老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

17亡き戦友を偲ぶ

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17-27、特攻基地串良

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             串良基地跡平和公園。

亡き戦友を偲ぶ http://www.warbirds.jp/senri/ 
      
       17-27、特攻基地串良

串良基地は沖縄作戦に際して、艦上攻撃機の出撃基地として使用されました。 特攻
出撃や夜間雷撃と数多くの艦上攻撃機がここから発進し、沖縄周辺の敵艦船攻撃に
向かったのです。串良基地から発進して戦死した同期生は次の10柱です。

昭和20年4月6日
神風特別攻撃隊菊水天山隊 
2飛曹 田中 和夫  (石 川・17歳) 131空攻撃256飛行隊
2飛曹 望月九州男 (大 分・17歳) 131空攻撃254飛行隊

神風特別攻撃隊八幡護皇隊 
2飛曹 松木 昭義 (愛 媛・18歳) 宇佐航空隊

昭和20年4月12日
神風特別攻撃隊八幡護皇隊 
2飛曹 堤    昭  (福 岡・18歳) 宇佐航空隊

昭和20年4月16日
神風特別攻撃隊八幡護皇隊 
2飛曹 小河 義光 (福 岡・17歳) 宇佐航空隊

昭和20年4月28日
神風特別攻撃隊第一正気隊 
2飛曹 弥永 光男 (福 岡・18歳) 百里原航空隊

神風特別攻撃隊八幡神忠隊 
2飛曹 犬童憲太郎 (鹿児島・18歳) 宇佐航空隊

昭和20年5月11日
神風特別攻撃隊菊水雷桜隊 
1飛曹 小野 静雄 (佐 賀・17歳) 953空攻撃251飛行隊
1飛曹 山岡 智明 (高 知・18歳) 同

昭和20年7月22日
雷風雷撃隊
1飛曹 穂坂 信也 (福 岡・18歳) 931航空隊

穂坂信也1飛曹は福岡県嘉穂郡の出身です。鹿児島空の予科練から谷田部空の
中練教程、そして百里原空の艦上攻撃機での実用機教程まで、私と同じ道を進み
ました。 飛練卒業後は131空の攻撃254飛行隊に所属し、天山艦攻による練成
訓練を終了して串良基地へ進出しました。 そして、沖縄周辺の敵艦船群に対して
夜間雷撃を繰り返していました。

その間、「特攻隊」として串良基地から出撃した、百里原空時代の教官や教員それ
に同期生を、断腸の思いで見送ったのです。沖縄作戦の終了にともない、攻撃254
飛行隊は香取基地へ移動しました。だが彼は、串良基地所在の931空に転属とな
り、引き続き沖縄周辺の敵艦船に対する夜間雷撃に出撃していました。

昭和20年7月21日、その日の出撃は4機でした。この出撃を同期の宮本1飛曹が
見送っていました。操縦員穂坂信也1飛曹、偵察員湯川保郎中尉、電信員浅野義夫
1飛曹、これは攻撃254飛行隊が串良基地へ進出して以来の固有のペアでした。

2230、彼らは最後に離陸しました。 離陸の際《パンパンパン……》と排気管から
異常な音を発していました。 エンジンの調子がおかしい様子でした。先に離陸した
3機が左に旋回したのに、 彼だけは右旋回をはじめたので、 引き返してくるものと
思っていました。

ところが、彼の機はそのまま低く垂れ込めた暗雲の中へ爆音を残しながら、志布志
湾の方向へ姿を消し去ったのです。そして翌朝、彼の飛行機だけは帰投時刻を過ぎ
てもついに帰還しませんでした。彼もまた、教官や教員それに数多くの同期生の後を
追うようにして、沖縄の海に消え去ったのです。

福岡県護国神社で例年行なっている慰霊祭に、穂坂君の母親が彼のお姉さんを介添
えに参加されました。その時の話に、
「偉い人はあの時期、 戦争が終わることはわかっていたはず、 無理に命令を出さなく
てもよかったのに……」と、慨嘆されました。

命令を下す者と、命令を受けて何のためらいもなく、 危険を承知で攻撃に向かう者。
人それぞれの運命というべきものでしょうか。最愛の息子を亡くされた母親の嘆きは、
日時の経過で薄れるものではありません。何とお慰めすればよいのか、その言葉は
みつかりませんでした。

