の
南東方向で、十分見通しのきく距離です。
10機前後の敵編隊は、一定の間隔を置いて、次々に上空を通過します。地上では、タバコ
も吸えない厳重な灯火管制を実施し、息をひそめてこれを見詰めています。その時、B29
とは別の爆音が近づいてきました。御前崎よりやや東側、大井川の河口方向から飛行場の
南側を通過しながら、味方識別のために舷灯をつけました。そして、
「― ― - ― ― - (リギン帰投しました、着陸準備されたし)」
との合図を、発光信号で送ってきました。間違いなく味方の「白菊」です。
「リギン、帰投しまーす!」
見張員が弾んだ声で叫びました。
指揮所を伺うと、飛行隊長と分隊長が何やらヒソヒソと打ち合わせをしている様子です。
夜設係はいつでも「夜設」に点火できる準備をして、指示の出のるを待っている。ところが、
「夜設点灯」の指示がなかなか出されません。
帰投した飛行機は、そのまま飛行場上空を通り過ぎてしまいました。しばらくすると、
また爆音が近づきました。「リギン」が引き返してきたのです。盛んに発光信号を送って
きますが、応答の指示が出ません。そのまま御前崎の方向へ飛び去ってしまいました。
機上では恐らくB29の上空通過を知って、その対応策を練っているのでしょう。それとも
帰投したのが飛行場の上空ではなく、機位を失した(自分の飛行機の現在位置が分から
なくなること)と思い、御前崎の上空まで引き返えして、位置の再確認をしているのかも
知れません。
後席の偵察員は1人で航法と通信を担当することになっています。だが、夜間は航法に
重点をおくため、電信機を積んでいない飛行機もありました。例え積んでいたとしても、
すぐに使用できる状態にあるとは限りません。
いずれにしても、オルジスによる発光信号が唯一の連絡手段です。ところが、指揮所か
ら飛行機を目標に発光信号を送れば、上空を通過しているB29にも見られることにな
ります。だから、指揮官は発信をためらっている様子です。
要は御前崎など、 自分の位置が確認できる場所の上空で旋回しながら待機して、《空襲
警報》の解除を待つ以外に、適当な方法はなさそうです。例え飛行場を探し当てたとし
ても、「夜設」なしでの着陸は危険を伴ないます。
次に問題になるのが燃料です。満タンでも、480リットルしか積めない「白菊」では、
朝まで飛び続ける量はもう残っていないはずです。既に、200浬以上を飛んでいる
のです。だから、あと1時間半が限度でしょう。夜明けまでには、まだ3時間以上も
あります。
「B29は爆撃を終わって帰る途中だから、夜設をつけても、 もう引き返してくるもんか」
「引き返してきたって、もう爆弾なんか持っていないさ!」
「B29の編隊は間隔が相当開いているから、その間にうまく着陸させればよいのに……」
「あの野郎、何を恐れているんだ、なんで夜設を点けさせんのだ! 毎晩飛んでいる俺た
ちの身にもなってみろ、夜設なしで降りろと言うのか!」
「そーだよ、自分たちは飛ばないもんだから、いい気なもんだ……」
「もーう止めた、こんな調子なら明日は上がっても予定コースを飛ばずに、エンジン故障
と言ってすぐに降りてやるから……」
「自分たちの安全ばかり考えやがって、俺たちは消耗品扱いだ!」
と、声を潜めていろいろと囁かれていたが、指揮官は何を恐れているのか、「夜設点灯」
の指示はついに出ませんでした。
その後も一度、「白菊」の爆音を聞きましたが、ついに消息を絶ってしまいました。 いくら
消耗品と呼ばれた搭乗員の命であっても、これではあまりにもひど過ぎます。まさに犬死
です。当時の戦況から、空襲は予測できることであり、事前に対策を講じて置くべきでした。
飛行場の場所は、昼間何度も空襲を受けているので、敵も十分承知しているはずです。
だから、いまさら隠す必要などないのです。
また、夜間訓練の実施を秘匿したいのであれば、飛行場から離れた茶畑の中か、大井川
の河原にでもバッテリーやオルジスなどの機材を運んで、飛行機と交信させる手段もある
のです。夜明けが近づいたので、飛行訓練は中止されました。そして、後味の悪い思いで
飛行場を後にしました。どこかで不時着していれば、生死にかかわらず、何らかの連絡が
入るはずです。ところが、その後どこからも情報は入らなかったのです。
百里原航空隊での空中衝突事故もそうであったように、訓練計画の不備などによる事故が
あまりにも多すぎました。指揮官の無為無策のために喪失した人命や機材は、相当な数に
のぼると推察されます。運が悪かったと言えばそれまでですが、人知れずこの世を去った
彼らの胸中は、察するに余りある痛恨事でした。
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