老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

16青春の回想

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             春木 茂 1飛曹。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-114、「白菊」最後の特攻

「白菊特攻隊」に編入され戦死した同期生は次のとおりです。

昭和20年5月27日、神風特別攻撃隊菊水白菊隊。  1飛曹 増田 幸雄(宮崎)
        鹿屋基地発進、嘉手納沖の敵艦船群に対し、「体当たり攻撃」を敢行。
                           (聯合艦隊告示156号)

昭和20年6月25日、神風特別攻撃隊菊水第3白菊隊。1飛曹 春木  茂(愛知)
        鹿屋基地発進、沖縄周辺の敵艦船群に対し、「体当たり攻撃」を敢行。
                           (聯合艦隊告示236号)

「白菊特攻隊」の殿を務めて散華された、春木1飛曹の出撃の模様を紹介致します。
すでに沖縄は玉砕し、基地では「いまさら特攻とは」という気分が蔓延していました。
だから、前日出撃した3機は全機引き返しています。

6月25日、「菊水第3白菊隊」は前日の3機を含め6機の出撃を予定していました。
19:00から19:30までに3機が発進しました。ところが、この日も全機が引き返して
きました。春木機は油漏れのため止むを得ず引き返したのです。整備兵を督励して
修理を急がせました。

「次の機会を待て、もう出なくてもよい!」
そう言う隊長の制止を振り切って、 春木1飛曹は単機で離陸し、南の空へ消え去り
ました。

6月26日00:18、「ワレ今ヨリ突入ス ユタ ユタ ユタ 」との、 春木機からの電信
を受信しました。 この電文は、 「我今ヨリ、輸送船ニ体当タリスル」という略語です。
この電信を発信したのは、彼のペアである甲飛13期出身の岩下武2飛曹でした。

春木1飛曹は予科練では同じ分隊で、隣の6班に所属していました。 正義感が強く、
責任感も旺盛でその行動は積極的でした。分隊対抗や班対抗の競技などを実施す
る場合、纏め役の中心で、存在感のある人物でした。その彼が、「白菊特攻隊」最後
の指揮官としてその名を残したのも、偶然とは思われないものがあります。

       *
零式戦闘機     631機
99式艦爆      135機
練習機白菊     130機
彗星艦爆      122機
爆撃機銀河     100機
97式艦攻       95機
水上偵察機      75機
1式陸攻(桜花)    54機
天山艦攻       39機
96式艦爆       12機
 合 計     1,393機

以上は、昭和20年4月から6月までの間に、沖縄方面の作戦に「特攻機」として出撃
した、機種別の機数です。零式戦闘機は別格として、 練習機である「白菊」が実用機
に伍して、いかに数多く、 特攻作戦に使用されたかを知ることができます。

昭和20年6月25日、 春木1飛曹の所属する「菊水第3白菊隊」は鹿屋基地を発進、
沖縄周辺の敵艦船群に対し 「体当たり攻撃」 を敢行しました。 そして、 この出撃を
最後に、「白菊」による沖縄方面への「特攻作戦」は中止されました。


☆八洲隊の若桜☆  
あゝ南海や北冥に 手柄残して散華した  
[AOZORANOHATENI] 

16-113、大空の彼方へ

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             徳島空の「白菊」。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-113、大空の彼方へ

(菊水7号作戦)
昭和20年5月24日        
菊水白菊隊    (高知空) 中 尉 野田 勉 20機   8機16名 鹿屋
徳島第1白菊隊 (徳島空) 少 尉 須田 治 14機 11機22名 串良

昭和20年5月25日
菊水白菊隊   (高知空) 1飛曹 坂本俊実 15機  1機 2名 鹿屋

(菊水8号作戦)
昭和20年5月27日
菊水白菊隊   (高知空) 中 尉 川田 茂  20機  9機18名 鹿屋

昭和20年5月28日                                
徳島第2白菊隊 (徳島空) 中 尉 田中正喜 16機  7機14名 串良

昭和20年5月29日
徳島第3白菊隊 (徳島空) 1飛曹 北 光圓 15機  4機 7名 串良

(菊水9号作戦)
昭和20年6月21日
徳島第4白菊隊 (徳島空) 中 尉 井上國平  8機  3機 6名 串良
菊水第2白菊隊 (高知空) 同    古賀一義  8機  5機10名 鹿屋

(菊水10号作戦)
昭和20年6月25日
徳島第5白菊隊 (徳島空) 少 尉 三浦猛輝  8機  5機10名 串良

昭和20年6月26日
菊水第3白菊隊 (高知空) 1飛曹 春木 茂   6機  1機  2名 鹿屋

以上は出撃月日・指揮官・出撃機数・突入確実と認められた機数及び特攻戦死と認めら
れ聯合艦隊告示により全軍に布告された人数です。(防衛研究所資料)

徳島航空隊61機、高知航空隊69機、 合計130機が出撃し、56機110名が特攻戦死
と認められました。このように、6月25日の「菊水10号作戦」までに、130機の「白菊」
が出撃し、 多数の尊い命が「白菊」と共に大空の彼方へ消え去ったのです。

☆八洲隊の若桜☆  
一機命中 轟沈だ 
[AOZORANOHATENI] 

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            徳島空「白菊隊」の勇士。

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        16-112、「白菊特攻隊」出陣
       
昭和20年3月、練習航空隊から実施部隊に改編された第13聯合航空隊は、第10
航空艦隊の命により「白菊」による「神風特別攻撃隊」を編成しました。 高知航空隊
(菊水白菊隊) 徳島航空隊(徳島白菊隊) ・ 鈴鹿航空隊(若菊隊) ・ 大井航空隊
(八洲隊)です。これが世にいう「白菊特攻隊」です。

