|
九九式艦上爆撃機。
戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/09ono/index.html
10-34、「まだ死にたくない」
小野義明2飛曹(福岡県・17歳)は、 昭和20年4月28日、 「神風特別攻撃隊 第2正統隊」の
一員として九九艦爆に搭乗して国分基地を発進。 沖縄周辺の敵艦船に「体当たり攻撃」を敢行。
父上様 母上様 姉上様、 在世中は色々と有難う御座いました。
此の度、醜敵米鬼に断固反攻すべく、沖縄へと選ばれて征く事になりました。
かへりみれば、私在世中は思い出深い事ばかりでした。
在世中十八年の間、父上母上様の御慈愛により、私も空の特攻として
短い十八年を立派に散る事が出来て、誠に本懐に堪へませぬ。
私も台湾沖航空戦に死場所を得たにもかゝはらず、おめおめと生き延びて、
先に逝った先輩に対して、誠に申訳ないと存じて居ましたが、今度破格にも
漸く立派な死場所を得て此れで先輩にも、父上母上様にも申訳が出来て、
何の未練も無く敵艦に突っ込んで行く事が出来ます。
故郷の友達諸君も職場に学窓に又野良に、元気で一生懸命頑張って居る事と
存じますが、私から宜しく言ったと御言傳下さい。
中村の叔父様にも、その外知人にも宜しく。
今生の御別れに一筆記して、一生の離別の辞と致します。ではお体を大切に。
父上様、
母上様、
姉上様、 御機嫌よう 義 明
二〇、四、一五、
小野義明君は遺書は書いたものの、 どうして家族に渡そうかと思案していたと思われます。
そこえ幸運にも同期生福田君の母親が面会に来たので、これ幸いとことづけたのでしょう。
福田君の母親は、 面会の帰りに久留米市の小野君の家に立ち寄って届けたそうです。
福田君の母親から「今行けば逢えるかも知れません」と告げられた、小野義明君の母親と
姉上は義明君と面会するため、はるぱる国分基地を訪れました。運良く短い時間でしたが
面会することができたそうです。そして、いよいよ別れる間際になって、義明君が、
「まだ死にたくない」と、呟いたそうです。
あの当時、 戦死は最高の名誉とされていました。とは言っても、必ず死ぬと分かっている
「特攻隊」にわが子を送り出す母親の胸中はいかばかりであったでしょう。 いくら名誉だと
言われても、わが子の死を願う親はいません。母親の苦衷が痛いほど感じられます。
私も経験したことですが、人間の感情には起伏があります。「特攻隊」に編入された際には、
「よし、やるぞー」と、 決心を固めていても、時間が経つにつれて「まだ死にたくない」との
思いが募ってくるものです。だから、小野君が遺書に書き残した決意も本音であり、母親と
面会した際、今生の別れに漏らした言葉もまた本心なのです。
「世間の人は、 特攻隊だ、 特攻隊だと称えて下さるけれど、 本当はまだ死にたくない」。
これが死を翌日に控えた、小野義明君の偽らざる心でしょう。 だが、そう打ち明けられても、
なす術を持たない母親の苦衷を察すると、胸が張り裂ける思いです。
|