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大分基地跡。
想いで話 http://www.warbirds.jp/senri/
13-622、☆「搭乗割」の謎
〔二村2〕
「出撃命令だぞー」と、揺り起されたときは、すでに午前九時を過ぎていた。
素早く飛行服を着込んで、宿舎まで迎えに来たトラックに乗り込んだ。
「これは特攻だ! ついに来るべきものが来た」と、私は感じた。
〔二村3〕
飛行場には十時ごろ着いた。「搭乗割」の黒板を見ると、二番機に私の名前
があった。 中津留隊長機につづく二番機の指定である。 私は少なからぬ
感激と優越感をおぼえた。十二時出撃とのことで待機していたが、そのうち
出撃命令は何故か解除され、「そのまま待機せよ」と、指示された。
〔酒井1〕
午前十時、飛行場から一キロメートルほど離れた搭乗員宿舎に伝令が走っ
た。
「敵艦船は本土に上陸するため東支那海を済州島に向け北上中、搭乗員は
全員飛行場に集合せよ」
〔豊田5〕
午後一時、中津留大尉は自分を隊長とする五機の特攻隊の搭乗割を黒板に
書き、全艦爆隊員の集合を命じた。
〔野原5〕
八月十五日の午前九時を過ぎた頃、蒸し暑い横穴壕の二段ベッドで寝苦し
い夜を過ごした七○一空艦爆隊に出撃命令が下った。迎えにきたトラックに
乗り込み飛行場に着いたのは十時で、 十一機二十二名の搭乗割が黒板に
書き出されてあった。
〔野原7〕
待機していた搭乗員たちに沖縄への特攻攻撃が命じられたのは、川野一飛
曹の記憶によると午後三時を過ぎる頃だったという。
中津留大尉が司令部から受けた命令は 「艦爆五機をもって」 であったが、
午前の出撃命令の際に決められた、 十一機二十二名の搭乗割は変更され
なかった。
〔酒井5〕
午後三時、大分飛行場指揮所前の黒板に二十二名の搭乗員割が記入された。
〔日高4〕
午後三時ころになっていたと思う。
「敵艦隊は沖縄に集結中、これに特攻をかけ撃滅する」
〔秦10〕
搭乗割は、 三時に発表され、 指揮所前に出された黒板に書き出された。
全部で十一機、二十二名だった。甲飛十二期の二村治和一飛曹は二番機に
名前を発見したが、 元教官の中津留大尉が選んでくれたのは当然と思って
満足した。(一部省略)
〔豊田6〕
しかし、 午後三時、司令部で宇垣長官を囲んで別杯が交わされる頃には、
六機が強引に自ら参加して、突入機は十一機にふくれ上がってしまい、
★「搭乗割」は普通は飛行隊士が作成し、隊長の決裁を受けて隊員に発令
します。 しかし、 この場合は恐らく中都留大尉が直接作成し、「搭乗割」
の黒板に記入したものと思います。また、「搭乗割」は十六日の午前十時
に発表されたと考えるのが妥当です。十五日の午前十時では「出撃命令」
も受けずに、何を目的とした「搭乗割」なのか説明できません。
★「搭乗割」に書かれた下士官搭乗員の内訳を見ると、 甲飛出身者四名、
乙飛 出身者五名、丙飛出身者四名、特乙出身者一名の計十四名です。
これは所属下士官搭乗員の半数です。 ここで奇異に感じることは、主に
経験の浅い若年搭乗員で編成していることです。甲飛では十期、乙飛で
は十六期以前の、いわゆる熟練搭乗員が一名も含まれていないことです。
これは何を意味するのでしょうか。 中津留大尉の胸中を察する上で重要
な手がかりだと思います。
★二村君の「特攻出撃」の朝の記述〔二村2〕を読んで、体験者なら疑問を
持つはずです。海軍では階級以外に入隊年次で差がつけられていました。
昭和二十年になると、燃料不足等で飛行訓練は中断されました。 だから
甲飛十二期(後期)と甲飛十三期(前期)の一部が、実施部隊の所属搭乗員
の中では「若(じゃく)」と呼ばれた最も末席の搭乗員です。だから真っ先に
起き出して、 「甲板掃除」 「食卓番」 その他の雑用に走り回る立場にあり
ました。
その彼が、九時過ぎまで寝ていたと云うのです。 戦争継続中の十五日の
朝の出来事にしては納得のいかない行為です。敗戦を知り、中都留大尉と
の酒宴で 「特攻」の示唆をうけた、十六日の朝ならあり得ることです。彼の
記述は 「二階級特進」を信じて出撃した、先輩や同僚達が 「特攻戦死」を
承認されなかったことで、 せめて「戦死」として認めてもらうための配慮と
して、八月十五日と云はざるを得なかったものと推測します。
☆今日の一言☆
山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し
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