鹿児島県串良町は、 旧串良航空基地の跡地の一部を整備し「平和公園」としました。
更に、 昭和44年10月、ここ串良基地より飛び立ち、 祖国防衛のため散華された、
若桜400有余柱の英霊を弔うとともに、 この事績を後世に伝えるため、 慰霊碑を
建立しました。そして、毎年10月に追悼式を行っています。

今出撃せんとす
  何も思い残すことなし
父母兄姉よ幸福であれ
  心爽やかにして大空の如し
こうしているのもあとしばらくです
              さようなら

  太平洋戦争末期斯くして串良
  航空基地より飛立ち 肉弾となりて
  帰らざりし三百有余の御霊よ
                安らかれ
  必ずや平和のいしずえとならん

  昭和四十四年十月十一日
     旧串良海軍航空隊基地出撃戦没者
     慰霊塔建設期成会々長
                串良町長 佐 枝 潔


☆今日の一言☆  
石が流れて木の葉が沈む 
[AOZORANOHATENI] 

17-26、送るも征くも

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            島津一達1飛曹遺影。

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       17-26、送るも征くも

家田 尭 君(大阪府出身)の手記を紹介致します。

昭和十九年十二月、飛行術練習生を卒業した私は、神雷部隊として有名な七二一航
空隊攻撃七○八飛行隊に配属された。次に一○○一航空隊(雁部隊)に転属となった。
この部隊は、 飛行機工場で組立てられた新造機の試験飛行を行って受領し、これを
各地の実施部隊に輸送するのが任務である。部隊本部は鈴鹿基地にあったが、一式
陸攻の分隊は岩国基地に派遣されていた。

四月初旬のことであった。 指揮所の裏で待機していると、数名の搭乗員が入ってき
た。その中に見覚えのある顔があった。 佐藤二飛曹である。顔をちょつと右に傾け
た懐かしい仕種で、
「オーイ家田! 元気か?」と近寄ってきた。そして、
「家田、この前硫黄島の爆撃に行ったが、物凄い弾幕で生きて帰れたのが不思議な
くらいだ。今度行ったらもう駄目かもしれん」 と、しんみりした口調で語った。
そして、
「お前らが飛行機を持ってこんのでわざわざ取りに来たんだ、本当に飛行機は無い
のか」と、不満顔である。

その当時、飛行機の生産は遅れがちのため、各部隊奪い合いであった。佐藤二飛曹
の所属する、七○六空攻撃七○四飛行隊では、新造機を受領するためわざわざ人員
を派遣してきたのである。

ところが、三菱の水島工場に行っても飛行機は無い。 そのため、せっかく来たのだ
からと言って、 一○○一空が所有していた飛行機を無理やり持ち帰ってしまった。
その後しばらくして、木更津基地の七○六空へ新造機を空輸した。 そこで、佐藤二
飛曹の消息を尋ねたが再会することはできなかった。

佐藤栄之助二飛曹は四月十一日夜半、宇佐基地を発進。那覇沖の敵艦船群に突入
し、壮烈な戦死を遂げていたのである。 あの時、飛行機を渡さなければ助かったの
ではないかと思うと、残念でならなかった。

六月中旬、陸攻隊は九機編隊で美保基地へ移動した。どん尻に着陸して宿舎に向か
っていると、木陰で休んでいる搭乗員がいた。よく見ると島津一飛曹(五月一日昇任)
である。彼とは豊橋空の延長教育時代は同じペアであり、同じ家に下宿していた仲
である。

彼は七六二空攻撃四○六飛行隊の所属で、「銀河」の操縦員である。沖縄周辺の敵
艦船攻撃に既に二回も参加していた。その体験談を聞いていると、
「島津兵曹! 搭乗割が発表されました」と若い兵隊が呼びにきた。
「今度の搭乗割には、間違いなく俺の名前があるはずだ……」そう言うので、一緒に
見に行った。 やはり搭乗割には、島の文字の上に^の付いた彼を示す符牒が記入
されていた。

その夜彼らには「下宿整理」の名目で上陸が許可された。
「オイ島津、お前…… 外出せんのか?」
「ウン、実はこの前の外出でお金を使い果たして無一文なんだ……」
「そうかー じゃーこれを使え……」そう言ってポケットにあった十円ほどの金を
渡した。
「ウアー 済まん済まん……」彼は喜んで外出した。

