老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

16青春の回想

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              特攻機「白菊」。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
        16-99、改装しても所詮練習機です

ある日飛行場に出てみると、指揮所前に今までのオレンジ色から濃緑色に塗り替え
られた機体が置かれていました。 見ると、翼の付け根に黒光りする爆弾を搭載して
います。25番(250キロ爆弾)が2発です。

そして、 操縦席前面の計器盤の横に爆弾の投下杷柄のような物が取り付けられて
います。しかし、これを引っ張っても爆弾は落ちません。爆弾は投下器に固定された
ままです。 その代わりこの把柄を引くと、信管の安全装置である風車押さえが外れ
る仕掛けになっています。 風車押さえを外すことで、爆弾を飛行機に装着したまま
撃発状態にできるのです。 そして、体当たりの衝撃で爆発します。

爆弾は飛行機に積んだままでは破裂しなません。 それは信管に安全装置が施され
ているからです。信管の先端には風車が取り付けられていて、爆弾を投下するとこの
風車が風圧を受けて回転し、安全装置が解除される仕組みです。 そして着弾の衝撃
で爆発します。

信管の風車は、不用意に回転しないため、ピンで止められています。爆弾は飛行機
に搭載してから信管をねじ込みます。そして、風車が回転しないように、 風車押さえ
で固定してから、ピンを抜き取ります。

飛行中は風圧を受けても、 風車押さえで固定されているので風車は回転しません。
爆弾が投下されると、風車が回転し安全装置が解除されます。これで初めて、撃発
状態となり衝撃を受ければ爆発するのです。だから、風車押さえで固定されていれ
ば、 「特攻機」が体当たりしても、 信管の安全装置が働いて搭載した爆弾は破裂し
ません。そのため、機上で撃発状態にするのがこの把柄です。

後部席の中央に、零戦用の増槽(燃料タンク)を積み込み固縛しています。これで
燃料は700リットル近くも積載可能となります。だが、これらを合わせると、人員に
して10名程度余計に乗せるのと同じ重量が増加するのです。

こんな重量で、果たして離陸できるのでしょうか?  不安は増すばかりです。われ
われ搭乗員の思惑に関係なく、航続距離を延ばす手段や、爆弾を飛行機に積んだ
まま爆発させるための装置など、 特攻機としての改造は着々と進められていたの
でした。

だが、新鋭の実用機でも敵戦闘機の襲撃や、猛烈な対空砲火にさらされて、多数
の犠牲を出している現状で、果たして敵陣に到達できるのでしょうか。いくら改造し
たとはいっても、しょせん練習機に変わりはないのです。

☆今日の一言☆  
鳶に鷹雉に山鳥 
[AOZORANOHATENI] 

イメージ 1

             海軍葬に飾る写真。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-98、遺影作成とも知らずに

ある日飛行訓練も終わり、デッキで皆が雑談していました。すると当直下士官が、
「写真撮影をするから、 第一種軍装の上衣だけを着て、兵舎前に集合せよ!」
と、伝達しました。

「おい! 何の記念写真だ? 上衣だけとは変だなあー」
当時は現在のようにカメラが普及していません。だから、特別な事情でもないか
ぎり写真など写してもらえない時代でした。

「どうせ写真を撮ってくれるんなら、飛行服で写せばよいのになあー」
「当直下士、本当に一種軍装と言われたのか?」
「一種軍装だってかまわんよ。俺、今度外出したら写真屋に行く予定だったので
助かった、写真班の兵隊に航空食でもやって、焼き増ししてもらおう……」

過去の例からも、お仕着せで写真を撮ってもらったのは、 初飛行とか卒業記念な
ど特別な場合に限られていました。「特別攻撃隊」を編成したので、晴れ姿を家族
にでも送れというのだろうか……、 何となく華やいだ気持ちになり、 皆ニコニコと
談笑していました。

写真班の兵隊は、10名ずつを2列に並ばせて次々に写してゆきます。 何となく
楽しい気分です。すると、
「お前ら、いい気なもんだなあ……、それが何に使う写真か分かっているのか?」
と、遅れて出てきた先任下士官が口を出しました。

