老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

3陣中談議・うら話

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3-55、「宇垣特攻」の謎

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           降伏文書に調印

陣中談議・うら話  http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html  
        3-55、「宇垣特攻」の謎

       (31)「宇垣特攻」八月十六日説の裏付け。

★アメリカ側証言の要約はつぎのとおりです。 

「特攻宇垣長官機最後の真相」(歴史研究家 大沢博)
 “ポツダム宣言”受諾の日本政府の公電が、スイス駐在の加瀬公使を通じて発せられた
のは、 十四日の深夜である。これを受けたアメリカ政府が、やはりスイス経由で日本軍の
戦闘行動を中止せよと指示した通告文を発し、これが届いたのが十六日午前である。

◎クライド・タルボット氏 (リバティ船チャールス・E・スミス号船員) 当時沖縄本島の
本部半島の先端近く(対岸に伊江島がある)に停泊していた。     

 日本がポツダム宣言を受諾したことは、八月十四日の朝、スピーカーで流したので知り
ました。そのときはみな何かのまちがいで、本当ではないと思っていました。……カミカゼ
からの防御方法として……煙幕をはっていました。……ところが、十四日の朝からそれが
まったく行われなくなった。 船団についていた対空護衛艦も近くから姿を消し、小型護衛
空母も私たちの船とならんで錨をおろしてしまった。
 十五日になっても同じ状況が続き、多くの人たちは上陸してしまい、……この日の夕方
からは灯火管制もとかれ……七時半ちかかったと思います。……甲板にいた私は突如と
して数機の爆音を……だれかが「カミカゼだっ!」とどなりました。……私はその間、七機
のカミカゼを数えました。   

◎ウェーシー・ハーガソン氏(対空護衛艦デストロイヤー乗組員)当時本部半島と伊江島
の中間点に停泊していた。

 その日(八月十五日)は乗組員のほとんどが上陸していた。日本が負けたことは十四日
の朝、“ポツダムの条件”を受け入れたと聞いていたが、その日(十四日)の午後になって
はっきりと、日本が降伏したことを伝えられた。
 そこで十五日は朝から、いままで行われていたカミカゼに対する総ての防衛行動が停止
となり、私には上陸がゆるされた。……午後七時三十分ごろだったと思う。……七〜八機
はいたと思う。……「カミカゼだ!」と私たちはおどろいて、……やがてカミカゼは、はげし
く火をふき出し……   

◎ダニイ・ローズウェル氏(当時LST296号の甲板長)伊平屋島のキヤンプへ食糧輸送
中。「その日のことはよくおぼえています」……八月十五日の午後四時二十分ごろ、私の
LSTは、キャンプに近い砂浜に食糧をおろしていました。 ……七時四十分ごろ、……
にわかに、 エンジンの音がして……だれかが「ジャップだ!」「カミカゼだっ!」とどなり
ました。

★以上の証言で疑問になるのは、日本政府の“ポツダム宣言”受諾の決定は八月十四日
の御前会議です。 それを、スイス駐在の加瀬公使を通じて通告したのは、八月十四日の
深夜です。なのに、これをアメリカ軍の最前戦の兵士が知ったのが同じ八月十四日の朝
となっています。

★解説すれば、これはアメリカ側の日付と日本側の日付では、一日の差があるからです。
彼らの記憶が正しいとすれば、八月十五日の「カミカゼ」は、宇垣長官の特攻と推定され
ます。即ち、彼らの言う八月十五日とは、日本の日付では八月十六日となるのです。

★日本の真珠湾攻撃は十二月八日と発表されました。ところが、アメリカでは十二月七日
です。 これは日付変更線にかかわらず、お互いに自国の歴日を使用しているからです。
特に公式記録では、時刻を現地時刻で併記して採用する場合があっても日付はすべて
自国の暦日を使用しているのです。

★1945年9月2日のニューヨークタイムズに、ミズリー艦上での「降伏文書調印」の状況
が写真入りで掲載されています。 降伏文書の調印は日本では9月2日に行われました。
アメリカでは9月1日のニュースが、9月2日の新聞に掲載されたと云う訳です。

