攻撃708飛行隊の勇士。
戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/09nagahama/zinrai.html
10-49、相川兵曹帰還せず!
神雷部隊奮戦記
長濱 敏行(宮崎県延岡市)
四月上旬のある朝、
「搭乗員は、至急掩体壕前に集合せよ」
との当直将校の指示があった。大沢兵曹から当直下士官を引き継いだばかりの私は、隊内
を駆け回って指示を伝達した。
掩体壕の上に立った沢本中尉は紅潮した面持ちで、
「本日、第五航空艦隊司令部から出撃の命令が下った。今回の出撃は十二機である。まだ
ペアが決まっていない機は速やかにペアを編成せよ」
と指示した。 これは、攻撃七一一飛行隊から合流した者を含めて再編成の途中で、配置に
欠員のあるペアがあったからである。さーて、どの機長のペアに入ろうかと一瞬迷った。
その時、
「よーし、行くぞ!」
と、大声を上げて飛び出した者がいた、相川兵曹である。 その声に釣られるように我先にと
各ペアに合流した。これで配置は埋まり、ペアの編成は完了した。 ところが、私は集合に遅
れて列の最後尾にいたので、前に並んでいた同期生に先を越されて配置を取られてしまって、
出撃に参加できなかった。
この出撃では片岡貞夫・山本政一・大坪春義二飛曹が戦死し、福原正一二飛曹は撃墜されて
重傷を負った。昭和二十年四月十四日のことである。
不本意ながら、この出撃を編成もれで見送った私にも、いよいよ出陣の時がきた。 四月下旬、
第一中隊第四小隊三番機の副操縦員の配置を得た私は、 勇躍して壮途につくことになった。
七生報国と染め抜かれた鉢巻を締め、腕に日の丸を付けて記念撮影。やはり一種の悲壮感が
漂う。
離陸して日本海沿いに飛び、山口県の上空で変針して南下した。ところが、目的地である鹿屋
は空襲を受けているとの情報が入り、出水基地に降りることになった。今夜はここで一泊でき
るかと淡い希望をもったのも束の間、夕刻に鹿屋へ向けて離陸した。 鹿屋基地は連日ように
空襲を受けて滑走路は穴だらけで、格納庫や兵舎などはほとんど破壊されていた。既にここは
最前線基地なのである。
昭和二十年五月二十四日、菊水七号作戦が発令され、遂にわれわれ「第九桜花特別攻撃隊」
に出撃命令が下った。だがこの日、沖縄方面は天候不良との情報が入り出撃は翌日に延期さ
れた。
明けて二十五日〇五〇〇、
「出撃搭乗員は、直ちに指揮所前に整列」
当直将校が宿舎の中を告げて回った。 外をみるとまだ薄暗い。飛行場ではすでに試運転が
始まっている様子で、エンジンの音が轟々と響いてくる。
この世に生をうけて十八年の今日まで過ごした歳月は、 ただ敵艦に体当たりするためのもの
だったのだろうか、出撃までの一刻、さまざまな思いが脳裏をかすめた。
「相川、最善を尽くして頑張ろう、結末は神のみぞ知るだ!」
と言葉を交わして、それぞれの愛機に乗り込んだ。
本日の出撃は十二機、敵のレーダーに補足されることを避けるため、間隔をおいて単機ごとに
離陸、それぞれ独自の針路で進撃することになっていた。
「さーあ、いよいよ祖国ともお別れだ!」スロットルレバーを徐々に開く、帽子を振りながら見送
る整備員の油まみれの顔が次々と後方に流れる。滑走路を一杯に使って、慎重に離陸する。
「桜花」を抱いた愛機は重く、エンジンは喘ぐように唸っている。
進撃高度は四千メートル、雲に入ると一面真っ白で飛行機の姿勢も分からない。 目安になる
物は何も見えないので、完全な計器飛行である。時折雲の切れ間から海面が見えると飛行機
の姿勢が確認できるのでホッとする。
他機の様子が気になる。しかし、電波管制で敵発見などの重要事項以外は発信出来ないので
ある。 天気はますます悪くなり、他機の状況も一切不明である。ふと後ろを振り返ると、桜花
搭乗員は腕組みをして端然と瞑想している。彼は死を目前にして、何を思い何を考えているの
だろうか。思わず目をそむけた。
母機のわれわれには万が一にも生還の希望を持つことができる。しかし、彼には母機を離れ
たが最後、「桜花」と共に炸裂する以外に還る道など残されていないのだ。そして、刻一刻と
その最後の時は迫っている。また非情にも、「桜花」の投下ボタンを押すのは副操縦員である
私の役目なのだ。
航程の半ばを過ぎても天候は回復せず、他機の様子も不明であった。機長の上田上飛曹は、
遂に進撃を断念し再起を計ることを決心した。 このような視界不良の天候では、 「桜花」の
発進は無理と判断したのである。
鹿屋基地に還ってみると、すでに数機が着陸していた。 指揮所に報告して待機していると、
一機また一機と還ってくる。 彼らも悪天候のため進撃を諦めたのだ。 話によると一機は
エンジン不調で出撃を取り止めたらしい。するとまだ三機が未帰還である。相川の機が気に
なり電信室に問い合わせて愕然となった。
「我、燃料ノ続ク限リ索敵攻撃ヲ続行ス」
との電報が届いていたのである。 そして、 それ以後の連絡が途絶えているというのである。
見敵必殺、再び生きて還らじの決意で悪天候の中を、敵艦を探し続けているのだろうか。
いや、グラマンの待ち伏せに会い、壮絶な空中戦を展開したのかも知れない。あるいは、猛烈
な対空砲火に曝されたのか、 最期の状況は知る由もない。 掛け替えのない命と引き換えに
大和民族の誇りを守り、祖国に殉じたのであろう。
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