「……?」誰も答える者はいません。
「この写真はだなあー、お前らが戦死した時、引き伸ばして額に入れて、海軍葬の
祭壇に飾るんだぞー。家族に渡すのはその後だ」
今までの華やいでいた雰囲気が一変して、皆しゅーんとなってしまいました。

「死装束」にしろ「遺影」の作製にしろ、帝国海軍の手回しのよさには感心させられ
ました。 気づいてみれば、毛布で前後列の間を仕切り、後で一人一人に切り離せ
るように、細工をして撮影していたのです。

☆今日の一言☆  
馬鹿と気違いは避けて通せ 
[AOZORANOHATENI] 

16-97、特攻訓練開始

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             御前崎を基点として。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
        16-97、特攻訓練開始

特別攻撃隊が編成されると、早速「体当たり攻撃」の訓練が開始されました。「白菊」
での特攻は、初めから単機での出撃を想定していたのでしょう、編隊飛行の訓練は
一切なくて、単機ごとの航法・通信訓練が主体でした。 離陸して高度をとりながら、
御前崎に向かいます。 御前崎を基点として、 100浬ほど太平洋上に進出します。
次に側程30浬を飛んで帰投します。この三角航法訓練が連日続けられました。

また、付近を航行する艦船などがあれば、「御前崎からの方位○度○浬、進行方向
○○度○○ノット」とその位置や進行方向が示され、これを目標にした接敵攻撃の
訓練が実施されました。 各機ごとにチャート (航空図) に目標の位置を記入して、
飛行場からの方位と距離を計測します。 次に、 気象状況などを勘案して、接敵の
高度や方向、それに「体当たり」の要領など、事前に研究して攻撃に向かいます。

目標を発見すると低空接敵に移ります。海面での低空飛行は艦上攻撃機操縦員の
お家芸です。鹿島灘での雷撃訓練が大いに役立ちました。プロペラの風圧で、海面
に水しぶきが上がるほどの超低空飛行です。こうなると、高度計の針はマイナスを
指して役にはたたちません。

これは出発に際して、標高183メートルの飛行場をゼロメートルとして、高度計を
規正しているからです。 実際の高度は、 恐らく10メートル以下であったでしょう。
一瞬の油断が事故の原因となるので、飛行中は緊張の連続でした。

急降下のできない「白菊」では、超低空で敵艦に接近してそのまま体当たりするか、
2,000メートル程度で進撃して緩降下しながら接近して、 体当たりする方法が
考えられていました。

敵のレーダーを避けるため、低空で接近し、体当たりの効果を高めるため、直前
で急上昇して切り返す方法なども検討された様子でした。 だが、25番を両翼に
抱けば、 飛行性能から考えても、そのような器用な操作などできないことは分か
り切っていました。

そして、昼間での錬度が向上すると、次は、 夜間飛行に移行しました。「白菊」の
性能から、夜間以外に接敵できる可能性はないとの判断からでしょう。夜間飛行
は徹底的に実施されました。艦上攻撃機で夜間雷撃の訓練を実施するのであれ
ば、生還の可能性をかけて猛訓練にも耐えることができます。 だが、帰還を否定
されている「体当たり攻撃」に、何故これほどの訓練が必要なのだろうか。技術的
な問題よりも、精神的問題の解決こそ重要ではないかと痛感させられました。

☆今日の一言☆  
薄氷を踏むが如し 
 

16-96、帝国海軍の親心

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             特攻隊当時の写真。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
        16-96、帝国海軍の親心

われわれが飛行機に搭乗する場合は飛行服、飛行帽、飛行靴、ライフジャケット
を着用します。これらは、 航空隊ごとに装備されている貸与品です。個人ごとに
支給されている、軍服や軍帽などとは違い、転属の際に返納し、 次の航空隊で
再び貸与をうけるのです。

