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島津一達君 遺影。
戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/14ieta/ieta.html
11-62、島津一達君事績
762空攻撃406飛行隊所属の島津一達1飛曹は、沖縄周辺の敵艦船夜間雷撃のため、
昭和20年6月26日 宮崎基地を発進。 肉薄雷撃を敢行後、 自爆戦死。 (銀河)
(大分県・17歳)
送るも征くも
家田 尭 (大阪府出身)
昭和十九年十二月、飛行術練習生を卒業した私は、神雷部隊として有名な七二一航空隊
攻撃七○八飛行隊に配属された。次に一○○一航空隊(雁部隊)に転属された。この部隊
は、飛行機工場で組立てられた新造機の試験飛行を行って受領し、これを各基地の実施
部隊に輸送するのが任務である。 部隊本部は鈴鹿基地にあったが、一式陸攻の分隊は
岩国基地に派遣されていた。
六月中旬、陸攻隊は九機編隊で美保基地へ移動した。どん尻に着陸して宿舎に向かって
いると、木陰で休んでいる搭乗員がいた。よく見ると島津一飛曹(五月一日昇任)である。
彼とは豊橋空の延長教育時代は同じペアであり、同じ家に下宿していた仲である。
彼は七六二空攻撃四○六飛行隊の所属で、「銀河」の操縦員である。沖縄周辺の敵艦船
攻撃に既に二回も参加していた。その体験談を聞いていると、
「島津兵曹! 搭乗割が発表されました」と若い兵隊が呼びにきた。
「今度の搭乗割には、間違いなく俺の名前があるはずだ……」そう言うので、一緒に見に
行った。やはり搭乗割には、島の文字の上に^の付いた彼を示す符牒が記入されていた。
その夜彼らには「下宿整理」の名目で上陸が許可された。
「オイ島津、お前…… 外出せんのか?」
「ウン、実はこの前の外出でお金を使い果たして無一文なんだ……」
「そうかー じゃーこれを使え……」そう言ってポケットにあった十円ほどの金を渡した。
「ウアー 済まん済まん……」彼は喜んで外出した。
その夜私は島津一飛曹の愛機を、風防から座席の下まで徹夜で磨き上げた。
午前四時半「搭乗員整列」の命令伝達を受けた、島津一達一飛曹は愛機に乗り込んできた。
バンドを掛けてやりながらフト見るとマフラーをしていない。
「島津!マフラーは?」と尋ねると、
「質屋の蔵の中だ……」と照れ笑いをしている。すぐに自分のマフラーを外して彼の首に
巻いてやった。
「島津! 最後まで命を大事にしろよ……」そう言って機体を離れようとした。
「家田! お前は滑走路の左側中央付近に行って俺を見送れ!」と言って試運転を始めた。
私は指定された場所に行って見守っていると、滑走路の端から一機ずつ離陸を始めた。
次はいよいよ島津機の番だ。スロットルレバーを全開にして空いた左手を私に向けて合図
を送ってきた。そして、ニッコリ笑いながら離陸して行った。
他の搭乗員はすべて右側の指揮所付近に集まって、手や帽子を振りながら見送る大勢の
隊員に、いろいろな仕種で挨拶を送りながら行ったのに、島津だけは唯一人私の見送りを
受けて前進基地宮崎に向けて旅立ったのである。
昭和二十年六月二十六日深夜、沖縄周辺の敵艦船群に対して「夜間肉薄雷撃」を敢行した、
島津一達一飛曹は、再び祖国の土を踏むことができなかった。
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