老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

16青春の回想

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             蓮如上人の像。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-119、「地獄」に落ちるのでは
       
「特攻隊員」を命じられた場合、覚悟が決まるというか、決心がつくというのか、死に
対する気持ちの整理ができるのに、2〜3日かかるのが普通です。 中には1週間
程度も悩み続ける者もいます。そして、1週間が過ぎても、なお決心がつかなければ
脱落するしかありません。

では、特攻隊員はいかにして、死に対して自分の気持ちを整理し、覚悟を決めたの
でしょうか。 まず一般的に死を解決する要素として考えられるのは、宗教でしょう。
私の家は真宗の信者でした。子供のころから、仏壇に向かう母親の後で「正信偈」
その他のお経を読む程度の関心は持っていました。

また法要などで「夫レ人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ観ズルニ・・・」に始まる蓮如上人
の「白骨の御文章(おふみ)」に無常を感じたり、説教師の法話を聞いて感銘を受け
ることもありました。 しかし、いくら「極楽浄土」を信じていても、敵とはいえ「殺生」
に変わりはありません。 だから、「極楽」ではなく「地獄」に落ちるのではないのか。
などと考え始めると、ますます混乱します。

「そうだ! 狙うのは敵艦であって敵兵ではない!」そう心に決めることで、自らの
安らぎを求めるのでした。

当時の年齢や人生経験から、信心といっても程度が知れていました。それに比較し
て解決すべき問題が、あまりにも大き過ぎたのです。そのため、宗教によって死を
肯定する心境までには至らなかったのてす。

次に、 「悠久の大義に生きる」 という国家神道の教えです。 当時の精神教育は、
この一点に集約されていました。だが、前述の宗教と同じように、真にこれを理解
して、これで死を納得するまでには至りませんでした。

☆八洲隊の若桜☆  
敵に恨みのいざ体当たり 富士がほほ笑むこの朝だ  

16-118、死後の世界

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             閻魔大王。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/  
   
       16-118、死後の世界

今日は人の身明日はわが身、いつ出撃命令が出るか分からない状態で、更に死ぬ
ための訓練が続けられました。一度は死を決意したものの、夜半ふと目覚めて故郷
に思いを走らせることがあります。そして、まだ死にたくない、何とか生き延びる方法
はないものかと、生への執着に悩まされることも度々でした。

特攻隊が編成された当初は、皆一様に無口になり、決意を胸に秘めている様子でし
た。 ところが、日が経つにつれて、今度は以前にも増して快活になってきたのです。
皆それぞれ自分の死を納得したのでしょうか。 それとも、表面の快活さは、心中の
悩みを隠すための手段なのかも知れません。

心を許し合った同期生の間でも、 直接この問題に触れて話し合うことはありません
でした。 それは、他人の介在を許さない、自分自身で解決すべき問題だからです。
そうは言っても、 人生経験の浅い18歳の若者に、このような解答を出させるとは
非情です。

だが、内心の葛藤とは裏腹に、飛行機を操縦している時だけは、緊張のため雑念
も涌かず、死ぬための訓練でありながら、超低空飛行を行っても怖いというよりも、
むしろ爽快な気分を味わうことさえありました。

訓練は続き技量は上達しても、死に対する不安や恐怖は、消えるどころか益々強く
なってきます。この生への執着は、出撃命令を受けて最後の離陸の時までは、恐ら
く断ち切ることはできないであろうと感じていました。

だれでも、一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れません。しかし、理性的
に自分の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、
いかに大変なことであるか、経験しない者には想像もできないことでしょう。 日頃
大言壮語していた者が、 「特攻隊」の編成に際し、 仮病を使ってまで逃げ隠れした
事例からも判断できます。

見方を変えれば、あれが人間の正直な姿であったのかも知れません。当時のような
「全機特攻」の重苦しい雰囲気の中で、なお死から逃れようと努力する者には、それ
相当の勇気が必要であったと思われるからです。

他人の心を計り知ることはできません。 しかし、意識して皆との話の輪に加わって、
他愛ない話題に興じて、 無理に快活に振る舞っている自分の姿を彼らはどう見てい
るのでしょうか。彼らもまた私と同じような心理であったのかも知れません。皆と一緒
に談笑の輪の中にいながら、ふと脳裏を掠める不安に戦(おのの)く事も度々でした。

昼間は同僚との語らいで気を散らす事もできます。だが、夜中は自分だけの時間で
す。 眠れぬままに、古里の思い出に浸り、死後の未知の世界を想像することも再々
でした。 際限なく次々と頭に浮かぶ雑念を振り払いながら、 儚い人生につかの間の
安らぎを求めようと、 焦燥する日々がが続いたのです。

☆八洲隊の若桜☆  
八幡菩薩の旗風に 地獄の使者だ俺たちは  

16-117、期待はかけ難し

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             宇垣長官の「戦藻録」。

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       16-117、期待はかけ難し

第五航空艦隊司令長官宇垣纏中将は、「戦藻録」に当時の状況を次のように記して
います。

五月廿五日 金曜日 曇
沖縄周辺艦船攻撃機亦出発せるが、中には練習機白菊を混用す。
敵は八五節―九〇節の日本機駆逐艦を追ふと電話す。
幕僚の中には駆逐艦が八、九十節の日本機を追いかけたりと笑うものあり。

