老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

14特攻隊時代

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            被弾した天山艦攻。


特攻隊時代 http://www.warbirds.jp/senri/ 
 
        14-17、狙うのは敵艦であって敵兵ではない!

「特攻隊員」を命じられた場合、覚悟が決まるというか、決心がつくというのか、死に
対する気持ちの整理ができるのに、2〜3日かかるのが普通です。 中には1週間
程度も悩み続ける者もいました。そして、1週間が過ぎても、なお決心がつかなけれ
ば脱落するしかないのです。

では、特攻隊員はいかにして、死に対して自分の気持ちを整理し、覚悟を決めたの
でしょうか。 まず一般的に死を解決する要素として考えられるのは、宗教でしょう。
私の家は「真宗」の信者でした。 子供のころから、 仏壇に向かう母親の後に座り
「正信偈」その他のお経を読む程度の関心は持っていました。

また法要などで「夫レ人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ観ズルニ‥」に始まる蓮如上人
の「白骨の御文章(おふみ)」に無常を感じたり、説教師の法話を聞いて感銘を受
けることもありました。しかし、いくら「極楽浄土」を信じていても、たとえ敵とはいえ
「殺生」に変わりはありません。  だから、「極楽」ではなく「地獄」に落ちるのでは
ないだろうか。などと考え始めると、ますます混乱するのです。

「そうだ! 狙うのは敵艦であって敵兵ではない!」 そう心に決めることで、自ら
安らぎを求めるのでした。

当時の年齢や人生経験から、信心といっても程度が知れていました。それに比較
して解決すべき問題が、あまりにも大き過ぎたのです。だから、宗教によって死を
肯定する心境までには至らなかったのです。

次に「悠久の大義に生きる」という国家神道の教えです。当時の精神教育は、この
一点に集約されていました。 しかし、前述の宗教と同じように、真にこれを理解し、
これによって死を納得するまでには至りませんでした。

日ごろ同僚との会話の中で、
「俺たちは、戦死すれば軍神として靖国神社に祀ってもらえるんだなあ……」
「そうだよ、靖国神社にも先任後任があるんだ、俺が先に行って待っている。遅れ
て来た奴は食卓番だぞー」

「そらつくなよ、軍神が食卓番なんかするものか。 毎日々々が上げ膳据え膳で、
お神酒は飲み放題だ!」
「そうだ、俺たちは軍神なんだ。だからお神酒だけは今から供えて欲しいなあー」
「何言ってる!お前さんの供えてもらいたいのは、おふくろさんのオッパイだろう」
などとふざけ合っていても、本心から、軍神になることや靖国神社に祀られること
でこの問題を解決できた者は、恐らく一人もいなかったのではないでしょうか。

人間はどうせ一度は死ぬのだ。それなら多少とも、後世に名を遺したいという見栄
があります。そして、軍神や靖国神社は生前から予想できる唯一の死後の姿です。
地獄や極楽などの幻想の世界ではありません。

立派に戦って戦死すれば、靖国神社に軍神として祀られることは約束された現実
です。しかし、初めからそれを目的として考えることは、神に対する冒涜であります。
私たちは、国家神道を観念的に理解できても、それは、死後の姿を想定する手段
としてであって、死を解決するには何か別のものを求めざるを得なかったのです。

☆亡き戦友の詠☆
大空に 冴ゆる月夜は変わらねど 変われば変わる人の身の上 

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            体当たり攻撃。


特攻隊時代 http://www.warbirds.jp/senri/ 
   
        14-16、死ぬための訓練が続いた

今日は人の身明日はわが身、いつ出撃命令が出るか分からない状態で、更に死ぬ
ための訓練が続けられました。一度は死を決意したものの、夜半ふと目覚めて故郷
に思いを走らせることがあります。そして、まだ死にたくない、何とか生き延びる方法
はないものかと、生への執着に悩まされることも度々でした。

特攻隊が編成された当初は、皆一様に無口になり、決意を胸に秘めている様子でし
た。 ところが、日が経つにつれて、 今度は以前にも増して快活になってきました。
皆それぞれ自分の死を納得したのでしょうか。 それとも、表面の快活さは、心中の
悩みを隠すための手段なのかも知れません。

心を許し合った同期生の間でも、 直接この問題に触れて話し合うことはありません
でした。 それは、他人の介在を許さない、自分自身で解決すべき問題だからです。
そうは言っても、人生経験の浅い18歳の若者に、 このような解答を出させるとは
非情です。

だが、内心の葛藤とは裏腹に、飛行機を操縦している時だけは、緊張のため雑念も
涌かず、死ぬための訓練でありながら、超低空飛行を行っていても怖いというよりも、
むしろ爽快な気分を味わうことさえありました。

訓練は続き技量は上達しても、死に対する不安や恐怖は消えるどころか、益々強く
なってきます。この生への執着は、出撃命令を受けて最後の離陸の時まで、恐らく
断ち切ることはできないであろうと感じていました。

