老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

15昔日を偲んで

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

15-27、英語で一苦労

イメージ 1

        左から、ブラックレー少佐・オードリース少佐・シュレット中尉。


昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/ 
   
        15-27、英語で一苦労

航空揺籃の大正10年、海軍はセンピル大佐以下30名をイギリスから招聘してそ
の指導を受けました。だから、航空関係では、艦船以上に英語が使用されていたの
です。飛行機の部品や整備工具なども英語がそのまま使われていました。そのうえ、
日本語と混用するので慣れるまで一苦労でした。

エルロンやフラップそれにラダーは一般化しています。 スロットルにACレバー更に
スチック、フットバー、タブ、カウリング、スピンナーなどと数え上げれば切りがありま
せん。そのうえ、同じ品物を日本語と英語を混用するので混乱するわけです。

チョークと云っても黒板に書く白墨のことではありません。 飛行機の車輪止のこと
です。九七艦攻は格納する際に主翼を折り畳みます。飛行準備で主翼を上から落
として延ばす際の掛け声は「レッコー(Let go)」です。

燃料積載の場合、燃料車から渡されたホースの筒先を燃料タンクの注入口に当て
ます。次に、燃料車の運転手に向かって、「ゴーヘー」と指示します。運転手は燃料
ポンプを駆動させます。 満タンになる前に「スロー、スロー、ストップ」と指示します。
タイミングを失すると、オーバーフローします。

エンジンの起動にも英語と日本語を混用します。操縦員がスイッチオフを確認して、
「スイッチオフ、アッサーク」と整備員に指示します。 「アッサーク(圧搾)」は日本語
です。整備員はプロペラを手で数回まわします。次に「イナーシャー廻せ」と指示し
ます。操縦員はイナーシャーの回転数を確認して「前離れ」と指示します。整備員は
前方の安全を確認して「前よーし」と復唱します。 これを聞いて「コンタクト」と呼称
して起動索を引っ張りプロペラ軸に嵌合させるのです。

操縦訓練用の九七艦攻は偵察席を改造して、操縦席と連動の操縦装置を設置し
ていました。この機体を「ダブル」でなく「デュアル」と呼んでいました。

「オーソリティー」という言葉も盛んに使われました。 誰々は「水平爆撃のオーソリ
ティーだ」とか「電探のオーソリティーだ」などと使います。 ところが、これを捩って、
「俺はまだまだコソリティーだ」「いやいや、お前はもうチュウソリティーだよ」などと
言い出す始末です。こうなるともう何語なのかわかりません。

「ソラをツク」「ソラツクな!」も盛んに使われました。最初はその語源がわかりま
せんでした。 「空言」と「嘘をツク」を組み合わせて、誰かが創作したのでしょう。
戦争中でも言葉遊びはあったのです。

同期の中攻搭乗員の話です。中攻では正操縦員を「メン(正式にはメイン)」と呼び、
副操縦員を「サブ」と呼んでいました。 彼の話では、アメリカの戦闘機は決まって
「サブ」狙ったそうです。戦後その理由が理解できたと言います。米軍機では左が
「キャプテン」の席で、右が「コパイ」の席だそうです。だから彼等は、左席の「サブ」
を「キャプテン」と思い込んで狙っていた訳です。

☆今日の一句☆  
柿を置き両部曼荼羅相照らす 

15-26、海軍用語

イメージ 1

            鹿児島航空隊 分隊点検。


昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/ 
   
        15-26、海軍用語

予科練に入隊して、教員連中から海軍独特の用語を始め箸の上げ下ろし(食事作法)
までいろいろと教育をうけました。先ず言葉使いからです。海軍では一人称を「私」と
云います。対象語は「貴方」です。 だから誰に使っても失礼はないのです。練習生は
中学校時代の延長で「僕」を使っていました。 「僕」の対象語は「君」で友人間や目下
の者にしか使ってはいけないと教わりました。

「貴様と俺」「君と僕」「貴方と私」確かにそうです。 だから、上級者や同僚など誰に
使っても無難な「私」を使うように指導されました。  辞書によれば「僕」とは、「男が
同等(以下)の相手に対して使う、砕けた自称」とありました。 また陸軍では、「自分」
と言っていたそうです。

