老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

15昔日を偲んで

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15-7、37期百里会

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            実用機教程卒業記念。


昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/ 
   
        15-7、37期百里会

昭和30年代になると戦後の混乱も少しずつ治まって、同期生の消息もだんだんと
判明してきました。そして、甲飛12期(3次)の戦没者慰霊祭及び同期生会が計画
され、地区持ち回りで盛大に実施されるようになりました。また航空隊ごとの会合
や機種別の集いなどがしばしば行われるようになり、旧交を温める機会が多くなり
ました。

この中に「37期百里会」と名付けた会があります。百里原空で艦上攻撃機の実用
機教程を一緒に受けた、飛練37期のクラス会です。定期的に会合して、戦没され
た教官、教員それに同期生のお墓参りや慰霊の行事などを行っています。

写真説明。
教官教員は殆どが特攻戦死。 †印戦没者。 (練習生はライフジャケットを着用)
最後列、  杉山・†田中・内田・上原・†佐伯・†石橋・寺門・†小林・吉田・今野    
3列目、  川崎・†江藤・島原・平原・†穂坂・梶山・田中・福迫・永末・†石川
2列目、酒井・平岡・†増子・†高尾・†春原・†横山・加藤・†桐畑・†吉池・†菅沢・藤井・出
前列、    †五十嵐・ 平野・ 橘・ 後藤・ †西森・ †中西・ †足立

百里原空37期飛行術練習生実施部隊配属先

210航空隊(明治基地)
艦攻隊(攻撃254飛行隊)
上原俊一・福迫満・石橋光男・田中一夫・穂坂信也(後931空へ)

艦攻隊(攻撃256飛行隊)
平岡健哉・石川繁・出直敏・島原芳高・酒井知通・小林毅

陸偵隊
藤井憲次・江藤光總・寺門静夫・佐伯與志男・川崎久次郎

903航空隊(館山基地)
近野信雄・吉田実・梶山功・内田美昭・永末千里

鈴鹿航空隊
横田啓二・杉山省治

大井航空隊
平原武則

百里原航空隊
濱崎隆夫(残留)
浅井勇三・中根良夫・石徹白郁夫(訓練中殉職)

☆亡き戦友の辞世☆  
咲く桜風にまかせて散りゆくも 己のみちぞ顧みはせじ   

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           橋本 守君 遺影。


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        15-6、神風特別攻撃隊「第8銀河隊」

昭和20年4月17日、出水基地の攻撃406飛行隊では前日の「第7銀河隊」に続
いて、「第8銀河隊」を編成しました。ところが出撃準備中に《空襲警報》が発令され、
全機空中退避が指示されました。後藤君は対馬から済州島上空まで飛び、もうよか
ろうと、見張りを厳重にしながら着陸しました。整備員の話によると空襲はB29では
なく、艦上機の来襲だったそうです。

この空襲で、 同期生橋本守2飛曹(福岡)は空中退避が間に合わなかったらしく、
地上で奮戦中に戦死しました。享年17歳。

翌18日、 攻撃406飛行隊は訓練基地として、鳥取県の美保基地に移動しました。
ここでは空襲の心配もなく、訓練に明け暮れていました。ところが5月8日、同じ基地
で訓練を行っていた、701空攻撃105飛行隊に着任して間もない、大分県出身の、
江嶋春生1飛曹が殉職しました。 彼は、美保基地の指揮所を目標に、彗星艦爆で
急降下爆撃の訓練中に、抵抗板不良のため操縦不能となり墜落したのです。

沖縄戦の激化にともない、九州南部の各基地はB29や艦載機による空襲が頻繁に
行われるようになりました。 そのため、美保基地に移動して錬成訓練を続けていた
攻撃406飛行隊に、沖縄周辺の敵艦船群に対する雷撃命令が下りました。

昭和20年5月17日、美保基地を離陸し一路出撃基地である宮崎へと移動しました。
ここで燃料と魚雷を搭載し、 準備万端の後藤1飛曹(5月1日進級)たちは、慶良間
列島付近に游弋する、敵艦船群に対し夜間雷撃を敢行するため勇躍基地を発進しま
した。

この攻撃で、敵夜間戦闘機の攻撃からは逃れることができたものの、猛烈なる対空
砲火にさらされ、偵察員佐藤正義1飛曹(神奈川)は機上で戦死しました。後藤1飛
曹も負傷しましたが、薩摩半島沖まで帰り着いて、枕崎の海岸に不時着して九死に
一生を得ることができました。

攻撃406飛行隊では、特攻作戦に参加して「体当たり攻撃」を敢行するのと並行し
て夜間雷撃をも実施していました。山村輝夫一飛曹(山口・18歳)は昭和20年6月
5日夕刻、沖縄周辺敵艦船に対する夜間雷撃の命を受け宮崎基地を発進しました。

偵察員関豊1飛曹、電信員福井弘1飛曹、 何れも甲飛12期生のペアでした。彼ら
は悪天候を突破し、 敵夜間戦闘機の追撃をかわして雷撃を敢行した様子でしたが、
以後消息を断ち、帰投時刻を過ぎてもついに帰還しませんでした。