その夜私は島津一飛曹の愛機を、風防から座席の下まで徹夜で磨き上げた。
午前四時半「搭乗員整列」命令伝達を受けた、島津一飛曹は愛機に乗り込んできた。
バンドを掛けてやりながらフト見るとマフラーをしていない。
「島津!マフラーは?」と尋ねると、
「質屋の蔵の中だ……」と照れ笑いをしている。 すぐに自分のマフラーを外して彼の
首に巻いてやった。

「島津! 最後まで命を大事にしろよ……」そう言って機体を離れようとした。
「家田! お前は滑走路の左側中央付近に行って俺を見送れ!」 と言って試運転を
始めた。私は指定された場所に行って見守っていると、滑走路の端から一機ずつ離陸
を始めた。 次はいよいよ島津機の番だ。スロットルレバーを全開にして空いた左手を
私に向けて合図を送ってきた。そして、ニッコリ笑いながら離陸して行った。

他の搭乗員はすべて右側の指揮所付近に集まって、手や帽子を振りながら見送る大
勢の隊員に、いろいろな仕種で挨拶を送りながら行ったのに、島津だけは唯一人私の
見送りを受けて前進基地宮崎に向けて旅立ったのである。

昭和二十年六月二十六日深夜、沖縄周辺の敵艦船群に対し「夜間肉薄雷撃」を敢行
した、島津一達一飛曹は、再び祖国の土を踏むことができなかった。

☆今日の一言☆  
二度あることは三度ある 
[AOZORANOHATENI] 

17-25、追憶の手記

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            「梓特別攻撃隊」を送る。

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       17-25、追憶の手記

後藤 義治 君(大分県別府市在住)の手記を紹介致します。

昭和20年3月9日、指揮所の搭乗割に、築城基地より残存予備機3機を攻撃406
飛行隊へ輸送、(操縦員)後藤・山村・島津と掲示されていた。この日は急降下爆撃の
訓練もあって大忙しである。午後になって池上兵曹の操縦する96陸攻に便乗して、
築城基地まで運んでもらう。 われわれを降ろした池上兵曹の96陸攻は、そのまま
出水基地へ帰投した。

指揮所で話を聞くと、攻撃406飛行隊に輸送する筈の銀河は、鹿屋基地に輸送し
ているという。 出水基地に連絡をとってもらうと、鹿屋基地まで行って銀河を持ち
帰れとの指示である。96陸攻に便乗するのかと思ったが迎えに来ない。結局陸路
で鹿屋基地へ行くことになり、10日の朝7時過ぎ築城駅から西鹿児島行きの列車
に乗り込んだ。

都城駅経由で終着の鹿屋駅に到着したのは、21時を過ぎていた。誰が手配したの
か、 駅に当番兵が出迎えに来ていた。 彼の案内で海軍の集会所みたいな建物で
一夜を明かした。翌11の朝、3人で鹿屋基地まで初めての道を歩いた。

山村「この左の道を行くと、鹿屋基地の正門に着くのだろうか」
後藤「そうと思うよ、それより其処の出入口から入ろう」
そう云って、裏門か何か分からないが、番兵も誰もいない所から入った。其処を抜
けると、もう飛行場である。

銀河が30機ほどであろうか、ずらりと並んでいる。攻撃と聞いたが、何の攻撃か
は知らない。銀河の列線の近くへ行く。訓示らしきものが終わり、大勢の搭乗員が
列を解散して散らばってくる。

「後藤兵曹」と声がする。同期の林栄一2飛曹である。
後藤「おお、やっぱり君たちだったのか。何処の攻撃か」
林 「西カロリンのウルシー攻撃なんだ!」
後藤「じゃ、片道攻撃か?」
林 「そうなるなあ・・・」と、桜島を眺める。穏やかに白煙が一筋棚引いている。
河村「おい、後藤兵曹じゃないか」と声がかかる。河村兵曹と清永兵曹である。
河村兵曹は1期先輩の甲飛11期生である。

