老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

11戦没者遺影

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11-65、穂坂信也君事績

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              穂坂信也君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/14kusira/index.html 

        11-65、穂坂信也君事績

穂坂1飛曹は福岡県嘉穂郡の出身である。鹿児島空の予科練から谷田部空の中練、
そして百里原空艦上攻撃機での実用機教程まで、筆者と同じ道を進んだ。飛練卒業
後は131空攻撃254飛行隊に所属、天山艦攻による練成訓練を終了して串良基地
へ進出した。そして、沖縄周辺の敵艦船群に対して夜間雷撃を繰り返していた。

その間、「特攻隊」として串良基地から出撃した、百里原空時代の教官や教員それに
同期生を、断腸の思いで見送ったのである。沖縄作戦の終了にともない、攻撃254
飛行隊は香取基地へ移動した。 だが彼は、串良基地所在の931空に転属となり、
引き続き沖縄周辺の敵艦船に対する夜間雷撃に出撃していた。

昭和20年7月21日、その日の出撃は4機であった。この出撃を同期の宮本1飛曹が
見送っていた。操縦員穂坂信也1飛曹、偵察員湯川保郎中尉、電信員浅野義夫1飛曹、
これは攻撃254飛行隊が串良基地へ進出して以来の固有のペアである。

2230、彼らは最後に離陸した。離陸の際《パンパンパン……》と排気管から異常な
音を発していた。エンジンの調子がおかしい様子であった。先に離陸した3機が左に
旋回したのに、 彼だけは右旋回をはじめたので、引き返してくるものと思っていた。

ところが、彼の機はそのまま低く垂れ込めた暗雲の中へ爆音を残しながら、志布志湾
の方向へ姿を消し去ったのである。そして翌朝、彼の飛行機だけは帰投時刻を過ぎて
もついに帰還しなかった。彼もまた、教官や教員それに数多くの同期生の後を追うよう
にして、沖縄の海に消え去ったのである。

福岡県護国神社で例年行われている慰霊祭に、穂坂君の母親が彼のお姉さんを介添え
に参加された。その時の話に、「偉い人はあの時期、 戦争が終わることはわかっていた
はず、無理に命令を出さなくてもよかったのに……」と、慨嘆された。

命令を下す者。 命令を受けて何のためらいもなく、危険を承知で攻撃に向かう者。
人それぞれの運命というべきであろう。最愛の息子を亡くされた母親の嘆きは、日時
の経過で薄れるものではない。何とお慰めすればよいのか、その言葉はみつけること
はできなかった。

鹿児島県串良町は、 旧串良航空基地の跡地の一部を整備して 「平和公園」とした。
更に、昭和44年10月、ここ串良基地より飛び立って、祖国防衛のため散華された、
若桜4百有余柱の英霊を弔うとともに、この事績を後世に伝えるため、慰霊碑を建立
した。そして、毎年10月に追悼式を行っている。

今出撃せんとす
何も思い残すことなし
父母兄姉よ幸福であれ
心爽やかにして大空の如し
こうしているのもあとしばらくです
さようなら

太平洋戦争末期斯くして串良
航空基地より飛立ち 肉弾となりて
帰らざりし三百有余の御霊よ
安らかれ
必ずや平和のいしずえとならん

   昭和四十四年十月十一日
 
    旧串良海軍航空隊基地出撃戦没者
       慰霊塔建設期成会々長
         串良町長 佐 枝 潔

11-64、石川 繁君事績

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              石川 繁君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/11sensi/20-7/207.html 

        11-64、石川 繁君事績

石川 繁君は予科練は21分隊6班、谷田部空の中練教程は1分隊所属、そして
実用機教程は私と同じ百里原空の艦上攻撃機である。飛行術練習生卒業後は、
131空攻撃256飛行隊に配属された。

昭和20年7月15日、艦上攻撃機天山を香取基地へ空輸のため明治基地発進。
相模川河口附近を通過中に敵艦載機の空襲に遭遇、以後消息不明、戦死。
(沖縄県・21歳)

11-63、井上一郎君事績

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              井上一郎君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/14ieta/ieta.html 

        11-63、井上一郎君事績

601空戦闘308飛行隊所属の井上一郎1飛曹は、昭和20年6月27日百里原基地で
錬成訓練中、離陸の際整備中の天山に接触し殉職。 (零戦)      (兵庫県・18歳)

11-62、島津一達君事績

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              島津一達君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/14ieta/ieta.html 

        11-62、島津一達君事績

762空攻撃406飛行隊所属の島津一達1飛曹は、沖縄周辺の敵艦船夜間雷撃のため、
昭和20年6月26日 宮崎基地を発進。 肉薄雷撃を敢行後、 自爆戦死。 (銀河)
(大分県・17歳)

