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鹿児島空 第22分隊5班。
昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/
15-1、同班同期生の事績
この写真は、昭和18年11月3日の「明治節」に、鹿児島海軍航空隊で第22分隊
5班が、班長田島壮司2等整備兵曹を中心に撮ったものです。病気による次期編入
2名(是永・田中)を除き、25名が飛行術練習生を卒業して実施部隊へ巣立ちました。
最後列、 川頭・沢田・川崎・広友・深川
3列目、 笹見・山村・島原・是永・有働・田中
2列目、古田・中村・緒方・箕輪・柴田・寺門・永末・後藤・長浜
最前列、 南新・岸田・石橋・田島・鵜木・安田・松田
飛練の内訳は、戦闘機5名、艦上爆撃機1名、艦上攻撃機7名、陸上攻撃機9名、
水上機2名です。 戦没者は安田(前列向かって右から2人目) 石橋(同5人目)
岸田(同6人目) 箕輪(前から2列目右から6人目) 古田(同左端)山村(3列目
右から5人目) 広友(最後列右から2人目) の7名です。 前から2列目右から、
3人目永末(筆者)です。
昭和20年3月21日、石橋光男2飛曹(和歌山)は、東京湾において駆逐艦「矢風」
を標的として、編隊強襲雷撃訓練中、海面に激突して殉職しました。彼は、百里原空
の艦上攻撃機実用機教程まで、私と同じコースを進んだ仲です。卒業後は、131空
攻撃254飛行隊に所属して、天山艦攻による錬成訓練を実施していました。
安田卓郎2飛曹(広島)は筑波航空隊で戦闘機の実用機教程を終了しました。実施
部隊は、601空戦闘308飛行隊に所属し「神風特別攻撃隊第3御盾隊」に編入さ
れて、鹿児島県第1国分基地へ進出しました。 昭和20年4月11日、喜界島南方
海上の敵機動部隊に対して、 爆装零戦による 「体当たり攻撃」を敢行しました。
その功績は聯合艦隊告示第138号により、全軍に布告されました。
岸田善藤2飛曹(福岡)は安田2飛曹と同じく戦闘機を専修して、戦闘308飛行隊
に配属されました。昭和20年4月17日、敵機動部隊攻撃の制空隊の一員として
零戦に搭乗し、 第1国分基地発進。喜界島南東20浬において、敵機と交戦して
戦死しました。
古田稔1飛曹(愛知)は水上機専修で天草空で訓練を受けました。その後陸上機に
転換して、零式戦闘機の操縦訓練を受けました。 所属は721空戦闘301飛行隊
です。昭和20年5月14日、「神風特別攻撃隊第11建武隊」の一員として爆装零戦
に搭乗、種子島東方海上の敵機動部隊に対して「体当たり攻撃」を敢行し、悠久の
大義に殉じました。
5月26日には、 広友喜代志1飛曹(岡山)が沖縄本島の地上戦に巻き込まれ戦死
しました。 そして、6月13日には、 箕輪久和1飛曹(新潟)が彼の後を追うように
戦死しました。いずれも951空の所属で、小禄基地に派遣されていました。ところが、
アメリカ軍の攻撃により乗機が破壊され、 翼なき搭乗員となり陸戦隊に編入されて
奮闘中戦死したのです。
昭和20年6月5日、762空攻撃406飛行隊の、山村輝夫1飛曹(山口)は銀河に
搭乗して19:50宮崎基地を発進しました。 悪天候のなかを沖縄周辺の敵艦船に
対して、夜間肉薄雷撃を敢行しましたが、ついに未帰還となりました。
☆亡き戦友の辞世☆
桜咲き散りゆく花よおしみけむ つぎくる後世に咲き誇るかな
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