老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

16青春の回想

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             大彰丸。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-109、第127飛行場大隊
    
戦後私が調査した資料では、長兄の所属部隊の行動概要は次のとおりです。

昭和19年4月 西部第100部隊(太刀洗)に召集入隊。

同 5月27日 第5航空教育隊(太刀洗)内で、第127飛行場大隊編成。
          隊長楠田武治大尉以下403名。
同 5月31日 第4飛行師団より第14方面軍隷下に入り比島派遣を命ぜらる。
         編成完結式及び出陣式を挙行。                             

同 6月 6日 乗船予定が変更され、太刀洗にて待機。

同 9月17日 午前8時、太刀洗駅を出発。
同 9月18日 午後2時、門司港着。乗船待ちのため旅館や民家に分宿。

同10月 7日 大彰丸 (大阪商船・6,886総トン) に乗船(乗船総人員約3,000名)。
同10月 8日 門司港出港。敵機動部隊台湾沖に来襲の情報により伊万里湾に退避仮泊。
同10月16日 伊万里湾を出港。五島列島付近で船団編成(モマ05船団)。
         輸送船12隻・護衛艦6隻。

同10月24日 台湾の高雄に入港。水及び食料を搭載して、即日出港。
同10月26日 船団は午前3時56分、アメリカ潜水艦アイスフイッシュ(SS367)及び
         ドラム(SS228)の雷撃を受ける。
         午前5時、大彰丸沈没。沈没地点バリタン海峡カラヤン島西方40キロ。
         船団被害、沈没3隻 (大彰丸・大博丸・泰洋丸)。人員の約半数が救助され、
         ラボック湾で他船に分乗。

同10月31日 コレヒドール島沖で潜水艦の雷撃により2隻沈没。空襲により2隻沈没。
同11月 1日 マニラに上陸(マニラ到着6隻)。
         第127飛行場大隊の生存者は約200名。(約半数が海没戦死)
         大隊は、リパー東飛行場に展開。以後ルソン島各地を転戦、昭和20年
         3月5日人員を消耗して解隊、他の部隊に統合された。編成当初からの
         隊員は殆ど全員が戦死、終戦後復員した者は数名に過ぎない。

☆今日の一言☆  
月に群雲花に風 
[AOZORANOHATENI] 

16-108、お盆に帰れる

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             故郷の山並み。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-108、お盆に帰れる
       
昭和19年10月初旬のことでした。出征した長兄が船待ちのため門司港の旅館に
分宿しているとの情報を人伝えに聞き付けて、母親が末の姉を連れて面会に行き
ました。運よく旅館を探し当て、面談することができました。翌日今度は父親が旅館
を訪れました。 だが、部隊は既に乗船して出港した後で、会うことはできませんで
した。

父親は長兄との最後の面会ができなかったことを、 心残りにしていたと思われます。
だから私のハガキを見て、この機会を逃したら永遠に会えないと判断して遠路はる
ばる面会に来たのでしょう。 そして、去り行く私の後ろ姿に長兄の面影を重ね合わ
せて、今生の別れと見送っていたに違いありません。

私が父親に出したハガキには、「今年のお盆には帰れるでしょう」と書いていました。
父親は「お盆に帰れる」という意味を悟って、遠路はるばる面会に来たのでした。

☆今日の一言☆  
出家の念仏嫌い 
[AOZORANOHATENI] 

16-107、親子の絆

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            写真の裏に拙い一首。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-107、親子の絆

その夜は久し振りに、親子が水入らずで過ごしました。 故郷の様子も聞きました。
だが誰々に召集令状がきたとか、海軍に志願していた本家の次男が、南洋方面
で戦死したとの公報が届いたとか、明るい話題ではありませんでした。

私は「特攻隊」に編入されたことについては、意識して話しませんでした。いまさら
話しても、詮なき事だからです。父親も自分からその話を聞き出そうとはしなませ
んでした。お互い死ぬ前に、一目会えただけで満足でした。

父親はお米などの食糧を、リュックサックに一杯詰めて持ってきていました。それ
を下宿で炊いて貰っていました。また、ここのお茶はおいしいと言いながら何杯も
お代わりをしていました。 そして、残りの米を下宿に渡して、お茶と交換して帰る
と言っていました。 私に会うのに、 何日かかるか分からないので、数日分の食糧
を用意してきたらしいのです。

ここ牧之原はお茶処です。そして、私の下宿はお茶問屋でした。最初にお伺いした
時に出されたお茶を戴いて、「お茶とは、こんなにおいしいものであったか……」と、
感心しました。われわれは、日ごろ番茶ばかり飲まされていたので、本当のお茶の
味など知らなかったのです。

朝になって、 特攻隊編成に際して第3中隊第3小隊の仲間と写った写真を持ち出
していたのを父親に渡しました。 昨夜渡してもよかったのですが、裏に余計なこと
を書いていたので、父親が気にしても困ると思い、渡すのをためらっていたのです。
その写真の裏面には、

