老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

10戦没者追悼

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10-22、送るも征くも

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              編隊で飛ぶ一式陸攻。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/14ieta/ieta.html

        10-22、送るも征くも

                                 家田  尭 (大阪府出身)

昭和19年12月、飛行術練習生を卒業した私は、神雷部隊として有名な721空攻撃708飛行隊に
配属された。 次に1001航空隊(雁部隊)に転属となった。この部隊は、飛行機工場で組立てられた
新造機の試験飛行を行って受領し、これを各地の実施部隊に輸送するのが任務である。航空隊本部
は鈴鹿基地にあったが、一式陸攻の分隊は岩国基地に派遣されていた。

4月初旬のことであった。飛行指揮所の裏で待機していると、数名の搭乗員が入ってきた。その中に
見覚えのある顔があった。 佐藤栄之助2飛曹である。 顔をちょつと右に傾けた懐かしい仕種で、
「オーイ家田! 元気か?」
と、言って近寄ってきた。そして、
「家田、この前硫黄島の爆撃に行ったが、物凄い弾幕で生きて帰れたのが不思議なくらいだ。
今度行ったらもう駄目かもしれん」 と、しんみりした口調で語った。そして、
「お前らが飛行機を持ってこんので、わざわざ取りに来たんだ、本当に飛行機は無いのか? 」
と、不満顔である。

その当時、飛行機の生産は遅れがちのため、各部隊が奪い合いであった。佐藤2飛曹の所属する、
706空攻撃704飛行隊では、新造機を受領するためわざわざ人員を派遣してきたのである。

ところが、三菱の水島工場に行っても飛行機は無い。そのため、せっかく来たのだからと言って、
1001空が所有していた飛行機を無理やり持ち帰ってしまった。

その後しばらくして、木更津基地の706空へ新造機を空輸した。そこで、佐藤2飛曹の消息を尋ねた
が再会することはできなかった。

佐藤栄之助2飛曹(山形県・19歳)は、4月11日夜半、宇佐基地を発進。0420那覇沖の敵艦船群に
突入し、壮烈な戦死を遂げていたのである。 あの時、飛行機を渡さなければ助かったのではないか
と思うと、残念でならなかった。

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             突入する零式戦闘機。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/05murayama/index.html

        10-21、「第3御盾隊」出撃

安田卓郎2飛曹(広島県・18歳)は、予科練時代私と同じテーブルで飯を食った仲である。飛行練習生
も谷田部空でも同じ分隊で飛行訓練を受けた。専攻機種は戦闘機で筑波空の実用機教程へ進んだ。
飛練卒業後は、601空戦闘308飛行隊に配属された。

「菊水作戦」が開始されると、「神風特別攻撃隊 第3御盾隊」に編入され、第一国分基地へ進出した。
4月11日1235、第一国分基地を発進。  喜界島180度60浬沖の敵機動部隊に「体当たり攻撃」を
敢行した。 その功績は聯合艦隊告示138号によって全軍に布告された。

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           上海空「白菊」の列線。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/11sensi/index.html

        10-20、中学校同級生を偲ぶ

                        小野 昭二郎(大分県佐伯市出身)

昭和18年8月1日、 伊東宣夫、小寺一男、 宮崎昭、渡部義彦、安藤裕康それに私は、
佐伯中学校同級生のトップをきって、 第12期海軍甲種飛行予科練習生として、鹿児島
航空隊に入隊した。

憧れの七つボタンの予科練の制服を着て、 鹿児島まで送りにきた親たちの前で、笑顔で
敬礼。予科練生活のスタートをきった。 入隊したらすぐにでも飛行機に乗せてくれるもの
と思っていた。ところが、予科練とは本科に相当する飛行術練習生に対する予科の意味で、
搭乗員としての基礎である気力、体力、学力を身につけるところであった。

入隊の日はやさしかった教員連中は、翌日から豹変した。基本教練をはじめ、陸戦、水泳、
カッターと、 息つく暇もない猛訓練の連続であった。 モールス信号の送信受信をはじめ、
発光信号、手旗信号、旗旒信号など搭乗員として必須の通信手段は徹底的に教育された。

昭和19年3月、無事に予科練を卒業した。 操縦員に指定された安藤君を除いた同級生は、
揃って上海航空隊に転属となった。 ここで、第37期飛行術練習生として、練習機「白菊」
に搭乗しての訓練が始まった。 分隊や班こそ違ったが、暇をみつけては同級生が集まり、
語り合ったものである。

昭和19年9月、飛行練習生を卒業し晴れて一人前の搭乗員として実施部隊に配属された。
伊東君と私は台南航空隊の所属となり、ダグラス輸送機で台北を経由して赴任した。伊東君
は艦爆、私は艦攻とそれぞれ配置が決まった。

小寺一男君は13空攻撃701飛行隊の所属となり、上海航空隊で別れたのが最後となった。
小寺2飛曹は、昭和20年4月7日、沖縄周辺の敵艦船攻撃の命令を受け、九六陸攻に搭乗し、
1555新竹基地を発進し、雷撃敢行中に被弾戦死した。

当日の戦死した同期生。
20. 4. 7 小寺 一男  (大分県・17歳)  13空攻撃701
20. 4. 7 青山  繁   (島根県・19歳)  13空攻撃701
20. 4. 7 一村 輿志夫 (富山県・18歳)  13空攻撃701

引き続き4月9日には、玉城永善2飛曹(沖縄県・18歳)が、沖縄方面敵艦船群薄暮攻撃のため、
新竹基地を発進、未帰還となった。

10-19、田中和夫君碑銘

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          叙位叙勲証書。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/15hyakuri/index.html

