老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

2白菊特攻隊

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2-58、無駄な犠牲者

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      特攻訓練に使用した「白菊」


白菊特攻隊
         58、無駄な犠牲者

八月十日前後の出来事であった。大井航空隊に最後まで残って「特攻待機」を命じられ
ていた、 われわれ第三八洲隊(第三中隊をこう呼んでいた)は、引き続き、夜間飛行訓練
を実施していた。その夜、私は前段での夜間接敵訓練を終了して、指揮所の近くで休憩
していた。すでに夜半も過ぎて、後段で出発した飛行機が次々に帰投し始めていた。

その時、突然《空襲警報》が発令された。B29による夜間爆撃である。 上空まで帰って
いた飛行機を急いで着陸させて、「夜設」が消された。整備員は、着陸した飛行機を地上
滑走ではなく手で押して、飛行場の周辺に設けられている掩体壕に搬入した。ところが、
「搭乗割」の黒板を見ると、まだ一機帰投していない飛行機がある。

B29の編隊は東の方向から御前崎の上空まで来て、ここで南に変針して飛び去って行く。
静岡方面を空襲しての帰りであろう。高度は夜間空襲のためか、五千メートル〜六千メー
トル程度で、昼間の空襲に比較してやや低い。コースは飛行場の南東方向で、十分見通
しのきく距離である。

十機前後の敵編隊は、一定の間隔を置いて、次々に上空を通過する。地上では、タバコ
も吸えない厳重な灯火管制を実施し、息をひそめてこれを見詰めている。その時、B29と
は別の爆音が近づいてきた。御前崎よりやや東側、大井川の河口方向から飛行場の南
側を通過しながら、味方識別のために舷灯をつけた。そして、
「― ― - ― ― - (リギン帰投しました、着陸準備されたし)」
との合図を発光信号で送ってき。間違いなく味方の「白菊」である。

「リギン、帰投しまーす!」
見張員が弾んだ声で叫んだ。

指揮所をみると、飛行隊長と分隊長が何かヒソヒソと打ち合わせをしている様子である。
夜設係はいつでも「夜設」に点火できる準備をして、指示の出のるを待っている。ところ
が、「夜設点灯」の指示がなかなか出されない。

帰投した飛行機は、そのまま飛行場上空を通り過ぎてしまった。しばらくすると、また
爆音が近づいた。「リギン」が引き返してきたのである。盛んに発光信号を送ってくるが、
応答の指示が出ない。そのまま御前崎の方向へ飛び去った。

機上では恐らくB29の上空通過を知って、その対応策を練っているのだろう。それとも
帰投したのが飛行場の上空ではなく、機位を失した(自分の飛行機の現在位置が分から
なくなること)と思い、御前崎の上空まで引き返えして、位置の再確認をしているのかも
知れない。

後席の偵察員は一人で航法と通信を担当することになっている。だが、夜間は航法に
重点をおくため、電信機を積んでいない飛行機もあった。例え積んでいたとしても、 すぐ
に使用できる状態にあるとは限らない。

いずれにしても、オルジスによる発光信号が唯一の連絡手段である。ところが、指揮所
から飛行機を目標に発光信号を送れば、上空を通過しているB29にも見られることになる。
だから、指揮官は発信をためらっている様子である。

要は御前崎など、 自分の位置が確認できる場所の上空で旋回しながら待機して、《空襲
警報》の解除を待つ以外に、適当な方法はなさそうである。例え飛行場を探し当てたとし
ても、「夜設」なしでの着陸は危険を伴う。

次に問題になるのが燃料である。満タンでも、四百八十リットルしか積めない「白菊」では、
朝まで飛び続ける量はもう残っていないはずである。既に、二百浬以上を飛んでいるのだ。
だから、あと一時間半が限度であろう。夜明けまでには、まだ三時間以上もある。

「B29は爆撃を終わって帰る途中だから、夜設をつけても、 もう引き返してくるもんか」
「引き返してきたって、もう爆弾なんか持っていないさ!」
「B29の編隊は間隔が相当開いているから、その間にうまく着陸させればよいのに……」

