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新鋭爆撃機「銀河」
かえらざる翼
8-6、先生が勧めなければ
昭和20年6月5日、762空攻撃406飛行隊の、山村輝夫1飛曹(山口)は銀河に搭乗して、1950
宮崎基地を発進しました。 悪天候のなかを沖縄周辺の敵艦船に対し、夜間肉薄雷撃を敢行
しましたが、ついに未帰還となりました。
過日、 山村輝夫君のご遺族に前掲の22分隊5班の写真と、 拙著「かえらざる翼」をお送り
致しました。
初めまして
先日は御丁寧にも本と写真をお送り下さいまして 誠に有難う御座いました
何度も繰返して読ませて頂きました
輝夫は長男だから 予科練に行くのは反対でした しかし
中学校の担任の先生がグライダーの教師であったためにすゝめられました
下関中から三十数名受験して 三名が合格して十二期で入隊しました
三年生から受かったのは輝夫だけで同級生は皆不合格でした
他の同級生は一期遅れの十三期に入隊して 終戦後皆無事に帰還されました
一期遅ければ戦死しなくても済んだものにと当時は悔やんでいました しかし
人それぞれの寿命というものがあり だから仕方ないとあきらめました
六月四日に生まれて六月五日に戦死とは 因縁というものでしょう
私も一月十日で満九十四才になります
輝夫の分まで長生きさせてもらっているのだろうと思っています
貴方様も大切な命をもらったのですから 充分に御自愛なさって戦友の分まで
長生きをして下さい
つまらない事をごたごたと書きましたが 乱筆乱文にて御許し下さい
かしこ
山 村 ツ ヤ
「担任の先生が勧めなければ……」。「1期遅れて13期ならば……」。
最愛の長男を亡くされた母親の悲しみは、 寿命だったと諦めるには余りにも深すぎて、
そう簡単に諦められるものではないと思います。50年を越える長い歳月、長男が生きて
いればとの思いを噛み締めながらの人生だったと推察致します。
記録を調べてみると、 攻撃406飛行隊では、「体当たり攻撃」と「夜間雷撃」を並行して
実施しています。 操縦員の同期生は豊橋航空隊の陸上攻撃機からと、宇佐航空隊の
艦上爆撃機からそれぞれ数名ずつが配属されています。
主に夜間雷撃を行っていたのは、後藤義治、山村輝夫、島津一達など陸攻専修者です。
そして、特攻隊に編入されたのは、江藤賢助、松木学、古小路裕など艦爆専修者でした。
谷田部航空隊での機種選別が明暗を分けた形となっていたのです。また同期の偵察員も、
艦爆組と陸攻組の何れかとペアを組んで奮戦しました。今考えると、どちらが明でどち
らが暗であったかは、にわかに判断しかねます。
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