老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

7甲飛12期会

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7-87、依命予備役編入

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            御守袋


甲飛12期会 http://www.warbirds.jp/senri/12-3/
       7-87、依命予備役編入  

日が経つにつれ、終戦の実状も次第に明らかになりました。 軍隊は解体され帰郷できるとの
話です。 また一方では、日本全土は占領され、搭乗員は皆殺しにされるとの噂も流れていま
した。まさかと思いながらも、南北アメリカ大陸や、フランス領印度支那それにオランダ領印度
その他南方諸島に対する、西欧列強の過去の侵略の歴史を考えるとき、これを一概には否定
できない真実味を帯びていました。

文永・弘安の役で、対馬や壱岐それに鷹島の住民が、来襲した蒙古軍から受けたような残虐
な仕打ちが、全国各地で再び行われるのだろうか。 また、白人に土地を奪われ、騎兵隊に
追い立てられて行くインディアンの悲哀を、映画ではなく、現実のものとして味わうことになる
のだろうか。 厚木航空隊の「銀河」が撒いて行ったビラの内容も、将来の我が国の姿を暗示
しているように思われて、不安は増すばかりでした。

要務飛行などに必要な最小限の飛行機以外は、プロペラを外して並べられました。機関銃そ
の他の武器も一ヵ所に集められ、種類ごとに整頓しました。昔映画でみた忠臣蔵の、赤穂城
明け渡しの場面を思い出させる状況でした。これを海軍式号令で表現すれば、
「大東亜戦争終わり、用具収め!」となるでしょう。

《任海軍上等飛行兵曹、依命予備役編入》という、帝国海軍から最後の命令を受けて復員が
決まったのは、8月も終わりに近くなっていました。

持ち帰る最小限の品物を整理して、手荷物にまとめました。 そして、不要になった所持品を
焼却することにしました。大切にしていた「航空記録」その他も、皆に倣って次々に燃やしまし
た。最後に、「御守袋」を胸のポケットから取り出しました。過日、父親が面会に来たとき戴い
たものです。ちょっと拝む仕種をして火中に投じました。

その瞬間、いつの間にかお守りの板札が真っ二つに割れているのが、指先の感触で分かり、
慄然たる思いがしました。これは、「御守札」が割れることで身代わりになったことを示す、
と言われていたからです。

7-86、飛行訓練は中止

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        厚木空の「銀河」が飛来しました。


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       7-86、飛行訓練は中止  

当夜予定されていた夜間飛行訓練は中止されました。そして、その夜は久し振りに酒盛りと
なりました。取って置きの酒や缶詰などを持ち寄っての無礼講です。戦争に負けた悔しさと、
死から解放された嬉しさが同居した妙な雰囲気でした。

翌日から、先行き不透明で不安定な生活が始まりました。目的を失いぼう然自失している時、
厚木航空隊から「銀河」が飛来して、《徹底抗戦》を訴える檄文を撒いて行きました。 これに
呼応する意見も出ましたが、賛同者は殆ど居ませんでした。

     陸海軍健在ナリ

     満ヲ持シテ醜敵ヲ待ツ 軍ヲ信頼シ我ニ続ケ
     今起タザレバ 何時ノ日栄エン
     死ヲ以テ 生ヲ求メヨ
     敗惨国ノ惨サハ 牛馬ノ生活ニ似タリ
     男子ハ奴隷 女子ハ悉ク娼婦タリ 之ヲ知レ
     神洲不滅 最後ノ決戦アルノミ
                    厚木海軍航空隊

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7-85、運命の8月15日

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             牧之原から眺めた富士山。


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       7-85、運命の8月15日  

その当時、空襲の被害を少なくするため、 兵舎をはじめ基地の施設は、飛行場から離れた
場所に分散されていました。金谷の町から南側へ坂道を登り、牧之原台地を飛行場へ向か
う道路の両側は一面の茶畑です。その西側の林の中に小さなバラック建ての病室が設けら
れていました。ここには、30名程度の外傷患者が収容されていました。

この患者の中に、飛行隊の搭乗員が2名含まれていました。過ぐる日、敵機動部隊の空襲
の際に交戦中負傷した者です。彼らを看護するために、同僚が交替で付き添いに行くこと
になっていました。

看護と言っても別に事らしいものはありません。 空襲その他の非常に際して、彼らを安全
な場所へ退避させる手助けをするのが目的です。だから、航空食などを持ち込んで食べな
がら、囲碁や将棋などで遊んでいればよかったのです。

8月15日、その日私がその病室当番に当たっていました。朝食を終えて暑くならないうち
にと思い早めに病室に行きました。過日の空襲で負傷した関戸兵曹(乙飛十七期出身)と
雑談していると、《総員集合! 格納庫前》の指示が出たので、患者以外の者は飛行場へ
行くようにと、看護科の当直下士官からの伝達がありました。

私は、せっかくの休養を兼ねた病室当番に当たっているのに、暑い最中を30分もかけて
飛行場まで歩くのが厭なので、横着を決め込んで、空いたベッドに寝転んで雑誌を読んで
いました。

