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徳島空所属の「白菊」。
亡き戦友を偲ぶ http://www.warbirds.jp/senri/
17-16、白菊特攻隊編成
藤岡 義貴 君(宮崎市出身)の手記を紹介致します。
今年もまた6月がやってきました。毎年この季節になると、私には特別な感情が湧
いてきます。それは名状しがたいものです。今生きていることが不思議に思えるこ
とです。生きていることが何だか申し訳ないような気持ちと、生きていてよかったと
思う気持ちと、これらが交錯した複雑な感情です。
今を去る60数年前、 私は甲飛12期生として鹿児島航空隊に入隊しました。予科
練を卒業した後は谷田部航空隊に移り、第37期飛行術練習生を命じられ、中間練
習機での操縦訓練を受けました。引き続き姫路航空隊において、艦上攻撃機によ
る訓練をけ、一人前の搭乗員として実施部隊へと巣立ちました。
大分県佐伯基地所在の第931航空隊に赴任したのは、昭和19年の年末でした。
ここでは九七艦攻に搭乗し、航空母艦の発着艦訓練その他の錬成訓練が実施さ
れました。また、日向灘や豊後水道の対潜哨戒なども実施していました。
昭和20年3月、徳島航空隊へ転属命令が発令されました。徳島航空隊には、第1、
第11、第21の飛行分隊がありました。 ところが、 今度私のように各地の航空隊
から転任してきた者は、これらの分隊に編入されずに新たに第31分隊が編成され
ました。この分隊は、戦闘機それに艦攻や艦爆など比較的経験豊富な操縦員だけ
で構成されていました。変わり種としては水上機から陸上機に機種転換した者もい
ました。
私の所属した第31分隊は、海兵出身で艦攻操縦員の小柳津中尉が分隊長でした。
分隊士は殆ど予備学生の出身者で、 それに下士官兵を含めた約50名で編成され
ました。 そして、これらの4個分隊を統括する飛行隊長は田中少佐(海兵67期)で
した。
皆の話を聞いてみると、練習航空隊の教員配置のつもりで赴任した者が大部分で
した。 ところが古くからいる隊員の話では、学生や練習生を対象にした教務飛行
は燃料不足のため既に中断しているとのことでした。そのうえ、特攻隊を編成する
という噂が囁かれていました。それが本当なら、第31分隊は特攻要員として集め
られたことになります。不安は増すばかりでした。
4月始め、総勢約250名の全搭乗員が集められました。ここで、航空隊司令川元
大佐から「特攻隊員を命ず」と宣告されました。不安は的中しました。 「神風特別
攻撃隊・白菊隊」の編成命令が出されたのです。この時期、特攻隊は志願者を募
るのではなく、飛行分隊の所属搭乗員を命令によってそのまま編入されたのです。
早速特攻訓練が開始されました。 第31分隊は各基地の実施部隊から集められた、
操縦員ばかりで、「白菊」に乗るのは初めての者ばかりでした。 そのため、地上で
エンジンの性能や飛行諸元などの説明を受けて、 操縦員同士が乗り込んで打っ付
け本番の離陸着陸の訓練から始めました。「白菊」は艦上攻撃機に比較して操縦の
やさしい飛行機でした。
そして、離着陸の訓練が終わると次は昼間の計器飛行に移りました。これは、極端
に速度の遅い「白菊」で沖縄特攻を行うには、敵機に発見されにくい夜間攻撃が有利
と考えられたからです。飛行眼鏡に黒い紙を貼りつけ計器盤だけが見える小さな穴
をあけ、淡路島から和歌山そして姫路の上空へと計器だけを頼りの航法訓練を実施
しました。
本来このような飛行訓練は操縦員と偵察員がペアになって行うのが普通です。だが、
私たちが正式にペアを編成したのは、出撃が決まり串良基地へ進出する直前でした。
そのうち訓練は夜間飛行が主体となりました。昼間は就寝し夜間に飛行作業を実施
するという昼夜逆転の生活がはじまったのです。また飛行作業の合間には、種子島
から沖縄本島に至るまでの喜界島や奄美大島それに与論島などの位置と、島の形
を覚えることに専念しました。
これが終わると、次は艦形識別です。写真やスライドなどを使って、アメリカ海軍の
戦艦・巡洋艦・航空母艦などの形式を記憶するのです。 これらの訓練は、夜間は
アメリカ軍のレーダーを避けるため、高度100メートル以下の低空で進撃しテ確実
に沖縄本当にたどり着くことともに、体当たりの目標である敵艦船の識別を主眼と
したものでした。当時は戦果確認のための友軍機などは飛びません。だから、自ら
目標を識別して体当たりを敢行し、直前にこれを基地に報告しなければならないの
です。
戦艦に体当たりする場合は「セタ セタ セタ」と打電し、 最後は電鍵を押しっ放しに
し「ツ ―――――――」 と長符を送信します。この電波が途切れた時が即ち体当
たりの時刻であると同時に戦死の時間なのです。「ホタ ホタ ホタ」は敵空母に体当
たりするとの意味で、 「ユタ ユタ ユタ」は敵輸送船に体当たりするという予め決めら
れた通信略語です。
ところが、 電信機を積んでいる飛行機は少なく、殆どの飛行機は電信機を降ろして
いました。 これは500キロ相当の爆弾を積むために機体重量を軽くする目的もあ
りましたが、 体当たりして消耗する飛行機に電信機はもったいないと言うのが本音
でした。
また、たとえ電信機を積んでいても暗闇では出合い頭に集中砲火を浴びて、初めて
敵に気づくような状況のなかで、艦形を確かめて発信する余裕などない場合が多い
のです。 いきなり撃ってきた対空防禦砲火に向かって突っ込むことになるからです。
だから、どんな艦種に体当たりしたのか誰にも確認できないのです。
☆今日の一言☆
「もしもし」と声かけられて振り向けば携帯電話の話中
[AOZORANOHATENI]
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