送るも征くも
   家田  尭 (大阪府出身)
昭和十九年十二月、飛行術練習生を卒業した私は、神雷部隊として有名な七二一航空隊
攻撃七○八飛行隊に配属された。次に一○○一航空隊(雁部隊)に転属された。この部隊
は、飛行機工場で組立てられた新造機の試験飛行を行って受領し、これを各基地の実施
部隊に輸送するのが任務である。 部隊本部は鈴鹿基地にあったが、一式陸攻の分隊は
岩国基地に派遣されていた。

六月中旬、陸攻隊は九機編隊で美保基地へ移動した。どん尻に着陸して宿舎に向かって
いると、木陰で休んでいる搭乗員がいた。よく見ると島津一飛曹(五月一日昇任)である。
彼とは豊橋空の延長教育時代は同じペアであり、同じ家に下宿していた仲である。

彼は七六二空攻撃四○六飛行隊の所属で、「銀河」の操縦員である。沖縄周辺の敵艦船
攻撃に既に二回も参加していた。その体験談を聞いていると、
「島津兵曹! 搭乗割が発表されました」と若い兵隊が呼びにきた。
「今度の搭乗割には、間違いなく俺の名前があるはずだ……」そう言うので、一緒に見に
行った。やはり搭乗割には、島の文字の上に^の付いた彼を示す符牒が記入されていた。

その夜彼らには「下宿整理」の名目で上陸が許可された。
「オイ島津、お前…… 外出せんのか?」
「ウン、実はこの前の外出でお金を使い果たして無一文なんだ……」
「そうかー じゃーこれを使え……」そう言ってポケットにあった十円ほどの金を渡した。
「ウアー 済まん済まん……」彼は喜んで外出した。

その夜私は島津一飛曹の愛機を、風防から座席の下まで徹夜で磨き上げた。
午前四時半「搭乗員整列」の命令伝達を受けた、島津一達一飛曹は愛機に乗り込んできた。
バンドを掛けてやりながらフト見るとマフラーをしていない。
「島津!マフラーは?」と尋ねると、
「質屋の蔵の中だ……」と照れ笑いをしている。すぐに自分のマフラーを外して彼の首に
巻いてやった。

「島津! 最後まで命を大事にしろよ……」そう言って機体を離れようとした。
「家田! お前は滑走路の左側中央付近に行って俺を見送れ!」と言って試運転を始めた。
私は指定された場所に行って見守っていると、滑走路の端から一機ずつ離陸を始めた。
次はいよいよ島津機の番だ。スロットルレバーを全開にして空いた左手を私に向けて合図
を送ってきた。そして、ニッコリ笑いながら離陸して行った。

他の搭乗員はすべて右側の指揮所付近に集まって、手や帽子を振りながら見送る大勢の
隊員に、いろいろな仕種で挨拶を送りながら行ったのに、島津だけは唯一人私の見送りを
受けて前進基地宮崎に向けて旅立ったのである。

昭和二十年六月二十六日深夜、沖縄周辺の敵艦船群に対して「夜間肉薄雷撃」を敢行した、
島津一達一飛曹は、再び祖国の土を踏むことができなかった。

11-61、春木 茂君事績

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              春木 茂君 遺影。


戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/07ooi/ooi-3.html 

        11-61、春木 茂君事績

「白菊特攻隊」の殿を務めて散華された、 春木1飛曹の出撃の模様を紹介する。
すでに沖縄は玉砕し、基地では「いまさら特攻とは」という気分が蔓延していた。
だから、前日出撃した3機は全機引き返している。

昭和20年6月25日、「菊水第3白菊隊」は前日の3機を含めて、6機の出撃を
予定していた。1900から1930までに3機が発進した。ところが、この日も全機
が引き返してきた。春木機は油漏れのため止むを得ず引き返したのである。
整備兵を督励して修理を急がせた。

「次の機会を待て、もう出なくてもよい!」 そう言う隊長の制止を振り切って、
春木1飛曹は単機で離陸し南の空へ消えていった。

6月26日0018、「ワレ今ヨリ突入ス ユタ ユタ ユタ 」との、春木機からの電信
を受信した。 この電文は、「我今ヨリ、輸送船ニ体当タリスル」という略語である。
この電信を打ったのは、彼のペアである甲飛13期出身の岩下武2飛曹であった。

春木1飛曹は予科練では同じ22分隊で、 隣の6班に所属していた。正義感が強く、
責任感も旺盛でその行動は積極的であった。分隊対抗や班対抗の競技など実施す
る場合は、纏め役の中心で、存在感のある人物であった。その彼が、「白菊特攻隊」
最後の指揮官としてその名を残したのも、偶然とは思われないものがある。
  (愛知県・19歳)


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