老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

3陣中談議・うら話

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全14ページ

[10] [11] [12] [13] [14]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

            着艦要領と指導灯の見え具合。

陣中談議・うら話
             3-13、着艦指導灯について

 ある著名出版社の「軍用機シリーズ」の本を読んでいて、アッと驚きました。それは、
航空母艦の着艦指導灯の青と赤の色が逆になっていたからです。飛行時間数千時間を
数える艦攻操縦員が、指導灯の色を忘れたわけではないと思います。彼の著書も誤って
書かれています。恐らく彼は、自分で原稿を書かず、口述して書かせたのでしょう。
その時彼が勘違いして説明したのか、それとも筆記者が聞き違えたのかも知れません。

 予科練時代の班長田島二整曹は、戦闘機整備員として「赤城」に乗り組み、真珠湾攻撃
に参加された方です。事あるごとに当時の話を聞かせてくれました。将来我々が母艦に乗
り組んだ際の参考になればとの配慮からです。母艦の構造や艦内生活それに発着艦の
要領など、整備員の立場からの所見でした。

 百里原空の艦攻実用機教程での飛行隊長、後藤大尉も「赤城」雷撃隊第二小隊長とし
て真珠湾攻撃に参加された方です。天候の都合なので飛行作業が中止になると、当時の
状況や母艦の運用それに発着艦の要領などを講義されました。

 九〇三空の艦攻隊にも母艦経験者が数人いて、パートの雑談で貴重な体験談を聞かせ
て頂きました。我々が飛練を卒業した十九年末には、空母艦隊の組織的運用は絶望となり、
母艦勤務はなくなりましたが、知識だけは先輩から受け継いでいました。

 先ず着艦収容から説明します。攻撃隊が帰投すると、母艦のマストに「吹流し」が半揚
されます。「母艦風ニ立ツ」即ち「着艦準備中」の意味です。発着艦は全て風に正対して
行われます。陸上基地ではある程度の横風にも対応できますが、狭い飛行甲板に着艦
するには横風は禁物です。飛行甲板の先端にある蒸気噴出し口から流れる蒸気の流れ
で、風に正対するように操艦します。

 次に飛行甲板上の風速です。本来の風速と艦の速力による「合成風速」が15メートル
になるように、母艦の速力を調整します。風に正対し「合成風速」15メートルに整合
できた時点で「吹流し」を全揚、黒球1−5の信号旗が揚がります。「着艦準備完了・合成
風速15メートル」の合図です。

 この合図を確認して、飛行機は着艦操作に入ります。高度を250メートルまで落として
母艦の右舷上空を通過しながら編隊を解散します。編隊解散は一番機が小さなバンク
で列機に合図を送り増速先行し、左旋回で誘導コースに入ります。二番機は速度をやや
落とし直進しながら一番機と間合いをとり、約1,000メートルの間隔を開けて追従します。
三番機はやや左に方向を変え、二番機との間隔を約1,000メートルに開いて続行します。
各機は誘導コースに入ると先ず脚を出します。

 母艦の後方1,000メートルに駆逐艦(別名・トンボ吊り)が随航しています。この上空が
第四旋回点です。これを目安にして第三旋回の位置を決めます。第三旋回が終わると
昇降舵タブを調節しながらフラッブを降ろします。 この時点では既に6.5度にセットされ
た着艦指導灯が視認できます。次にフックを降ろします。

 陸上基地での離着陸訓練と着艦訓練での違いはこのフックにあります。陸上基地での
訓練ではフックを降ろしません。だから着艦の際に迂闊にもフックを降ろすのを忘れること
かあるそうです。発着艦指揮官はフックを確認して、降ろしてない機には、信号灯で短符
を連送して注意を喚起します。早く気が着けばフックを降ろしますが、間に合わなければ
着艦の遣り直しです。

 第四旋回を終わり、機首角アップ2度、気速65ノットでパスに乗ります(九七艦攻の場合)。
母艦に軸線を合わせ、着艦指導灯の赤灯と青灯が横一線になるようにして降下します。
艦攻の偵察員は、高度計と速度計を交互に読みながら操縦員に協力します。偵察員は
最後に艦尾通過を確認して「艦尾代った」と叫びます。

 正常なパスに乗って降下すれば、艦尾の位置で眼高7メートルです。操縦員はエンジン
をカットして引き起こします。母艦の艦尾には「艦尾張出し」といって翼のように張出した
部分があります。着艦の際に操縦席から艦尾の位置が分るようにする為のものです。

