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先任分隊士西村中尉。
青春の回想 http://www.warbirds.jp/senri/
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16-102、父親が面会に
特別攻撃隊の編成は、軍の機密事項です。だから、その事を手紙などに書くことは
許されませんでした。軍隊では機密保持のため、われわれ下士官兵が出すハガキ
や手紙類は、すべて分隊士に提出して検閲を受けることになっていました。 だから、
日ごろ家族に出す手紙類は、元気で勤務しているから安心するようにとの、簡単な
内容でした。
ところが、「特別攻撃隊」が編成され死を意識すれば、両親に対して、今生の別れを
告げたいと思うのは人情でしょう。また、死の瀬戸際に立って、最後の気持ちを伝え
たいという切実な願いもありました。切羽詰まって、ついに規則を無視することにしま
した。 他人に読まれても気づかれないように、それとなく最期を仄めかすような文面
のハガキを、金谷町の下宿の住所を使って父親宛に出しました。
現在では想像もできないことですが、その当時の一般家庭には電話などありません
でした。だから、ハガキか手紙を出すのが一般的な通信手段でした。そして急ぎの
場合には電報に頼るしか方法がなかった時代です。
ある日、航法訓練から帰り地上指揮官に報告を終わって待機室に入ろうとしていま
すと、
「面会人が来ているから、正門の面会所に行け」
と、西村分隊士から告げられました。更に、理由は分からないが、
「飛行服は脱いで行け」
との指示がありました。
面会人て誰だろう? 近くに知り合いもいないのにと、不審に思いながら衛兵詰所
に行きました。衛兵伍長に届けて面会所に入ると、意外にも父親が待っていました。
例のハガキを見て、金田駅の助役に頼み込んで切符を都合してもらい、三日がかり
で来たとのことでした。
当時は、特別の理由がなければ長距離の切符は手に入らなかった時代です。たま
たま父親の従兄弟が、郷里金田駅の助役として勤務していたのが幸いしました。
昨日、金谷町の下宿を探し当てて待っていたが、外出して来なかったので、下宿の
人に飛行場の場所を聞いて、朝早くから来ていたとの話です。衛兵所で面会を申し
込んだが、 「ただ今、飛行訓練中である」と言われて、3時間近くも待たされたとの
ことでした。
私の家族は、 長兄が前年の10月26日に、フィリピン方面で戦死したとの公報を
受け取っていました。次兄は現役兵として陸軍に入営中で、3名の姉婿もそれぞれ
召集されて軍務に服していました。
それら家族や親族の近況を聞き、母も会いたがっていたが、遠いのと留守番の問題
もあって断念したとの話でした。 空襲も激しさを増している時期に、遠い九州から
はるばる会いに来ていただき、親なればこそと感謝の気持ちで一杯でした。昼飯の
時間も近づいテキたので、今夜は間違いなく外出するから下宿で待つようにと言って、
面会所を出ました。
☆今日の一言☆
根を断って葉を枯らす
[AOZORANOHATENI]
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