島津兵曹は、同期の原田照和2飛曹や葛佐直人2飛曹と話し込んでいる。
「後藤ではないか」と肩を叩かれた。振り返ると坂口中尉が立っている。
「あっ、中尉」と云うと手を挙げて立ち去る。河村兵曹たち3人に、
「どうせ俺たちも、お前さんたちの後を追って、特攻に征くことになると思うが、
何か云うことがあったら、山村か島津に云ってくれ、 俺は一寸坂口中尉の処に
行かなくてはならないから」と云って皆と握手し、坂口中尉の飛行機へ急いだ。

坂口中尉と私は、豊橋航空隊当時に知り合い、 私が2等飛行兵曹になりたてに
撮った写真と、坂口中尉が錦帯橋を背景にした飛行服姿の写真を交換し、お互い
飛行服のポケットに収めているほど、兄弟以上の付き合いである。 2小隊5区隊
1番機に近づくと、中尉は操縦席に座ってエンジンをかけていた。私は太股に着け
ている記録用紙に、
「兄上の後追いゆける我なれば 今の心境訓え給えと」と記入しして、銀河に駆け
上がり中尉に手渡した。中尉はこれを読んで彼の記録用紙に、
「長躯翔け操ずる我は誉れなり 捨石投じ春を築かむ」と、書いて私にくださった。
私はこれを読んで、頭が締め付けられるような状態となり、涙が止まらなかった。

坂口中尉が何も云わずに「ニッコリ」と笑って手を差し出した。私も手を出し、
しっかりと握り合った。これが坂口中尉との最後の別れであった。

8時55分から9時10分にわたり、銀河24機は鹿屋基地を発進、長躯1,400浬、
西カロリン諸島ウルシー泊地片道攻撃の壮途についたのである。 

      辞世

 志願して故郷はなれ姉上に 負担をかけし詫びる我なり    清永徳市

 命下り振り返れば桜島 別れ惜しむか煙棚引く           林 栄一
 御国のため盾となりけむ我は征く 修羅の巷はふたとあるまじ 林 栄一

 大君に召されしわが家誉あれ 春きたらむと祈りつつ征く   葛佐直人

 御国のため盾になりしか若桜 散りにし後に誰かおしまむ   原田照和


☆特攻隊員の辞世☆  
特攻の下命ありて身を捧ぐ 達者で暮らせと祈る我なり 
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            鹿児島航空隊 第23分隊3班。

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       17-24、葉隠れ武士たらんと

本田 敏明 君(兵庫県揖斐郡出身)の手記を紹介致します。

岩部敬次郎君とはじめて出会ったのは、昭和18年10月予科練で操縦専修と偵察
専修に別れて分隊の編成替えが行われ、23分隊3班に編入された時でした。彼は
班の中では「中」ぐらいの体格で特に目立った存在ではありませんでした。

また自分の意見を主張する際には、大きな目玉をクリクリさせて佐賀弁まじりで喋
りましたが、 人のよい彼は他人と言い争いをするようなことはありませんでした。
一度彼と会ったことのある者なら殆どが忘れられない愛嬌如きものを感じたもので
した。

彼がハガキの宛名に「相知町相知」と書いているのを見て、「それは何と読むんだ」
と聞いたところ、 「オーチ町オーチだ」と教えてくれました。 それは、自分の故郷に
強い誇りを持っている口調でした。

「武士道と云うは死ぬことゝ見附けたり。二つ一つの場にて早く死ぬ方に片附くばか
りなり。云々」と葉隠の文句をよく聞かしてくれました。私は彼によってはじめて葉隠
の一部を知ることができました。 葉隠は鍋島武士道の教えで、彼はこの教えで自ら
を鍋島武士たらんとしていたと思われます。

「二つ一つの場にて」とは、生きるか死ぬかの場に臨んでのことと解釈していたので
すが、正しくは、「二つ二つの場にて」であり、私の聞き違いでした。葉隠は、生きる
ことを初めから考えていないという、凄まじい生き様を述べたものであると知ったの
は後年のことでした。

送信訓練で彼が電鍵を叩いているのを見ていると、農作業で鍛えられたのであろう
節くれだった指をしているので、 「お前の指はキーを叩く指じゃないナー」と、冗談を
云ったこともありました。

上海空の飛行練習生を卒業し台南空の艦攻隊に配属され、また彼と一緒になりまし
た。入隊して10日目の10月12日から始まった台湾沖航空戦では、敵の空爆の目
標になった防空壕の中にいて、共に「今日が最期か」と、 観念したこともありました。

