老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

16青春の回想

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16-134、陣中有閑

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            朝雲照代の舞台。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-134、陣中有閑

当時下士官は「半舷上陸」といって、人員の半数ずつが、夕食後から翌日の朝食ま
での間、外出を許可されていました。但し、当時は夜間飛行などで中止になることも
ありました。私は大井空に転属してから、同期の外村君と二人で、金谷の町に下宿
を持っていました。下宿を持たない者は、海仁会の集会所か旅館に宿泊することに
なります。

搭乗員は、天候による飛行作業との関係などで、朝食後から翌日の朝食までの間
外出を許可される場合がありました。このような場合、金谷は田舎町で遊ぶところが
無いので、浜松市や静岡市まで遠征して遊んでいました。

ある時、先任下士官を先頭に5〜6名の者が静岡市まで足を延ばしました。お目当
ては「朝雲照代」の舞台見物でした。舞台が跳ねてから、事前に予約していた旅館
に、彼女を招待しました。そのため、予め酒や缶詰それに「航空増加食」などを手分
けして持出していたのです。

当時は外出しても飲食店などは休業状態で、旅館も素泊りしかできない時代でした。
外出時の食事は、 予科練時代の弁当ではなくて乾パンなどが支給されていました。
また、われわれ搭乗員には「航空増加食」の他に「戦給品」と云って葡萄酒や缶詰な
どが特別に支給されていました。

宴たけなは、確か同期生の藤原君だったと思います。
「朝雲さんは、舞台で拝見するよりも、こうしてお近くで拝見するほうがお綺麗ですね」
と、お世辞を言いました。ところが朝雲照代嬢曰く、
「私は、今の姿を褒めて頂くよりも、舞台姿を褒めて貰った方が嬉しいですよ」
「貴方がたが、お国の為に命を懸けていますように、私は舞台に命を懸けています!」

☆今日の一言☆  
追従も世渡り  
 

16-133、死ぬための訓練

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            徳島航空隊の勇士。

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       16-133、死ぬための訓練

そして、再び死ぬための訓練が開始されました。先に沖縄周辺に出撃した、高知
航空隊や徳島航空隊の戦訓に基づき、 昼間の攻撃は不可能と判断されました。
だから、夜間攻撃の訓練に専念することになりました。

日暮れとともに「湖畔の宿」を出て飛行場に向かいます。そして、終夜特攻訓練を
行って夜明け前に、「湖畔の宿」に帰って就寝するのです。昼と夜とが入れ替えた
生活が始まりました。兵舎には窓に暗幕を張って暗くしています。作業などで止む
を得ず明るい場所に出る場合は、色眼鏡を着用するように申し渡されていました。
闇夜に慣れるための処置です。

ところが、昼間はなかなか熟睡できるものではありません。窓が小さいうえに暗幕
を張っているので、風通しが悪く蒸し暑いのがその原因です。 更に、死に対する
恐怖や生に対する未練など、 人生経験の浅い18歳の身には解決すべき問題が
あまりにも多く、ベッドに横になっても、いろいろな妄想が浮かんで、肉体的疲労と
は裏腹になかなか寝つかれませんでした。

また、度重なる敵機の来襲などにより、食事時間も不規則となり、睡眠時間も不足
がちでした。ある日朝昼晩と3食も続けて、豚汁が配食されました。主計科が残飯
で飼育していた豚が、 前日の空襲で被弾したそうで、思わぬ大御馳走にありつい
たのでした。

またある日の空襲で、烹炊所に爆弾が命中したため炊事が出来ず、乾パンと缶詰
しか配食されない事もありました。搭乗員には、特別に航空食などが支給されてい
たので、何とか喰いつなぐ事ができました。この時期、精神的にも肉体的にも、極限
の生活が続いたのです。

☆今日の一言☆  
棚から牡丹餅  
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16-132、運命の儚なさ

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            湖畔の宿。

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       16-132、運命の儚なさ

たび重なる空襲で、基地の建物は破壊され、兵舎などの施設は飛行場の外に分散さ
れていました。 飛行場のある牧之原台地を西に下り、堀之内へ通じる道路の南側に、
大きな農業用の溜池があります。その周辺の松林の陰に、小さなバラック兵舎が建て
られていました。 われわれはこれを、ある種の感慨をもって「湖畔の宿」と呼んでいま
した。

夕暮れに、水面に映る風景を眺めながら、遥かに故郷の山河を偲び。灯火管制され
た薄暗い裸電灯のもとで、肉親への手紙をしたためたり、トランプ占いやコックリさん
(占いの一種)のお告げに一喜一憂して、 明日の運命を模索する生活を続けていま
した。

限りある生命だから、一日一日を大切に生きなければと思いながらも、この明日に
希望の持てない、 その日暮らしの生活を、 当時流行していた高峰三枝子の歌う、
「湖畔の宿」の歌詞に重ね合わせて、己が運命の儚なさを思い、感傷に耽っていた
のです。

