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航空母艦「鳳翔」。
戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/11sensi/index.html
10-12、空中衝突事故
昭和20年3月17日、210空の小林毅(新潟)中園利之(福岡)吉富昇(鹿児島)2飛曹が雷撃訓練中
に空中衝突事故を起こして殉職した。いずれも、艦上攻撃機の操縦訓練を受けた同期生である。
その日、同じ訓練に参加してこの事故を目撃した同期生がいる。平岡健哉2飛曹(長崎県出身)である。
彼の話によれば、当時210空艦攻隊は大分基地に移動して、航空母艦「鳳翔」を標的とした、魚雷の
実射と襲撃運動の訓練を実施していた。その日は、天山艦攻12機編隊で襲撃運動を実施するため、
隊長の佐藤大尉が指揮官となり、大分基地を離陸した。 編隊を組みながら高度をとり豊後水道に向
かった。間もなく、全速力で航行中の標的艦「鳳翔」を発見した。 1番機のバンクを合図に、突撃準備
隊形を作った。
突撃準備隊形とは編隊を解散して単縦陣になりながら、標的艦を中心にして、半径約10,000メートル
の円を描いて包囲する陣形を作るのである。 包囲陣が完成するのを見計らって、指揮官は「突撃」を
指令する。全機一斉に標的艦に向かって「突撃」を開始する。
魚雷の発射は高度20メートル以下で目標との距離は800メートル前後で行う。つまり、参加した全機
が標的艦前方の上空で一瞬に交差することになる。 その日の約束事は、右舷側から攻撃する機が
左舷側から攻撃した機の上を通過して衝突を避けることで統一されていた。
ところが同じ左舷側から攻撃する場合でも、 発射角は60度から120度とまちまちである。 そのうえ
同じ側から攻撃する機ごとの高度差は示されていなかった。だから、魚雷発射後の各機は思い思いの
高度で一点に集中することになる。
実戦に即した訓練のため安全は無視されていた。平岡機は右舷側から「突撃」を開始した。 ところが、
魚雷発射の直前に標的艦の艦首前方に突然水柱が上がり、飛行機の破片がバラバラと海上に落ちて
きた。これは左舷側から攻撃していた2機が、空中衝突して墜落したものである。すぐに訓練を中止して
基地に帰った。
衝突したのは橋本飛曹長機(乙飛7期)と同期生の小林2飛曹機であった。それにその後席に搭乗して
いた者を含め、6名の犠牲者を出したのである。小林機の後席には同期生の中園・吉富両2飛曹が搭乗
していたのである。これより6日前の3月11日、201空の艦攻隊が同じ場所で、同じような事故を起こし
てやはり6名の犠牲者を出したばかりであった。 訓練計画に反省すべき点はなかったのか悔やまれる
事故である。
平岡2飛曹は前年12月、百里原航空隊での空中衝突事故の際には、1番機の後席に同乗していてあ
の事故に遭遇した。尾翼を破壊され操縦不可能に近い飛行機で、九死に一生を得ての生還であった。
その彼が、再び眼前で衝突事故を目撃する巡り合わせとなったのである。
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