★私は未読ですが、近代史家の秦郁彦氏が、米軍を調査して得た情報の一つに、
「ワ−ルド・アルマナック」という日誌があるそうです。 その1945年8月15日に、
「終戦の通報12時間後に2機の特攻機が沖縄本島30マイルの伊平屋島に突入した」と
記録されているそうです。 「終戦の通報」とは、アメリカ政府がスイス経由で日本政府に
発した「日本軍の戦闘行動を中止せよ」との通告文のことに違いありません。
 また、15日08:00に米機動部隊艦艇に対し、米大統領の「停戦メッセ−ジ」が流された
とも記録されているそうです。

★アメリカ側の十五日、即ち日本では十六日に当たり時間的にも辻褄が合います。

3-54、「宇垣特攻」の謎

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            空白の戦記。

陣中談議・うら話  http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html  
        3-54、「宇垣特攻」の謎

       (30)☆五航艦の終戦処理担当者の証言。

★吉村氏の「空白の戦記」は終戦処理に当たった、 五航艦の先任参謀宮崎隆氏と対談し、
その証言を記述しています。
〔吉村1〕
八月十四日、呉鎮守府を通じて大本営から「ソ連及び沖縄方面に対する積極攻撃を中止せ
よ」という命令を受けた。宇垣は、はっきり日本が全面降伏することを知った。
〔吉村2〕
その日の夕方、宮崎先任参謀は、長官室に呼ばれた。 椅子に座っていた宇垣は、「明日、
沖縄のアメリカ艦船に五機の特攻機を出撃させる。指揮官は、私である」と、言った。
〔吉村3〕
翌十五日、再び説得がつづけられたが宇垣の決意は変らず、 宮崎先任参謀は、やむなく
午前十時半に熱いものがこみ上げるのを堪えながら作戦命令を起案し、 宇垣に提出した。
そして、隊長中津留達雄大尉を呼んで、司令長官が特別攻撃に参加することを告げた。
〔松下10〕
後年、久留米市在住の宮崎を訪ねて直接取材した作家吉村昭は『実録・最後の特攻機』の
中で、それを八月十四日夕刻であったとしている。(一部省略)
ただ、殆どの記録は八月十五日未明説をとっている。これは『戦藻録』が根拠となっている
のであろう。

★宮崎大佐は先任参謀として終始長官の身近に仕え、 五航艦の終戦処理を担当された
責任者です。だから、一番正確な事実を知り得る立場にありました。殆どの文献が長官の
決心を十五日早朝とし、出撃命令を十五日午後としているのに対し、宮崎氏のみは長官の
決心を十四日夕刻、作戦命令を十五日午前十時半に、自ら起案したと証言しています。

★これは、長官の決心から翻意の懇請や説得などの時間的経過、更に、爆弾積み替えな
ど出撃準備に要した時間などを熟知していたからだと思います。即ち、出撃を八月十五日
の夕刻とするためには、遅くとも十五日の午前十時前後には「作戦命令」を出したことにす
る必要があったのです。また、長官に対する翻意説得に要した時間を考慮すると、長官の
決心を十四日の夕方とせざるを得なかったのではないでしょうか。

★先任参謀宮崎大佐は、終戦処理に際し、長官の出撃を八月十五日夕刻とし「特攻隊」と
認めるよう聯合艦隊司令部に上申したものと思われます。しかし、司令部では諸般の事情
を検討した結果、八月十六日午後四時に発令された「即時戦闘行動を停止せよ」との奉勅
命令を無視した出撃のため「特攻隊」として認めず、 出撃隊員のみを一般戦死として取り
扱うことを認めたというのが真相ではないでしょうか。