「あの野郎、何を恐れているんだ、なんで夜設を点けさせんのだ! 毎晩飛んでいる俺た
ちの身にもなってみろ、夜設なしで降りろと言うのか!」
「そーだよ、自分たちは飛ばないもんだから、いい気なもんだ……」
「もーう止めた、こんな調子なら明日は上がっても予定コースを飛ばずに、エンジン故障
と言ってすぐに降りてやるから……」

「自分たちの安全ばかり考えやがって、俺たちは消耗品扱いだ!」
と、声を潜めていろいろと囁かれていたが、指揮官は何を恐れているのか、「夜設点灯」
の指示はついに出なかった。

その後も一度、「白菊」の爆音を聞いたが、ついに消息を絶ってしまった。いくら消耗
品と呼ばれた搭乗員の命であっても、これではあまりにもひど過ぎる。まさに犬死である。
当時の戦況から、空襲は予測できることであり、事前に対策を講じて置くべきであった。
飛行場の場所は、昼間何度も空襲を受けているので、敵も十分承知しているはずである。
だから、いまさら隠す必要などないのである。

また、夜間訓練の実施を秘匿したいのであれば、飛行場から離れた茶畑の中か、大井川
の河原にでもバッテリーやオルジスなどの機材を運んで、飛行機と交信させる手段もある。
夜明けが近づいたので、飛行訓練は中止された。そして、後味の悪い思いで飛行場を後に
した。どこかで不時着していれば、生死にかかわらず、何らかの連絡が入るはずである。
ところが、その後どこからも情報は入らなかった。

百里原航空隊での空中衝突事故もそうであったように、訓練計画の不備などによる事故
があまりにも多すぎた。指揮官の無為無策のために喪失した人命や機材は、相当な数に
のぼると推察される。運が悪かったと言えばそれまでだが、人知れずこの世を去った彼ら
の胸中は、察するに余りある痛恨事であった。

2-57、湖畔の宿

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白菊特攻隊
        57、湖畔の宿

 たび重なる空襲で、基地の建物は破壊され、兵舎などの施設は飛行場の外に分散されて
いた。飛行場のある牧之原台地を西に下り、堀之内へ通じる道路の南側に、大きな農業用
の溜池がある。その周辺の松林の陰に、小さなバラック兵舎が建てられていた。われわれ
はこれを、ある種の感慨をもって「湖畔の宿」と呼んでいた。

 夕暮れに、水面に映る風景を眺めながら、遥かに故郷の山河を偲び。灯火管制された薄
暗い裸電灯のもとで、肉親への手紙をしたためたり、トランプ占いやコックリさん(占いの
一種)のお告げに一喜一憂して、明日の運命を模索する生活を続けていた。

 限りある生命だから、一日一日を大切に生きなければと思いながらも、この将来に希望
の持てない、その日暮らしの生活を、当時流行していた高峰三枝子の歌う、「湖畔の宿」
の歌詞に重ね合わせて、己が運命の儚なさを思い、感傷に耽っていたのである。

 そして、再び死ぬための訓練が開始された。先に沖縄周辺に出撃した、高知航空隊や
徳島航空隊の戦訓に基づき、昼間の攻撃は不可能と判断された。だから、夜間攻撃の
訓練に専念することになった。

 日暮れとともに「湖畔の宿」を出て飛行場に向かう。そして、終夜飛行訓練を実施して
夜明け前に、「湖畔の宿」に帰って就寝する。昼と夜とが入れ替わった生活が始まったの
である。兵舎には窓に暗幕を張って暗くしている。作業などで止むを得ず明るい所に出る
場合は、色眼鏡を着用するように申し渡されていた。闇夜に慣れるための処置である。

 ところが、昼間はなかなか熟睡できるものではない。窓が小さいうえに暗幕を張ってい
るので、風通しが悪く蒸し暑いのがその原因である。更に、死に対する恐怖や生に対する
未練など、人生経験の浅い十八歳の身には解決すべき問題があまりにも多く、ベッドに横
になっても、いろいろな妄想が浮かび、肉体的疲労とは裏腹になかなか寝つかれなかった。