特攻隊として機材次第に欠乏し練習機を充当せざるべからずに至る。
夜間は兎も角昼間敵戦闘機に会して一たまりもなき情なき事なり。従って、
これが使用には余程制空を完うせざるべからず、数はあれ共之に大いなる期待は
かけ難し。

    ★
これが、「体当たり攻撃」を命令した宇垣長官の本音でしょう。練習機「白菊」までも
「特攻」に駆り出しておきながら、「数はあれ共之に大いなる期待はかけ難し」では、
必勝を信じ、わが身を捨てて国難に殉じた英霊は浮かばれません。

☆今日の一言☆  
鯊の針では鯛は釣れぬ  
[AOZORANOHATENI] 

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            「白菊」の列線。

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       16-116、「白菊隊」の敢闘 

「菊水白菊隊」の増田幸雄1飛曹は、 昭和20年5月27日19:10、 鹿屋基地を
発進し、嘉手納沖の敵艦船群に対して「体当たり攻撃」を敢行し、 祖国防衛の礎と
なりました。

宮崎県都城市に住む増田ミキさんのもとに、「白木の箱」が届いたのは、昭和21年
5月の始めであったといいます。 長男幸雄君が戦死してから、 すでに1年近くが
経過していました。箱の中には遺骨や遺品など何も入っていなかったそうです。

増田幸雄君は昭和18年8月、旧制都城中学校から予科練に入隊しました。予科練
卒業後は上海空に移って、偵察や通信などの技能を修得しました。昭和19年9月、
飛練卒業と同時に高知空に配属され、教員として後輩の指導に当たっていました。

明けて昭和20年3月、高知空は実施部隊に編成替えとなり、「特攻隊」が編成され
ました。 そして、練習機「白菊」を使っての特攻訓練が開始されました。 同年5月
20日、 作戦参加を命ぜられて鹿屋基地へ進出しました。

出撃命令を受けた、「菊水第1白菊隊」は5月27日夜半、鹿屋基地を離陸、沖縄の
空へ向け還らざる攻撃に飛び立つたのです。

出撃を前にして一時帰省を許された幸雄君は、「必ず敵を撃破してみせる。これが
最後の別れになるかも知れない」 そう話しながら母親ミキさんには元気な表情を
見せていたといいます。彼は昭和2年10月20日の生まれで、当時17歳でした。

防衛庁戦史室の資料によれば、川田茂中尉を指揮官とした「菊水第1白菊隊」は、
5月27日 18:48 から 19:37 の間に、20機が出撃しました。 そのうち12機が
「体当たり攻撃」を敢行して、悠久の大義に殉じました。

戦後の調査によると、駆逐艦ドレックスラーを撃沈、サウザード以下9隻の艦船に
損害を与えています。当夜出撃したのは、「菊水第1白菊隊」の白菊20機のみで
した。だから、すべて彼らの挙げた戦果に相違ありません。

☆八洲隊の若桜☆  
今日は門出の うれし泣き  
[AOZORANOHATENI] 

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             白木の箱。

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       16-115、むじ(可愛い)子じゃした

しょうちゅうとソウメンを遺影に供え、彼岸から迎えた。「あん子が生きちょれば、
六十八歳よ」。お盆の十四日、年老いた母親が小さな声でもらした。孫やひ孫を
連れて集まった子どもたちは、押し黙るしかなかった。
 
宮崎県都城市に住む増田ミキさん(八十九)のもとに、白木の箱が届いた。
一九四六年五月始め。長男幸雄さんの戦死の報から、すでに一年近く過ぎていた。
箱の中には、遺骨も遺品も何も入っていなかった。
「びんた(頭)ん良か、むじ(可愛い)子じゃした。今でん、夢を見もんど」

幸雄さんは旧制都城中学から予科練を経て、鹿屋基地の練習機「白菊」隊に入った。
偵察・通信技術を学んでいたところを、特攻に駆り出された。四五年五月二十七日、
沖縄の海に向けて二人乗り練習機で特攻出撃した。

出撃一週間ほど前に帰宅したとき、ミキさんに元気な表情を見せた。「必ず敵を撃滅
してみせる。これが最後の別れになるかもしれない」。十七歳の若い命だった。

練習機まで駆り出すことには当時、軍内部でも異論があった。鹿屋を指揮していた、
宇垣纏・第五航空艦隊司令長官は、幸雄さんたちに出撃を命じたときの日記に「斃れ
ても尚戦うのみ!」と書いている。戦争の「狂気」をだれも止めることはできなかった。

六年前に先だった夫との間に、ミキさんは幸雄さんら男四人と女四人をもうけた。
孫は五人、ひ孫も十五人に増えた。夫婦で米や野菜をつくり、牛馬を飼って生計を
立ててきた。今でも朝夕は、牛のエサを作ったりして体を動かしている。

三年ほど前から足腰が痛み、鹿屋市の特攻慰霊祭に参列しなかった。その代わりに
と今年四月初め、同居している三男の畜産業瞳さんに連れられ、改築された鹿屋航空
基地史料館を初めて見学した。特攻コーナーに飾ってある幸雄さんの遺影の前に立ち
「旧館の写真に比べ、こも(小さく)なっさね、写りがわるないもした」と残念がったという。

沖縄県糸満市に、宮崎県出身の戦死者の慰霊塔が建っている。元気なうちに一度、
沖縄の地を訪ねたい…… 。幸雄さんを失ったミキさんの慰霊の旅はまだ続く。

☆八洲隊の若桜☆  
同期の友に後れをとった 悔し涙も幾度か  
[AOZORANOHATENI] 


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