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神風特別攻撃隊 第1・第2・第3正気隊の勇士。
後列、山田2飛曹・前田2飛曹・桐畑上飛曹・星野2飛曹・弥永2飛曹・上田候補・岩崎少尉・江名少尉。
中列、有池上飛曹・根岸2飛曹・正久上飛曹・須田少尉・小田切少尉・須賀少尉・菅沢2飛曹。
前列、分隊長 ・ 飛行隊長 ・ 副 長 ・ 司 令 ・ 飛行長 ・ 五十嵐中尉 ・ 安達少尉。
かえらざる翼
8-24、☆いさぎよく!
故海軍少尉弥永光男君は、昭和20年4月28日1600、「神風特別攻撃隊・第一正気隊」1番機の
電信員として、九七式艦上攻撃機に搭乗して串良基地を発進、沖縄周辺の敵艦船に対して、わが
身を犠牲にした「体当たり攻撃」を敢行して大空に散華されました。
私は、弥永君の絶筆を拝読する度に、その行間に隠された彼の心情を感じ取り、涙を止めることが
できません。 当時われわれ下士官・兵の営舎内での生活は、すべての面で束縛され、自由など
存在しなかったのです。 1枚のハガキを出すにも、分隊士に提出して検閲を受けなければならず、
自分の思いをそのまま書ける雰囲気ではなかったのです。
「特攻隊」に編入されて遺書を書こうとしても、「特攻は軍の機密だ、部外に漏らしてはならない」と
言われ、手紙に書くことさえ禁止されていました。 また、遺書を書いたとしても確実に肉親に渡し
てもらえる保証もなかったのです。そのうえ、検閲などで他人の目に触れることを考えれば、心の
中をそのまま書くことなど思いもよらないことでした。
恐らく弥永君も、死を目前しながら遺書を書くことで悩んでいたに違いありません。まず、検閲を
受けずに、確実に母親に届ける方法はないものかと模索したことと思います。 それができれば、
最期の想いをそのまま書き残すことができるからです。
次に、自分の胸のうちをどのように書き表すか思案したことでしょう。もし他人に読まれてもおかし
くない文章で、肉親だけには本心を読み取ってもらえるような表現を模索したのではないだろうか。
しかし、そんな器用な文章など書けるものではありません。
あの当時、 一般の家庭には電話などありませんでした。 仮にあったとしても長距離の市外通話
は、ほとんど聞き取れないのが実情でした。 電話の発達した現在では想像もできないことです。
私もその時期、大井空で「特攻隊」に編入され、彼と同じ境遇にありました。 だから、彼の胸中を
推察することができるのです。あれも書きたい、これも残したいと思いながらも、うまく当てはまる
言葉が見つからず、結果的には通り一遍の文章になったのだと思います。
彼は、この数行の遺書を書くのに、恐らく一睡もできずに呻吟したのではないでしょうか。「いさぎ
よく」この五文字に、彼の胸中が凝縮されています。 書きたいことが山ほどありながら一晩中か
かっても文章がまとまらず、万感の思いをこの五字に託したものと思います。
この世の未練や肉親との哀惜の情を、「いさぎよく」断ち切って、命令に従って敵艦に対して「体当
たり」するという彼の決意は、誰に読まれても決して恥ずかしくない立派なものです。だが、伝えた
い事の万分の一も書けない焦燥に、打ち拉がれていたのではないでしょうか。
また出撃に際しては、 同期生万善東一君に託した遺書が、無事に母親の許に届くことを念じて
いたことでしょう。そして、「体当たり」の瞬間、彼の脳裏には優しく微笑む母親の面影が焼き付い
ていたに違いありません。
昭和20年4月28日
神風特別攻撃隊 第一正気隊 串良基地発 那覇沖艦船攻撃
聯合艦隊告示145号
(九七艦攻)
操縦 少 尉 須賀 芳宗 (東京・予備学14期)
偵察 少 尉 岩崎 久豊 (山口・予備学14期)
電信 二飛曹 弥永 光男 (福岡・甲飛12期)
操縦 上飛曹 桐畑 小太郎 (大分・丙飛4期)
偵察 少 尉 安達 卓也 (兵庫・予備学14期)
電信 二飛曹 菅沢 健 (千葉・甲飛12期)
昭和20年5月4日
神風特別攻撃隊 第二正気隊 串良基地発 沖縄周辺艦船攻撃
聯合艦隊告示205号
(九七艦攻)
操縦 上飛曹 有地 慶信 (東京・予備練13期)
偵察 中 尉 五十嵐 正栄 (新潟・予備学13期)
電信 二飛曹 根岸 幸一 (埼玉・乙飛18期)
操縦 候補生 上田 隆保 (福岡・予備生1期)
偵察 一飛曹 星野 省平 (新潟・甲飛12期)
電信 二飛曹 山田 新八郎 (岐阜・甲飛13期)
昭和20年5月12日
神風特別攻撃隊 第三正気隊 串良基地発 那覇沖艦船攻撃
聯合艦隊告示206号
(九七艦攻)
操縦 少 尉 小田切 徳一 (山梨・予備学14期)
偵察 少 尉 堀江 荘次 (奈良・予備学13期)
電信 二飛曹 村田 正作 (高知・乙飛特1期)
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