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ありし日の福田兵曹。
亡き戦友を偲ぶ http://www.warbirds.jp/senri/
17-8、忘れ得ぬ同期の桜
西部 博俊君(福岡県田川市出身)の手記を紹介致します。
昭和19年10月12日未明から15日までの4日間、猛烈な航空戦が展開されま
した。台湾沖航空戦です。飛練を卒業して台南空に配属され、九九艦爆と九七艦攻
を使って錬成訓練中であったわれわれが、初めて実戦を体験したのです。そして、
急遽台南空の東約5キロにある帰仁基地に根拠を移して訓練を再開しました。
こうした中、11月1日付で半人前ながら、海軍2等飛行兵曹に任命され台南市の
海仁会館で盛大な任官祝が催されました。ところが、任官の喜びにひたる暇もなく、
特別攻撃隊が編成されることになりました。 この時は、命令によるものではなくて、
希望者を募っての編成であったと記憶しています。
小生も特攻を希望していたのですが、艦攻分隊長砂原大尉に呼ばれ「貴様は長男
だから駄目だ!」と一喝され、転属準備を言い渡されました。さて、どこへ転属させ
られるのだろうかと思っていると、 再度呼び出され、「編成上もう一機ほしい、強制
はしないがどうだ」との話で、特攻隊への編入が決まりまし。この時の編成は、操縦
員は予備学生13期生と乙飛17期生それに特乙1期生で、偵察員の殆どが上海空
で飛練を卒業したばかりのわれわれ甲飛12期生でした。
帰仁基地では、日中の空襲を避け、夜間の特攻訓練が開始されました。特に夜間の
洋上飛行が重視されました。夜間洋上航法の成否は迅速確実な偏流測定にあります。
投下した航法目標灯を追って測定器を操作します。後方に流れる目標灯をプリズムで
戻してその角度を測定するのですが、マゴマゴしていると目標が測定器から外れてし
まいます。
これでは、偏流測定できません。別に何か目標になるものをと探しても、当時は漁火
なども皆無でした。更に地上では灯火管制が実施され、真っ暗闇で何も見えません。
下手をすると機位を失して、自分が今どこを飛んでるのか分からなくなります。
回数を重ねて少し自信がついたある日。居眠り防止用の抹茶を固めた錠剤をかじりな
がら、九七艦攻の電信席に乗り込みました。操縦員は原嶋久仁信1飛曹(乙17期)で
偵察員が福田周幸2飛曹(甲12期)それに私のペアです。
地上における点検を終えて、チョークを外し滑走路に向かいます。私は後ろを向いて
座席に跨がって、背もたれに腕を乗せ、指揮所に向かってオルジス信号を送っていま
した。 離陸地点に着いたらしく、 「左右後方ヨロシイ!」、 「離陸目標ヨーシ!」 と、
福田兵曹の声が聞こえ、続いて、「前方ヨーシ」と原嶋兵曹。本来ならこの時点で座席
を座り直し、座席バンドを締めて離陸態勢を整えるのです。だがこの日は、横着を決
め込んで後ろ向きに座ったまま、「離陸準備ヨーシ」。
原嶋兵曹の「離陸スルー」との元気な声でいよいよ離陸発進です。ところが、スピード
が増すにつれて指揮所の見え具合が普段と違います?? と、思う間もなく、機体が
バウンドして尾輪がコンコンと跳ねだしました。ブレーキ音が軋みました。 背もたれ
にしっかりとしがみつきました。 どうやら滑走路を外れているようだなと思った瞬間、
グワッグワッという轟音と同時に機はキリキリ舞をして、ドスーンと止まりました。
……一瞬静寂の暗闇……
我に返って恐る恐るオルジスで付近を照らして見ると、あたり一面濛々たる砂塵で
す。 偵察席を照らしながら、 「福田!」と声をかけると、「グッグゥ」と声にならない
声です。
「原嶋兵曹、原嶋兵曹! 大丈夫ですか?」と声をかけます。何度目かに、「オーウ」
と声が返ってきました。どうやら放心状態にある様子です。
指揮所に向け 「・・・ ━ ━ ━ ・・・(SOS)」 と、 発光信号を繰り返しました。
ところが、 既に異変を察したらしく、救難の車らしきものがこちらに向かって来て
いるようです。翼の上に出て福田兵曹の様子を窺うと、両手で顔面を覆って俯して
います。手袋の間から血が流れ出ている様子です。
原嶋兵曹にその旨を伝え、早く救難隊に知らせなければと翼の上から一気に地上
へ跳びました。イチニッサンと拍子をとって跳び降りたのですが、ギクッと左足首に
激痛が走って、その場に座り込んでしまいました。何のことはない、飛行機の脚が
折れていたので翼は地面と殆ど変わらない高さだったのです。泡を食った時はこん
なものか?
早速台南海軍病院に運ばれ精密検査を受ける羽目になりました。原嶋兵曹は異常
なし。私は軽い足首捻挫ですみましたが、福田兵曹は眉間の下部打撲切創で入院
となりました。福田兵曹は退院後も、横約2センチの傷痕が残ることになり、貫録を
つけていました。
事故原因は連日の訓練の疲れで、列線の危険表示のランプを離陸目標灯と見誤り、
これに向かって滑走を始めたのでした。そのため、列線にあった飛行機も一部破損
しました。だが、なぜか叱責されることはありませんでした。
それから間もなくわれわれは、 721空(神ノ池)に転属が発令され、内地に帰還す
ることができました。神ノ池は神雷部隊の訓練基地です。 どんな配置を与えられる
かと思っていましたら、 新たに艦爆隊が編成されていて、 新鋭機彗星による錬成
訓練が開始されました。
この間、福田兵曹とはなぜか気が合い、同じ家に下宿して隊の内外を問わず常に
行動を共にしていました。 一升瓶をラッパ飲みしたり、ウイスキーの飲み比べをし
たりした、懐かしい思い出ばかりです。また、外出のたびに鹿島神宮に参拝したもの
です。
次に、百里原空に転属となりました。ここでは、また九九艦爆と九七艦攻に逆戻り
です。一部の者は彗星の経験を生かして、同じ基地に所在していた、601空攻撃
第1飛行隊に配属され、別れ別れとなりました。
アメリカ軍の沖縄侵攻が始まり、 「菊水作戦」が開始されると、次々に「特攻隊」が
編成されました。 福田兵曹は早々と九九艦爆の「神風特別攻撃隊第2正統隊」に
編入され、第2国分基地へ進出しました。そして、還らざる攻撃に飛び立ったのです。
更に痛恨の極みは、終戦当日即ち8月15日10:50、百里原基地を発進し、関東東
方海上の機動部隊に対し、帰らざる攻撃を敢行した 「神風特別攻撃隊第4御盾隊」
に、溝口和彦及び田中喬の両同期生が含まれていたことです。運命の日、祖国防衛
の礎ならんと、何のためらいもなく出撃し、自らの命を断った御霊よ、永遠に安らかな
らんことを。
☆今日の一言☆
能ある鷹は爪を隠す
[AOZORANOHATENI]
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