老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

17亡き戦友を偲ぶ

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            薩摩富士とよばれる開聞岳。

亡き戦友を偲ぶ http://www.warbirds.jp/senri/ 
      
        17-22、いよいよ祖国ともお別れだ!

長濱 敏行 君(宮崎県延岡市出身)の手記を紹介致します。

鹿屋基地に還ってみると、すでに数機が着陸していました。指揮所に報告して待機
していると、1機また1機と還ってきます。彼らも悪天候のため進撃を諦めたのです。
話によると、 1機はエンジン不調で出撃を取り止めたそうです。 するとまだ3機が
未帰還です。相川兵曹の機が気になり電信室に問い合わせて愕然としました。

「我、燃料ノ続ク限リ索敵攻撃ヲ続行ス」
との電報が届いていたのです。そしてそれ以後の連絡が途絶えているというのです。
見敵必殺、再び生きて還らじとの決意で悪天候の中を、敵艦を探し続けているので
しょうか。

それとも、グラマンの待ち伏せに会い、壮絶な空中戦を展開したのかも知れません。
あるいはまた、猛烈な対空砲火に曝されたのか、最期の状況は知る由もありません。
掛け替えのない命と引き換えに大和民族の誇りを守り、祖国に殉じたのでしょう。

翌日から再び出撃待機の生活が始まりました。6月に入り、連日の特攻機の出撃に
もかかわらず、沖縄の攻防戦は敵の物量に押されて最悪の状態に至った様子です。
6月22日、遂に最後の秋を迎えました。 菊水10号作戦が発令され、 「桜花特別
攻撃隊」にも出撃の命令が下りました。 今回は単機ごとの出撃でなく、護衛戦闘機
を配しての正攻法です。今度こそ生きては還れないだろう。

「お前達だけを死なせはしない、俺も必ず後から行く」
司令岡村大佐の別離の言葉も何か空々しく感じました。

離陸して高度をとりながら、ふと下を見ると、右前方に薩摩富士とよばれる開聞岳が
迫ってきました。 これが祖国の見納めとなるのだろう、喰い入るように山肌を見つめ
ました。 東支那海に出るや、《ドドドッー》と、機銃の試射が始まりました。また胴震い
が起こり、なかなか止まりません。外を見回しても護衛戦闘機の姿はありません。      

進撃するにしたがって天候は次第に悪化し、ついに雲量は10となりました。そのうえ
エンジンの調子もおかしいのです。搭乗整備員の関谷兵曹が窓に頬を付けるように
して、エンジンの様子を見守っています。

ついに油圧が下がり始めました。オイルが漏れているらしいのです。現在の位置は
沖縄まで30分とのことです。 このまま突込むか、それとも引き返すか機内で議論
が始まりました。上田機長は「突進あるのみ」と宣言しました。

関谷兵曹はエンジンの状況から、「桜花」を積んだ過荷重状態での進撃は無謀であ
ると言います。 完全な状態に整備して出直すべきだと言って譲りません。上田機長
は、「我エンジン不調ノタメ基地帰投ノ見込ミナシ、母機諸共体当タリヲ決行ス」と、
電信員に打電を指示しました。私を含めてペアの面々は、視界不良のうえエンジン
不調での進撃は無謀だと思っていました。

そんな雰囲気を察したのか機長は関谷兵曹の意見を容れて、「桜花」の投棄と反転
を指示しました。 この間、桜花搭乗員は瞼を閉じたまま終始無言でした。「桜花」の
投下ボタンを押すと急に身軽になりました。 左に変針して不時着する島を探すため、
全員が見張り配置につきました。 その途端、左前方にオレンジ色の火達磨となった
飛行機が、クルックルッと落ちていくのが見えました。

「雲に突込め!」
指示と同時に操縦捍を倒して、 スロットルレバーを全開にして雲中に退避しました。
列島線上にはグラマンが、3段構えの迎撃態勢を整え待ち受けているのです。雲の
隙間から黒煙が見えます。まただれかが撃墜されたのです。我が機は雲を利用して
退避運動を続けながら、やっと喜界島に緊急着陸して虎口を脱することがでました。