やがて、午後も遅くなって、看護科の兵隊が総員集合から帰ってきました。そして、何やら
ヒソヒソと話し合っています。どうも、戦争が終わったなどと言っている様子です。

「オイ! 総員集合で何があったんだ?」
「ハイ、天皇陛下がラジオで直接放送されました。雑音がひどくて、よく聞き取れません
でしたが、分隊長の話では戦争は終わったらしいです!」
「エェッ! それ本当かっ?」

半信半疑です。 一刻も早く事実を確かめたい。こんな所でぐずぐずしている訳にはゆき
ません。すぐに「湖畔の宿」に向かって急ぎました。これが本当なら、もう死ななくてすむ
のです。今まで胸につかえていた重苦しいものが一遍に消し飛んで、浮き立つような気持
ちで茶畑の中の小道を走りました。

兵舎に帰ってみると、皆も興奮して今後のことについて議論を交わしていました。 やはり
戦争は終わったのです。だが、戦争に負けたとは思いたくありませんでした。同僚の話では、
一度《総員集合》が伝達されたが、搭乗員は兵舎でラジオを聞けと指示され、総員集合には
参加しなかったそうです。ならば私の不参加の判断は当を得たものだったのです。

7-84、無駄な犠牲者

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            B29の空襲


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       7-84、無駄な犠牲者  

8月10日前後の出来事でした。 大井航空隊に最後まで残って「特攻待機」を命じられて
いた、 われわれ第3八洲隊(第3中隊をこう呼んでいました)は、引き続き、夜間飛行訓練
を実施していました。その夜、私は前段での夜間接敵訓練を終了し、指揮所の近くで休憩し
ていました。すでに夜半も過ぎて、後段で出発した飛行機が次々に帰投し始めていました。

その時、突然《空襲警報》が発令されました。B29による夜間爆撃です。 上空まで帰って
いた飛行機を急いで着陸させ、「夜設」が消されました。整備員は、着陸した飛行機を地上
滑走ではなく手で押して、飛行場の周辺に設けられている掩体壕に搬入しました。ところが、
「搭乗割」の黒板を見ると、1機だけまだ帰投していない飛行機があります。

B29の編隊は東の方向から御前崎の上空まで来て、ここで南に変針して飛び去って行き
ます。 静岡方面を空襲しての帰りです。高度は夜間空襲のためか、5000メートルから
6000メートル程度で、昼間の空襲に比較してやや低く飛んでいます。コースは飛行場の
南東方向で、十分見通しのきく距離です。

10機前後の敵編隊は、一定の間隔を置いて、次々に上空を通過します。地上では、タバコ
も吸えない厳重な灯火管制を実施し、息をひそめてこれを見詰めています。その時、B29
とは別の爆音が近づいてきました。御前崎よりやや東側、大井川の河口方向から飛行場の
南側を通過しながら、味方識別のために舷灯をつけました。そして、
「― ― - ― ― - (リギン帰投しました、着陸準備されたし)」
との合図を、発光信号で送ってきました。間違いなく味方の「白菊」です。

「リギン、帰投しまーす!」
見張員が弾んだ声で叫びました。

指揮所を伺うと、飛行隊長と分隊長が何やらヒソヒソと打ち合わせをしている様子です。
夜設係はいつでも「夜設」に点火できる準備をして、指示の出のるを待っている。ところが、
「夜設点灯」の指示がなかなか出されません。

帰投した飛行機は、そのまま飛行場上空を通り過ぎてしまいました。しばらくすると、
また爆音が近づきました。「リギン」が引き返してきたのです。盛んに発光信号を送って
きますが、応答の指示が出ません。そのまま御前崎の方向へ飛び去ってしまいました。

機上では恐らくB29の上空通過を知って、その対応策を練っているのでしょう。それとも
帰投したのが飛行場の上空ではなく、機位を失した(自分の飛行機の現在位置が分から
なくなること)と思い、御前崎の上空まで引き返えして、位置の再確認をしているのかも
知れません。

後席の偵察員は1人で航法と通信を担当することになっています。だが、夜間は航法に
重点をおくため、電信機を積んでいない飛行機もありました。例え積んでいたとしても、
すぐに使用できる状態にあるとは限りません。

いずれにしても、オルジスによる発光信号が唯一の連絡手段です。ところが、指揮所か
ら飛行機を目標に発光信号を送れば、上空を通過しているB29にも見られることにな
ります。だから、指揮官は発信をためらっている様子です。

要は御前崎など、 自分の位置が確認できる場所の上空で旋回しながら待機して、《空襲
警報》の解除を待つ以外に、適当な方法はなさそうです。例え飛行場を探し当てたとし
ても、「夜設」なしでの着陸は危険を伴ないます。

次に問題になるのが燃料です。満タンでも、480リットルしか積めない「白菊」では、
朝まで飛び続ける量はもう残っていないはずです。既に、200浬以上を飛んでいる
のです。だから、あと1時間半が限度でしょう。夜明けまでには、まだ3時間以上も
あります。