3-53、「宇垣特攻」の謎

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             出発直前の宇垣中将。

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        3-53、「宇垣特攻」の謎

       (29)☆出撃隊員の処遇について。

〔野原6〕
ポツダム宣言受諾の政府公電が発せられたのは十四日の深夜であり、それを受けたアメリ
カ政府からの、日本軍の戦闘行動を中止せよとの指示が日本政府に届いたのは十六日の
午後になってからである。 午後四時、大本営は正式の停戦命令を出し、「即時戦闘行動を
停止すべし」と示達した。
〔松下9〕
本来なら宇垣隊はその最後の頁に布告さるべき特攻隊であったが、しかし彼らはそこに公
式に名を連ねることを許されなかった。昭和二十年十月一日付で連合艦隊副官の起案した
「GF(連合艦隊)終第四二号」という公文書には、<昭和二十年八月十五日夜間沖縄方面に
出撃せる左記の者は特攻隊員として布告せられざるに付、 一般戦死者として可然御処理
相成度>とあって、海軍大尉中津留大尉以下十六名の名が列記されているという。
〔秦1〕
昭和二十年十月一日付で 連合艦隊(GF)副官の起案した「GF終第四二号」という文書が
残っている。 「特攻隊員として詮議せられざりし者の件」と題して粗末なザラ紙にタイプで
打たれたものだが、
「昭和二十年八月十五日夜沖縄方面に出撃せる左記の者は特攻隊員として布告せられざ
るに付、一般戦死者として可然御処理相成度。
海軍大尉中津留達雄(以下省略) 」と計十六名の搭乗員の氏名が並んでいる。
〔秦2〕
終戦の日の年八月十五日には、他にも特攻戦死者があった。 (一部省略)
房総半島沖の米機動部隊に突入した第三航空艦隊所属の第四御楯隊八機と、第四流星隊
一機の搭乗員十八名である。(一部省略) 米側の記録によると正午から午御一時二十分に
かけて突入し、 (一部省略) そしてこの場合は従来の特攻戦死者と同じように全軍布告、
二階級特進の適用を受けている。
〔秦3〕
宇垣隊戦死者との処遇の差はなぜ生じたのか。両者の突入時刻の差は精々七〜八時間に
過ぎない。二つの出撃時刻を挟んで正午に天皇の玉音放送があったためか。しかし法的に
言えば軍の行動を律するのは大本営の命令であって、停戦を命じる大海令第四八号が示達
されたのは翌十六日の午後四時だった。
〔蝦名6〕
宇垣特攻出撃はもとより連合艦隊の命令によったものではない。 その反対に、終戦の命令
に背いた叛逆罪にも問われるものだった。当然連合艦隊告示にもしるされていない。
〔蝦名7〕
著者は「終戦の命令に背いた叛逆罪にも問われるものだった」とあるが、宇垣中将の行為は
叛逆行為ではない。それは、海軍刑法第二編第二章擅権の罪三一条に該当する。
 第三一条 指揮官、休戦又は媾和の告知を受けたる後、故なく戦闘を為したるときは、
        死刑に処す。
〔蝦名8〕
宇垣中将に死出のお伴をした搭乗員については、涙なくしては語れない思いであるが、罪に
該当しない。出撃の命令を受けた者は従わなければ、逆に抗命の罪に当たるであろう。
〔蝦名9〕
当時の日本国民にして、もしその場に居合わせたならば、同行を希望した二十二名の搭乗員
と同じような意思決定をしたであろう。 戦争の狂気はそこにある。本人の意思決定でありな
がら、実は本人の冷静な意思ではない。

★「宇垣隊」の出撃は、 大海令四八号の「停戦命令」が発令された後の、十六日午後四時
以降であったと思われます。 しかし、 出撃隊員の心情に免じて「戦死」として扱うため、
十五日として発表したのが真相ではないでしょうか。

★宇垣長官については、 「停戦命令」違反の廉で 「戦死」の栄誉を認められなかったのは
当然でありましょう。 また、階級章を外して出撃したことで、一私人としての行為とみなされ、
公式記録から除外されたのかも知れません。 

3-52、「宇垣特攻」の謎

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               別 杯。

陣中談議・うら話  http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html  
        3-52、「宇垣特攻」の謎