この日の出撃で、飛鷹義夫1飛曹は遂に還りませんでした。私は命からがら生還す
ることができました。 毎年梅雨の時期になると当時の状況が眼前に彷彿とします。
目的を一つにして生死を共にした同期の戦友の面影が強烈に蘇ります。

 神雷部隊(721航空隊)で戦い戦没された同期生。

3月21日
第1桜花特別攻撃隊 攻撃711飛行隊 2等飛行兵曹 高橋 幸太郎 (山形)
同             同           同        松尾 登美雄 (長崎) 
同             同           同        石垣 當晃  (東京) 
同             同           同        湯澤 康男  (栃木) 

4月1日
第2桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 2等飛行兵曹 田川 喜八郎 (福岡)

4月12日
第3桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 2等飛行兵曹 鬼木 俊勝  (福岡)
同             同           同        住吉 敬二  (東京)
同             同           同        岸田 幸夫  (徳島)
同             同           同        武田 竹司  (長野)
同             同           同        稲垣 只次  (愛知)

4月14日
第4桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 2等飛行兵曹 月尾 清一  (熊本)
同             同           同        片岡 貞夫  (長崎)
同             同           同        片山 邦治  (栃木)
同             同           同        大坪 義春  (福岡)
同             同           同        小黒 寿夫  (東京)
同             同           同        栗岡  嗣   (高知)
同             同           同        山本 政一   (石川)
同             同           同        林  芳一   (長野)

4月16日
第5桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 2等飛行兵曹 大沢 龍二郎 (福岡)
同             同           同        宇津木 勝次 (千葉)
同             同           同        小池 孝吉  (山形)
同             同           同        柴田 悦生  (福岡)

4月19日
(小松基地から鹿屋基地へ進出の途次) 2等飛行兵曹 成清  広  (福岡)

5月4日 (5月1日付、昇任)
第7桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 1等飛行兵曹 中川  明   (徳島)
同             同           同        遅澤 芳郎  (栃木)
同             同           同        野崎  敬   (大分)
同             攻撃711飛行隊  同        小幡 和人  (宮城)
同             同           同        柳  義信   (長崎)  

5月11日
第8桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 1等飛行兵曹  田中 辰三  (山形)
同             同           同        千葉  登   (鹿児島)
同             同           同        菊池 邦寿  (福岡)
同             同           同        大河内 一春 (愛知)

5月14日
第11建武隊      戦闘306飛行隊 1等飛行兵曹  古田  稔  (愛知)

5月25日
第9桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 1等飛行兵曹 相川 和夫  (佐賀)
同             同           同        早坂 敦郎  (山形)
同             同           同        藤原  薫   (福岡)
同             同           同        三宅 六男  (福井)

6月22日 
第10桜花特別攻撃隊 攻撃708飛行隊 1等飛行兵曹 飛鷹 義夫  (熊本)
同              同           同        佐藤 貞志  (福島) 


☆今日の一言☆  
根は無くても花は咲く 
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            特攻に使用された練習機「白菊」。

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       17-21、結末は神のみぞ知る!

長濱 敏行 君(宮崎県延岡市出身)の手記を紹介致します。

昭和20年5月24日、菊水7号作戦が発令され、遂にわれわれ「第九桜花特別攻撃
隊」に出撃命令が下りました。 しかしこの日、沖縄方面は天候不良との情報が入り
出撃は翌日に延期されました。

ところが、夕闇迫る頃になって高知航空隊から進出していた「菊水白菊隊」の白菊が、
25番を2発づつ抱いて次々に離陸を始めました。 その数20機、 あんな練習機に
この悪天候の中、夜間攻撃を命じるとは狂気の沙汰です。無事に沖縄まで到達でき
るのだろうか、他人ごとながら心配でした。

明けて25日0500、
「出撃搭乗員は、直ちに指揮所前に整列」
当直将校が宿舎の中を告げて回りました。外をみるとまだ薄暗いのです。飛行場で
はすでに試運転が始まっている様子で、エンジンの音が轟々と響いてきます。