 また、度重なる敵機の来襲などにより、食事の時間も不規則となり、睡眠時間も不足が
ちであった。ある日、朝昼晩と三食も続けて、豚汁が配食された。主計科が残飯で飼育し
ていた豚が、前日の空襲で被弾したそうで、思わぬ大御馳走にありついたのであった。

 またある日の空襲で、烹炊所に爆弾が命中したため炊事が出来ず、乾パンと缶詰しか配
食されない事もあった。搭乗員には、特別に航空食などが支給されていたので、何とか喰
いつなぐ事ができた。この時期、精神的にも肉体的にも、極限の生活が続いたのである。

♪    湖畔の宿

一、山の淋しい 湖に 
   ひとり来たのも 悲しい心
    胸のいたみに たえかねて
     昨日の夢と 焚きすてる
      古い手紙の うすけむり
 
二、水たそがれ せまる頃
   岸の林を しずかに行けば
    雲は流れて むらさきの
     薄きすみれに ほろほろと
      いつか涙の 陽がおちる

 ……この静けさ、この淋しさを抱きしめて、私はひとり、旅をゆく。
 誰も怨まず……。
 みな昨日の夢とあきらめて、幼な児のような清らかな気持ちを持ちたい……

三、ランプ引きよせ ふるさとへ
   書いてまた消す 湖畔の便り
    旅のこころの つれづれに
     ひとり占う トランプの
      青いクイーンの さびしさよ

2-56、再び大井航空隊ヘ

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              B29 の爆撃


白菊特攻隊
        56、再び大井航空隊ヘ
 
 沖縄を占領したアメリカ軍は、次の目標として、本土上陸を画策するであろう。状況は
更に逼迫してきた様子である。七月下旬、われわれが担当していた、偵察員に対する錬成
訓練は中止された。そして、再び「特攻隊」の編成を命じられた。

 急きょ大井航空隊へ帰還するため、身の周りの整理をしていると、空襲警報が発令され
た。B29による夜間爆撃である。飛行場に出て、いつでも退避できるようにと、防空壕の
端から空を見あげた。

 すると、四日市の上空と思われる方向でB29の編隊から次々に投下される焼夷弾が大空
を彩っている。火花が滝のように降り注いでいる。怖いという感じよりも、不謹慎だが、
打ち上げ花火のように美しいと形容したい光景であった。

 悪夢のような一夜が明けた。飛行場には直接の被害はなかったが、終夜の空襲で寝不足
である。手荷物をまとめて、トラックに乗り亀山駅まで送ってもらった。昨夜の空襲は、
四日市だけではなかった。亀山の町も焼夷弾で焼かれ、あちこちにまだ煙が上がっていた。
また、道路の端には牛の死骸が放置されたままで、地獄を思わせる風景であった。

 汽車に乗り、四日市、名古屋、浜松と通過する。窓から見えるのは、焼け野原となった
町並みだけである。人影もほとんど見かけない。いよいよ最後の時が近づいたことを肌に
感じていた。日ごろはふざけ合う仲間も、今日はお互いに口数も少なく、表情には出さな
いが覚悟を決めている様子であった。

 一ヵ月にわたる、鈴鹿基地での勤務を終わり、大井航空隊に帰ってみると、空虚で、な
んとなくガラーンとした感じである。話によれば、第五航空艦隊に配属された高知航空隊
と徳島航空隊が、沖縄周辺の敵艦船に対し「体当たり攻撃」を敢行して、ほとんど全滅し
た様子である。

 その穴埋めをするため、大井航空隊で編成した、「八洲隊」の第一中隊と第二中隊が、
数日前に基地全員の盛大な見送りを受けて、四国愛媛県に新設された秘匿基地に進出した
との話である。残るは、われわれ第三中隊の三十数機だけとなった。いよいよ出撃の時が
近づいたのだ。沖縄を占領した敵は、次はどこへ上陸してくるのだろうか。九十九里浜か、
それとも駿河湾か。いずれにしても、その時こそ「八洲隊」の特攻出撃の時であり、死ぬ
時期であると覚悟を決めた。

