老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

16青春の回想

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            医務室で憩う。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/
      
        16-104、看護科の兵隊ですら

事務室に行って先任下士官に、
「先任、 すみませんでした、ちょっと医務室に行ってきます」
そう謝まって、医務室に治療に行きました。まだ午後の診療が始まる前だった
ので、廊下の長椅子に腰かけて待っていました。

すると、通りかかった看護科の兵長が、練習生とでも勘違いしたのでしょう、
「おい、ひどくやられたなあ……、どこの分隊だ?」と、
下級者に対する応対です。癪に障ったが、怒る気にもなれず無視していました。
 
ところが、その兵長が「八洲隊・永末」と書いた胸の名札でも見たのか、飛行隊
の搭乗員と気づいたらしく、急に態度を改めて、
「こちらに来ませんかー」
そう言って、奥の方へ誘いました。 ついて行くと、予備の病室らしく、空のベッド
が数個並べられた小部屋がありました。

「ここで休んでください、軍医官もたいした処置はできないと思いますから……」
そう言って、枕と毛布を出してくれました。横になっていると今度は氷嚢を持って
きて、
「これで冷やしてください……」 と、
言います。看護科の兵隊ですら「特攻隊員」と知って、これだけ気を使ってくれる
のです。

それなのに、副直将校の制裁は酷過ぎます。 ハガキの内容は読めば分かるよ
うに、軍の機密など書いてはいません。 ただ、お別れの時期が近づいたことを、
それとなく父親に伝えただけです。それが、そんなに悪い事なのでしょうか。

あの副直将校は飛行隊では見かけない顔です。だが、飛行隊のデッキに来てま
で文句を言うところをみると、搭乗員には違いないでしょう。恐らく練習生分隊の
分隊士でしょう。

本来なら、順序を経て私の所属する分隊士か分隊長に、事情を通報して注意さ
せるのが筋というものです。飛行隊の所属でもく、 直接の指揮系統もないのに、
国のために命を捧げる決心をした 「特攻隊員」を殴るとは、 搭乗員の風上にも
置けない奴です。無性に腹がたちました。

☆今日の一言☆  
情けは人の為ならず 
 

16-103、副直将校の制裁

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            大井航空隊正門跡。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/
      
        16-103、副直将校の制裁

デッキに帰り、昼飯をすませて皆と雑談していました。 すると、副直将校が来て
全員に整列をかけました。何事かと思っていると、
「貴様らの中に、 検閲を受けずに隊の外からハガキを出した不心得者がいる」
と、文句を並べ始めました。
「しまったー!」 「これは俺のことだ!」

一通り文句が終わると、皆の前に引っ張り出されました。
「足を開け、歯を食いしばれ!」
早速型どおりの制裁が始まりまし。 しばらくは我慢していましたが、 あまり殴られ
ても馬鹿らしいと思って、わざとぶっ倒れて恭順の意を表しました。これで制裁は
終わり、副直将校が立ち去りました。

「なんだーあの野郎、飛行隊では見かけん顔だが、他所のデッキにまで来て殴る
とはけしからん話だ、うちの分隊士に連絡して注意させれば済むことだ」
「そーだよ、自分たちは検閲なしで手紙を出してるくせに、下士官や兵隊ばかりを
苛めやがって……」

(海軍では、士官にはその人格を認め、文通など自主的判断に任されていました。
だから、遺書や遺稿など、 下士官兵に比較して多数残されています。)

「特攻隊から外れた奴らは、いつ死ぬか分からん俺たちの気持ちを、少しは考えた
ことあるのか……」
「俺たちだって人間だ、 死ぬ前に親に会ってなにが悪い。 立派に死んでやるから、
つべこべ文句を言うな!」
「おい永末、気にするな、気にするな……」      

気にするなと言われても、殴られた後ではどう仕様もありません。 頬は腫れあがり
口中から出血しています。同情して慰めてくれる皆の気持ちはありがたいのですが、
非はこちらにあります。 ところが、皆の話を聞いていると、  他にも検閲を受けずに
外から手紙を出している者がいる様子でした。露見した私が不運ということです。

☆今日の一言☆  
虎の威を借る狐 
[AOZORANOHATENI] 

16-102、父親が面会に

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            先任分隊士西村中尉。

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        16-102、父親が面会に

特別攻撃隊の編成は、軍の機密事項です。だから、その事を手紙などに書くことは
許されませんでした。軍隊では機密保持のため、われわれ下士官兵が出すハガキ
や手紙類は、すべて分隊士に提出して検閲を受けることになっていました。 だから、
日ごろ家族に出す手紙類は、元気で勤務しているから安心するようにとの、簡単な
内容でした。

ところが、「特別攻撃隊」が編成され死を意識すれば、両親に対して、今生の別れを
告げたいと思うのは人情でしょう。また、死の瀬戸際に立って、最後の気持ちを伝え
たいという切実な願いもありました。切羽詰まって、ついに規則を無視することにしま
した。 他人に読まれても気づかれないように、それとなく最期を仄めかすような文面
のハガキを、金谷町の下宿の住所を使って父親宛に出しました。

現在では想像もできないことですが、その当時の一般家庭には電話などありません
でした。だから、ハガキか手紙を出すのが一般的な通信手段でした。そして急ぎの
場合には電報に頼るしか方法がなかった時代です。

