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飛行練習生当時の、二村治和君。
陣中談議・うら話 http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html
3-50、「宇垣特攻」の謎
(26)☆「搭乗割」の謎。
〔二村2〕
「出撃命令だぞー」と、揺り起されたときは、すでに午前九時を過ぎていた。素早く飛行服
を着込んで、宿舎まで迎えに来たトラックに乗り込んだ。
「これは特攻だ! ついに来るべきものが来た」と、私は感じた。
〔二村3〕
飛行場には十時ごろ着いた。 「搭乗割」の黒板を見ると、 二番機に私の名前があった。
中津留隊長機につづく二番機の指定である。 私は少なからぬ感激と優越感をおぼえた。
十二時出撃とのことで待機していたが、そのうち出撃命令は何故か解除され、「そのまま
待機せよ」と、指示された。
〔松下6〕
八月十五日、川野一飛曹は午前十時に飛行場の指揮所前に整列した。
〔日高3〕
私は、川野和一元上飛曹の語る「事実」だけを頼りに、八月十五日に起きた「下士官たち
の特攻」を記していくことにする。
八月十五日午前十時、搭乗員宿舎に伝令が来た。
「敵艦隊―(略)―搭乗員は全員飛行場に集合せよ」
〔酒井1〕
午前十時、飛行場から一キロメートルほど離れた搭乗員宿舎に伝令が走った。
「敵艦船は本土に上陸するため東支那海を済州島に向け北上中、搭乗員は全員飛行場
に集合せよ」
〔豊田5〕
午後一時、 中津留大尉は自分を隊長とする五機の特攻隊の搭乗割を黒板に書き、
全艦爆隊員の集合を命じた。
〔野原5〕
八月十五日の午前九時を過ぎた頃、蒸し暑い横穴壕の二段ベッドで寝苦しい夜を過ごし
た七○一空艦爆隊に出撃命令が下った。迎えにきたトラックに乗り込み飛行場に着いた
のは十時で、十一機二十二名の搭乗割が黒板に書き出されてあった。
〔野原7〕
待機していた搭乗員たちに沖縄への特攻攻撃が命じられたのは、川野一飛曹の記憶に
よると午後三時を過ぎる頃だったという。
中津留大尉が司令部から受けた命令は「艦爆五機をもって」であったが、 午前の出撃
命令の際に決められた十一機二十二名の搭乗割は変更されなかった。
〔酒井2〕
午後一時、 大分基地では、 非常呼集を受けた搭乗員三十数名が飛行場の指揮所へ
かけつけていた。
〔酒井5〕
午後三時、大分飛行場指揮所前の黒板に二十二名の搭乗員割が記入された。
〔日高4〕
午後三時ころになっていたと思う。
「敵艦隊は沖縄に集結中、これに特攻をかけ撃滅する」
〔二村4〕
午後何時ごろだったか覚えていないが、 「沖縄に特攻をかける」との命令がきた。
「搭乗割」から洩れていた連中が、同行させてくれと騒ぎだした。黒板を蹴倒したり、
男泣きしながら隊長に詰め寄るさまを、私は選ばれた者の一種の優越感をもって眺め
ていた。
〔秦10〕
搭乗割は、三時に発表され、 指揮所前に出された黒板に書き出された。全部で十一機、
二十二名だった。甲飛十二期の二村治和一飛曹は二番機に名前を発見したが、元教官
の中津留大尉が選んでくれたのは当然と思って満足した。(一部省略)
〔豊田6〕
しかし、午後三時、司令部で宇垣長官を囲んで別杯が交わされる頃には、六機が強引に
自ら参加して、突入機は十一機にふくれ上がってしまい、(一部省略)
★〔松下6〕川野一飛曹は午前十時に飛行場の指揮所前に整列した。
〔日高2〕八月十五日午前十時、搭乗員宿舎に伝令が来た。
〔二村3〕飛行場には十時ごろ着いた。「搭乗割」の黒板を見ると、二番機に私の名前が
あった。中津留隊長機につづく二番機の指定である。
★「搭乗割」は普通は飛行隊士が作成し、隊長の決裁を受けて隊員に発令します。しかし、
この場合は恐らく中都留大尉が直接作成し、「搭乗割」の黒板に記入したものと思います。
また、「搭乗割」は十六日の午前十時に発表されたと考えるのが妥当です。十五日の午前
十時では「出撃命令」も受けずに、何を目的とした「搭乗割」なのか説明できません。
★午後一時・午後三時の集合の記述は、十六日十時に「東支那海北上中の機動部隊攻撃」
を目的として集合を命じたが、 これが誤報と分かったので 「待機」を命じられ「沖縄出撃」
が確定した午後三時に、 再び集合を命じられたものでしょう。 この間に「搭乗割」の一部
が変更されたのか、それとも当初から十一機だったのかには諸説がありますが「搭乗割」は
当初から十一機二十二名だったと思われます。
★「搭乗割」に書かれた下士官搭乗員の内訳を見ると、甲飛出身者四名、乙飛出身者五名、
丙飛出身者四名、特乙出身者一名の計十四名です。これは所属下士官搭乗員の半数です。
ここで奇異に感じることは、主に経験の浅い若年搭乗員で編成していることです。甲飛では
十期、乙飛では十六期以前の、いわゆる熟練搭乗員が一名も含まれていないことです。
これは何を意味するのでしょうか。 中津留大尉の胸中を察する上での重要な手がかりだと
思います。
★熟練搭乗員をはずした「搭乗割」は戦果が目的ではなく、 長官に殉死することに重点を
置いた編成だと推察します。
★二村君の「特攻出撃」の朝の記述〔二村2〕を読んで、 体験者なら疑問を持つはずです。
海軍では階級以外に入隊年次で差がつけられていました。昭和二十年になると、燃料不足
等で飛行訓練は中断されました。 だから甲飛十二期(後期)と甲飛十三期(前期)の一部が、
実施部隊の所属搭乗員の中では「若(じゃく)」と呼ばれた最も末席の搭乗員です。 だから
真っ先に起き出して、 「甲板掃除」 「食卓番」その他の雑用に走り回る立場にありました。
その彼が、九時過ぎまで寝ていたと云うのです。戦争継続中の十五日の朝の出来事にして
は納得のいかない行為です。 敗戦を知り、中都留大尉との酒宴で「特攻」の示唆をうけた、
十六日の朝ならあり得ることです。
★二村君の記述は「二階級特進」を信じて出撃した、先輩や同僚達が「特攻戦死」を承認さ
れなかったことで、せめて「戦死」として認めてもらうための配慮として、八月十五日と証言
せざるを得なかったものと推測します。
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