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司令官 朝融王少将。
特攻隊時代 http://www.warbirds.jp/senri/
14-20、魂魄母の胸に
昭和20年3月18日の未明、 西山ミサトさんは長男典郎君に抱きつかれ、そして
一瞬にして姿を消し去った夢を見たそうです。恐らく死出の旅路の途中、母親の胸
に抱かれるため霊魂となって古里に帰ってきたのでしょう。
西山典郎君は、予科練に入隊のため鹿児島へ旅立つ前夜「母ちゃんと寝たい…」。
そう言って母親と一緒に寝たそうです。 そして、「母ちゃん、元気でね………」と、
言いながら母親の手を静かに握ったそうです。 その時の柔らかい手のぬくもりが、
50余年経った今でもまだ残っていると母親ミサトさんは話されました。
筆者は6人兄弟の末っ子でした。だから甘やかされて育ち、小学校に入学するころ
まで母親と一緒に寝ていたことを記憶しています。典郎君は長男としての立場から、
後に生まれた弟妹のために、日ごろは母親に甘えるのを我慢していたのでしょう。
そして最後の別れに、母親に抱かれて精いっぱい甘えたかったのではないでしぅか。
その夜、親子はどんな夢を見たのでしょうか。
謹啓 段々と暮らしよくなり皆様御元気で御暮らしのことゝ思います。
祖父様
御元気で御暮らしの事と思います。帰郷中は色々と御世話になりました。私は毎日
元気にやっています。 我々もやがて一生懸命に敵と一騎打ちが出来る日が来ると
思います。家の名誉にかけて働きます。どうか御大事に。
父上様
先日は有難う御座いました。無事御帰りになられた事と思います。 私は元気一杯
やっております。父上の教訓を守って一生懸命にやってきます。幸郎の入学の事や
其の他弟妹の事はお願い致します。そして無事幼年学校にやって下さい。中学校時
代の私の都合の悪い物がないとも限りませんが、後で辱かしくない様に、ありました
ら処理して下さい。御別れしてから一寸も淋しくありませんでした。
母上様
先般の休暇で皆様の事もよくわかり、 又元気でいられる姿をみてすっかり安心しま
した。弟妹達とも心のゆく限り遊べて何の悲しみや悩みも毛頭ありません。母上の
心も日本晴れとの事で、喜んでおります。今から実際に一騎打ちが出来るのです。
考えただけでも愉快です。又玉中から来た者も八名おります。山口も牧島も決して
心配には及びません。思う存分世の中を駆け廻ってきます。祖父も日露戦役の軍人、
父上も軍人、それに私も軍人で実際に役立つ、家門の名誉と思って下さい。どうか
御病気になりませぬ様御祈り致します。
幸郎君
今眼前或は最中か。大難関を突破せよ。そして、先ず幼年学校に突撃されよ。一番
大切なのは体だ。体なくては何の用にも立たぬ。
一、父上母上に兄さんにかわって孝行すること。
二、兄弟は仲よくすること。決して洋光、紀光を泣かせるな。
三、身体を無理せぬ様勉強すること。但し一番にならなければ何にもならない。
四、家の手伝いをすること。
雅子ちゃん
お元気で勉強して下さい。 母ちゃんの言われることをよくきいて一生懸命勉強し、
洋光、紀光と仲よく遊んでやりなさい。母ちゃんが心配せぬ様、お手伝いするんで
すよ。
洋光サン
ユビヲ五ツカゾエルト一年生デスネ。トウチャンヤカアチヤンノイウコトヲキイテ、
ベンキョウシテイルデショウ。ノリミツサントナカヨクアソンデクダサイ。ソシテ、
キユウチョウニナリ、カアチャンヲヨロコバセテクダサイ。オゲンキデサヨナラ。
ノリミツサン
ニイサントスモウヲトツテ、ニイサンヲナゲタノリミツサンハ、ナカナイデオリマ
スカ、ニイチャンタチトナカヨクシテクダサイネ。マタニイサンガカエッテスモウ
ヲトリマセウ。コンドハアメリカノヒコウキヲモッテキマス。カアチャンヲコマラ
セナイヨウニ。
二伸
如何なる難事も最後まで沈着に、いつまでも体を無駄にせず、思う存分落着いてや
ります故御安心下さい。又軍刀は脇差しで結構です。
先般司令官少将 朝融王殿下の□□□□□□□□□□隊内数名の練習生が選ばれ、
御前にて参謀より試問をうけたる光栄に浴しました。母上様どうか喜んで下さい。
この新たなる感激をうけ又一層頑張るつもりであります。では皆様お元気で。
私の事は一切心配されぬ様、呉々もお願い致します。
典 郎
御一同様
[筆者解説・□□□□は検閲で消去されていました]
☆亡き戦友の辞世☆
特攻の下命ありて身を捧ぐ 達者で暮らせと祈る我なり
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