次に、日常生活に必要な用語も口移しで沢山習いました。デッキとかテーブルはすぐ
に理解できます。 ところが、テーブルマッチ、食器マッチとなるともう分らなくなりま
す。次に内舷マッチとくれば面食らうだけです。 「マッチ」とは火を付ける道具のこと
ではないらしいのです。

食器マッチとは布巾のことです。 内舷マッチとは雑巾のことです。それならテーブル
マッチとはテーブルを拭く雑巾と解釈しました。ところが、テーブルクロスをこう呼んで
いました。

ウォシタップ(washtub)やチンケース(tin case)それにソーフ?。各デッキには大中小が
一組になった大きな桶が備えられていました。これをウォシタップと呼びます。それな
ら洗濯桶だと思いました。 ところが、洗濯には使われず、 朝夕の甲板掃除の際に、
ソーフや内舷マッチを濯ぐのに使用されました。

風呂をバスと呼ぶくらいは英語をかじっていれば理解できます。カワヤ? と云えば
一瞬迷います。 これは純粋の日本語なのです。洗濯ストップなる物品も支給されて
いました。ハンモック(釣床)は一般でも使います。

そもそも帝國海軍は、建軍当時イギリス海軍に範を求めました。だから、用語をその
まま使ったとしても不思議ではありません。 ところが、発音が日本式に訛って語源が
ハッキリしないのもあり苦労しました。

☆今日の一言☆  
勧学院の雀は蒙求を囀る 

イメージ 1

             広島の惨状。


昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/ 
   
        15-25、「神風」は吹かず

いよいよ復員の日がきました。復員証明書といくばくかの旅費を受け取り、思い出
深い「湖畔の宿」を後にし、堀之内駅から汽車に乗りました。私は、石井勝美兵曹
(長崎県壱岐郡出身)と一緒に帰ることにしました。汽車はすし詰めで、おまけに
鈍行です。乾パンなどの食糧は準備していましたが、最悪の旅となりました。

京都駅で途中下車し、石井兵曹の親戚宅に一泊することにしました。浜松、名古屋、
岐阜と焼け野原ばかり見てきた目には、数回の空襲を受け、相当数の死傷者を出し
たにしても、比較的被害の少なかった、古い京都の街のたたずまいは、妙に落ち着
いた雰囲気を醸していまし。

それにしても、街には店らしい店は開いていませんでした。八坂神社の前で氷屋が
一軒店を開けているのを見つけて、氷を一角買いました。蜜や砂糖など有るはずが
ありません。 オガ屑を拭きとり、タオルに包んで玉垣に打ち付けてカチ割りにしま
した。そして、石段に腰を降ろしてカリカリと噛みました。暮れなずむ京都の街並み
を眺めながら、物を食べる事で満ち足りた気分になり、戦争が終わった喜びをしみじ
みと感じました。

翌朝、しばらく親戚の家に滞在して、 様子をみると言う石井兵曹と別れて、今度は
一人で汽車に乗りました。広島駅で乗り換えのために下車したついでに、街に出て
被爆の様子を見て回わりました。「七十年間は草木も生えない!」と言われるように
一面瓦礫の山です。「体当たり攻撃」などでは太刀打ちできない化学兵器の破壊力
を、まざまざと見せ付けられた感じでした。

夕方下関駅に着きました。 故郷九州はもう目の前です。関門海峡を見渡すと、おび
ただしい数の沈没船が、マストや船体の一部を海面にさらしていました。この光景を
眺めながら、以前歴史の教科書でみた挿絵が頭に浮かびました。それは「弘安の役」
で、 博多湾に押し寄せてきた蒙古軍の大船団が、 「神風」に吹き寄せられて、折り
重なるようにして沈没する様子を描いたものです。

今眼前にみる情景が、本土上陸を目指して、関門海峡に押し寄せた敵の艦船群が、
「神風」によって壊滅した残骸であればとの願いが、一瞬脳裏を掠めました。しかし、
現実にはB29の投下した機雷による、わが方の被害でした。

われわれが、心密かに必ず吹くと期待していた「神風」は、ついに吹かなかったので
す。また、源平の昔、都を追われ壇之浦の合戦に敗れた平家の落人が、九州各地
の山奥深く隠れ住んだ故事を偲びながら、先行き不安な敗戦を、現実のものとして
認識させられました。またその反面、生きて再び故郷の土を踏むことのできる喜びを、
全身に感じていました。

☆孫子曰く☆  
水は地に因りて流れを制す 兵は敵に因りて勝を制す 

イメージ 1

               元寇絵巻。


昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/ 
   
        15-24、大東亜戦争終わり、用具収め!