 着艦すると、フックを巻き上げフラップを揚げます。プロペラを高ピッチに切り替えて
直ちにエンジンを停止します。寸秒を争う忙しさです。この間に整備員は翼を折りたたみ
ながら前部リフトへ運びます。この時点で次の機は既にパスの中途にあります。 

イメージ 1

             定着マークの関係位置。


陣中談議・うら話
          3-12、「定所着陸」と夜間飛行について

 海軍の飛行術練習生では「定所着陸」という訓練項目があります。これは白い布板で、
航空母艦の飛行甲板を想定した巾40メートル長さ200メートルの区画を造り、ここへ
着陸する訓練です。この際、操縦員が着陸の目安とする、青赤の「着陸指導板」が設置
されます。

 着陸指導板の巾は約30センチで長さは約2メートルの板で、青と赤に塗られています。
(芝生の飛行場では青でなく白) 青板は地面に置かれ、赤板には約1メートルの台が付
けられています。そして、青板と赤板を見通した角度が4・5〜5・5度になるよぅにセット
します。飛行機が降下する角度です。風速によって角度を調節します。これらを「定着マ
ーク」呼んでいました。
     
 操縦員は青を自分に見たてます。青が赤の下に見えれば低すぎで、青が赤の上に見え
れば高すぎです。一番手前の布板(艦尾マーク)を通過した所で、エンジンを絞って引き起
こせば、「着陸指導板」の横ぐらいに接地します。

 夜間飛行の場合は、布板に代えてカンテラで位置を示します。「着陸指導板」は青と赤
の電球を並べた「着陸指導灯」に替えバッテリーに繋ぎます。これを「夜設」と呼びます。
この赤と青が逆になったら大変です。この青と赤の関係位置は陸上基地も母艦も一貫し
て同じです。海軍では、将来航空母艦で発着艦することを目的にして、基礎訓練の段階
から「定所着陸」を訓練しているのです。

百里原空の実用機教程では、常時定着マークがセットされていました。編隊飛行であろ
うと、発射運動であろうと、着陸はすべて定所着陸です。飛行場に帰ると、「定着マーク」
の位置と方向を確認し、高度を下げながらその右側上空を通過して「誘導コース」へ入り
ます。真上を通過しないのは、「定着マーク」が見辛いからです。夜間飛行の場合も同様
です。「夜設」の右上空に進入して「誘導コース」を回ります。

「誘導コース」は原則として左回りです。これは、母艦の「着艦指導灯」が左舷に設置され
ているため、見易いからだそうです。但し、陸上飛行場の場合はその地形等に応じて設定
されていました。格納庫や高い煙突を避けて、反対側に廻るのが定石です。だから、風向
によって右回りか左回りかが決まります。但し、館山基地は例外でした。北側の湾内を
水上機隊が使用するため、陸上機隊は東西滑走路を使う場合、風向にかかわらず南側の
山の上を飛んでいました。しかし、夜間飛行の際には事前に水上機隊と調整して湾内上空
を飛ぶこともありました。

 海軍の搭乗員で夜間飛行が出来なければ一人前とは云えません。大井空時代は、昼夜
入れ替えで、毎日のように夜間飛行訓練が実施されました。この場合、裏方の任務が重要
です。先ず「飛行指揮所」と「夜設」の設営からはじめます。

 「飛行指揮所」の設営は、偵察員の役目です。指揮官の椅子を置き、その後にバンコを並
べ搭乗員の待機所を作ります。指揮所の位置を示すため、吹流しの竿の先に白灯を付け
ます。通信連絡用のオルジスをバッテリーに接続します。見張用の眼鏡の準備も必要です。

 操縦員は「夜設」の準備を行います。日頃手入れしているカンテラを並べ「着陸指導灯」
を風力に合わせて設定します。これらの作業は暗くなる前に行う方がやり易い。だから、
夕食が終わると直ぐに準備に掛っていました。

 飛行作業が開始されると、カンテラに点火し、「着陸指導灯」をバッテリーに繋ぎます。
これで「夜設」準備は完了です。谷田部空や百里原空の練習航空隊では、夜間飛行訓練
が終了するまで「夜設」は点けっ放しでした。ところが大井空では、夜設係はその場に待機
します。そして、指揮所からの指示で点けたり消したりするのです。これは敵の夜間空襲
に対処するためです。