       (28)☆搭乗員整列と攻撃要領の指示。

〔吉村5〕
戦争は、終わった。が、特別攻撃機の出撃は予定通りすすめられた。
午後四時、司令部壕の外に立つバラック建ての食堂に参謀たちが集合した。
中央に宇垣司令長官が立った。コップに日本酒がそそがれ、一同別れの乾杯をした。
〔蝦名5〕
宇垣長官の出撃の時が迫ってきた。午後四時、特攻隊員宇垣長官一行との最後の、ささやか
な決別の宴が、 横穴防空壕内の、 せま苦しい司令部食堂で、息詰まるような思いのうちに
開れた。
〔酒井6〕
宇垣は時計に目をやった。針は四時半を回っていた。
滑走路では、七〇一航空隊大分派遣隊指揮官中都留大尉が出撃搭乗員に集合を命じていた。
〔日高5〕
午後四時半過ぎ――。
飛行場に黒塗りの車三台が到着した。
「中都留大尉、三機だけでよいと命じていたのに、これはどうしたことか」
「長官が特攻をかけるというのに、 三機だけとはもっての外、 私の部下一一機、全員がお供
します」
〔酒井7〕
爆音轟く中、別杯の儀式が行われた。 指揮所前のテーブルには杯とするめが一枚ずつおか
れている。
〔日高6〕
訓示が終わると、 指揮所前に準備されたテーブルの上にスルメ一匹ずつが置かれ、幕僚の
参謀たちが隊員一人一人にコップを握らせた。酒は白鹿の一級酒。――
〔豊田6〕
しかし、午後三時、司令部で宇垣長官を囲んで別杯が交わされる頃には、六機が強引に自ら
参加して、突入機は十一機にふくれ上がってしまい、(一部省略) 
〔二村4〕
午後何時ごろだったか覚えていないが、「沖縄に特攻をかける」との命令がきた。 「搭乗割」
から洩れていた連中が、 同行させてくれと騒ぎだした。 黒板を蹴倒したり、男泣きしながら
隊長に詰め寄るさまを、私は選ばれた者の一種の優越感をもって眺めていた。 
〔秦9〕
十三期予備学生出身の茂木仙太郎中尉は、 午後一時に非常呼集を受けて、愛機の側から
息せききって指揮所へかけつけると、搭乗員はほとんど全員が整列していた。 (一部省略)
「本日正午、玉音放送があり、わが日本帝國は降伏したのだ」 (一部省略)
肩を抱きあって泣く隊員の姿を見守っていた若い中津留大尉は、 やがて意を決したように、
「命令を伝える。 一六○○、わが七○一空は沖縄へ突っこむ。 点検を終わって集結せよ。
宇垣長官も参加される」と述べた。
〔二村5〕
「爆弾を八十番に変更せよ」との指示で、 積み替えを実施したが、 弾倉に入りきらず半ば
はみ出したまま装着した。「ガソリンも半分抜き取れ」との指示もでた。
〔松下7〕
ではなぜ、出発直前になって敢えて八○番に積み替えさせられたのだろうか。 その理由と
して考えられることは唯一つしかないように、寺司には思える。ガソリンを半分抜き取るため
の口実だったのではないか。
(一部省略)   彼等は還って来れぬように片道燃料にされたのだと考えるしかない。 事実は
八○番の爆弾に替えたからガソリンを抜かれたのではなく、ガソリンを抜くための口実として
八○番の爆弾に替えさせられたのであろう。
〔二村7〕
「本職先頭にたって、今から沖縄の米艦艇に最後の殴り込みをかける。一億総決起の模範
として死のう!」と言われ、山本五十六元帥からいただいた短剣をぐっと前に突き出された。
われわれもいっせいに、「ワーッ」 と歓声をあげ、 右の拳を突き上げた。 つづいて、
中津留大尉が、「降爆してからいったん機を引き起こし、そのあと空身で突っ込め」と、指示
された。
〔二村8〕
一番機の操縦は中津留大尉、その後席に宇垣中将と遠藤飛曹長が乗り込んだ。 一番機
に続いて二番機の私も離陸、 初めて積んだ八〇〇キロの重さで、 一、〇〇〇メートルの
滑走路を一杯に使ってようやく海面スレスレに浮上した。
〔酒井8〕
遠藤飛曹長は頑として聞き入れなかった。
「突入時刻は夜になりますので、 私のようなベテラン下士官偵察員がいなければ、迷子に
なってしまいます」

★別杯はバラック建ての食堂・横穴防空壕内の司令部食堂・指揮所前に準備されたテーブ
ルの何れなのでしょう? また、参加者は参謀・出撃隊員・それぞれ別になのでしょう?

