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「至誠殉国之碑」
かえらざる翼
8-2、魂魄母の胸に
西山典郎君は昭和18年7月30日、即ち予科練に入隊するため鹿児島へ旅立つ前夜に、
「母ちゃんと寝たい……」。 そう言って母親と一緒に寝たそうです。 そして、「母ちゃん、
元気でね……」と、言いながら母親の手を静かに握ったそうです。その柔らかい手のぬく
もりが、50余年経った今でもまだ残っていると母親ミサトさんは話されます。
昭和20年3月18日、762航空隊攻撃262飛行隊では、神風特別攻撃隊菊水銀河隊を
編成し、九州南東海上に来襲した敵機動部隊に対し、必死必殺の体当たり攻撃を敢行し
ました。指揮官松永輝郎大尉機の電信員に選ばれた、西山典郎2飛曹は、午前8時7分
「全軍突撃必中セヨ」との電報を発信して以後消息を断ちました。
17歳の誕生日を迎えることもできず、短い人生に終止符をうったのです。 この「体当たり
攻撃」で、敵の航空母艦エンタープライズとヨークタウンを撃破したことが記録に残されて
います。
昭和58年8月1日、 ご両親は長男典郎君の生前を偲んで、彼が子供の頃に遊んでいた
庭先に「至誠殉国之碑」を建立しました。 この日は典郎君が50年前、鹿児島海軍航空隊
に入隊して大空への一歩を進めた日です。銘板には次の事績が刻まれています。
略 歴
昭和三年三月二十四日出生 昭和十八年八月一日
海軍甲種飛行予科練練習生(第十二期后期)とし
て鹿児島海軍航空隊に入隊(玉名中学四年在学中)
昭和二十年三月十八日六時二十八分 九州東方海
面の敵の大艦船群を撃滅のため 銀河特装爆撃機
指揮官機に搭乗して 福岡県築城基地を僚機五機
と出撃八時七分全機突撃必中せよと最后の電信を
発信後全機敵艦に突入して自爆戦死 武功抜群に
つき同日海軍少尉に特別任用の恩命に浴す
父 西 山 巽 撰文
義弟 徳 永 孝 文 謹書
☆菊水銀河隊 搭乗割
指揮官機 操縦 大 尉 松永 輝郎 (山口・海機52期)
偵察 少 尉 嘉多 山哲 (愛媛・予備13期・松山高商)
電信 二飛曹 西山 典郎 (熊本・甲飛12期)
1L−2 操縦 一飛曹 渡部 春雄 (愛媛・丙飛11期)
偵察 上飛曹 大林 伸治 (愛知・乙飛14期)
電信 二飛曹 柳川 末一 (静岡・乙飛18期)
2L−1 操縦 少 尉 小川 登 (東京・予備13期・立大)
偵察 上飛曹 林田 克巳 (奈良・甲飛10期)
電信 二飛曹 大日方 忠直 (福岡・甲飛12期)
2L−2 操縦 一飛曹 相川 豊 (千葉・丙飛10期)
偵察 上飛曹 末満 輝繁 (鹿児島・甲飛10期)
電信 二飛曹 醍醐 一利 (神奈川・甲飛12期)
3L−1 操縦 中 尉 坂口 明 (兵庫・予備13期・神戸高工)
偵察 一飛曹 本仮谷 孝夫 (鹿児島・乙飛17期)
電信 飛 長 寺門 敏行 (茨城・電練66期)
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