編成を完了した各航空隊は、 離陸発進・接敵・攻撃(体当たり)などの訓練を、昼夜
にわたって実施しました。 そして、着々とその錬度を向上していきました。夜間出撃
が可能となった「白菊特攻隊」は、5月20日、 聯合艦隊の命を受け、第3航空艦隊
及び第5航空艦隊にそれぞれ配属され、ついに「菊水作戦」と呼ばれた「特攻作戦」
に参加することになりました。

関東方面に備える第3航空艦隊に配属された、大井航空隊(八洲隊)と鈴鹿航空隊
(若菊隊)は、「特攻待機」の状態で更に訓練を続行することにりました。 九州及び
沖縄方面に備える第5航空艦隊隷下の、第12航空戦隊に配属された高知航空隊
(菊水白菊隊)は鹿屋基地へ、徳島航空隊(徳島白菊隊)は串良基地へとそれぞれ
の作戦基地へ進出展開しました。

そして、5月24日の「菊水7号作戦」が開始されるや、 勇躍基地を飛び立って沖縄
周辺の敵艦船群に対して「体当たり攻撃」を敢行したのです。「白菊」の速力は最大
でも120ノットと極端に遅く、 爆弾を積めば100ノットそこそこでした。だから、昼間
の攻撃は不可能と判断され、夜明け前に突入する戦法がとられました。 そのため、
基地を発進したのはすべて夜半でした。(私の調査した資料によると、夜間に発進し
た「特攻機」は白菊と水上偵察機のみです)

☆八洲隊の若桜☆  
笑って散った勲に続き 征くぞ俺らも体当たり 
[AOZORANOHATENI] 

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            機上作業練習機「白菊」。

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        16-111、「白菊特攻隊」誕生

昭和20年3月1日、海軍では本土決戦に備えるため航空部隊の編制改正を実施し
ました。 特筆すべきは、搭乗員の養成を中止して、練習航空隊を実施部隊に改編し
たことです。 そして、 今まで教務飛行に使っていた練習機を「特攻機」に改造して、
教育訓練を担当していた教官や教員を中心に「特攻隊」を編成し、「体当たり攻撃」
を命じたことです。

同じ練習航空隊でも、戦闘機や艦攻それに艦爆など実用機を使用して訓練を行って
いた航空隊では、機体は少々古くても本来その目的で造られた飛行機だから、その
まま実戦にも対応することができます。 しかし、 赤トンボと呼ばれた中間練習機や
偵察員を養成する機上作業練習機まで狩り出すとは狂気の沙汰です。

この改編で、偵察員の養成を担当していた鈴鹿空・大井空・徳島空それに高知空で
は、機上作業練習機「白菊」による「特攻隊」を編成しました。いわゆる「白菊特攻隊」
です。

「白菊」 に250瓩爆弾2発を搭載するように改造して編成した、 「白菊特攻隊」 は、
夜間攻撃を主眼として猛訓練を開始しました。それは、爆弾2発を搭載すれば最高
速力が90ノットしか出せない「白菊」では、昼間の出撃は不可能と判断されたから
です。

そして、猛訓練により夜間出撃が可能となった5月20日、 聯合艦隊の命令により
実戦配備につきました。 関東方面に備える第3航空艦隊には「若菊隊」(鈴鹿空)と
「八洲隊」(大井空)が配属され、「特攻待機」の状態で更に訓練を続けることになりま
した。

また、九州及び沖縄方面に対処する、 第5航空艦隊に配属された、「徳島白菊隊」
(徳島空)は串良基地へ進出、同じく「菊水白菊隊」(高知空)は鹿屋基地へ進出して、
ともに出撃準備を完了しました。

そして、 5月24日の「菊水7号作戦」を皮切りに、6月25日の「菊水10号作戦」に
至るまでの間、118機の「白菊」が「体当たり攻撃」を敢行し、 230余名の尊い命が
失われたのです。高知空で編成した「菊水白菊隊」には、 同期生増田幸雄君(宮崎・
17歳)と春木茂君(愛知・19歳)が所属し、帰らざる攻撃に飛び立ったのです。

☆八洲隊の若桜☆  
あの教官もあの友も 神風隊の若桜 
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            入団当時の青木兵曹。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-110、時を同じくして戦死

長兄の戦死公報では、昭和19年10月26日戦死となっています。 恐らく大彰丸
沈没の際に死亡したものと認定して、戦死公報が出されたものと推察しています。
ラボック湾での生存者の中には含まれていなかったのです。 比較的早い時期に
戦死公報が出されたのも、そのためであろうと想像します。

この時期、長兄の親友青木1飛曹も戦死しました。2座水偵から陸上機へ転換に
より、戦闘機の操縦員となった青木1飛曹は、昭和19年10月13日、零式戦闘機
に搭乗して南西諸島上空において、来襲した敵艦上機と交戦して壮烈なる戦死を
遂げられました。享年25歳、私の長兄に先立つこと13日でした。

青木二三氏と長兄は、入隊前同じ職場で働いていた関係で、生前よく一緒に遊ん
で友情を深め合っていました。
「人生50年、ただし軍人は半分の25年だ!」 とは2人のよく口にした言葉でした。
奇しくも25歳で、時を同じくして戦死したのも、何らかの因縁でしょう。

☆今日の一言☆  
花は桜木人は武士 
[AOZORANOHATENI] 


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