ある日、航法訓練から帰り地上指揮官に報告を終わって待機室に入ろうとしていま
すと、
「面会人が来ているから、正門の面会所に行け」
と、西村分隊士から告げられました。更に、理由は分からないが、
「飛行服は脱いで行け」
との指示がありました。

面会人て誰だろう?  近くに知り合いもいないのにと、不審に思いながら衛兵詰所
に行きました。衛兵伍長に届けて面会所に入ると、意外にも父親が待っていました。
例のハガキを見て、金田駅の助役に頼み込んで切符を都合してもらい、三日がかり
で来たとのことでした。

当時は、特別の理由がなければ長距離の切符は手に入らなかった時代です。たま
たま父親の従兄弟が、郷里金田駅の助役として勤務していたのが幸いしました。

昨日、金谷町の下宿を探し当てて待っていたが、外出して来なかったので、下宿の
人に飛行場の場所を聞いて、朝早くから来ていたとの話です。衛兵所で面会を申し
込んだが、 「ただ今、飛行訓練中である」と言われて、3時間近くも待たされたとの
ことでした。

私の家族は、 長兄が前年の10月26日に、フィリピン方面で戦死したとの公報を
受け取っていました。次兄は現役兵として陸軍に入営中で、3名の姉婿もそれぞれ
召集されて軍務に服していました。

それら家族や親族の近況を聞き、母も会いたがっていたが、遠いのと留守番の問題
もあって断念したとの話でした。 空襲も激しさを増している時期に、遠い九州から
はるばる会いに来ていただき、親なればこそと感謝の気持ちで一杯でした。昼飯の
時間も近づいテキたので、今夜は間違いなく外出するから下宿で待つようにと言って、
面会所を出ました。

☆今日の一言☆  
根を断って葉を枯らす 
[AOZORANOHATENI] 

16-101、遺書と遺髪

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             右田勇君の遺書。

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        16-101、遺書と遺髪

「おい、お前はもう遺書は書いたのか?」
「いやまだだよ、遺書って、どんな風に書けばよいのかなあー」
「遺書なんて簡単だよ、借金と女性関係なし、とだけ書けばいいんだ」
「なんで借金や女性が遺書に関係あるんだ?」
「それはだなー、戦死した後になって金を貸していたとか、おなかの赤ちゃんは
あの人の子供ですとか言う者が出てきたら、 親が困るだろう……」
「なーるほど、それじゃーもう女遊びも駄目かー」
「そうだよ、特攻隊員は軍神になるんだぞ、身を謹まなくっちやー」    
「おいおい偉そうぶって、お前さんが一番遊んでるくせに……、それでも軍神に
なれるつもりかよ」

などと、とんだ方向に話が弾むのでした。また、
か言って、どうせ家族には渡してもらえないんだ……」 と、
検閲されて破棄されるのが落ちだと言い張る者もいました。 その当時、 分隊長や
飛行隊長その他責任ある立場の者から、遺書の取り扱いについて説明を受けたこ
とはありませんでした。

思っている事や、 伝えたい事をそのまま書くことのできない立場にいながら、 なお
かつ、肉親に伝える内容や渡す方法を模索しなければならない焦躁は、これを体験
した者でなければ、到底理解できないことでしょう。そのうえ、遺書を書いたとしても
家族に確実に届けてもらえるという保証はなかったのです。    

洋上飛行を主な任務としていた、海軍の搭乗員が戦死や殉職した場合、遺骨などは
残らないのが普通です。 まして帰還を否定された、「体当たり攻撃」ではなおさらで
した。だから、なんらかの証しを遺しておきたいと思うのは人情です。

この時期、だれが思いついたのか「遺髪」を伸ばすことが流行し始めました。 われ
われ下士官兵は規則によって長髪は禁止され、すべて丸坊主でした。 だからその
場になって、 遺髪を遺そうと思っても、短すぎて役に立たないのです。 そのため、
頭の天辺に一つまみの頭髪を刈らずに残していました。そして、お互いにその長さ
を自慢し合っていました。 無邪気といえば無邪気なものでした。 しかし、この様に
大切に育てた遺髪でも、確実に家族に渡される保証はなかったのです。

☆右田君の絶筆☆  
渡り鳥かえらぬ身とはしりながら 
[AOZORANOHATENI] 

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             弥永光男君の遺書。

青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/10yanaga/index.html 
     
       16-100、「遺書」を書くにも

死装束も戴きました。海軍葬に飾る写真の準備もできました。そして、棺桶(特攻機)
も完成しました。後は命日(出撃命令)を待つばかりです。このようにして「体当たり
攻撃」の準備は着々と進められていったのです。

この時期、だれからともなく「遺書」を書く話が出ました。しかし、検閲の厳しいなか、
何を書けばよいのか、どうして家族に渡すのか、その方法すら分かりませんでした。
戦死者の後始末をするのは同期生間の不文律です。 だが、心を許し合い後を頼む
と誓い合った同期生がいても、 生還が前提の出撃と違い「特攻出撃」ともなれば、
だれ一人として帰ってはこないのです。

だから、後始末をするのは見ず知らずの他の兵科の連中です。 親や兄弟だけが
読むのではなく、他人の目に触れるとなれば、本心をそのまま書くわけにはいかな
いのです。だれに読まれても恥ずかしくない立派な文章を書こうとするから、文才の
ない者には難しいのです。

☆今日の一言☆  
根を断って葉を枯らす 
[AOZORANOHATENI] 


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