老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

10戦没者追悼

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             鹿児島空第22分隊5班。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/05murayama/index.html

        10-47、神風特別攻撃隊 第11健武隊

古田稔君は鹿児島空の予科練時代、同じ班で寝食を共にした仲である。予科練卒業後は
水上機操縦に指定され、天草空で訓練を受けた。その後陸上機に転換し、零式戦闘機の
練成訓練を受けた。所属は721空戦闘306飛行隊である。

戦闘306飛行隊は本来「桜花」を抱く一式陸攻の護衛が任務であった。しかし「桜花隊」の
被害が甚大のため、戦闘機による特攻が企画された。

古田1飛曹は「神風特別攻撃隊 第11健武隊」に編入され、昭和20年5月14日鹿屋基地
を発進。 種子島沖の敵機動部隊に「体当たり攻撃」を敢行、悠久の大義に殉じた。

写真説明。
後列左から、   川頭・沢田・川崎・広友・深川
3列目、    笹見・村山・島原・是永・有働・田中
2列目、古田・中村・緒方・箕輪・柴田・寺門・永末・後藤・長浜
前列、    南新・岸田・石橋・田島・鵜木・安田・松田

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             九九式艦上爆撃機。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/06nakano/index.html

        10-46、中野先生 戦中日記

五月十五日
森本さん達、台南から帰られる。出勤して机の前に落着くなり当村さんより、「松ちゃん
達、今日でるよ」と聞かされる。一昨日の様に胸はどきどきしなかったけど、うかぬ顔を
してたらしい。松下さん中央の入口から入って来られ、「今日征くよ」って。

今日は出撃の人数が少ないので静かだ。
藤井さんが、「もう一度お母さんに会いたい、親不孝の有りったけをしたのだし、お父さん
お母さんって一度も呼んだことがないんだものね」と言われるけれど、何とも慰める言葉
が見つからない。

渡辺さん(十三日出撃の渡辺さんとちがった大柄な人)は、長岡先生と静かに話しておら
れる。当村さんがプンプンしているので何故かと思ったら、朝の試飛行を腹痛のため松下
さんが代わってして、出撃も又代わったとの事。我妻さん、今朝着いてもう出撃との事。
皆して気毒がられる。

高梨先生が静岡の人なので、松下さんの壮行会をするとかおっしゃるので、私も長岡先生
も来て下さいって松下さんに言われ、長岡先生が渡辺さんと話しておられるのを、無理に
引張って行き、後で私って前後のみ境もなくと、渡辺さんにすまなく思う。
でも後の祭りだ。黒岩さん達を送り、石原さん達を送り、今日又松下さん達を送る。こんな
人達に死んで貰はなくてはならないのだろうか? 

黒岩さんの時計は当村さんに引きついだ由。会議のない時出撃してよって言い言いしてい
たのに皮肉なもので、今日は一時から職員会議。席上腰が落着かず。
いらいらしている席へ、タッタッと駆足で来て、「御世話になりました、本日出撃いたします」
と挨拶。パッと飛出して花を渡す。

長岡先生、「大した議題もない様ですから、 見送りに行きたいのでやって戴きたい。あと
一、二回ですから」って言われるので、校長面白くない顔をしている。
そして又いゝ加減ぐずぐずと進行するので、 二人とも立上って礼をして出ようとしたら、
「中野先生もですか」「ハア」って返事だけはして、サーッと飛出してトラックの所へ行く。
トラックがしばらく出ないので、「あわてすぎたわね」と長岡先生と笑う。

山下大尉が今日は馬鹿に接待之れ努めて下さって、「もう一人の先生も前に乗られました
から、 先生も運転台にお乗り下さい」っておっしゃるのを、「ハアハア」って遠慮して例の
如く後席に便乗。 着いてからでも、 「テントの中でお待ち下さい」 と進めて下さるけど、
矢張り遠慮して皆の所にいる。今日はせっせと森本さんが世話役。