♪     八洲隊隊歌

 一、侵略主義の醜敵が 不逞の野望覆す 
   神機は来り時將に 秀峰仰ぐ牧之原 
   取れ天誅の操縦桿 あゝ待陣の八洲隊

 二、燦たる歴史皇国の 護りは堅き武士が 
   還らぬ覚悟予てより あゝ空征かば雲染めて 
   散って悔いなき大和魂 あゝ出陣の八洲隊

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2-55、新鋭機「烈風」

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                新鋭機「烈風」


白菊特攻隊
         55、新鋭機「烈風」
  
鈴鹿基地のエプロンには《キューン》と、独特な金属音を響かせる迎撃戦闘機「雷電」
が二十機程度並べられていた。ただし、ここに戦闘機の飛行隊はない。これは、飛行場に
隣接する工場で組み立てられた機体を、試験飛行して受領し、関係の飛行隊に送り出して
いるのであった。

 同じように試験飛行をしている中に、見慣れないやや大型の機体が一機あった。最新鋭
の戦闘機「烈風」である。まだ試作機として二機だけしか組み立てられていないとの話で
あった。零式戦闘機の後継機として設計開発されたもので、優秀な性能を持っている戦闘
機とのことである。

 これら新鋭機を見るたびに、谷田部航空隊での機種選定で戦闘機を希望しなかったこと
が、今ごろになって悔やまれてならない。やはり、戦闘機を選ぶべきであった。実施部隊
に出て、つくづくそう感じていた。

 敵機の空襲がある度に、艦上攻撃機は空中でも地上でも逃げ回るばかりで、戦闘機のよ
うに、華々しく空中戦を闘うことができないからである。しかし、いまさらどうすること
もできない。戦闘機出身の受け持ち教員梶谷兵曹が、
「戦闘機の延長教育では、こんな生易しい罰直ではすまされぬぞー」
と、言ったことが私の進路を決定したのである。もしあの一言がなく、予定どおり戦闘機
を希望しておけば、今ごろは、これらの新鋭機に乗って、空中戦に参加しているのにと思
うと、残念でならなかった。

 例え「特攻」を命じられたとしても、夜間よたよたと飛ぶしか能の無い、「白菊」に比
較して、戦闘機による「特攻」は、見た目にも勇ましく、戦果も充分に期待できるからで
ある。

2-54、伊勢神宮参拝

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           局地戦闘機「雷電」


白菊特攻隊
         54、伊勢神宮参拝
 
 鈴鹿基地では、天気の許す限り前述の航法・通信訓練を、毎日のように実施していた。
一日に六時間から七時間に及ぶ搭乗である。それでも、たまには休養外出が許可された。
ある日、せっかく近くまで来ているのだから、伊勢神宮に参拝しようと、二、三人連れで
白子駅から電車に乗った。

車中に私の受け持っている甲飛十三期生が乗り合わせていた。いろいろ話を聞いている
と、彼の実家が宇治の町で旅館を営んでいるそうで、今日も帰省途中とのことであった。
誘われるままに、早速一晩お世話になることにした。

 駅に着くと、まず外宮に参拝した。門前町には土産屋が軒を連ね、いろいろな土産物を
売っていた。その中で、「菊一文字」の短刀を見つけて購入した。房紐つきの紫色の袋に
入った、なかなか立派なものである。

 私は去る五月一日付で、一等飛行兵曹に昇任しており、航空加俸を含めて、八拾円近い
俸給を戴いていた。搭乗員は特例(昭和二〇年官房人第七六号)により、昇任と同時にそ
の階級の最高額である、一級俸を支給されていたのである。

 ところが、当時は外出しても開いている店は少なく、特に飲食店などはほとんどが休業
状態であった。お金は有っても買う品物が無い時代である。その点、門前の土産店には、
喰物以外ならいろいろな品物を売っていた。

 内宮は遠いからと、勝手な理屈を付けて参拝を省略し、早々と旅館に帰った。そして、
持参した酒で早速会食を始めた。久しぶりに畳に座っての食事である。旅館の方も、息子
が世話になっている先輩と知って気を遣い。大御馳走を並べての歓待である。お伊勢参り
の御利益は覿面に現れたのである。


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