その後、特攻隊編成に志願した約40名の同期生が、茨城県神ノ池基地の721空
へ転勤となり内地へ帰還するこになりました。 その時、彼も私もその中にいました。
神ノ池基地では、昭和20年の初頭から約2ヵ月余り、彗星33型で錬成訓練を受け
ました。そして3月下旬、私たちは百里原空へ転勤を命ぜられました。

百里原空に入隊して間もない日のことです。夕食後皆で雑談している所へ先任下士
官がやって来て、「601空彗星の偵察員を欲しがっている様子だが、行く者はいない
か」と云いました。いないどころではない、皆が彗星に乗りたがっていたのです。

そのうえ、601空と云えば海軍切っての精鋭部隊です。我も我もと全員が希望しま
した。そして、岩部敬次郎君以下数名の者が指名され、勇躍601空へ転属して行き
ました。我こそはと皆が思っていたのですが、彼らが抜擢されたのは、彼らが我々よ
り高い評価を得ていたからです。

数日後、岩部君が真新しい飛行服に身を固め、首から大きな航空時計を下げて晴れ
姿を見せに、我々のデッキにやって来ました。601空の隊員になってまだホヤホヤな
のに、グーンと貫録がついたように感じました。
「よかったなあ、 しっかりやってくれよ……」と、 みんなが羨ましがりながら激励しま
した。

ところが、これが彼の勇姿を見た最後でした。 その後、601空での彼の行動は知り
ませんが、彗星の優速を利して索敵や偵察それに哨戒などに飛び回ったものと想像し
ます。

郷里の生家の上空を低空で飛んだとの便りがあったと聞きました。また、唐津市内の
映画館で、ニュース映画に彼の姿が映っていると知らされたご両親は、何度も映画館
に足を運んだそうです。

昭和20年8月9日14:30。601空攻撃第1飛行隊で編成した、「神風特別攻撃隊
第4御盾隊」の彗星艦爆12機は、勇躍百里原基地を発進しました。第3小隊1番機
榊原中尉の操縦する彗星艦爆の偵察席に搭乗した岩部1飛曹は、15:50、
「敵艦見ユ、金華山ノ125度140カイリ」と、電報を打ったあと消息が途絶えました。

敵発見と同時に、猛然と突撃して行った彼の胸中に去来したものは、 あの葉隠の、
「死ぬことゝ見附けたり」だったのかも知れません。岩部敬次郎君は葉隠のサムライ
でした。それにしても何たる運命のいたずらか、その時期には既に戦争終結が目前
に迫っていることなど夢にも知らず、ただ必勝を信じて若い命を散らしたことは、
返すがえすも残念でなりません。

彼の魂魄還り来って、今は戦死された2人の兄上の霊と共に、古里の山ふところに
抱かれ静かに眠っています。50回忌の法要には、唐津中学の同級生22名の方々
が、墓前に参詣されて彼の生前を偲ばれたそうです。彼が郷里の人々にいかに愛さ
れていたかを知る慶ぶべき話です。また彼の中学校の同級生の1人は、昭和47年、
鹿屋航空基地史料館に展示されている、岩部兵曹の遺影に偶然対面して涙を流さ
れたといいます。
                                    合 掌

昭和19年11月下旬、帰仁基地から721空に転属したのは、艦爆10名、艦攻30名
でした。そのうち百里原空には30名が移り、次の13名の者が「神風特別攻撃隊」に
編入され還らざる攻撃に飛び立ち、沖縄の海に消え去ったのです。

昭和20年4月17日 [階級は出撃当時]
神風特別攻撃隊第3御盾隊 
2飛曹 右田  勇  (大 分・18歳)601航空隊

昭和20年4月28日
神風特別攻撃隊第1正気隊 
2飛曹 弥永 光男 (福 岡・18歳)百里原航空隊

神風特別攻撃隊第2正統隊 
2飛曹 漆谷 康夫 (福 岡・18歳)百里原航空隊
2飛曹 小野 義明 (福 岡・17歳)同
2飛曹 福田 周幸 (福 岡・17歳)同
2飛曹 伊東 宣夫 (大 分・17歳)同