「会議の席へ来る勇気がよく出たわね」 「うん、そうするほうが先生達が出やすかろうと
思ってね」と。

今日は石原さん達の様に胸迫る思いがしないのは何故だろう。 なれた? まさか。
恩賜の煙草、落雁、携帯食料等みな同じ。「石さんに持って行って海へ落としてやるよ」
と皆持って行かれる。柴田さんが携帯食料を忘れて征かれた事など思い出す。

乗機のそばで花を分けているのも歩いて行くのも双眼鏡を借りて見せていたゞく。(皆の
世話を原田さんがして下さったのじゃなかったかしら。七月十日追記)

控席で涙をこぼしてた藤井さん。トラックの上でも泣いた様な顔をしたまゝ征かれた藤井
さん。「しっかりね」と何回も言ってみたのだけど、うなずくばかり。でも案ずることもなく、
立派な出撃であった。

九九で出撃した二番機の渡辺機は、滑走路一ぱいで浮上せず一旦戻るのを山下大尉
が飛出して、「止レ」の合図される表情と態度をみていて胸がドキドキして来る。
でも渡辺さんはエンジンを二、三回ガーッと入れて遂に出撃す。辛うじて離陸。低く低く
飛行場上空を旋回して大きく翼を振って征かれる。あゝ見事な印象的な出撃なり。

之で大体お見送りしたわけ、森本さん達が少し残っているけど。森本さん又台東へ機を
取りに行けと言われている。
本日坂東さん我妻さん来宅。我妻さんすぐ出撃せし由。

第一陣(九六式)忠誠隊
 一番機、柿本少尉 荻原さん  二番機、松下さん  三番機、我妻さん

第二陣(九九式)振天隊
 一番機、深津少尉 岩熊中尉  二番機、渡辺さん  三番機、藤井さん

本日天山出撃す。しかし、少し時刻遅れし為、戦果確認に到らずと。夕方机の前に座って
たら急に物凄く気分が悪くなり何だか脂汗がジクジクにじんで来る。 そして体がカーッと
あつくなってまるで火のそばにでもいる様だ。 胸は苦しいし、じっとうつ伏してうとうとして
みる。時刻は六時近くだったか。二十分位苦しかったかしら?

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            九六式艦上爆撃機。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/06nakano/index.html

        10-45、中野先生 戦中日記

五月十三日
命発せられ本日出撃と。残る者松下さんと当村さんのみ。森本さん原田さんは台南へ飛行
機をとりに行って未だ帰らず。 石原さんは森本さんの代わりとの事。編隊が決まっている
ので予備の中からうめて行くわけ。

本日はドカッと多勢の出撃。 何とあわたゞしいことか。 九日は急であった為、心落着かず
アッと思ったのだけど、 今日は少し人にも馴れてきた所ゆえ。 石原さんの顔をみてたら、
不覚にも泣けてしまった。あの特長のある敬礼。すきやきの約束遂に無となる哉。

福元さん長岡先生に、「先生、そんな顔しないでよ」とおっしゃる。 「さあ最後に一曲」
とオルガンを弾いてた福元さん。相変わらずバックを下げてニコニコ顔。

何時もは騒ぐ柴田さんも流石に今日は上がってる感じ。
「操縦者は偵察員の言う通りになるんだよ」と、その真似をしたり敬礼の真似をしたりして
笑わせて下さる。

児島さんは右側の机で黙々と手紙を書いておられたが、 「先生、之を御願いします」と、
台北宛の二通とそれから母上宛の一通、遺書を託される。

持田さんは、「さあいよいよだ!」と板書して又例の通り教員の真似。佐藤さんと二人して
現金八十四円幾らかを、「先生の考えで、何か有効に使って下さい」と託される。

石原さんは遺書二通、遺髪。(髪という字をたずねられて私の机の上で書かれ、此の中か
ら先生の分もとってねと)遺髪と短刀を何年先きでもよいから、沖縄作戦が落着き確実に
届くとわかってから確実に届けてほしいと託される。
責任重大だ。今までは何時死んでもよいと思った私だったが、之では死ねないし、どんな
に辛くとも生きていなくてはならぬ。あゝ代われるものなら! 