 出発準備のできた飛行機は、オルジスを指揮所に向けて予め指定された自己符号を発信
します。「‐― ‐― 」これを見て、発着係は「イワテ出発よろしきや」と指揮官に伺います。
指揮官は離陸地帯に障害のないことを確認して「イワテ出発」と令します。発着係は「イワテ
出発」と復唱して、「‐― ‐―」とオルジスで送信します。これを受けた飛行機は「‐― ‐―‐」
と返送して列線を離れ、離陸地帯へ向かいます。発着係は「イワテ出発りょーかい」と指揮官
に報告します。

 帰投した飛行機は「夜設」を確認して「誘導コース」に入ります。第3コース指揮所の正面
附近から「―‐‐‐ ―‐‐‐」と送信してきます。発着係は「ハルナ降着よろしきや」と指揮官に
伺います。指揮官は着陸地帯に異状のないことを確認して「ハルナ降着」と令します。
「―‐‐‐ ―‐‐‐」発着係の送信に対して「―‐‐‐ ‐―‐」と返送してきます。
「ハルナ降着りょーかい」発着係は指揮官に報告します。

 このように裏方の活躍で夜間飛行訓練は順調に進行するのです。これらの作業は担当者
が逐次交替しながら実施されます。そして、これらの作業を「指揮所要務」と呼んでいました。

3-11、時鐘

イメージ 1

          軍艦や航空隊では、時刻を知らせる為に鐘が鳴らされていました。


陣中談議・うら話
            3-11、時鐘

 海軍では「時鐘(じしょう)」と呼んで、30分毎に鐘を鳴らして時刻を知らせていました。
これは勤務交替などのため必要でした。時鐘番兵は甲板時計を確認して、決められた
数の鐘を鳴らすのです。0:30の1点鐘に始まり、1:00は2点鐘、1:30は3点鐘と続き、
4:00の8点鐘で一巡します。次に4:30の1点鐘に始まり、次のように1日に6巡します。

0:30 ・  1:00 ・・ 1:30 ・・ ・ 2:00 ・・ ・・ 
2:30 ・・ ・・ ・ 3:00 ・・ ・・ ・・ 3:30 ・・ ・・ ・・ ・ 4:00 ・・ ・・ ・・ ・・

4:30 ・ 5:00 ・・     5:30 ・・ ・ 6:00 ・・ ・・
6:30 ・・ ・・ ・ 7:00 ・・ ・・ ・・ 7:30 ・・ ・・ ・・ ・ 8:00 ・・ ・・ ・・ ・・

8:30 ・ 9:00 ・・ 9:30 ・・ ・ 10:00 ・・ ・・
10:30 ・・ ・・ ・ 11:00 ・・ ・・ ・・ 11:30 ・・ ・・ ・・ ・ 12:00 ・・ ・・ ・・ ・・

12:30 ・ 13:00 ・・ 13:30 ・・ ・ 14:00 ・・ ・・
14:30 ・・ ・・ ・ 15:00 ・・ ・・ ・・ 15:30 ・・ ・・ ・・ ・ 16:00 ・・ ・・ ・・ ・・

16:30 ・ 17:00 ・・ 17:30 ・・ ・ 18:00 ・・ ・・
18:30 ・ 19:00 ・・ 19:30 ・・ ・ 20:00 ・・ ・・ ・・ ・・

20:30 ・ 21:00 ・・ 21:30 ・・ ・ 22:00 ・・ ・・
22:30 ・・ ・・ ・ 23:00 ・・ ・・ ・・ 23:30 ・・ ・・ ・・ ・ 24:00 ・・ ・・ ・・ ・・

 上記の表で、18:30から19:30までは変則的な時鐘です。18.30は本来なら5点鐘ですが、
1点鐘になっています。19.00が2点鐘です。19.30は3点鐘で、20.00の8点鐘で元に戻
ります。これには訳があります。昔大航海時代に、夕方になると「海坊主」が現れて船を
襲いました。これに対処するために、ある知恵者が考えました。それは「海坊主」が夕方
にだけ現れる性格から「海坊主」の時刻を混乱させる作戦です。