日が経つにつれ、終戦の実状も次第に明らかになりました。軍隊は解体され帰郷で
きるとの話です。また一方では、日本全土は占領され、特攻隊の搭乗員は皆殺しに
されるという噂も流されていました。  まさかと思いながらも、 南北アメリカ大陸や、
フランス領印度支那やオランダ領印度など南方諸島に対する、 西欧列強の過去の
侵略の歴史を考えるとき、これを一概には否定できない真実味を帯びていました。

文永・弘安の役で、 対馬や壱岐それに鷹島の住民が、来襲した蒙古軍から受けた
ような残虐な仕打ちが、全国各地で再び行われるのだろうか。 また、白人に土地を
奪われ、騎兵隊に追い立てられて行くインディアンの悲哀を、映画ではなく、現実の
ものとして味わうことになるのだろうか。 厚木航空隊の「銀河」が撒いて行ったビラ
の内容も、将来の我が国の姿を暗示しているように思われて、不安は増すばかりで
した。

要務飛行などに必要な最小限の飛行機以外は、プロペラを外して並べられました。
機関銃その他の武器類も一ヵ所に集めて、種類ごとに整頓しました。昔映画でみた
忠臣蔵の、赤穂城明け渡しの場面を思い出させる状況でした。これを海軍式号令で
表現すれば、「大東亜戦争終わり、用具収め!」となるでしょう。

《任海軍上等飛行兵曹、依命予備役編入》という、帝国海軍から最後の辞令を受け
て復員が決まったのは、8月も終わりに近くなっていました。

持ち帰る最小限の品物を整理して、手荷物にまとめました。 そして、不要になった
所持品を焼却することにしました。大切にしていた「航空記録」その他も、皆に倣って
次々に燃やしました。 最後に、「御守袋」を胸のポケットから取り出しました。 過日、
父親が面会に来たとき戴いたものです。ちょっと拝む仕種をして火中に投じました。

その瞬間、いつの間にか中身の木札が真っ二つに割れているのが、指先の感触で
分かり、 慄然たる思いがしました。 これは、「御守札」が本人の身代わりになって
割れると言われていたからです。

☆今日の一言☆  
一樹の陰一河の流れも他生の縁 

イメージ 1

              陸海軍健在ナリ 。


昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/ 
   
        15-23、「銀河」檄文を撒く

当夜予定されていた夜間飛行訓練は中止されました。その夜は久し振りに酒盛りと
なりました。 取って置きの酒や缶詰などを持ち寄っての無礼講です。戦争に負けた
悔しさと、死から解放された嬉しさが同居した妙な雰囲気でした。

翌日から、先行き不透明で不安定な生活が始まりました。目的を失いぼう然自失し
ている時、厚木航空隊から「銀河」が飛来して、 《徹底抗戦》を訴える檄文を撒いて
行きました。これに呼応する意見もありましたが、賛同する者はいませんでした。

     陸海軍健在ナリ

 満ヲ持シテ醜敵ヲ待ツ 軍ヲ信頼シ我ニ続ケ
 今起タザレバ 何時ノ日栄エン
 死ヲ以テ 生ヲ求メヨ
 敗惨国ノ惨サハ 牛馬ノ生活ニ似タリ
 男子ハ奴隷 女子ハ悉ク娼婦タリ 之ヲ知レ
 神洲不滅 最後ノ決戦アルノミ
               厚木海軍航空隊


☆今日の一言☆  
一葉落ちて天下の秋を知る 


.
sen*i0*20
sen*i0*20
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事