老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

13想いで話

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             黒松 白鹿。

想いで話 http://www.warbirds.jp/senri/ 

        13-652、「黒松白鹿」が主流でした

百里原空の空中衝突事故で、遺族係を命じられました。酒保係として主計科と
交渉して接待用の茶菓子を受領した記憶があります。 ところが、祭壇に供えた
清酒には記憶がありません。恐らく部隊としての配慮だったと思います。

九〇三空で未帰還機があり、遺体のない通夜が行われました。デッキに毛布を
敷き、車座になっての酒盛りが始まりました。この時の酒も特別に支給されたも
のと思います。 若年搭乗員のわれわれは、肴の「銀蝿」や燗付けなどで大変な
経験をさせられました。

大井空での酒の思い出と云えば、ペアの杉本少尉が、私の酒好きを知ってよく
届けてくれました。士官には特別な配給があったようです。当時「海軍御用達」
の灘の「黒松白鹿」が主流でした。

当時は酒に限らず「海軍省御用達」として軍に製品を納めることで、原材料の
調達で優遇され、企業が成り立っていたようです。 いわゆる「御用商人」です。
思い出すままに当時の製品名を披露します。
「ボンタン飴」「三矢サイダー」「赤玉ポートワイン」「エビオス」「わかもと」など
です。

☆今日の一言☆  
酒は飲むべし百薬の長

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             館山航空隊の酒保。

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        13-651、航空増加食と戦給品

予科練から飛練に進んで先ず変わったのが食事でした。 一般の兵員食以外に
「航空増加食」と呼ぶ特別な食べ物が毎食支給されました。定番は鶏卵や牛乳
です。時には季節の果物なども配食されました。

飛練を卒業して一人前の搭乗員として実施部隊に出ると、更にいろいろな物が
支給されます。 「熱糧食」と呼ぶ菓子や「居眠り防止食」と云って、 抹茶を錠剤
にしたものなども支給されていました。 これ以外に「戦給品」と称して、 葡萄酒
や果物の缶詰などが支給されるようになります。

ところが資材不足のためか、 みかんの缶詰の中身だけを氷詰めにしたものが
支給されたことがありました。これをかち割りにして、ポリポリ齧るのです。また、
ラベルの貼られていない缶詰にも、しばしば出会いました。 (当時、 缶切りは
必需品でした)

当時は物資不足のため、「酒保」で買える品物が少なく大半の「酒保物品」は
分隊毎に配給されていました。 それでも海仁会の集会所では、 ウイスキー
や缶詰などが販売されることもありました。 また、配給とは云っても搭乗員は
他の兵科に比較すれば優先的に配分されていたように思います。

私は百里原空当時「酒保係」を担当していました。 主計科倉庫で「酒保品物」
を受け取り隊員に配分し、俸給日に代金を徴収して主計科に納めるのが仕事
です。袋菓子など全員に渡る場合はよいのですが、中途半端な数量の品物を
公平に配分するのに苦労しました。 しかし、主計科倉庫に出入りする関係で、
いろいろな役得にも与かりました。

当時の値段は、専売局が扱う「たばこ」など全国一律の物と、部隊毎に違った
品物や価格もありました。一例を記してみます。(記憶違いはご容赦)

たばこ
ほまれ(20本)7銭。 鵬翼(20本・価格失念)金鳶(10本)20銭。光(10本)30銭。

酒類 清酒4円。 ウイスキー小瓶2円。 ビール1円(殆ど呑みませんでした)。 
   赤玉ポートワイン(戦給品で価格の記憶なし)。
飲料 サイダー(主に航空弁当に添えられ支給価格の記憶なし)。
缶詰 パイ缶50銭。 

☆今日の一言☆  
鷹は飢えても穂をつまず

13-650、陣中有閑

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             朝雲照代。

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        13-650、陣中有閑

下士官は「半舷上陸」といって、人員の半数ずつが、夕食後から翌日の朝食
までの間、外出を許可されていました。但し、当時は夜間飛行などで中止に
なることもありました。 私は大井空に転属してから、同期の外村君と二人で、
金谷の町に下宿を持っていました。 下宿を持たない者は、海仁会の集会所
か旅館に宿泊することになります。

搭乗員は、天候による飛行作業の中止などで、朝食後から翌日の朝食まで
の間外出を許可される場合がありました。このような場合、金谷町は田舎町
で遊ぶところが無いので、浜松市や静岡市まで遠征して遊んでいました。

ある時、先任下士官を先頭に 五、六名の者が静岡市まで足を延ばしました。
お目当ては「朝雲照代」の舞台見物でした。舞台が跳ねてから、事前に予約
していた旅館に、彼女を招待いたしました。そのため、予め酒や缶詰それに
「航空増加食」などを手分けして持出していたのです。

当時は外出しても飲食店などは休業状態で、旅館も素泊りしかできない時代
でした。 外出時の食事は、予科練時代の弁当に代えて乾パンなどが支給さ
れていました。 また、われわれ搭乗員には「航空増加食」の他に「戦給品」と
云って葡萄酒や缶詰などが特別に支給されていました。

問題はこれをいかにして持ち出すかです。下士官兵は「外出員整列」で副直
将校の「容儀点検」や「所持品点検」を受けなければなりません。 これをうま
く誤魔化すのに知恵を絞っていたのです。

宴たけなは、確か同期生の藤原君だったと思います。
「朝雲さんは、舞台で拝見するより、こうしてお近くで拝見するほうが綺麗で
すね」と、お世辞を言いました。ところが朝雲照代嬢曰く、
「私は、今の姿を褒めて頂くより、舞台姿を褒めて貰った方が嬉しいですよ」
「貴方がたが、お国の為に命を懸けていますように、私は舞台に命を懸けて
います!」

☆今日の一言☆  
花は桜木 人は武士

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             手先信号。

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        13-649、騒音の中で勤務するため

海軍では騒音の中で勤務することが多いため、声が通り難いのです。 その
ため手先を使って命令や指示を伝えていました。 そのため、一定の符牒が
決められていたのです。爆音の中で勤務する搭乗員仲間でも手先を使った
特別の交信方法がありました。

その方法は、手旗信号を両手の代りに、左右の指先で画く方法です。 また、
モールス符号を二本の指の開閉で伝える方法も使われていました。

☆今日の一言☆  
見たと聞いたは大違い

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             旗旒信号。

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        13-648、「Z旗」はあまりにも有名

旗旒信号は主に艦船で使用されました。萬国共通の旗以外に、海軍独自の
旗もありました。 航空部隊では一般に指揮所附近にマストがあり、 風向を
示す吹流しと、飛行場の状況を飛行機に伝える旗旒信号を掲げていました。

鹿児島航空隊の予科練時代は、朝礼台の左にマストがあり、課業整列の際
に旗旒を揚げ、 その意味を教員が解説していました。 われわれ搭乗員は、
信号兵と違って直接関係のある旗旒のみを暗記していました。

宇垣長官が最後の特攻隊員に訓示をしている写真があります。右手にH旗
が掲げられています。 これは「統監旗」と呼ばれ、 指揮官の位置を示す旗
です。日本海海戦の「Z旗」はあまりにも有名ですね。

☆今日の一言☆  
薫酒山門に入るを許さず
 


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