この世に生をうけて18年の今日まで過ごした歳月は、 ただ敵艦に体当たりするた
めのものだったのだろうか、出撃までの一刻、さまざまな思いが脳裏をかすめました。
「相川、最善を尽くして頑張ろう、結末は神のみぞ知るだ!」
と言葉を交わして、それぞれの愛機に乗り込みました。

本日の出撃は12機、敵のレーダーに補足されることを避けるため、間隔をおいて
単機ごとに離陸、それぞれ独自の針路で進撃することになっていました。
「さーあ、いよいよ祖国ともお別れだ!」 
スロットルレバーを徐々に開きます、帽子を振りながら見送る整備員の油まみれの
顔が次々と後方に流れます。滑走路を一杯に使って、慎重に離陸します。「桜花」を
抱いた愛機は重く、エンジンは喘ぐように唸っています。

その日も天気が悪くて、南西諸島方面の海上は一面に雨雲が垂れ込めていました。
進撃するにしたがって雨雲は益々濃くなり、操縦席前面の風防ガラスを雨が激しく
叩きます。 「桜花」が重いせいか、それともエンジンの調子が悪いのか、なかなか
高度が取れません。沖縄方面は既に梅雨に入っている様子です。

進撃高度は4,000メートル、雲に入ると一面真っ白で飛行機の姿勢も分かりません。
目安になる物は何も見えないので、 完全な計器飛行です。 時折雲の切れ間から
海面が見えると飛行機の姿勢が確認できるのでホッとします。

他機の様子が気になります。しかし、電波管制で敵発見など重要事項以外は発信
できないのです。天気はますます悪くなり、他機の状況も一切不明でした。ふと後ろ
を振り返ると、桜花搭乗員は腕組みをして端然と瞑想しています。彼は死を目前に
して、何を思い何を考えているのでしょうか。思わず目をそむけました。

母機のわれわれには万が一にも生還の希望を持つことができます。しかし、彼には
母機を離れたが最後、「桜花」 と共に炸裂する以外に還る道など残されていないの
です。そして、刻一刻とその最後の時は迫っているのです。また非情にも、「桜花」の
投下ボタンを押すのは副操縦員である私の役目なのです。

航程の半ばを過ぎても天候は回復せず、他機の様子も不明です。機長の上田上飛
曹は、遂に進撃を断念し再起を計ることを決心しました。このような、視界不良の天候
では、「桜花」の発進は無理と判断したのです。

☆今日の一言☆  
引かれ者の小唄 
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            人間爆弾「桜花」。

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        17-20、いつ命令が出ても出撃できるように

長濱 敏行 君(宮崎県延岡市出身)の手記を紹介致します。

4月上旬のある朝、
「搭乗員は、至急掩体壕前に集合せよ」
との当直将校の指示がありました。大沢兵曹から当直下士官を引き継いだばかりの
私は、隊内を駆け回って指示を伝達しました。

掩体壕の上に立った沢本中尉は紅潮した面持ちで、
「本日、第5航空艦隊司令部から出撃の命令が下った。今回の出撃は12機である。
まだペアが決まっていない機は速やかにペアを編成せよ」
と指示しました。 これは、攻撃711飛行隊から合流した者を含め再編成の途中で、
配置に欠員のあるペアがあったからです。 さて、どの機長のペアに入ろうかと一瞬
迷いました。

その時、
「よーし、行くぞ!」
と、大声を上げて飛び出した者がいました、相川兵曹です。 その声に釣られるよう
に我先にと各ペアに合流しました。 これで配置は埋まり、ペアの編成は完了しまし
た。 ところが、私は集合に遅れて列の最後尾にいたので、前に並んでいた同期生
に先を越されて配置を取られてしまい、出撃に参加できませんでした。

この出撃では、片岡貞夫・山本政一・大坪春義2飛曹が戦死し、福原正一2飛曹は
撃墜されて重傷を負いました。昭和20年4月14日のことです。

不本意ながら、この出撃を編成もれで見送った私にも、 いよいよ出陣の時がきまし
た。4月下旬、第1中隊第4小隊3番機の副操縦員の配置を得た私は、勇躍壮途に
つくことになりました。 七生報国と染め抜かれた鉢巻を締め、腕に日の丸を付けて
記念撮影。やはり一種の悲壮感が漂います。