 「海坊主」が夕方に眠りから醒めます。すると、1点鐘が聞こえてきます。「あゝまだ
四時半か…… 早く起きすぎた…… もう一眠りしよう……」。そして、また目を覚まし
ます。すると聞こえてくるのは8点鐘です。「しまった! 寝過ぎた! まーあ明日があ
るさ……」と言ってまた寝込みます。

 停泊中の艦船や陸上部隊では、消灯から翌朝の「総員越し」1時間前までは時鐘を
鳴らしません。それは、「海坊主」でなく「人間様」の眠りを妨げないためだそうです。

 今どき「海坊主」の話を真に受ける人はいないと思います。時鐘について、ある商船
学校出身の方から聞いた話を紹介します。

 昔の商船では通常の航海中は、操舵や見張りなどの当直勤務は4時間交代で、時鐘に
合わせて勤務していました。鐘の数がだんだん増えて、8点鐘が勤務交替の合図です。
勿論入港や出港その他の場合は総員が配置につきます。

 夕暮れ時の18:00から20:00までは、1日が終わる気の緩みと夕暮れの気象条件が重なり、
事故が起こりやすい時間帯だそうです。そこで、16:00から勤務についたクルーの緊張感を
持続させる処置として、勤務が後半に入る夕方1時間の点鐘を変更したのだそうです。

 即ち、本来なら当直勤務が後半に入ったことを告げる18:30の5点鐘を、勤務が始まった
ばかりの1点鐘に変えることで「まだまだ、当直は始まったばかりだぞー しっかり勤務
せよ」との意識を持たせるための方策だそうです。

「海坊主」の伝説は、夕暮れ時の気象条件特に視界の変化と勤務後半のだれが重なって
起きる夕方特有の事故を「海坊主」の仕業として戒めたものと推察します。レーダーその
他の航海用具が完備した現在でも、見張り不足その他の不注意による海難事故は、夕暮
れ時に多発しています。ならば「海坊主」は現在も生き続けていることになります。

3-10、航空通信略語

イメージ 1

           トラ トラ トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)


陣中談議・うら話
             3-10、航空通信略語

 航空通信では、赤い表紙の「タ」の暗号書が用いられていました。極秘文書で、内容は
しばしば変更されました。これ以外に、少ない文字数で迅速的確に意志を伝達するため、
「緊急通信略語」が決められていました。「リサ乙」呼ばれ、機密の保持よりも緊急度を
重視したものです。内容の追加はあっても変更はありませんでした。

・―・― ― ・―・― ― ・―・― ― ・―・― ― 
テテテテ      敵艦発見
・―・― ― ・―・―・・ ・―・― ― ・―・―・・ ・―・― ― ・―・―・・  
テキ テキ テキ  空母ヲ含ム敵艦隊発見
― ―・・―  ― ―・・―  ― ―・・―  ― ―・・―  
ヒヒヒヒ      敵機発見
・― ―・ ・― ― ―・ ・・―  ・― ―・ ・― ― ―・ ・・― 
ツセウ ツセウ   敵機ノ追跡ヲ受ケツツアリ
・・―・・ ・― ―・ ― ― ― ・・―・・ ・― ―・ ― ― ―
トツレ トツレ   突撃準備隊形作レ
・・―・・ ・・―・・ ・・―・・
トトト       突撃セヨ       などです。

真珠湾攻撃で使用された「トラ トラ トラ (ワレ奇襲ニ成功セリ)」は有名です。
また、特攻機が突入に際して発信した「セタ セタ セタ (ワレ戦艦ニ体当タリスル)」
「ユタ ユタ ユタ (ワレ輸送船ニ体当タリスル)」は涙なくして受信できません。
彼らは、・・・―・ (終止符) の次に電鍵を押さえ放しにして体当たりしました。だから、
「ツ――――」の長符が途絶えた時刻が体当たりの時刻であり、彼らが散華した時刻
なのです。


 戦記小説など読んでいると、索敵機が敵艦を発見してから暗号書を引いて電文を作成す
るなどの記述があります。しかし、当時の機長や電信員は、その日の任務から予測される
電文を出発前に作成し、位置や時刻を追加すれば直ぐに打電できるように準備していまし
た。また、緊急の場合には暗号を組むより簡単な前記「リサ乙」で発信します。「リサ乙」
はすべて暗記していました。

号外!

イメージ 1

             毎日新聞 平成17年8月14日

号外!  毎日新聞で報道されました。

全14ページ

[10] [11] [12] [13] [14]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
sen*i0*20
sen*i0*20
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事