|
橋本 守君 遺影。
昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/
15-6、神風特別攻撃隊「第8銀河隊」
昭和20年4月17日、出水基地の攻撃406飛行隊では前日の「第7銀河隊」に続
いて、「第8銀河隊」を編成しました。ところが出撃準備中に《空襲警報》が発令され、
全機空中退避が指示されました。後藤君は対馬から済州島上空まで飛び、もうよか
ろうと、見張りを厳重にしながら着陸しました。整備員の話によると空襲はB29では
なく、艦上機の来襲だったそうです。
この空襲で、 同期生橋本守2飛曹(福岡)は空中退避が間に合わなかったらしく、
地上で奮戦中に戦死しました。享年17歳。
翌18日、 攻撃406飛行隊は訓練基地として、鳥取県の美保基地に移動しました。
ここでは空襲の心配もなく、訓練に明け暮れていました。ところが5月8日、同じ基地
で訓練を行っていた、701空攻撃105飛行隊に着任して間もない、大分県出身の、
江嶋春生1飛曹が殉職しました。 彼は、美保基地の指揮所を目標に、彗星艦爆で
急降下爆撃の訓練中に、抵抗板不良のため操縦不能となり墜落したのです。
沖縄戦の激化にともない、九州南部の各基地はB29や艦載機による空襲が頻繁に
行われるようになりました。 そのため、美保基地に移動して錬成訓練を続けていた
攻撃406飛行隊に、沖縄周辺の敵艦船群に対する雷撃命令が下りました。
昭和20年5月17日、美保基地を離陸し一路出撃基地である宮崎へと移動しました。
ここで燃料と魚雷を搭載し、 準備万端の後藤1飛曹(5月1日進級)たちは、慶良間
列島付近に游弋する、敵艦船群に対し夜間雷撃を敢行するため勇躍基地を発進しま
した。
この攻撃で、敵夜間戦闘機の攻撃からは逃れることができたものの、猛烈なる対空
砲火にさらされ、偵察員佐藤正義1飛曹(神奈川)は機上で戦死しました。後藤1飛
曹も負傷しましたが、薩摩半島沖まで帰り着いて、枕崎の海岸に不時着して九死に
一生を得ることができました。
攻撃406飛行隊では、特攻作戦に参加して「体当たり攻撃」を敢行するのと並行し
て夜間雷撃をも実施していました。山村輝夫一飛曹(山口・18歳)は昭和20年6月
5日夕刻、沖縄周辺敵艦船に対する夜間雷撃の命を受け宮崎基地を発進しました。
偵察員関豊1飛曹、電信員福井弘1飛曹、 何れも甲飛12期生のペアでした。彼ら
は悪天候を突破し、 敵夜間戦闘機の追撃をかわして雷撃を敢行した様子でしたが、
以後消息を断ち、帰投時刻を過ぎてもついに帰還しませんでした。
引き続き6月25日、島津一達1飛曹(大分・17歳)が夜間雷撃のため、宮崎基地
を発進しました。 しかし、26日00;17以降交信が途絶え、 ついに未帰還となり
ました。 彼らも江藤君や岡田君らのあとを追うようにして、 沖縄の海に消え去った
のです。
☆亡き戦友の辞世☆
御國のため若輩なれど我征かむ 永久に報國の志はかたし 橋本 守
|