老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

3陣中談議・うら話

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

3-22、酒にまつわる話

イメージ 1

                   酒豪! 石井上飛曹。


陣中談議・うら話
            3-22、酒にまつわる話 

百里原空の空中衝突事故で、遺族係を命じられました。酒保係として主計科と交渉して
遺族接待用の茶菓子を受領した記憶があります。ところが、祭壇に供えた清酒に私が
関わった記憶がありません。恐らく部隊としての配慮だったと思います。

九〇三空では哨戒に出たまま帰還しない機があり、遺体のないお通夜が行われました。
デッキに毛布を敷き、車座になっての酒盛りが始まりました。この時の酒も特別に支給
されたものと思います。若年搭乗員のわれわれは、肴の「銀蝿」や燗付けなどで大変な
経験をさせられました。

大井空での酒の思い出と云えば、ペアの杉本少尉が、私の酒好きを知ってよく届けてく
れました。士官には特別に配分があったようです。当時は「海軍御用達」灘の「黒松白鹿」
が主流でした。

当時は酒に限らず「海軍省御用達」として軍に製品を納めることで、原材料の調達で優遇
を受け、企業が成り立っていたようです。いわゆる「御用商人」です。思い出すままに当時
の製品名を披露します。

「ボンタン飴」「三矢サイダー」「赤玉ポートワイン」「エビオス」「わかもと」などです。

私はよく飲み友達に聞かれます。
「お酒はどの程度飲まれるのですか?」
「時間ですか、それとも量ですか? 時間なら一昼夜、量なら二升です」と答えます。
これは過去の経験からです。

大井空でのことです。当時私の所属する分隊で、一番の呑み助は石井兵曹か永末だと云
われていました。ある日、飛行作業が中止となってデッキで酒盛りが始まりました。宴酣、
先任下士官が口を開きました。

先任「うちの分隊で、一番酒が強いのは誰だ?」
隊員「それは石井兵曹か永末でしょう」

先任「お前ら呑み比べをやらないか? 勝った方に俺がパイ缶を賭ける」
永末「石井兵曹やりますか」
石井「よし! やろう」

まず私が大食器(五合程度)を一息に呑み干し、石井兵曹に渡しました。勿論冷酒です。
彼もこれを呑んで私に返してきました。これを再度繰り返してから、
永末「石井兵曹まだ呑みますか?」
石井「お前が呑むなら呑むぞ!」

永末「では今度は、小さいのでいきましょうや」
湯呑(一合程度)に注いで3杯ずつ呑みました。そこで、
永末「石井兵曹まだ続けますか?」
石井「お前が呑むんなら俺も呑むぞ!」

永末「どうです、引き分けにしませんか?」
結局引き分けということになりました。(石井兵曹は長崎県壱岐郡勝本町で健在)

イメージ 1

           当時の軍用たばこ「ほまれ」と「鵬翼」。


陣中談議・うら話
             3-21、航空増加食と戦給品

予科練から飛練に進んで先ず変わったのが食事です。一般の兵員食以外に「航空増加食」
と呼ぶ特別な食べ物が、毎食ごとに支給されました。定番は鶏卵や牛乳です。時には季節
の果物なども配食されました。

飛練を卒業して一人前の搭乗員として実施部隊に出ると、更にいろいろな品物が支給され
ます。「熱糧食」と呼ぶ菓子や「居眠り防止食」と云って、抹茶を錠剤にしたものなども
支給されていました。これ以外に「戦給品」と称して、葡萄酒や果物の缶詰などが支給さ
れました。

ところが資材不足のためか、みかんの缶詰の中身だけを氷詰めにしたものが支給された
ことがあります。これをかち割りにして食器に入れ、ポリポリ齧るのです。また当時は、
ラベルの貼られていない缶詰にもしばしば出会いました。(当時、缶切りは必需品でした)。

当時は物資不足のため、「酒保」で自由に買える品物が少なく大半の「酒保物品」は分隊毎
に配給されていました。それでも海仁会の集会所では、ウイスキーや缶詰などが販売され
ることもありました。また、配給とは云っても搭乗員は他の兵科に比較すれば優先的に配分
されていたように思います。

私は百里原空当時「酒保係」を担当していました。主計科倉庫で「酒保品物」を受け取り、
隊員に配分し、俸給日に代金を徴収して主計科に納めるのが仕事です。袋菓子など全員
に渡る場合はよいのですが、中途半端な数量の品物を公平に配分するのに苦労しました。
しかし、主計科倉庫に出入りする関係で、いろいろな役得にも与かりました。

当時の値段は、専売局が扱う「たばこ」など全国一律の物と、部隊毎に違った品物や価格
もありました。一例を記してみます。(記憶違いはご容赦)

たばこ
ほまれ(20本)7銭。 鵬翼(20本・価格失念) 金鳶(10本)20銭。光(10本)30銭。

酒類
清酒4円。 ウイスキー小瓶2円。 ビール1円(冷やすのが面倒で殆ど呑みませんでした)。 
赤玉ポートワイン(主に戦給品として支給され価格の記憶なし)。

飲料   サイダー(主に航空弁当に添えられ価格の記憶なし)。
缶詰   パイ缶50銭。 

イメージ 1

イメージ 2

             「艦型識別」の教育資料。


陣中談議・うら話
            3-20、「艦型識別」訓練について

海軍の搭乗員は「味方識別」と同様に「艦型識別」の訓練を受けます。艦上攻撃機搭乗員は特
に「艦型識別」訓練が重視されました。それは、索敵機として飛ぶ場合に対応するためです。
米軍の航空母艦は艦橋が比較的大きいので、遠距離では戦艦や巡洋艦と見間違えることも
あります。

これ以外にも、雷撃においては艦の種類は重要です。雷撃は艦の速力と艦の全長を基準にし
て照準します。(3-5雷撃の照準についてを参照)。だから、重点的訓練項目でした。

イメージ 1

イメージ 2

                味方識別の訓練資料。


陣中談議・うら話
            3-19、味方識別と艦型識別

海軍では敵味方を見分けるのに航空機は「味方識別」と云い、艦船の場合は「艦型識別」
と呼んでいました。そして、折りに触れこれらの識別訓練を行っていました。われわれが
飛行術練習生時代は、既にドーリットルの空襲を経験し、内地と言っても何時空襲を受け
るか分らない時代でした。中練時代には先ず座学で航空機の「味方識別」訓練から始まり
ました。次に、実用機(艦攻)教程では「味方識別」に加えて「艦型識別」の訓練も行わ
れました。

実施部隊の九〇三空では、操縦員は主として「味方識別」の訓練で、偵察員は私の記憶で
は「味方識別」と「艦型識別」の訓練を並行して実施していたと思います。

一旦空中に上がれば視界は開けます。だから、いろいろな飛行機と遭遇します。しかし、
味方機でも自隊に装備する飛行機以外は、陸軍機を含めて現物を見る機会はそんなにあり
ません。だから絵図や公表されている写真などを使って教育を受けました。

号外!

イメージ 1

イメージ 2

    護国神社に「軍艦旗」掲揚。


号外!

福岡県甲飛会慰霊祭。
戦後60年。福岡県甲飛会では、9月11日、第37回慰霊祭を福岡県護国神社で行いました。


.
sen*i0*20
sen*i0*20
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事