私が男に生まれたらよかったという気持ち、此の時節に此の運動神経を有効に使えぬ残念
さを話した時、その気持ちは認めると皆さんで言って下さったのに。

「それから下駄 (お姉さんへのお土産のつもりであったろうに) とアルバム先生に上げる
から永久に持ってゝね」とおっしゃる。特攻隊編成の大きい写真が二枚あったので(一枚は
柴田さんの分)一枚は長岡先生に。

九日の黒岩さん達の時はアッという間だったので、何も書残して戴けずに残念だったのに
こりて、今日は幸い一郎(実弟)が遺して征ったハンカチに寄書きをして戴く。

三、四人集ってる時、松下さんがうつ伏してたら石原さんが、「泣いたりするなよ、後から
すぐ来られるからね、すぐ来いよね」「うん」と言ってる。
はじめ松下さんも今日征く筈だったのが残された由。

集ってゝも取り立てゝ話すこともないけれども、皆して「宜蘭で先生みたいな人に会えると
思わなかった。宜蘭ってつまらない所だったけど」と言って下さる。

児島さん、はちまきを持って来られて、 「何か書いて下さい」とおっしゃるので、 片端に
「御成功を祈る中野ユキヱ」片端に「必殺必中」と書く。

石原さんも持って来られたので、真中の日の丸の両側に必殺と書いたら「必中も入れて」
と言われるので、片端に「必中」と入れ、片端に「頑張れ」と書きはじめると「何を書くの?」
と不思議がられるのでその下に「一ちゃん」と書くと「ユキヱ姉さん」と書いてとせがまれ、
小さく「ユキヱ姉」と書く。 (私の実弟一郎を、一ちゃんと愛称していたのと、石原さんの
名前も一郎で、お家で皆さん一ちゃんと呼んでおられた由)
「ウワー之でドンピシャリ、有難とうございました。必ずやりますよ」と大よろこび。

柴田さん、だまって机の上に毛糸の腹巻を置いて行かれる。昼食をとる気になれず。
部屋に誰もいない時、石原さんがツカツカと入って来られ机の右側に立たれ、「ねえ先生、
僕の事、本当の弟の様に思うね」っておっしゃる。「うん」とうなずくのがやっとなり。
口を開けば涙がこぼれて泣けてきそう。返事もせず悪かったかもしれないけど、石原さん
には私の気持ちはわかって戴けたと思う。

そりや誰彼の差はないけれども石原さんには「一ちゃん」と呼びかけたい様な身近なもの
を感じたのは何故だろうか?。

総員整列五分前! 一人々々「先生、御世話様になりました」と御挨拶あり。何とも言葉
もなく頭を下げるのみ。
「長生きして下さいよ」と持田さんと福元さん。あゝ何をか言わん! 
春秋に富むべき人達からこの言葉を受けるとは。
空母轟沈! 空母轟沈! と誰も彼も笑って征く!

九日と同じくトラックに便乗。今日は何も文句を言われず。トラックへ同乗したのは松下
さんから「先生!」って言われた故。石原さんに手を引張って貰って乗る。

玉井司令くそくらへ!

石原さん児島さんから落雁をいたゞく。石原さんからいなりずし。飛行場でも実に賑やか
なこと。福元さんが大きな人形を腰につけているのが目につく。携帯食料とサイダーを受
取る時、玉井司令の真似をしながら皆さんがこられるのでおかしくなるけど笑いにならず。
「ガーベラ」がしおれたって心配してた石原さん。

出撃時刻は九日と同じ。二人乗っているは一番機のみ、前席操縦員、後席偵察員。

第一陣(九六式)
 一番機、阿部中尉 福元さん  二番機、持田さん  三番機、森さん

第二陣(九六式)
 一番機、元木中尉 柴田さん  二番機、石原さん  三番機、駒場さん

第三陣(九九式)
 一番機、佐藤さん 渡辺さん  二番機、児島さん

第一陣の持田さん、福元さんが、「先生、征ってきますよ」とあっさりたゝれる。
いよいよ第二陣。「先生、御世話様になりましたー」ってじっと私の目に見入ってた石原
さん! 一寸首をかしげた忘れられない敬礼。