谷田部航空隊や百里原航空隊での飛行術練習生時代は、洗い晒らしの先輩の
お古が貸与されていました。飛練を卒業して903航空隊に赴任し、衣料倉庫で
受領した飛行服は毛皮のついた新品の冬服でした。これで、一人前の搭乗員と
して扱ってもらえるんだと、喜んで名前を記入していると、
「勝手に記名してはならぬ!」
と、甲板係の下士官から注意を受けました。

個人に支給されたり、貸与された品物に記名するのは、 帝国海軍の常識です。
不審に思っていると、新品の飛行服は、 体形の似通った古参の搭乗員に譲り、
そのお古を着るのが、仕来りだと教えられました。

せっかく貸与された新品の飛行服は、昼飯に帰ってきた、先輩の搭乗員に早速
召し上げられました。着古した感じではないが、その先輩のお古を頂戴すること
になりました。 田舎の農家の三男坊に育った私は、 学用品や遊び道具などは、
兄貴のお下がりを使用することもありましたが、衣服などは常に新しいものを着せ
てもらっていたので、不愉快な事件でした。

大井航空隊に着任して貸与された飛行服は、 今までのょうな上下ツナギの服と
違い、上着とズボンが別々に分かれた新しい型の新品でした。 903航空隊での
前例があるので、ここでも、 先輩のお古と交換させられるのではないかと思って、
しばらく記名せずに着用していました。

ところが、今度は誰からも注文はきませんでした。ここでは、もう一人前の搭乗員
として認められたのでしょう。 それとも、「死装束」 だけは新品を着せてやろうと
いう、帝国海軍の親心だったのかも知れません。

☆今日の一言☆  
人間萬事塞翁が馬 
[AOZORANOHATENI] 

16-95、全機特攻

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             第3中隊、第3小隊の勇士。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-95、全機特攻

噂話は現実となりました。アメリカ軍の沖縄侵攻が開始され、3月26六日「天1号
作戦」が発動されました。それと前後して、新編成した第10航空艦隊から参謀が
来訪し、飛行隊の搭乗員のみが映写講堂に集められました。

ここで、大井航空隊司令奈良大佐立ち会いのもとに聞かされたことは、一般国民
にはもとより、部内にも秘匿されていた重大機密でした。それは、ミッドウェー海戦
をはじめ、マリアナ海戦、レイテ沖海戦その他における、我が聯合艦隊の壊滅的な
被害でした。 即ち、戦闘に参加できる軍艦は、航空母艦はもとより、戦艦や巡洋艦
などを含めて、もう1隻も残っていないことを知らされたのです。

更に、通常の手段では挽回することのできない、我が軍とアメリカ軍との戦闘力の
差が説明されました。そのうえ、飛行機1機で敵の1艦を沈める「体当たり攻撃」だ
けが残された手段であると告げられました。そして、第10航空艦隊は保有全機で
「特別攻撃隊」を編成すると宣言したのです。いわゆる「白菊特攻隊」の誕生です。

私は第3中隊第3小隊に配置されました。分隊の所属は第13分隊に変わりました。
飛行隊長岩見少佐、第13分隊長 富松大尉、先任分隊士 西村中尉、先任下士官
藤田上飛曹です。

予科練同期の、工藤健一、伊藤昭二、八木亨、高崎秀、吉田実、藤原昌、平原武則、
島田義春も、 同じ第13分隊で生死を共にすることになりました。 903空から一緒
に転属し、金谷町で同じ家に下宿していた外村修は、 第12分隊の所属となりま
した。明日から、いよいよ「特攻訓練」が始まるのです。

ついに来るべき秋がきたのです。たとえ1パーセントの確率であっても、 生還する
ことが前提である雷撃や爆撃など通常の攻撃であれば、自分だけは絶対に生還
できると信じることで、精神的な不安を克服することができます。 戦死は結果で
あって、 目的ではないからです。 ところが、いくら命令だといっても、必ず死ぬと
分かっている  「体当たり攻撃」 に、 平静に出撃することが果たして可能なので
しょうか。

☆今日の一言☆  
野菊も咲く迄は只の草 
[AOZORANOHATENI] 

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