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「彗星」機上の宇垣中将。
陣中談議・うら話 http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html
3-40、「宇垣特攻」の謎
(14)「私兵特攻」松下竜一著
〔松下1〕
運命の十五日を迎えて、宇垣が当直参謀を呼んだのは午前四時近くであったろう。 長官か
ら彗星艦爆五機に至急沖縄攻撃準備をととのえよと命じられた当直の田中正臣作戦参謀は
はっとした。長官自らが出撃するつもりではないかと直感した彼は、直ちに宮崎先任参謀に
報告する。既に海軍総隊からは呉鎮守府を通じて五航艦に対し、対ソ及び対沖縄積極攻撃
を中止せよという命令が届いていたからである。
〔松下2〕
もはやこれ以上説得し切れぬと諦めた宮崎先任参謀が、第七○一航空隊艦爆隊長中津留
大尉を司令部に招いて沖縄突入命令を伝えたのは、その払暁長官が当直参謀に準備を命じ
た時からかぞえて十二時間余を経てのことであったというから、午後四時近くであったことに
なる。
〔松下3〕
中でも驚かされれたのは、下宿の主人が一人の特攻隊員を縛り上げて出発させなかったと
いう挿話を耳にしたときである。明日は特攻に飛び立つからといって別れの挨拶に来た隊員
を、下宿の主人は酒をふるまって酔いつぶしてしまい、荒縄で縛って押入れに封じこめたと
いう。それが最後の特攻隊に加わるはずの隊員で、朝になって醒めた彼が叫んだり泣いて
懇願したりするのにも耳を貸さず、遂に縄を解こうとはしなかった。 そのため最後の特攻隊
から脱落して生き残った搭乗員は、そのことを深く羞じて戦後出家し、いまも四国のさる僧坊
で最後の特攻隊の菩提をとむらっているのだという。
〔松下4〕
八月十四日夜、珍しく中津留大尉が二村達の居る宿舎に一升瓶を下げて現れた。
「今夜はひとつ、皆であるだけの酒を飲んでしまおうや。 おまえたちも、 とっておきを出さ
ないか」
中津留大尉からそんなことをいわれるのは初めてで、一斉に喚声が挙がりそれぞれに秘蔵
の酒を持ち出して来た。 尤も、 二村が持っていたのは戦給品の赤玉ポートワインくらいな
ものであった。 中津留がこんなことをいってきたところをみると、明日はいよいよ出撃なの
かも知れぬという思いを、誰もひそかに抱いたはずであるがそれを口に出していう者はいな
かった。
〔松下5〕
「出撃命令だぞ」と呼ばれて揺り起こされたときには、既に十五日の午前九時を過ぎていた。
二日酔いで頭が痛かったが、 慌てて宿舎に帰り出撃準備を整えた。 (一部省略)
飛行場に着いたのは午前十時であった。 搭乗割が黒板に書き出されていたが、 十一機
二十二名の編成の中に二村治和の名もあった。
〔松下6〕
二村が印象的に記憶している八月十四日夜の、中津留大尉を囲んでの最後の酒盛りを川野
はなぜか記憶していない。何かの事情でその場にいなかったのだろうか。
八月十五日、川野一飛曹は午前十時に飛行場の指揮所前に整列した。
〔松下7〕
ではなぜ、出発直前になって敢えて八○番に積み替えさせられたのだろうか。 その理由と
して考えられることは唯一つしかないように、寺司には思える。ガソリンを半分抜き取るため
の口実だったのではないか。
(一部省略) 彼等は還って来れぬように片道燃料にされたのだと考えるしかない。 事実は
八○番の爆弾に替えたからガソリンを抜かれたのではなく、 ガソリンを抜くための口実と
して八○番の爆弾に替えさせられたのであろう。
〔松下8〕
八月十五日正午の放送のあと、戦争は終わったと教師に告げられて、彼等は気抜けしたよ
うにごろんと寝転んでいた。 そのとき大声で、「司令長官殿が沖縄に特攻で突っ込まれる
ので、大至急爆装を作れ」という指示を受けた。
「それが何時頃であったか、覚えていませんか」
「一時は過ぎていたでしょうね。放送のあと昼飯を食べて、皆ごろ寝していましたから。
(一部省略) 二時にはなっていなかったと思いますよ」
★「爆装」とは爆弾を固定するための補助具。
〔松下9〕
本来なら宇垣隊はその最後の頁に布告さるべき特攻隊であったが、 しかし、彼らはそこに
公式に名を連ねることを許されなかった。昭和二十年十月一日付で連合艦隊副官の起案し
た「GF(連合艦隊)終第四二号」という公文書には、<昭和二十年八月十五日夜間沖縄方面
に出撃せる左記の者は特攻隊員として布告せられざるに付、一般戦死者として可然御処理
相成度>とあって、海軍大尉中津留大尉以下十六名の名が列記されているという。
〔松下10〕
後年、久留米市在住の宮崎を訪ねて直接取材した作家吉村昭は『実録・最後の特攻機』の
中で、それを八月十四日夕刻であったとしている。(一部省略)
ただ、殆どの記録は八月十五日未明説をとっている。これは『戦藻録』が根拠となっている
のであろう。
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