ランプ引き寄せ ふるさとへ
書いてまた消す 湖畔の便り
旅のこころの つれづれに
ひとり占う トランプの
青いクインの さびしさよ


☆今日の一句☆  
塔灼くるおのれの芯へ影ちぢめ  
[AOZORANOHATENI] 

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             空襲の被害。

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       16-131、再び大井航空隊ヘ

沖縄を占領したアメリカ軍は、次の作戦目標として、本土上陸を画策するはずです。
状況は更に逼迫してきた様子です。7月下旬、われわれが担当していた、偵察員に
対する錬成訓練は中止されました。そして、再び「特攻隊」の編成を命じられました。

急きょ大井航空隊へ帰還するため、身の周りの整理をしていると、空襲警報が発令
されました。B29による夜間爆撃です。飛行場に出て、いつでも退避できるようにと、
防空壕の端から空を見あげました。

すると、四日市の上空と思われる方向でB29の編隊から次々に投下される焼夷弾
が大空を彩っています。火花が滝のように降り注いでいます。怖いという感じよりも、
不謹慎ですが、打ち上げ花火のように美しいと形容したい光景でした。

悪夢のような一夜が明けました。 飛行場に直接被害はありませんでしたが、終夜
の空襲で寝不足です。 手荷物をまとめて、トラックに乗り亀山駅まで送ってもらら
いました。昨夜の空襲は、四日市だけではありませんでした。亀山の町も焼夷弾で
焼かれ、あちこちにまだ煙が上がっていました。また、道路の端に牛の死骸が放置
されたままで、地獄を思わせる風景でした。

汽車に乗り、四日市、名古屋、浜松と通過します。 窓から見えるのは、焼け野原と
なった町並みだけです。人影もほとんど見かけません。いよいよ最後の時が近づい
たことを肌に感じていました。 日ごろはふざけ合う仲間も、今日はお互いに口数も
少なく、表情には出さなけれど覚悟を決めている様子でした。

1ヵ月にわたる、鈴鹿基地での勤務を終わり、大井航空隊に帰ってみると、空虚で、
なんとなくガラーンとした感じです。 話によれば、第5航空艦隊に配属された高知
航空隊と徳島航空隊が、 沖縄周辺の敵艦船に対し 「体当たり攻撃」 を敢行して、
ほとんど全滅した様子です。

その穴埋めに大井航空隊で編成した、「八洲隊」の第1中隊は兵庫県の峯山基地
へ、第2中隊が愛媛県の石手基地へと、基地総員の盛大な見送りを受けて進出し、
第5航空艦隊の指揮下に入ったとのことです。残るは、われわれ第3中隊の30数
機だけとなったのです。いよいよ出撃の時が近づいたのです。沖縄を占領した敵は、
次はどこへ上陸してくるのでしょう。 九十九里浜か、それとも駿河湾か。いずれに
しても、その時こそ「八洲隊」の特攻出撃の時であり、死ぬ時期であると覚悟を決め
ました。

☆今日の一言☆  
二度あることは三度ある  
[AOZORANOHATENI] 

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             新鋭機「烈風」。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-130、戦闘機を選ぶべきでした

鈴鹿基地のエプロンには《キューン》と、独特な金属音を響かせる迎撃戦闘機「雷電」
が20機程度並べられていました。 ただし、 ここに戦闘機の飛行隊はありません。
これは、飛行場に隣接している工場で組み立てられた機体を、試験飛行して受領し、
関係の飛行隊に送り出しているのです。

同じように試験飛行をしている中に、見慣れないやや大型の機体が1機ありました。
最新鋭の戦闘機「烈風」です。 まだ試作機として2機だけしか組み立てられていな
いとの話でした。零式戦闘機の後継機として設計開発されたもので、優秀な性能を
持っている戦闘機とのことです。

これら新鋭機を見るたびに、谷田部航空隊での機種選定で戦闘機を希望しなかった
ことが、今ごろになって悔やまれてなりません。 やはり、戦闘機を選ぶべきでした。
実施部隊に出て、つくづくそう感じていました。

敵機の空襲がある度に、艦上攻撃機は空中でも地上でも逃げ回るばかりで、戦闘機
のように、華々しく空中戦を闘うことができないからです。 しかし、いまさらどうする
こともできません。戦闘機出身の受け持ち教員梶谷兵曹が、
「戦闘機の延長教育では、こんな生易しい罰直ではすまされぬぞー」
と、言ったことが私の進路を決定したのです。 もしあの一言がなくて、 予定どおり
戦闘機を希望しておれば、今ごろは、これらの新鋭機に乗って、空中戦に参加して
いるのにと思うと、残念でなりませんでした。

例え「特攻」を命じられたとしても、 夜間よたよたと飛ぶしか能の無い、「白菊」に
比較して、戦闘機による「特攻」は、見た目にも勇ましく、戦果も充分に期待できる
からです。

☆今日の一言☆  
後悔先のたたず  
[AOZORANOHATENI] 


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