だれでも、一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れません。しかし、理性的
に自分の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、
いかに大変なことであるか、経験しない者には想像もできないことでしょう。日ごろ
大言壮語していた者が、「特攻隊」の編成に際して、仮病を使ってまで逃げ隠れした
事例からも判断できると思います。

見方を変えれば、あれが人間の正直な姿であったのかも知れません。当時のような
「全機特攻」の重苦しい雰囲気の中で、なお死から逃れようと努力する者には、それ
相当の勇気が必要であったと思われるからです。

他人の心を計り知ることはできません。だが、意識して皆との話の輪に加わり、他愛
ない話題に興じて、 無理に快活に振る舞っている自分の姿を彼らはどう見ているの
でしょうか。彼らもまた私と同じような心理であったのかも知れません。皆と一緒に
談笑の輪の中にいながら、ふと脳裏を掠める不安に戦(おのの)く事も度々でした。

昼間は同僚との語らいで気を散らす事もできます。しかし、夜中は自分だけの世界
です。眠れぬままに、古里の思い出に浸ったり、死後の未知の世界を想像すること
も再々でした。際限なく次々と頭に浮かぶ雑念を振り払いながら、 儚い人生につか
の間の安らぎを求めようと、 焦燥する日々がが続いたのです。

☆亡き戦友の詠☆
かくあれと 諭す桜の押花を 文にしたため送りし吾が母 

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             先任下士官を囲んで。


特攻隊時代 http://www.warbirds.jp/senri/ 

         14-15、「朝雲照代」の舞台見物      
 
下士官は「半舷上陸」といって、人員の半数ずつが、夕食後から翌日朝食までの間、
外出を許可されていました。但し、当時は夜間飛行などで中止になることも屡でした。
私は大井空に転属してから、同期の外村君と2人で、金谷の町に下宿を持っていま
した。下宿を持たない者は、海仁会の集会所か旅館に宿泊することになります。

搭乗員は、天候による飛行作業の関係で、朝食後から翌日の朝食までの間外出を
許可される場合がありました。このような場合、金谷は田舎町で遊ぶところが少ない
ので、浜松市や静岡市まで遠征して遊んでいました。

ある時、先任下士官を先頭に数名の者が静岡市まで足を延ばしました。お目当ては
「朝雲照代」の舞台見物です。舞台が跳ねてから、事前に予約していた旅館に、彼女
を招待しました。 そのため、予め酒や缶詰それに「航空増加食」などを手分けして
持出していたのです。

当時は外出しても飲食店などは休業状態で、旅館も素泊りしかできない時代でした。
外出時の食事は、予科練時代の弁当ではなくて乾パンなどが支給されていました。
また、われわれ搭乗員には「航空増加食」の他にも「戦給品」と云って葡萄酒や缶詰
などが特別に支給されていました。

問題はこれをいかにして持ち出すかでした。下士官兵は「外出員整列」で副直将校の
「容儀点検」や「所持品点検」を受けなければなりません。これらをうまく誤魔化すのに
知恵を絞っていたのです。

宴たけなは、確か同期生の藤原君だったと思います。
「朝雲さんは、舞台で拝見するよりも、こうしてお近くで拝見するほうが綺麗ですね‥」
と、お世辞を言いました。ところが朝雲照代嬢曰く、
「私は、今の姿を褒めて頂くよりも、舞台姿を褒めて貰った方が嬉しいですよ‥‥‥」
「貴方がたが、お国の為に命を懸けていますように、私は舞台に命を懸けています!」

☆今日の一言☆
<h4>  陣 中 有 閑 </h4>

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             故海軍少尉 春木茂(谷田部空当時)。


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        14-14、「白菊特攻隊」最後の指揮官      
 
「白菊特攻隊」の殿を務めて散華された、春木茂1飛曹の出撃の模様を紹介い
たします。既に沖縄は玉砕し、基地では「いまさら特攻とは」という気分が蔓延し
ていました。だから、前日出撃した3機は全機引き返しています。

6月25日、「菊水第3白菊隊」は前日の3機を含め6機の出撃を計画しました。
19:00から19:30までに3機が発進しました。ところが、この日も全機が引き
返してきました。春木機は油漏れのため止むを得ず引き返したのです。整備兵
を督励して修理を急がせました。

「次の機会を待て、もう出なくてもよい!」
そう言う隊長の制止を振り切って、春木1飛曹は単機で離陸し南の空へ消えて
いきました。

6月26日00:18、「ワレ今ヨリ突入ス ユタ ユタ ユタ 」との、 春木機からの
電信を受信しました。 この電文は、「我今ヨリ、 輸送船ニ体当タリスル」という
略語です。 この電信を打ったのは、 彼のペアである甲飛13期出身の岩下武
2飛曹でした。