昭和20年5月25日
神風特別攻撃隊第3正統隊 
1飛曹 鹿島 昭雄 (福 岡・17歳)百里原航空隊

昭和20年6月3日
神風特別攻撃隊第4正統隊 
1飛曹 南里  勇 (佐 賀・17歳)百里原航空隊

昭和20年8月9日
神風特別攻撃隊第4御盾隊 
1飛曹 増岡 輝彦 (福 岡・18歳)601航空隊
1飛曹 万善 東一 (鹿児島・17歳)同
1飛曹 岩部 敬次郎(佐 賀・17歳)同

昭和20年8月15日
神風特別攻撃隊第4御盾隊 
1飛曹 溝口 和彦 (佐 賀・18歳)601航空隊
1飛曹 田中  喬 (福 岡・18歳)同

写真説明 前から2列目中央が岩部君。

☆今日の一言☆  
人は涙の下に立つ 
[AOZORANOHATENI] 

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            攻撃708飛行隊の勇士。

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       17-23、特攻からの生還!

長濱 敏行 君(宮崎県延岡市出身)の回想を紹介致します。

今日もうっとうしい空模様で、朝から小雨が降っています。思えば沖縄周辺の米軍
艦船群に「神雷特別攻撃隊員」として出撃したあの日もきょうと同じような梅雨空で
暗雲が垂れ込めていました。

あれは昭和20年6月22日のことでした。「出撃搭乗員は指揮所前に整列」・・・・。
当直士官が横穴壕宿舎の中を告げて回ります。ここは、今や日本の最前線の要衝
となった鹿屋海軍航空基地です。外はまだ薄暗い。時計の針は午前4時。飛行場
からはすでに試運転に入ったエンジンの音が轟々と伝わってきます。

前回の出撃 (5月25日) では、沖縄周辺が梅雨の豪雨で、悪天候に阻まれ攻撃
を断念。引き返して命拾いしましたが今度は生きて帰れないでしょう。遺書を残そ
うと思って万年筆を手にしましたが、いろいろ思いあぐねて筆が進まず昨夜はとう
とう一睡もできなませんでした。

この世に生を受けて18歳の今日まで過ごして来た日々は、ただ、敵艦に体当たり
するためのものだったのか・・・・。出撃までの一刻、さまざまな思い出が次から次へ
と浮かんでは消えていきました。

限りなく広がる大空にあこがれ、中学4年の時に両親に無断で、海軍甲種飛行予科
練習生を受験したのですが、合格通知が来てそのことが分かったとき、「男は自分が
決めた道を進むのが一番」と言って励ましてくれた父。

「これを持っていれば必ず生きて帰れるから」と言って、お守り袋にナタマメを添えて
くれた母。笑顔で送ってくれた妹たち。

「何も書き残せなかった私をを許してください。  皆と過ごした素晴らしい思い出を
いっぱいありがとう」と心に念じていました。 軍人を志した以上、戦って戦って戦い
抜いて死ぬのは本懐だが、最初から死を前提とした必死必中の特攻作戦が展開
されよぅとは、 そしてその自分がその隊員になろうとは夢にも思わぬことだっただ
けに、特攻隊志願の呼び掛けには言葉で言い表せぬ衝撃を受けました。

優秀な米軍の反攻を受け、戦勢日々傾く状況の下では、とてもこの戦争に勝てる
とは思えなかったが、美しい郷土の山河を、優しい父母の住む町を、むざむざ敵に
蹂躙させてたまるか!。

国家危急存亡のとき、若者が奮い立たなかったら、大和民族の歴史に拭いきれな
い汚点を残すでしょう。悩み苦しみ抜いた挙げ句、だれもがそんな気持ちで特攻隊
を志願したものでした。 

「お前たちだけを死なせはしない。俺も必ず後から行く・・・・」。 
航空隊司令の別離の言葉を背に、幕僚が見守る中滑走路につく。オーバーブースト
にセットし、スロットルレバーを徐々に開く。さあ再び帰ることのない離陸だ!。
「帽振れ!!」で見送る整備員の、油にまみれた顔が次々に後ろに流れ去ってゆく。
滑走路をいっぱいに使って離陸したが、「桜花」を抱いた愛機(一式陸上攻撃機)は
重く、エンジンはあえぐように唸(うな)っている。

