老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

11戦没者遺影

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11-25、小寺一男君事績

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             小寺一男君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/02ono/index.html

        11-25、小寺一男君事績

      小寺一男君を偲ぶ。
                        小野 昭二郎(大分県佐伯市出身)

昭和十八年八月一日、 伊東宣夫、小寺一男、宮崎昭、渡部義彦、安藤裕康それに
私は、佐伯中学同級生のトップをきって、第十二期海軍甲種飛行予科練習生として、
鹿児島海軍航空隊に入隊した。

憧れの「七つボタン」の予科練の制服を着て、 鹿児島まで送りにきた親たちの前で、
笑顔で敬礼。予科練生活のスタートをきった。入隊したらすぐにでも飛行機に乗せて
くれるものと思っていた。ところが、予科練とは本科に相当する飛行術練習生に対す
る予科の意味で、 搭乗員としての基礎である気力、体力、学力を身につけるところで
あった。

入隊の日はやさしかった教員は、翌日から豹変した。海軍伝統の「軍人精神注入棒」い
わゆるバッターで追い回されることになった。基本教練をはじめ、陸戦、水泳、それに
カッターと、 息つく暇もない猛訓練の連続である。 モールス信号の送受信をはじめ、
発光信号、手旗信号、旗旒信号など搭乗員として必須の通信手段は徹底的に教育さ
れた。

昭和十九年三月、 無事に予科練を卒業した。 操縦員に指定された安藤君を除いた
同級生は、揃って上海空に転属となった。ここで、第三十七期飛行術練習生の教育が
始まった。 分隊や班こそ違ったが、 暇をみつけては同級生が集まり、語り合ったもの
である。

昭和十九年九月、飛練を卒業して晴れて一人前の搭乗員として実施部隊に配属された。
伊東君と私は台南空の所属となり、ダグラス輸送機で台北を経由して赴任した。伊東君
は艦爆、私は艦攻とそれぞれ配置が決まった。

小寺君は七〇一空の所属となり、上海空で別れたのが最後であった。小寺一男二飛曹は、
昭和二十年四月七日、 沖縄周辺の敵艦船攻撃の命令を受け、 九六陸攻に搭乗して、
一五五五新竹基地を発進し、雷撃敢行中に被弾戦死した。     (大分県・17歳)

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               田中和夫君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/15hyakuri/index.html

        11-24、田中和夫男君事績

田中和夫君は予科練は同じ22分隊で隣の4班であった。飛練卒業まで同じ道を
辿った仲である。飛練卒業後は131空攻撃256飛行隊(香取基地)に配属された。

昭和20年4月6日、「神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊」隊員として串良基地発進。
喜界島沖の敵戦艦に体当たり攻撃を敢行。        (石川県・17歳)

      事 歴

故海軍少尉功四級勳六等田中和夫君ハ昭和二年十月十七日金澤市大桑町二十三番地
田中家長男トシテ生ル四代勇作ヲ父トシ千代子ヲ母トス 性俊敏沈毅ニシテ頴悟夙ニ
郷黨ニ推稱サレ石川縣立第二中學校ニ學ヒ其ノ將來ヲ嘱目セラル 大東亞戦争酣トナ
ルヤ年齒漸ク十八歳勉學半ニシテ甲種飛行豫科練習生ヲ志願シ 毅然筆ヲ棄テゝ銃劍
ヲ把リ鹿児島海軍航空隊ニ入ル 同十九年三月右航空隊ヲ卒業シ進ンテ茨城縣谷田部
百里原航空隊ニ於テ艦上攻撃機教程ヲ卒ヘ 其ノ奥義ヲ究メ實戦部隊香取航空基地ニ
猛訓練ニ從事シ其ノ技神ニ入ル 時恰モ沖繩ノ戦局芳シカラス俊鷲永ク翼ヲ休ムヘキ
秋ニ非ス 君大命ヲ奉シテ南九州串良航空基地ニ進出シ 艦上攻撃機特攻隊ノ編成ヲ
見ルヤ拔カレテ 神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊ニ属ス時ニ昭和二十年三月三十一日
ナリ カクテ君ハ擧國一億民衆ノ期待ニ應ヘテ沿岸防備中 四月六日南西諸島喜界島
一八〇度七八浬ニ游弋中ノ敵空母竝戦艦及支援部隊ニ特攻ノ命ヲ受ケ 十五時三十分
串良基地ヲ発進ス 同十七時五十分遙カニ敵戦艦ノ炎上セルヲ認メ得タリシカ十七時
五十九分我レ戦艦ニ躰當リスノ壯烈ナル長符連送ノ打電ヲ最後トシテ永ク消息ヲ絶ツ
噫乎 君能ク神鷲ノ精華ヲ發揚シ身ヲ殺シテ以テ悠久ノ大義ニ殉ス 大和男児ノ本懐
豈ソ之ニ過ルモノアルヘキ厥ノ忠烈ハ洵ニ萬世ニ燦タリ 
事畏クモ上聞ニ達シ 昭和二十年四月六日 君カ忠誠ヲ嘉賞シ二階級特進ノ榮ヲ賜ヒ
海軍二等飛行兵曹ヨリ 海軍少尉ニ任セラル 家門之ヲ譽トシ 郷閭擧ツテ之ヲ稱フ
父勇作 思慕ノ念熄ミ難ク 茲ニ事歴ヲ認メ石ニ鐫シ以テ後昆ニ傅ヘントス 衲乃チ
需ニ應シ 同年五月廿一日付 香取航空隊分隊長ノ報告ニ基キ 英魂ヲ偲ヒ茲ニ録ス
   昭和二十四年五月 
           眞宗大谷派金澤別院      輸 番  安 藤 専 哲 誌

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                  望月九州男 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/11sensi/20-4/204.html

        11-23、望月九州男君事績

131空攻撃254飛行隊所属の、望月九州男2飛曹は、 昭和20年4月6日
「神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊」隊員として串良基地を発進。 喜界島沖の
敵機動部隊に体当たり攻撃を敢行。      (大分県・17歳)

11-22、松木昭義君事績

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             松木昭義君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/15ogaha/oga.html

        11-22、松木昭義君事績

小河原正澄君の手記によれば、20年3月になると、256空でも特攻隊員の希望者を
募り、特攻作戦に協力することになった。 そして、新たに編成された、第10航空艦隊
第12連合航空隊の宇佐航空隊、光州航空隊、釜山航空隊に分かれてそれぞれ転属
した。宇佐航空隊には、松木昭義・堤昭・小河義光・犬童憲太郎君が配属された。

まず宇佐航空隊に赴任した者は「神風特別攻撃隊八幡護皇隊」に編入され、鹿児島県
の串良基地に進出した。搭乗機は九七艦攻である。そして4月6日、「菊水一号作戦」
が発動されるや、 沖縄周辺に来襲した敵艦船群に対して、 次々に「体当たり攻撃」を
敢行した。

松木昭義2飛曹は、 神風特別攻撃隊八幡護皇隊の先陣として串良基地発進。  沖縄
周辺の敵艦船に体当たり攻撃を敢行。 (九七艦攻)      (愛媛県・18歳)

11-21、能勢祐年君事績

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              能勢祐年男君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/11sensi/20-3/203.html

11-21、能勢祐年君事績

能勢祐年君は予科練は22分隊2班。中練教程も同じ4分隊で訓練を受けました。
実用機教程は豊橋空の陸上攻撃機です。飛練卒業後は706空攻撃704飛行隊
に配属されました。

昭和20年3月25日、硫黄島爆撃のため木更津基地発進。 未帰還戦死。
(岡山県・18歳)

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