離陸して日本海沿いに飛行し、山口県の上空で変針して南下しました。 ところが、
目的地である鹿屋は空襲を受けているとの情報が入り、出水基地に降りることにな
りました。 今夜はここで一泊できるかと淡い希望をもったのも束の間、夕刻に鹿屋
へ向けて離陸しました。 鹿屋基地は連日ように空襲を受けて滑走路は穴だらけで、
格納庫や兵舎などほとんど破壊されていました。既にここは最前線基地なのです。

飛行場の南西の外れ、雑木の茂るダラダラ坂を下ってしばらく行くと、 田圃の中に
古い木造平屋建てがありました。野里小学校です。入口に「憂国の志士天誅組岡村
一家駐屯所」と大書した標札が掲げてあります。ここが「桜花隊」と、「爆装零戦隊」
の居住区です。

われわれ陸攻隊員の居住区は、田圃を隔てた南側の丘の中腹に穿つた、横穴式の
防空壕でした。ジメジメとした湿気に悩まされながら壕内の生活では熟睡することも
できない状態でした。 そのうえ、いつ命令が出ても出撃できるようにと、心の準備を
しながらの待機は緊張感の持続を要求されます。精神的にも肉体的にも苦しい生活
が続きました。

☆今日の一言☆  
春植えなければ秋実らず 
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            グラマンF6F戦闘機。

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        17-19、グラマンの大群が!

長濱 敏行 君(宮崎県延岡市出身)の手記を紹介致します。

昭和20年1月、家田・佐藤・酒井ら同期生の一部が輸送機部隊に転属を命じられ
ました。しかし、彼らは輸送部隊への転属を潔しとせず、 隊長に抗議をしたが聞き
入れられず別れを惜しみながら退隊して行きました。

残った連中は茨城県の神ノ池基地や大分県の宇佐基地に移動しながら「桜花」の
投下訓練その他の錬成訓練に励んでいました。またこの部隊には、われわれ操縦
員以外に、偵察専修の飛練を卒業した同期生、大沢・佐藤・片岡・大坪・山本兵曹
たちが所属していることを知り気を強くしました。

昭和20年3月中旬、攻撃708八飛行隊は宇佐基地において錬成訓練を実施して
いました。ある日、敵機動部隊が九州南東海上に接近しているとの情報が入りまし
た。そして遂に、「神雷部隊」に出撃の命令が下りました。第2、第3中隊の18機が
翌朝を期して出撃することになりました。私は第1中隊の所属で今回の出撃編成表
に名前はありませんでした。

3月18日0700、「搭乗員整列」が下令されました。 飛行場には胴体に「桜花」を
抱いた一式陸攻がズラリと列線に並び、轟々とエンジンを響かせています。同期の
佐藤千年2飛曹が堅い表情で近寄ってきて、時計と現金を差し出しました。
「わかった! 必ず両親に貴様の出撃の様子は知らせる。 どちらが先になるかと
思っていたが……」
そう言って受け取りました。彼とは同郷で同じ延岡中学から一緒に入隊した仲です。

格納庫前にはテーブルが並べられ、簡単な別盃の準備ができていました。飛行隊長
の足立少佐が段上に立ち、整列した搭乗員に敵の位置や攻撃要領などの説明を始
めました。突如として、
《ダダダーン》と爆弾が炸裂し《バリバリバリッー》と機銃音が響き渡りました。    

見上げると、何とグラマンの大群が急降下してきているのです。 機銃弾が飛び交い
砂埃が舞い上がりました。 集合していた搭乗員がバタバタと倒れます。残った者は、
クモの子を散らすように逃げ惑います。飛行場は一瞬にして大混乱に陥りました。

列線に並べられていた一式陸攻は瞬時に火を噴き、真っ赤な炎と真っ黒な煙りに覆
われて壊滅しました。これでは出撃どころではありません。ただ胴体の下に吊るした
「桜花」 が誘爆しなかったのがせめてもの幸いでした。  これが爆発すれば被害は
倍加したでしょう。

