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「彗星」33型。
陣中談議・うら話 http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html
3-42、「宇垣特攻」の謎
(16)「宇垣特攻軍団の最期」野原一夫著
〔野原1〕
八月十五日の払暁、幕僚室に入った宮崎先任参謀は当直の田中航空参謀の報告に顔色を変
えた。 先刻、宇垣長官に呼ばれ、彗星艦爆五機に至急沖縄攻撃準備を整えるよう命令された
という。
〔野原2〕
横井参謀長は、宇垣と海兵同期の第十二航空戦隊司令官城島高次少将と戦闘機部隊の第七
十二航空戦隊の司令官山本親雄少将に連絡をとった。 駆けつけてきた城島と山本も言葉を
尽くして翻意を迫ったが、宇垣は決意を変えなかった。
〔野原3〕
すでに七時を過ぎる頃からラジオは、 正午に天皇御自身のお言葉があるから国民はすべて
ラジオの前に座るようにと流しつづけていた。その一方でサンフランシスコ放送は日本政府の
ポツダム宣言受諾と無条件降伏を流していた。 V班が傍受したその放送は宇垣長官に伝え
られた。
〔野原4〕
長い時間をかけた説得もついに無駄におわったことを覚った宮崎先任参謀は、やむなく作戦
命令をヲ起案し、宇垣に提出した。
「七○一空大分派遣隊は、艦爆五機をもって沖縄敵艦隊を攻撃すべし、本職これを直率す」
第五航空艦隊司令長官 中将 宇垣 纏」
ただちに直ちに七○一空大分派遣隊長中津留達雄大尉が司令部に呼ばれ、口頭で攻撃命令
が伝えられた。
中津留大尉に攻撃命令が伝えられた時刻が正午の玉音放送の前であったかあとであったか
ははっきりしない。
〔野原5〕
八月十五日の午前九時を過ぎた頃、 蒸し暑い横穴壕の二段ベッドで寝苦しい夜を過ごした
七○一空艦爆隊に出撃命令が下った。 迎えにきたトラックに乗り込み飛行場に着いたのは
十時で、一一機二十二名の搭乗割が黒板に書き出されてあった。
〔野原6〕
戦争が終わったらしいとはなんとなく知っていたという。
そうらしいと知っても、終戦の実感が彼らには全くなかつた。当時満十九歳だった二村一飛
曹はこう述べている。
「戦争は終ったらしいな…… といった程度じゃなかったかな。 だからどうだとは考えな
かったと思うんだ。 終戦とかいわれても、身も心もまだ戦争の続きの中にいたんだからな。
だから、 終戦を知っていたかどうかというのは、 余り重要な問題じゃないんじゃないかな。
終戦を確認したからといって、じゃぁわたしは行きませんという者は誰もあの中にはいなかっ
たはずだからね」
〔野原7〕
待機していた搭乗員たちに沖縄への特攻攻撃が命じられたのは、川野一飛曹の記憶による
と午後三時を過ぎる頃だったという。
中津留大尉が司令部から受けた命令は「艦爆五機をもって」であったが、 午前の出撃命令
の際に決められた一一機二十二名の搭乗割は変更されなかった。
〔野原8〕
「私兵特攻」によると、中津留大尉をのぞくおそらく全員が、どのような配慮からか、
宇垣長官が直率しての出撃であるとはこの時まで知らされていなかったという。
二村一飛曹は、三台の黒塗りの乗用車が飛行場に入ってくるのを見たとき高官達が揃って
の見送りと思い、これはえらいことだと驚いたとうう。
〔野原9〕
終戦の詔勅は下ったが、大本営はまだ正式の停戦命令を出していなかった。(一部省略)
もし近接する敵を発見すれば、これを攻撃しても命令違反にはならなかった。
ポツダム宣言受諾の政府公電が発せられたのは十四日の深夜であり、それを受けたアメリカ
政府からの、日本軍の戦闘行動を中止せよとの指示が日本政府に届いたのは十六日の午後
になってからである。 午後四時、大本営は正式の停戦命令を出し、 「即時戦闘行動を停止
すべし」と示達した。
〔野原10〕
しかし、 私たち以上に戦犯の噂に動揺していたのは、 航空機搭乗員たちであっただろう。
ある航空基地では、士官は銃殺され、下士官兵は睾丸を抜かれて南方に送られ奴隷にされ
るとう奇妙な噂が立ったそうだが、特攻隊員は軍国主義の権化と見なされ処刑されるという
噂は、どの航空基地をも騒がしていたと思われる。
航空隊の解散に当たっては、搭乗員であったことを隠すよう厳しく注意された。近辺に山の
ある者はしばらく山中に潜むよう指示した隊もある。
〔野原11〕
降伏を容易に肯んじようとしなかった航空機搭乗員の中には、 戦犯として処刑されること
への屈辱感と恐怖が、処刑されるくらいならば戦って死にたいと願う心情が、人それぞれに
差異はあったろうが、なにほどかは秘められていたのではあるまいか。
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