私は涙をこぼさなかったけれども眼は真赤だったことだろう。何か一言言いたいけれども
遂に言葉にならず礼をしたのみ。
遠去かりゆく、トラックの上でサイダー瓶を振ってた石原さん! 一番機の上で、サーッ
と敬礼された柴田さん。真直ぐ前を向いたまゝ操縦桿を握ってた石原さん。

飛行場上空で一周して翼を振った。 二枚翼か! いくら速力の遅い九六でも、だんだん
遠去かりゆく機影を見送り、こみ上げてくる涙を堪える術もなし。

一、無念の歯がみ堪えつつ 待ちに待ちたる決戦ぞ
   今こそ敵を屠らんと 奮い立ちたる若桜

二、この一戦に勝たざれば 祖国の行方如何ならむ
   撃滅せよと命うけし 神風特別攻撃隊

三、送るも征くも今生の 別れと知れどほほ笑みて
   爆音高く基地を蹴る あゝ神鷲の肉弾行

四、大義の血潮雲染めて 必死必中体あたり
   敵艦などて逃すべき みよや不滅の大戦果

五、凱歌は高く轟けど 今は還らぬ益荒男よ
   千尋の海に沈みつつ 尚も御国の護り神

六、熱涙伝う頬あげて 勲を偲ぶ国の民
   永久に遺さじその名こそ 神風特別攻撃隊
                   神風特別攻撃隊

10-44、台湾の思い出

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         神風特別攻撃隊 忠誠隊の勇士。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/07kawaguti/index.html

        10-44、台湾の思い出

                             川口 武(福岡県出身)

野中先生の日記は私が以前、虎尾空の名簿を作成していた際に、当時虎尾空で一緒に勤務
していた、当村教員(日記の随所に名前が出てくる)から戴いたものです。これを読みながら、
当時を思い出して感慨無量でした。

この日記をぜひ関係者のご遺族や同期生の方々にも読んで戴きたいと思い、出版の許しを
もらうため、中野先生(結婚されて竹内)を探しました。終戦後内地に帰還された後、 鹿児島
の鶴丸高校の先生をされていたと聞き、指宿市在住の同期生、浜田健一君に連絡をとるよう
依頼しました。

ところが、すでに先生は亡くなられていました。ご家族の住所でもわかれば同意を得たいと
思い、出身地の小倉市や本籍地である佐賀など、八方手を尽くして探しました。しかし、
それでもわかりませんでした。

この貴重な日記を、一人でも多くの方々に読んでもらいたいとの思いから、 先生の許可を
得られないまま出版を決意して、永末君に依頼しました。 日記を公開して、関係者に読ん
で戴くことは、決して故人の意志に反するものではないと信じております。

この日記に記載されている、「振天隊」の鳥居君と黒岩君は鹿児島空の予科練から上海空
の飛練と一緒に訓練を受け、飛練を卒業した後彼らはツドウモの12空に配属されました。
また、柴田君と福元君それに尾辻君と私たち4人は、上海空から虎尾空に配属されました。
奇しくも、 特攻隊員となった彼らは宜蘭で再会し、お互いに旧交を暖め合ったことと思い
ます。

この日記には、一カ所だけ女性にしては意外な言葉が記されています。若い特攻隊員との
交流によって、 その純情さを肌身に感じていた先生が、 この若者たちに死を命じる者に
対する、精一杯の抗議の言葉と思います。

「玉井司令、くそくらえ!」

虎尾空は昭和19年5月15日、台南州に開隊した陸上機操縦の教育部隊です。予備生徒
の1期生・飛練39期・飛練40期が在隊していました。台中派遣隊は永康と後龍に分かれ、
飛練38期と飛練39期それに飛練41期(各期とも甲飛13期生)が在隊していました。