   火柱と 共に消えゆく命なれど
     神風吹かして 八洲護らむ
           八洲隊 永 末 千 里
 

と、拙い一首を遺書代わりにしたためていました。

下宿の前で別れるとき、父親から「成田山の御守袋」を渡されました。「特攻隊員」
に編入され、生還を望めなくなっている者に、いつ迄も無事にいて欲しいとの願い
を込めて、「御守袋」を持たせる親心に、胸中込み上げるものがありました。

これが最後となるであろう親子の対面も終わりました。 そして、後ろ髪を引かれる
思いで飛行場へ向かいました。恐らく父親も、今生の別れとの思いを込めて、私の
後ろ姿を複雑な思いで見送っていたのではないでしょうか。

☆今日の一言☆  
鷹は飢えても穂をつまず 
[AOZORANOHATENI] 

16-106、父親の苦労

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            金谷町の下宿付近。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/ 
     
       16-106、父親の苦労

下宿に着いてから、話の合間にそれとなく面会を申し込んだ時の状況を父親に尋ね
ました。それによると、私が大井航空隊に転属してから最初に第14分隊から出した、
検閲済みのハガキを見せて面会を申し入れたそうです。 ところが、 特攻隊編成に
よって、第14分隊はなくなっていると言われたそうです。氏名と飛行兵というだけで
階級も分からない(伍長・軍曹など陸軍の階級と違って海軍の階級にはなじみが薄
い)。仕方なく何らかの手がかりになればと思って、例のハガキを提出したそうです。

特攻隊編成に際して、飛行隊は第11分隊(第1中隊)第12分隊(第2中隊)第13
分隊(第3中隊)に再編成されました。そして、特攻隊に編入されなかった搭乗員は、
練習生分隊などに配属され、飛行隊からは第14分隊がなくなっていたのです。

衛兵伍長は、飛行兵というだけで、所属も階級も分からない者を、飛行隊員か、それ
とも練習生分隊か、と探さねばならなかったのです。 飛行訓練を中断して、掩体壕
作業や機銃陣地に配置されている、39期や40期の飛行術練習生も飛行兵に変わ
りはありません。
だから、大井航空隊には飛行兵と名のつく者が、数百人もいたのです。衛兵伍長に
もとんだ苦労をかけたわけでした。

私はうかつにも、 父親が面会に来るなど夢にも思わず、第13分隊に編成替えに
なってからは、例のハガキを出しただけで、 隊内から正式に検閲を受けた手紙類
は一切出していませんでした。 だから、正に身から出た錆です。衛兵伍長は例の
ハガキの文面から、「特攻隊員」であると見当をつけ、飛行隊の各分隊に問い合わ
せて探し当てたのでしょう。

☆今日の一言☆  
身から出た錆 

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           先任下士官藤田上飛曹。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri 
     
       16-105、先任下士官の温情


飛行訓練は、午前中に終了していたので、治療というより気分を静めるため、医務室
で時間を潰すことにしました。 ベッドで横になりながら、なぜあのハガキの件が副直
将校の耳にまで入ったのか考えてみました。

恐らく実直な父親のことだから、あのハガキをそのまま衛兵伍長に見せて、私の所属
を探してもらったのに違いありません。 私の父親は軍隊経験がありません。 だから、
検閲印がなく航空隊以外の住所から出されたハガキに疑問を持たなかったのです。

夕方デッキに帰りましたが、食事をする気にもなれず、ぼんやりしていると、
「おーい、先任下士が呼んでいるぞー」
と、同僚が告げに来ました。また文句の一つも言われるのかと思って事務室に行きま
した。
「こらっ! 何をぐずぐずしてる……、 親父が待ってるんだろう、早く上陸せんか!」
そう言って、上陸札を渡してくれました。

規律違反として「外出止め」を喰らうだろうと覚悟をしていましたので、 暗くなったら
脱柵(無断で外出すること)でもしょうと考えていた矢先でした。だから、先任下士官
の心使に感謝しました。

当時下士官は 「半舷上陸」 といって、 半数ずつが夕食後から翌日の朝食までの間、
外出が許可されていました。ところが、町まで遠いのと遊ぶ場所も少ないので、平日
はあまり外出する者はいませんでした。 その代わり、日曜日などは浜松市や静岡市
まで遠出して遊んでいました。だが、今日は違います。早速有り合わせの酒や、果物
の缶詰などを持って飛び出しました。

副直将校が、先任下士官ぐらい物分かりがよければと思う半面、殴られただけです
んだのだから、不幸中の幸いであったと思い直しました。下手をすると「外出止め」
を喰らい今夜もまた、 せっかく遠くから出て来た父親に逢えなかったかも知れない
と思いながら、金谷町の下宿へと急ぎました。

☆今日の一言☆  
六日の菖蒲十日の菊 
[AOZORANOHATENI] 


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