★彗星の標準装備は、五十番一発か二十五番二発です。なぜ直前になって標準装備でも
ない八十番に積み替えさせたのでしょう。二村君も八十番での離陸は初めてだったと証言
しています。恐らく八十番での降爆訓練も実施していなかったと思われます。

★また十一機の爆弾の積み替えや、ガソリンを抜き取る作業が、果たして短時間で可能な
のでしょうか。各文献に共通する事は、幕僚や搭乗員の談話は収録していますが、出撃を
直接支援した整備員の証言が収録されていません。

★私は艦上攻撃機の操縦員で整備員ではありません。また機種も違うので一概には言えま
せんが、爆弾の積み替えは先ず、 搭載している爆弾の信管を外して爆弾運搬車に降ろし、
弾薬庫に運んで、次ぎに搭載する爆弾を積んで運搬する。その間に他の者が、爆弾投下器
の付け替えを実施します。 そして、爆弾の軸線を調整しながら装着し、 投下試験を行い、
再び装着して固定し信管を挿入します。最後に風車押さえ(信管の安全装置)で風車を固定
してから安全ピンを抜きます。射爆特技を持った整備員や爆弾運搬車の数にもよりますが、
重量八百瓩の爆弾の積み替えは短時間にできる作業ではありません。

★また、特攻本来の戦法「体当たり攻撃」ではなく「降爆」を指示したのは何を意味するの
でしょうか。

★更に、最精鋭の彗星艦爆が十一機も出撃しながら、戦果なしとはなぜでしょうか。

★中津留大尉の胸中を察するに、必死必中の「体当たり攻撃」を敢行して敵に損害を与え
ることが本意ではなく、長官に殉死することに意義を求めたのではないでしょうか。そうで
あれば、 熟練搭乗員を外して、若年搭乗員を主体に編成した理由も理解できます。また、
出撃搭乗員に対して、攻撃要領について何らかの特別の指示がなされていたものと推察
します。

3-51、「宇垣特攻」の謎

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              〔戦藻録〕


陣中談議・うら話  http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html  
        3-51、「宇垣特攻」の謎
        (27)☆宇垣長官最後の夜。

〔戦藻録〕
正午、君が代に續いて天皇陛下御自ら放送被遊。
ラジオの状態悪く、畏れ多くも其の御内容を明にすることを得ざりしも大体は拝察して誠に
恐懼之以上の事なし。親任を受けたる股肱の軍人とし本日此の悲運に會す。慚愧之に如く
ものなし。嗚呼!
参謀長に続いて城島十二航戦司令官余に再考を求めたるも後任者は本夕刻到着する事明
にして爾後の収拾に何等支障無し。未だ停戦命令にも接せず。多数殉忠の将士の跡を追ひ
特攻の精神に生きんとするに於て考慮の余地なし。

★宇垣長官は十五日早朝より、先任参謀・幕僚長・城島少将・山本少将などから代るがわる
説得を受けたが、それぞれに自分の決意を説明して納得させることができて、いよいよ出撃
が決定しました。「出撃命令」を決裁して後、ようやく自分の時間を持つことができたのです。

★早速「戦藻録」に遺書にも等しい文章を書き残し、次に、機上より発信する「決別の辞」を
浄書する。 更に、後任長官への引継ぎ事項を整理しながら、最後の夜(十五日)を過ごした
のではないでしょうか。

★そして、これら一連の身辺整理を終了して、「戦藻録」の一葉に最後の付記を書き添えた
のは、十六日の午後であったと想像します。


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