昭和20年2月15日、操縦訓練の中止にともなって、虎尾空は解隊されました。内地への
引き揚げに際し、練習生は無事帰還できたのですが、「南京丸」に乗船した約50名の士官
(ほとんど13期予備学生)と教員20名、 それにわれわれの衣嚢などの荷物は、基隆を
出港した3月17日夜、アメリカの潜水艦により撃沈されました。

私たち教員20名は、新竹基地からダグラスに便乗して内地に帰りました。 他の15名の
教員は、台北基地から帰る予定でした。ところが、迎えに来たダグラスが給油を終わった
途端、グラマンの空襲を受けて被弾し飛べなくなり再び虎尾空に帰ったのです。この中に、
柴田君や福元君がいました。

彼らは残務整理に残っていた者と合流し、台南空へ行きました。そこで、「忠誠隊」に編入
されて「特攻作戦」に参加して、大空に散華されたのです。 その後、虎尾空は解隊され、
私たちが訓練に使っていた九三中練による、「特攻隊」が編成されました。

12空はサイゴン市郊外のツドウモ基地にあり、上海空の飛練を卒業した多数の同期生が
配属されました。その後、台湾に移り「神風特別攻撃隊振天隊」が編成され、宜蘭基地や
新竹基地から沖縄周辺へ出撃し、 大空に散華されました。

神風特別攻撃隊 忠誠隊の勇士。
前から二列目、左から二人目柴田一飛曹。右端、福元一飛曹。


宜蘭基地及び新竹基地から特攻出撃した同期生は次のとおり。
             [☆中野先生の日記に記載されている]
 五月 三日 振 天 隊 九九艦爆 (新 竹) 高辻 萬里(福岡・18歳)
         振 天 隊 九九艦爆 (新 竹) 田中 良光(宮崎・18歳)

 五月 七日 振 天 隊 九九艦爆 (新 竹) 石田 儀進(宮崎・17歳)

 五月 九日 振 天 隊 九九艦爆 (宜 蘭) 鳥居  信 (熊本・17歳)☆
         振 天 隊 九九艦爆 (宜 蘭) 黒岩 芳人(福岡・17歳)☆

 五月十三日 振 天 隊 九七艦攻 (新 竹) 大曲 重賢(福岡・18歳)
          忠 誠 隊 九六艦爆 (宜 蘭) 福元 清則(鹿児島・18歳)☆
          忠 誠 隊 九六艦爆 (宜 蘭) 柴田 昌里(高知・18歳)☆

 五月十五日 振 天 隊 九七艦攻 (新 竹) 島元 義春(鹿児島・18歳)
          振 天 隊 九七艦攻 (新 竹) 小原 辰夫(鹿児島・18歳)

 五月二十九日 振 天 隊 九七艦攻 (新 竹) 伊藤 信照(福岡・18歳)

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          中野先生戦中日記。

戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/06nakano/index.html

        10-43、中野先生戦中日記

この日記は、宜蘭高等女学校の中野ユキヱ先生が、 台湾の宜蘭基地から出撃した、若き
特攻隊員との交流を記録したものである。  先年、 川口君から提供されて一読した筆者は、
非常な感銘を受けた。特攻隊員との出会い、彼らとの心温まる交流。 そして彼らの出撃を
見送る心境。その間の情景が眼前に彷彿とする。 また、特攻隊員それぞれの表情や癖に
至るまで、あまりにも鮮明な描写にただただ感じ入るのみ。

特に同期生の生前の様子が随所に記されているのに感激した。英霊のご遺族や他の同期生
に、遠く故郷を離れた台湾の基地から出撃して、 大空に散華された英霊の在りし日の生活
や出撃の様子などを知って頂くきたいと思うと同時に、この貴重な記録を後世に残すべきだ
と思った。 そのため、ご本人にお目にかかり、当時の思い出話など直接お伺いする必要を
痛感した。

ところが、川口君の話によれば、先生の出身地や内地帰還後の消息など、八方手を尽くし
て探したところ、先生は既に亡くなっておられたとのことである。また近親者の手掛かりも
得られなかったという。 終戦後既に半世紀が経過した今となっては、時既に遅しである。
なぜもっと早く入手できなかったのか、 残念でならない。