昭和20年3月21日、この日は海軍の誉望を担い起死回生の兵器として開発され
た「桜花」の初陣です。鹿屋基地に展開していた、攻撃711飛行隊は、飛行隊長の
野中少佐を先頭にして18機の全力出撃です。

30数機の零戦に護衛され万全の進撃でしたが、レーダーに誘導された敵グラマン
戦闘機群の組織的な迎撃を受け、目標に到達することもできずに敢え無く全滅した
のです。この出撃には、同期生の高橋幸太郎2飛曹が参加し、愛機と運命を共にし
ました。

攻撃708飛行隊は空襲の後始末が終わると陣容を立て直すため、石川県小松基
地に移動し、ここで錬成訓練を再開しました。この時期、飛行隊長には八木田大尉
が昇格して、 壊滅した攻撃711飛行隊からも大勢の搭乗員が転入してきました。
この中に笹見・川頭など数名の同期生が含まれていました。

☆今日の一言☆  
釣り落とした魚は大きい 
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17-18、神雷部隊へ転属

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           「桜花」を抱いた一式陸上攻撃機。

亡き戦友を偲ぶ http://www.warbirds.jp/senri/
        
        17-18、神雷部隊へ転属

長濱 敏行 君(宮崎県延岡市出身)の手記を紹介致します。

昭和19年11月、私たちは豊橋海軍航空隊において実用機教程の卒業を目前に控
えて、編隊飛行や魚雷発射運動など、 連日厳しい飛行訓練が続けられていました。
ある日昼飯の食卓についていると、
「本日は午後の飛行作業を中止する、1300練習生は居住区に総員整列せよ」との
指示がありました。皆が緊張した面持ちで整列すると、分隊長田中大尉はゆっくりと
全員を見渡したのち口を開いきました。

「本日集まってもらったのはほかではない、最近の戦局は皆も承知の通り、今や国家
は危機存亡の秋である。この窮状を打開するために、航空機による画期的な戦法が
採用されることになった。但しこの攻撃方法は1機で1艦を葬ることを狙いとしたもの
で、生還は度外視されている。 この攻撃に参加を希望する者は、明朝0800までに
申し出るように。これは強制ではないが、諸君の勇気と殉国の熱情に期待する」

水を打ったように静まり返った居住区で、皆は思い詰めた表情をして身を堅くしてい
ました。だれに相談すべき問題ではない。一晩中思い悩んだ末、この美しい山河や
父母の住む町を守るために、搭乗員としての名誉にかけても、俺たちが犠牲になら
なくてどうする、よしやろうじゃないか! そんな気持ちで志願する決心をしました。

昭和19年12月、飛練卒業と同時に希望どおり神雷部隊と呼ばれた、721航空隊
に転属が決まり宮崎基地に赴任しました。家田・和田・飛鷹・福原・佐藤・成清・城市
・酒井らの同期生と一緒でした。

着任して隊長に挨拶するため士官室に行きました。すると見覚えのある顔が近づい
てきました。八木田大尉です。
「お前たちが来るのを待っていたぞ!」
そう言って、笑顔で話しかけてきました。われわれは、
「分隊長!」
と、思わず叫んで取り囲みました。
  
八木田大尉は豊橋航空隊で、われわれの分隊長でしたが、 教育途中に交替して、
一足先に721空に転勤していたのです。ここで再び分隊長として指導を受けること
になり、一同勇気百倍の思いでした。

搭乗配置は一式陸攻のサブ(副操縦員)です。 神雷部隊のサブは、「桜花」搭乗員
が機上で負傷などの事故が起きた場合これと交替して「桜花」に乗り込み、体当たり
を敢行すると聞かされました。それでなくても一式陸攻は防禦に弱く、その上重量が
魚雷の2倍以上の 「桜花」 を搭載するので運動性は極端に悪くなり速力も落ちます。
出撃すれば先ず生還は望めません。これで私の運命も決まったと覚悟を新たにしま
した。

☆今日の一言☆  
非理の前には道理なし 
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