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特攻出撃する九七艦攻。
戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/12inudoo/index.html
10-32、八幡護皇隊出撃
「神風特別攻撃隊八幡神忠隊」1番機の電信員として搭乗した、犬童憲太郎2飛曹(鹿児島県・18歳)は、
4月28日1535、 串良基地を発進。 1913「ヒヒヒヒ(敵機ノ攻撃ヲ受ケツツアリ)」を発信。
次に、 2009「敵艦船見ユ」を発信。 その後、「ツ────── 」と長符が10秒間続いて途絶えた。
この発信音が途絶えた2018が、即ち体当たりの時刻である。
犬童憲太郎君遺書
父上母上様、愈々私の出撃の日は参りました。
私も栄ある神風特攻隊八幡護皇隊の一員として、先輩兄鷲達の後に続く事が出来るのです。
父上、母上、皆喜んで下さい。私もニッコリ笑って出撃します。
今や沖縄の戦局は益々熾烈と成り、此の時我々が立たずんば誰がやりましょう。
大いに頑張ります。大いにあばれて敵の空母若しくは戦艦に体当たりします。
私の戦果を楽しみに待って居て下さい。私も十八才の春を迎へ、此の間何ら孝行というこ
とも成すことなく散って行くのですが、之が私の最初の孝行で最後の孝行であります。
又母上には、家に居る時は何時もわがまゝな事ばかり言って、何と言ってお詫びして良い
かわかりません。靖秀、ソミ子の事は呉々も宜しくお願いします。
ソミ子は一生懸命勉強せよ。靖秀も人に負けぬ様に頑張れ。
私もこの時に当たりて、母上の丹精こめられて作って下された千人針を、固くく巻いて
行きます。家の裏で四人で撮ったの写真と、兄上の写真を持って突込んで行きます。
兄上も靖秀も立派な軍人になって下さい。兄上もすぐに兵隊と思いますが、いくら上官に
なっても、常に下士官、兵の労を忘れてはいけません。軍隊は上と下とが一致してはじめ
て強い軍隊が作られると思います。最後まで私の分まで孝行を盡くして下さい。
散る桜 残る桜もまた散る桜 我は征く
大日本帝国に生まれた事をつくづく感謝します。
又小学校時代、中学校時代の先生方にも宜しく。近所の方々や親類の方々には呉々も宜し
く。私は上海に居る時も、敵の戦闘機P51の為に顔に負傷しました。 益々敵愾心を旺盛に
したのです。
上海から一年振に内地に帰りましたが、一週間ぐらいで攻撃命令が下り、面会も出来たの
ですが、もし面会して未練でも残り、立派な働きができない様な事があっては申し訳ない
と思ったのです。どうぞ悪しからず。
出撃に当たっては、宇佐神宮に参拝しました。又佐鎮長官との握手や訓辞等を受け、恩賜
の煙草まで頂戴しました。必ず日本は勝つのです。最後の一人までが頑張り抜けば良いの
です。私は神州の不滅を信じて飛び立って行きます。
父上、母上、兄上、靖秀、ソミ子の多幸を祈って已みません。
御身体は呉々も大事に御働き下さい。
亡き母も亡き兄上も冥土で待って居られる事でしょう。有り難う御座居ました。
遺骨は残らぬ故、遺髪を送ります。
出撃の日は宇佐八幡神忠隊の指揮官機の電信員です。敵艦目がけて突込む時の電信を皆に
聞かせたいです。予科練、飛練と鍛へられた攻撃精神で全力を振るいます。
絶対人に後れはとりません。同乗される方は、操縦員大石少尉。偵察員小野寺少尉。
四月二十八日午後三時二〇分発進。沖縄周辺の敵艦目がけて突込むのは、午後六時三〇分
頃です。抱いて行く爆弾は八百瓩の爆弾です。これ一つあれば如何なる敵艦でも、一発で
轟沈するのです。上海でお世話に成った下宿の人にも知らせて下さい。
宇佐より送った金子と小荷物は受けとられましたか、あれは上海土産です。小波津君等の
仇を討ちます。日本人なら最後まで頑張れ。
神州不滅 必中轟沈 これで何も思い残すことはありません。 元気で 佐様奈良
ニッコリ笑って行きます。兄上達の御健闘を祈ります。
二十年四月二十七日
串良基地にて 憲 太 郎
「神風特別攻撃隊八幡神忠隊」の功績は、聯合艦隊告示145号にょって全軍に布告された。
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