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山村輝夫君 遺影。
戦没者遺影 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/05murayama/index.html
11-55、山村輝夫君事績
762空攻撃406飛行隊の、山村輝夫1飛曹は昭和20年6月5日、沖縄周辺敵艦船雷撃の
ため宮崎基地を発進。 悪天候を突破して雷撃を敢行後、自爆戦死。(銀河) (山口県・18歳)
先生が勧めなければ
山村輝夫君は予科練では同じ22分隊5班で訓練を受け、飛練も同じ4分隊で飛行訓練を
受けた仲である。実用機教程は豊橋空の陸上攻撃機へ進んだ。
過日ご遺族に22分隊5班の写真と、拙著「かえらざる翼」をお送りした。
初めまして
先日は御丁寧にも本と写真をお送り下さいまして 誠に有難う御座いました
何度も繰返して読ませて頂きました
輝夫は長男だから 予科練に行くのは反対でした しかし
中学校の担任の先生がグライダーの教師であったためにすゝめられました
下関中から三十数名受験して 三名が合格して十二期で入隊しました
三年生から受かったのは輝夫だけで同級生は皆不合格でした
他の同級生は一期遅れの十三期に入隊して 終戦後皆無事に帰還されました
一期遅ければ戦死しなくても済んだものにと当時は悔やんでいました しかし
人それぞれの寿命というものがあり だから仕方ないとあきらめました
六月四日に生まれて六月五日に戦死とは 因縁というものでしょう
私も一月十日で満九十四才になります
輝夫の分まで長生きさせてもらっているのだろうと思っています
貴方様も大切な命をもらったのですから 充分に御自愛なさって戦友の分まで
長生きをして下さい
つまらない事をごたごたと書きましたが 乱筆乱文にて御許し下さい かしこ
山 村 ツ ヤ
「担任の先生が勧めなければ……」「1期遅れて13期ならば……」。長男を亡くされた
母親の悲しみは、寿命だと諦めるには余りにも深すぎて、そう簡単に諦められるもの
ではない。50年を越える長い歳月、長男が生きていればとの思いを噛み締めながら
生きてこられたのであろうと推察する。
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