出版に当たっては、先生の残された貴重な記録を忠実に再現するように努力した。ただし、
若い世代の方々にも読んで頂きたいため、 変体仮名や旧仮名遣いなどは、最小限書き
改めた。 また部分的に文字不鮮明なため判読した箇所があることをお断りしておく。

☆一部抜粋

昭和二十年五月九日
昨五月八日の分より記録することを決心す。印象の何と鮮明なる! 神と鎮まる靖国の社
へも、何時の日か必ず訪はん。 今後生きることの何と難多きことか。 辛くとも苦しくとも
生きぬかねばならぬ。護っていて下さるであろうことを、私は確信し必信する。

二十年五月八日
朝雨が降ってた。高梨先生(海軍の病室になっていた)に所用があって出勤前お宅へ伺う。
特攻隊の方が二人、受診にみえていた。先生が、「福岡だったね」と呼びとめられたので、
その旨御返事すると、小さい方の人(茶の間で玄関を背に左側に座っておられた)が黒岩
さんとおつしゃる方で、 久留米附近とのことで紹介された。 大石町(久留米市に花蓮港
小学校の校長が帰っておられたので)の事など一寸おたずねしてみる。

煙草を喫っておられるお二人に縁側の下から一寸お話して学校のこともあるし、後で講堂
へお話においで下さいと言いおいて出勤する。

大きい方の難波江さんが大分との事であった。出勤したのが見えたらしくて(宿舎が端の
部屋であったので)すぐ二人して来られた。難波江さんを長岡先生に紹介した所(高梨先
生の所で、別府の亀川の方が居られるってお話した時は、フーンと気のない返事をされて
たのが)何と先生の女学校時代のお友達の息子さんとわかり奇遇を喜ぶ。次々と艦爆隊
の方が入って来られて話の仲間に入る。          [難波江上飛曹・甲飛十期]

一体どんな話をしたんだか記憶にないけれども、随分色々喋った様に思う。
私も大いに喋ってお相手をした。 難波江さんと同じ椅子にかけてた森本さんが、長洲の
人とわかり(長岡先生の嫁ぎ先が長洲)私が大声をあげたこと。
特長のある掌を口に当てた笑い方をする難波江さん。    [森本上飛曹・丙飛十七期]

終始にこにこと余り喋りもせずに、板につかぬ煙草の喫い方をしてた黒岩さんが印象に深
い。黒岩さんが余りおとなしくて外の人とばかり喋った印象しかない位。鳥居さんて熊本の
人が、女みたいな可愛い声を出して、それで気持よく笑はせる。黒岩さんと同じ偵察員で、
ズックの鞄を何時も持ち歩いている。     [鳥居一飛曹・黒岩一飛曹・甲飛十二期]

戦闘隊(大義隊)の人達も一寸みえた事があったけど。 黒岩さん、難波江さんの事から、
振天隊(元山中尉、鳥居さん)忠誠隊との御縁のつながりが出来た。

振天隊は新竹から、忠誠隊は台南から台東へそして宜蘭へと進駐したとの事。
机のまわりは賑やかな事だ。黒岩さんは左に、鳥居さんは右に、赤いシャツを着て窓に腰
かけてた森本さん、難波江さんも印象に深い。森本さんが、虎尾のカーチャンがどうとや
らって話して、長岡先生が母ちゃんと間違ってたずね返して大笑いしたっけ。

昨日二枚翼が沢山飛んで来たので練習機かと思ったとお話したら、渡洋爆撃の時の飛行
機で忠誠隊の乗機とのこと。今日は一日変わった日であった。

五月九日
午前中飛行訓練。ブンブンと爆音勇しく何か頼もしい気がする。 難波江さんは一人残され
ている。机の前でお守り袋を紅絹で作る。 警報が出ると生徒は帰してしまうし呑気なもの
だ。黒岩さんの分なり。 黒岩さんと鳥居さん訓練終了後(十一時頃だったか)みえて色々
話される。主として鳥居さん。


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