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宇佐空跡地 特攻慰霊碑。
特攻隊時代 http://www.warbirds.jp/senri/
14-38、敵機ノ攻撃ヲ受ケツツアリ!
父上母上様、愈々私の出撃の日は参りました。
私も栄ある神風特攻隊八幡護皇隊の一員として、先輩兄鷲達の後に続く事が出来る
のです。
父上、母上、皆喜んで下さい。私もニッコリ笑って出撃します。
今や沖縄の戦局は益々熾烈と成り、此の時我々が立たずんば誰がやりましょう。
大いに頑張ります。大いにあばれて敵の空母若しくは戦艦に体当たりします。
私の戦果を楽しみに待って居て下さい。私も十八才の春を迎へ、此の間何ら孝行と
いうことも成すことなく散って行くのですが、之が私の最初の孝行で最後の孝行で
あります。
又母上には、家に居る時は何時もわがまゝな事ばかり言って、何と言ってお詫びし
て良いかわかりません。靖秀、ソミ子の事は呉々も宜しくお願いします。
ソミ子は一生懸命勉強せよ。靖秀も人に負けぬ様に頑張れ。
私もこの時に当たりて、母上の丹精こめられて作って下された千人針を、固く巻いて
行きます。家の裏で四人で撮ったの写真と、兄上の写真を持って突込んで行きます。
兄上も靖秀も立派な軍人になって下さい。
兄上もすぐに兵隊と思いますが、いくら上官になっても、常に下士官、兵の労を忘れ
てはいけません。軍隊は上と下とが一致してはじめて強い軍隊が作られると思います。
最後まで私の分まで孝行を盡くして下さい。
散る桜 残る桜もまた散る桜 我は征く
大日本帝国に生まれた事をつくづく感謝します。
又小学校時代、中学校時代の先生方にも宜しく。近所の方々や親類の方々には呉々も
宜しく。私は上海に居る時も、敵の戦闘機P51の為に顔に負傷しました。 益々敵愾心
を旺盛にしたのです。
上海から一年振に内地に帰りましたが、一週間ぐらいで攻撃命令が下り、面会も出来
たのですが、もし面会して未練でも残り、立派な働きができない様な事があっては
申し訳ないと思ったのです。どうぞ悪しからず。
出撃に当たっては、宇佐神宮に参拝しました。又佐鎮長官との握手や訓辞等を受け、
恩賜の煙草まで頂戴しました。必ず日本は勝つのです。最後の一人までが頑張り抜け
ば良いのです。私は神州の不滅を信じて飛び立って行きます。
父上、母上、兄上、靖秀、ソミ子の多幸を祈って已みません。
御身体は呉々も大事に御働き下さい。
亡き母も亡き兄上も冥土で待って居られる事でしょう。有り難う御座居ました。
遺骨は残らぬ故、遺髪を送ります。
出撃の日は宇佐八幡神忠隊の指揮官機の電信員です。敵艦目がけて突込む時の電信
を皆に聞かせたいです。予科練、飛練と鍛へられた攻撃精神で全力を振るいます。
絶対人に後れはとりません。同乗される方は、操縦員大石少尉。偵察員小野寺少尉。
四月二十八日午後三時二〇分発進。沖縄周辺の敵艦目がけて突込むのは、午後六時
三〇分頃です。抱いて行く爆弾は八百瓩の爆弾です。これ一つあれば如何なる敵艦でも、
一発で轟沈するのです。上海でお世話に成った下宿の人にも知らせて下さい。
宇佐より送った金子と小荷物は受けとられましたか、あれは上海土産です。小波津君等
の仇を討ちます。日本人なら最後まで頑張れ。
神州不滅 必中轟沈 これで何も思い残すことはありません。 元気で 佐様奈良
ニッコリ笑って行きます。兄上達の御健闘を祈ります。
二十年四月二十七日
串良基地にて 憲 太 郎
八幡神忠隊1番機(小野寺少尉は腹痛のため清水少尉と交替)の電信員として搭乗
した犬童2飛曹は、15:35串良基地を離陸しました。19:13「ヒヒヒヒ(敵機ノ攻撃ヲ
受ケツツアリ)」を発信。 次に、20:09「敵艦船見ユ」を発信しました。 その後、
「ツ────── 」と長符が10秒間続いて途絶えました。この発信音が途絶えた
20:18が、即ち体当たりの時刻です。
☆八幡神忠隊搭乗割
1番機 操縦 少 尉 大石 政則 (佐賀・予備14期・東大)
偵察 少 尉 清水 吉一 (東京・予備13期・立大)
電信 2飛曹 犬童 憲太郎 (鹿児島・甲飛12期)
2番機 操縦 少 尉 十川 正澄 (大阪・予備14期・東農大)
偵察 少 尉 上保 茂 (東京・予備13期・明大)
電信 2飛曹 三島 昭 (香川・甲飛13期)
3番機 操縦 2飛曹 山西 富三郎 (岡山・乙飛18期)
偵察 少 尉 旗生 良景 (福岡・予備14期・京大)
電信 2飛曹 赤堀 彰司 (静岡・甲飛13期)
☆特攻慰霊碑 碑銘☆
同期なる小河と堤に犬童と 松木少尉よ安けく眠れ
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