出撃した「神風特別攻撃隊第10次神雷桜花攻撃隊」9機のうち、 エンジン不調で
引き返した、佐藤千年君(鹿屋市在住)の乗機と、奄美大島西方洋上で敵戦闘機の
迎撃を受けて、辛うじてそれを振り切って、喜界ヶ島にたどり着いて不時着した私の
乗機を除く他の7機は、無線で「ヒ連送」(ヒの信号を連送し、「我れ敵機と交戦中」の
意味)、「ト連送」(我れ今より突入す)を打電し、沖縄の海に空に壮烈な最後を遂げ
ました。そして無念にも翌日、6月23日に沖縄守備軍組織的抗戦は終わりました。

神風特攻隊の仲間には立派な遺書を残した人も多かったが、大多数の人は何も書
き残すことなく敢然と散っていきました。 長所も、そして欠点も多い生き生きとした
若者ばかりで、いわゆる軍人精神の権化のような人物は率直に言って居なかったと
思っています。

基地の近くの野里横穴壕宿舎で、出撃待機中に集まっては、たわいもない世間話に
興じたものでした。 甲子園出場をかけた地区予選決勝で敗れたことをいまだに悔し
がっていた隊員。 うどんの賭け食いで料金をただにした自慢話。彼女からの手紙の
束を見つけられ、一部始終を無理やり告白させられた隊員。果ては遊郭での武勇伝
まで飛び出し笑いが絶えませんでした。

今考えると、それは何げない平和な暮らしへの限りない思慕であり、あこがれだった
のではないでしょうか。 死を目前にして、だれよりも平和の到来を待ち望んでいた
のは、特攻隊員だったと、しみじみ思うのです。

あの日の航空弁当は、主計科員心尽くしの五目寿司におはぎでした。それに桜島の
ビワの実を添えていました。ビワの実を見るたびに私は思います。あいつらと過ごし
たあの鮮烈な青春の日々を片時も忘れはしない・・・・と。そして平和な日本の暮らし
何が何でも守り抜かねばならないと。


昭和20年6月22日
第10神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊桜花隊 戦死者名簿
聯合艦隊告示240号

(桜花)
中  尉 藤崎 俊英   (千葉・予備学13期)
上飛曹 堀江  眞    (秋田・甲飛10期)
上飛曹 山崎 三夫   (福岡・乙飛17期)
1飛曹 片桐 清美   (福岡・丙飛15期)

(一式陸攻)
中  尉 伊藤 正一   (宮城・海兵73期)
中  尉 稲ヶ瀬 隆治  (和歌山・予備学13期)
中  尉 根本 次男   (福島・予備学13期)
中  尉 三浦 北太郎  (岩手・予備学13期)

上飛曹 千葉 芳雄   (宮城・丙飛10期)
上飛曹 岡本  繁    (石川・甲飛11期)
上飛曹 樫原 一一   (香川・甲飛11期)
上飛曹 立川 徳治   (大阪・甲飛11期)
上飛曹 山下 幸信   (香川・乙飛17期)
上飛曹 鳥居 義男   (愛媛・乙飛17期)
上飛曹 南  藤憲    (宮崎・乙飛17期)

1飛曹 佐藤 貞志   (福島・甲飛12期)
1飛曹 飛鷹 義夫   (熊本・甲飛12期)
1飛曹 樋口 武夫   (佐賀・乙飛18期)
1飛曹 土井 惟三   (広島・乙飛18期)
1飛曹 木村  茂    (愛媛・丙飛15期)
1飛曹 三木 淑男   (和歌山・丙飛16期)
1飛曹 武田 廣吉   (岩手・丙飛16期)
1整曹 中島 佐吉   (群馬・整練68期)
1整曹 村山 省策   (北海道・整練96期)

2飛曹 藤木 政戸   (群馬・電練66期)
2飛曹 杉田 龍馬   (香川・電練66期)
2飛曹 牛濱 重則   (鹿児島・電練66期)

飛  長 但木  正    (宮城・乙飛特2期)
飛  長 明神 福徳   (高知・乙飛特3期)
飛  長 大熊  賢    (岡山・乙飛特4期)
飛  長 北村 義明   (神奈川・乙飛特4期)
飛  長 坂本 吉一   (東京・乙飛特4期)

☆今日の一言☆  
百里来た道は百里帰る 
[AOZORANOHATENI] 

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