        10-19、田中和夫君碑銘

石川県金沢市出身、故海軍少尉田中和夫君の碑銘を紹介させていただく。彼は百里原空で
艦上攻撃機の実用機教程を筆者と一緒に卒業した。実施部隊は、131空攻撃256飛行隊
(香取基地)に配属された。

ここで天山艦攻による錬成訓練を行い、訓練終了とともに出撃基地串良へ出陣した。

昭和20年4月6日、「神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊」 第3小隊2番機の操縦員として、
喜界島180度78浬付近の敵機動部隊攻撃のため、 1535串良基地を発進、敵戦艦に
対して必死必殺の「体当たり攻撃」を敢行して大空に散華された。 同日付で海軍少尉に
任じられ、功4級勲6等に叙せられた。 その功績は、聯合艦隊告示第91号により全軍に
布告された。

      事 歴

故海軍少尉功四級勳六等田中和夫君ハ昭和二年十月十七日金澤市大桑町二十三番地
田中家長男トシテ生ル 四代勇作ヲ父トシ千代子ヲ母トス 性俊敏沈毅ニシテ頴悟夙ニ
郷黨ニ推稱サレ 石川縣立第二中學校ニ學ヒ其ノ將來ヲ嘱目セラル 大東亞戦争酣トナ
ルヤ年齒漸ク十八歳勉學半ニシテ 甲種飛行豫科練習生ヲ志願シ 毅然筆ヲ棄テゝ銃劍
ヲ把リ 鹿児島海軍航空隊ニ入ル 同十九年三月右航空隊ヲ卒業シ進ンテ茨城縣谷田部
百里原航空隊ニ於テ艦上攻撃機教程ヲ卒ヘ 其ノ奥義ヲ究メ 實戦部隊香取航空基地ニ
猛訓練ニ從事シ其ノ技神ニ入ル 時恰モ沖繩ノ戦局芳シカラス 俊鷲永ク翼ヲ休ムヘキ
秋ニ非ス 君大命ヲ奉シテ 南九州串良航空基地ニ進出シ 艦上攻撃機特攻隊ノ編成ヲ
見ルヤ拔カレテ 神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊ニ属ス 時ニ昭和二十年三月三十一日
ナリ カクテ君ハ擧國一億民衆ノ期待ニ應ヘテ沿岸防備中 四月六日 南西諸島喜界島
一八〇度七八浬ニ游弋中ノ 敵空母竝戦艦及支援部隊ニ特攻ノ命ヲ受ケ 十五時三十分
串良基地ヲ発進ス 同十七時五十分 遙カニ敵戦艦ノ炎上セルヲ認メ得タリシカ 十七時
五十九分 我レ戦艦ニ躰當リスノ壯烈ナル長符連送ノ打電ヲ最後トシテ 永ク消息ヲ絶ツ
噫乎 君能ク神鷲ノ精華ヲ發揚シ 身ヲ殺シテ以テ悠久ノ大義ニ殉ス  大和男児ノ本懐
豈ソ之ニ過ルモノアルヘキ厥ノ忠烈ハ洵ニ萬世ニ燦タリ 
事畏クモ上聞ニ達シ  昭和二十年四月六日 君カ忠誠ヲ嘉賞シ 二階級特進ノ榮ヲ賜ヒ
海軍二等飛行兵曹ヨリ  海軍少尉ニ任セラル  家門之ヲ譽トシ 郷閭擧ツテ之ヲ稱フ
父勇作  思慕ノ念熄ミ難ク  茲ニ事歴ヲ認メ 石ニ鐫シ以テ後昆ニ傅ヘントス 衲乃チ
需ニ應シ 同年五月廿一日付 香取航空隊分隊長ノ報告ニ基キ 英魂ヲ偲ヒ茲ニ録ス
   昭和二十四年五月 
                眞宗大谷派金澤別院      輸 番  安 藤 専 哲 誌


過日、同期生の平岡健哉君が久しぶりに田中君のお墓参りに伺った。ところが、応対に
出た妹さんから、
「平岡さん、申し訳ないけど母には会わずに帰ってください」と言われた。
不審に思った平岡君にその理由を次のように説明した。

母親千代子さんは、和夫君の予科練時代の写真や中学時代に書いた絵画などを見ては、
「和夫! 和夫! 」 と、呟きながら嘆き悲しむそうである。  だから、兄を思い出すような
品物は極力目に付かないようにしているのだが、  それでも探し出して、 涙を流しながら
見入っているという。 これを宥めるのに一苦労するそうである。 だから、平岡さんに会え
ば必ず兄を思い出して、収拾つかなくなるから、会わずに帰ってほしいとの願いであった。

悲しみは時間が解決するという。しかし、50余年経った今でも最愛の一人息子を亡くした
悲しみは、増すことはあっても薄れることはない。千代子さんの胸の中には、17歳で童顔
のままの和夫君が今でも生き続けているに違いない。

10-18、八幡護皇隊出撃

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     256空当時の松木2飛曹。後列左から4番目松木・6番目堤2飛曹。


戦没者追悼 http://www.warbirds.jp/senri/22tokuko/202/usa.html

        10-18、八幡護皇隊出撃

沖縄作戦に対応して海軍は、 練習航空隊を実施部隊に改編して「特攻隊」の編成を命じた。
「菊水一号作戦」が発動されるとその先陣として4月6日、 八幡護皇隊(宇佐空)・第一正統隊
(百里原空)・第一護皇白鷺隊(姫路空)・第一草薙隊(名古屋空)が出撃。沖縄方面の敵艦船群
に体当たり攻撃を敢行した。

この攻撃に、龍華基地の256空から宇佐空に転属した、 松木昭義2飛曹(愛媛県・18歳)が
八幡護皇隊の一員として帰らざる片道攻撃に飛び立ったのである。引き続き4月12日には、
堤昭2飛曹(福岡県・18歳)が後を追った。  


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