引き続き6月25日、島津一達1飛曹(大分・17歳)が夜間雷撃のため、宮崎基地
を発進しました。 しかし、26日00;17以降交信が途絶え、 ついに未帰還となり
ました。 彼らも江藤君や岡田君らのあとを追うようにして、 沖縄の海に消え去った
のです。

☆亡き戦友の辞世☆  
御國のため若輩なれど我征かむ 永久に報國の志はかたし    橋本 守     

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            江藤賢助君遺影。


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        15-5、神風特別攻撃隊「第7銀河隊」

攻撃406飛行隊では「神風特別攻撃隊」が次々に編成されて出撃して征きました。
「第7銀河隊」には江藤賢助君(福岡・18歳) と岡田武教君(大分・17歳)が編入
されました。 昭和20年4月16日07:05、勇躍出水基地を発進した「第7銀河隊」
は、喜界島155度50浬の敵機動部隊に対し、 壮烈なる「体当たり攻撃」を敢行し
ました。

その前夜、出撃する彼らを囲んで、山村君や島津君などの同期生が一緒になって、
夜遅くまで別離の杯を交わしたそうです。 彼らは次の辞世を残して悠久の大義に
殉じました。

☆亡き戦友の辞世☆  

大君に召されし我が身国のため 起死回生の特攻たらむ  江藤 賢助

命下り楯にならむと我はゆく 祈る心は長閑な春を      岡田 武教
 

15-4、 梓特別攻撃隊

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           "梓特別攻撃隊"23号機ペア。


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        15-4、 梓特別攻撃隊

山村輝夫君や後藤義治君(旧海軍病院に戦傷療養中)は予科練で筆者と同じ22分隊
の5班で訓練を受けた仲です。彼らは谷田部空で中間練習機教程を終了し、実用機教
程は豊橋空で陸上攻撃機を専修しました。 飛練卒業後は762空攻撃406六飛行隊
(出水基地)所属となり、大分県出身の島津一達君などと一緒に赴任しました。

搭乗機は銀河です。ここで、宇佐空で艦上爆撃機の実用機教程を卒業した、古小路裕
君や江藤賢助君それに松木学君らと合流しました。またこの航空隊には、 偵察専修の
飛練を卒業した同期生、岡田武教君や山根三男君それに橋本守君などが所属してい
ました。

山村君は後藤君や島津君たちと、新造の銀河を受領するため、鹿屋基地に派遣され
ました。 そこで、ウルシー泊地攻撃に出撃する「梓特別攻撃隊」の、林栄一君(愛知・
19歳)や、葛佐直夫君(徳島・18歳)それに原田照和君(佐賀・18歳)らの同期生に
偶然行き合わせ、最後の言葉を交わしています。 彼らはそれぞれ次の辞世を残して、
従容と死地に赴きました。

写真左から(操)原田2飛曹・(電)葛佐2飛曹・(偵)松井飛長。

☆亡き戦友の辞世☆  

命下り振り返れば桜島 別れ惜しむか煙り棚引く         林  栄一

大君に召されしわが家誉れあれ 春きたらむと祈りつつ征く  葛佐 真夫

御国のため楯になりしか若桜 散りにし後に誰かおしまむ   原田 照和
 

15-3、 祖国を敵として

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           南新 保 1飛曹。


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        15-3、 祖国を敵として

南新保君(写真前列向かって左端)の波乱の人生を紹介します。彼は日系二世でした。
ご両親の勧めで来日し、 鹿児島県加治木中学(旧制)に学んでいました。 ところが、
大東亜戦争の勃発により彼の苦難の人生が始まったのです。ご両親との文通が断たれ、
お互いが消息不明の状態となったのです。

彼は、大和民族としての誇りに殉じようと、父母の国と戦うことを承知で、海軍甲種飛行
予科練習生を志願したのです。鹿児島航空隊から谷田部航空隊そして筑波航空隊と、
厳しい訓練を耐え抜いた彼は、零式戦闘機の搭乗員として戦闘に参加しました。しかし、
武運つたなく被弾不時着しました。でも、戦死だけは免れることができました。

その間の彼の胸中は複雑だったと思います。当時彼は日系二世であることをを秘して
いました。だからわれわれ同じ班に居た者も、戦後始めて知り得たのです。そのため、
人知れずに悩んだことも多々あったものと推察します。 戦争が終わっても、直ぐには
帰国することができず、悶々の日を送くりました。

それは、同じ日系二世でありながら、 ヨーロッパ戦線に派遣され抜群の戦功を挙げて
凱旋し、その栄誉を称えられたあの「二世部隊」とは違って、 彼の場合は祖国を相手
に戦ったからです。

そのため大変な苦労を重ねた様子です。紆余曲折を経て、ようやく帰国が叶い、現在
はホノルルで余生を送っています。幸運にも彼が戦死を免れた裏には、わが子の無事
を願うご両親の祈りが、国境を越えて通じていたものと思われます。

☆亡き戦友の辞世☆  
白雲の八重がき分けて突き進む 大和男児の雄雄しさよ 


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