「B29は爆撃を終わって帰る途中だから、夜設をつけても、 もう引き返してくるもんか」
「引き返してきたって、もう爆弾なんか持っていないさ!」
「B29の編隊は間隔が相当開いているから、その間にうまく着陸させればよいのに……」

「あの野郎、何を恐れているんだ、なんで夜設を点けさせんのだ! 毎晩飛んでいる俺た
ちの身にもなってみろ、夜設なしで降りろと言うのか!」
「そーだよ、自分たちは飛ばないもんだから、いい気なもんだ……」
「もーう止めた、こんな調子なら明日は上がっても予定コースを飛ばずに、エンジン故障
と言ってすぐに降りてやるから……」

「自分たちの安全ばかり考えやがって、俺たちは消耗品扱いだ!」
と、声を潜めていろいろと囁かれていたが、指揮官は何を恐れているのか、「夜設点灯」
の指示はついに出ませんでした。

その後も一度、「白菊」の爆音を聞きましたが、ついに消息を絶ってしまいました。 いくら
消耗品と呼ばれた搭乗員の命であっても、これではあまりにもひど過ぎます。まさに犬死
です。当時の戦況から、空襲は予測できることであり、事前に対策を講じて置くべきでした。
飛行場の場所は、昼間何度も空襲を受けているので、敵も十分承知しているはずです。
だから、いまさら隠す必要などないのです。

また、夜間訓練の実施を秘匿したいのであれば、飛行場から離れた茶畑の中か、大井川
の河原にでもバッテリーやオルジスなどの機材を運んで、飛行機と交信させる手段もある
のです。夜明けが近づいたので、飛行訓練は中止されました。そして、後味の悪い思いで
飛行場を後にしました。どこかで不時着していれば、生死にかかわらず、何らかの連絡が
入るはずです。ところが、その後どこからも情報は入らなかったのです。

百里原航空隊での空中衝突事故もそうであったように、訓練計画の不備などによる事故が
あまりにも多すぎました。指揮官の無為無策のために喪失した人命や機材は、相当な数に
のぼると推察されます。運が悪かったと言えばそれまでですが、人知れずこの世を去った
彼らの胸中は、察するに余りある痛恨事でした。

7-83、湖畔の宿

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            夕暮れに、故郷を偲びながら


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       7-83、湖畔の宿  
   
たび重なる空襲で、基地の建物は破壊され、兵舎などの施設は飛行場の外に分散されていました。
飛行場のある牧之原台地を西に下り、堀之内へ通じる道路の南側に、大きな農業用の溜池があり
ます。 その周辺の松林の陰に、小さなバラック兵舎が建てられていました。 われわれはこれを、
ある種の感慨をもって「湖畔の宿」と呼んでいました。

夕暮れに、水面に映る風景を眺めながら、 遥かに故郷の山河を偲び。 灯火管制された薄暗い
裸電灯のもとで、 肉親への手紙をしたためたり、 トランプ占いやコックリさん(占いの一種)の
お告げに一喜一憂して、明日の運命を模索する生活を続けていのです。

限りある命だから、一日一日を大切に生きなければと思いながらも、この将来に希望の持てない、
その日暮らしの生活を、当時流行していた高峰三枝子の歌う「湖畔の宿」の歌詞に重ね合わせて、
己が運命の儚なさを思い、感傷に耽っていたのです。

そして、再び死ぬための訓練が開始されました。 先に沖縄周辺に出撃した、高知空や徳島空の
戦訓に基づき、昼間の攻撃は不可能と判断されました。だから、夜間攻撃の訓練に専念すること
になりました。

日暮れとともに「湖畔の宿」を出て飛行場に向かいます。そして、終夜飛行訓練を実施して夜明け
前に、「湖畔の宿」に帰って就寝するのです。 昼と夜とが入れ替わった生活が始まったのでした。
兵舎には窓に暗幕を張って暗くしています。 作業などで止むを得ず明るい所に出る場合には、
色眼鏡を着用するように申し渡されていました。闇夜に慣れるための処置です。

ところが、昼間はなかなか熟睡できるものではありません。窓が小さいうえ暗幕を張っているので、
風通しが悪く蒸し暑いのが原因です。 更に、死に対する恐怖や生に対する未練など、人生経験
の浅い18歳の身には解決すべき問題があまりにも多く、ベッドに横になっても、いろいろな妄想が
浮かび、肉体的疲労とは裏腹になかなか寝つかれませんでした。

また、度重なる敵機の来襲などにより、食事の時間も不規則となり、睡眠時間も不足がちでした。
ある日のこと、朝昼晩と3食も続けて、豚汁が配食されました。主計科が残飯で飼育していた豚が、
前日の空襲で被弾したそうで、思わぬ大御馳走にありついたのです。

またある日の空襲で、烹炊所に爆弾が命中したため炊事が出来ず、乾パンと缶詰しか配食され
ない事もありました。搭乗員には、特別に航空食などが支給されていたので、何とか喰いつなぐ
事ができました。この時期、精神的にも肉体的にも、極限の生活が続いたのです。


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