春木1飛曹は予科練では同じ分隊で、 隣の6班に所属していました。正義感が
強く、 責任感も旺盛でその行動は積極的でした。 分隊対抗や班対抗の競技
などを実施する場合、纏め役の中心で、存在感のある人物でした。 その彼が、
「白菊特攻隊」最後の指揮官としてその名を残したのも、 偶然とは思われない
ものがあります。

       *
零式戦闘機    631機
九九艦爆     135機
白菊        130機
彗星艦爆     122機
銀河        100機
九七艦攻      95機
水上偵察機     75機
一式陸攻(桜花)  54機
天山艦攻       39機
九六艦爆       12機
合 計       1393機

以上は、昭和20年4月から6月までの間、 沖縄方面の作戦に「特攻機」として出撃
した、機種別の機数です。零式戦闘機は別格として、 練習機である「白菊」が実用機
に伍して、いかに数多く、 特攻作戦に使用されたかを知ることができます。

☆亡き戦友の詠☆
兄鷲の 手柄聞くたび思うかな 早く征きたし決戦の空

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             「徳島白菊隊」の勇士。


特攻隊時代 http://www.warbirds.jp/senri/ 

         14-13、「白菊特攻隊」出陣      

昭和20年3月、練習航空隊から実施部隊に改編された、第13聯合航空隊は、第10
航空艦隊の命により機上作業練習機「白菊」による「神風特別攻撃隊」を編成しました。
高知航空隊(菊水白菊隊)・徳島航空隊(徳島白菊隊)・鈴鹿航空隊(若菊隊)・大井航空隊
(八洲隊)です。これが世にいう「白菊特攻隊」です。

編成を完了した各航空隊は、 離陸発進・接敵・攻撃(体当たり)などの訓練を、昼夜に
わたって実施しました。そして、着々と錬度を向上していったのです。夜間出撃が可能
となった「白菊特攻隊」は、 5月20日、 聯合艦隊の命を受け、 第3航空艦隊及び
第5航空艦隊にそれぞれ配属され、ついに「菊水作戦」と呼ばれた「特攻作戦」に参加
することになりました。

関東方面に備える第3航空艦隊に配属された大井航空隊と鈴鹿航空隊は「特攻待機」
の状態で更に訓練を続行することになりました。九州及び沖縄方面に備える第5航空
艦隊隷下の 第12航空戦隊に配属された高知航空隊は鹿屋基地へ、徳島航空隊は
串良基地へとそれぞれの作戦基地へ進出展開しました。

そして、5月24日の「菊水7号作戦」が開始されるや、 勇躍基地を飛び立って沖縄
周辺の敵艦船群に対して「体当たり攻撃」を敢行したのです。 「白菊」の速力は最大
でも120ノットと極端に遅く、 爆装すれば100ノットそこそこです。だから、昼間の攻撃
は不可能と判断され、夜明け前に突入する戦法がとられました。だから、基地を発進
したのはすべて夜半ですた。(私の調査した資料によると、夜間に発進した「特攻機」は
白菊と水上偵察機のみです)

(菊水7号作戦) 
昭和20年5月24日     指揮官       出撃 未帰還 人数 出撃基地    
菊水白菊隊    (高知空) 中尉  野田 勉 20機  8機 16名 鹿屋
徳島第1白菊隊 (徳島空) 少尉  須田 治 14機 11機 22名 串良

昭和20年5月25日
菊水白菊隊   (高知空) 1飛曹 坂本俊実 15機  1機  2名 鹿屋

(菊水8号作戦)
昭和20年5月27日
菊水白菊隊   (高知空) 中尉  川田  茂 20機  9機 18名 鹿屋

昭和20年5月28日                                
徳島第2白菊隊 (徳島空) 中尉  田中正喜 16機  7機 14名 串良

昭和20年5月29日
徳島第3白菊隊 (徳島空) 1飛曹 北 光圓 15機  4機  7名 串良

(菊水9号作戦)
昭和20年6月21日
徳島第4白菊隊 (徳島空) 中尉  井上國平  8機  3機  6名 串良
菊水第2白菊隊 (高知空) 同    古賀一義  8機  5機 10名 鹿屋

(菊水10号作戦)
昭和20年6月25日
徳島第5白菊隊 (徳島空) 少尉  三浦猛輝  8機  5機 10名 串良

昭和20年6月26日
菊水第3白菊隊 (高知空) 1飛曹 春木 茂   6機  1機  2名 鹿屋

以上は出撃月日・指揮官・出撃機数・突入確実と認められた機数及び特攻戦死と
認められ聯合艦隊告示により全軍に布告された人数です。 (防衛研究所資料)
徳島航空隊61機、 高知航空隊69機、 合計130機が出撃し、56機110名が
特攻戦死と認められました。 このように、6月25日の「菊水10号作戦」までに、
130機の「白菊」が出撃し、  多数の尊い命が「白菊」と共に大空の彼方へ消え
去ったのです。

☆亡き戦友の詠☆
二つなき 命を忠と孝に分け いでや巣立たん南海の空


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sen*i0*20
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