老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

2白菊特攻隊

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             実速早見表。


白菊特攻隊
         53、「名古屋見物ですか?」
  
 その日は、午前中に甲飛十三期生の訓練を行って、午後は予備士官の訓練を実施した。
各配置の三名を同乗させて、四回目の航法・通信訓練に出発した。航法担当の河本少尉は、
針路二十度で最初の偏流測定を行った。次は、 百十度に変針すると予想しながら飛んでい
たが、なかなか変針の指示がない。何をしているのかと、後席を覗くと、航法図板の予定
コースに何か計算しながら、盛んに作図している。

 思い当たるふしがある。恐らく直前に同じコースを飛んだ同僚から、本日の風向や風速
それに偏流角などをメモして渡されたに違いない。最初に測定した偏流角が、そのメモと
一致していたので、してやったりと全コースの航跡を作図して記入している様子である。

 通信の担当は、基地と交信の真っ最中で外を眺める余裕などない。肝心の見張員配置も、
ただ漫然と風景を楽しんでいる様子である。さーて、 いつ気が付くかと思いながら、その
まま飛ぶことにした。四日市の高い煙突を左側に見ながら直進する。名古屋港の防波堤が
見えてきた。入り口に相当広くて平らな埋め立て地がある。いざという時、不時着場所と
して充分使えそうである。

 市内が望見される。度重なる空襲で、焼け野原となっている。工場の焼け跡に煙突だけ
が何本も立っているのが印象的である。こちらも物珍しく眺めていたが、ふと思い直して
伝声管をとり、河本少尉に声をかけた。

「河本少尉、今日は名古屋見物ですか?」
「なにっ! おおっ、これはどうなってんだ!」
「変針の指示がないので、今回から、コースを変更したのかと思って、二十度のまま飛ん
でおりまーす」
と、惚けてみたが相当に語気が荒い。すぐに右旋回して南下を始めた。三河湾にある河和
航空隊(水上機基地)を上空から眺めながら、

「河本少尉、帰投時刻は何時にすれば宜しいですか?」
「一六二○だっ!」
「了解しました……」
航法図板上には、既に全行程の航跡図ができあがって、帰投時刻まで計算できているのだ。

 道草を食い過ぎて、正規のコースを飛行する時間はない。知多半島南端から右旋回して
飛行場に向かった。
「河本少尉、予定コースを飛んだことにしてくださーい」

 本来なら、これは彼の方が頼むべきである。階級が邪魔をしているのだ。こちらが下か
らでれば万事が円満に解決する。もしばれたとしても、叱られるのは航法担当と見張員配
置であり、操縦員に責任はない。エンジンを吹かし気味にして、時間を調整しながら帰投
し、予定時刻ちょうどに着陸した。列線に帰るころには、河本少尉のご機嫌も直っていた。

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                艦上爆撃機「彗星」



白菊特攻隊
         52、「右舷後方に敵機!」  

 電信員は機上で、暗号文の作成や基地との送受信訓練を行う。またこれと並行して「実
用信(訓練でなく実務の交信)」も担当する。《空襲警報発令、訓練中止、帰投せよ》な
どを受信できないと大変なことになる。

 当時はマリアナ方面からのB29による空襲以外に、新たに占領した硫黄島の基地から、
P51戦闘機が少数機編隊で、たびたび空襲に来ていた。だから、内地の空といっても安全
ではなかったのである。

 ある日の午後、第一コースで知多半島上空に差しかかった時、
「右舷後方に敵機!」
と、 見張員が叫んだ。振り向くと右後方から、低空を斜めに近づく二機編隊がある。見張
員は機銃に弾倉を付けて装填している。確認する暇もなくアッという間に胴体の下に隠れ
てしまった。太陽の反射光線で見えにくい状態であったが、味方の彗星艦爆であると直感
した。

 確かめようと左下を見るけれど、 なかなか抜け出してこない。P51のような気もする。
P51は大井航空隊で何度も銃撃を受けていた。しかし、いつもは下から見上げていたので、
上から見下ろすのは初めてで自信がない。陸軍にもあの型の戦闘機があるのだが、現物
は見たことがない。疑心暗鬼、尻がむずむずする。飛行機を傾けて下を覗くけれども発見
できない。

「おーい! どこへ行った!」
「分かりませーん……」
「分からんで済むか! よーく見張れ!」

 見張員も、機銃に装填するため目を離した隙に見失なっている様子である。撃ってこな
いところをみると、やはり味方機だったのだろう。敵戦闘機であれば、練習機の独り歩き
は絶好の獲物である。見つかれば逃げられるものではない。やはり、最初の直感どおり
彗星艦爆だったのだ。不安を抱いたまま、予定コースを飛行して帰投した。

 ところが、帰ってみると飛行場の様子がおかしい。列線は撤収されて飛行機は掩体壕に
入れられている。おまけに《航空・短艇(飛行中の航空機は直ちに所属基地に帰投せよ)》
の旗旒信号が揚がっている。シマッター! 空襲警報だ!
「おい、電信員! 実用信は受けなかったのかっ?」
「実用信は受信しておりませーん」

 着陸してそのまま、飛行場西側の掩体壕に乗り着けた。飛行機を整備員に渡し、指揮官
を探して、
「六〇五号機、航法・通信訓練帰りました、人員機材異常なーし」
と、報告した。
「なにっ、異常なしだと……、 敵機はどうしたんだー!」
「敵機発見の電報打ったんは、貴様の機だろ!」

 どうも様子がおかしい。あとで分かったことだが、見張員の、
「右舷後方に敵機!」の叫び声に慌てた電信員は、確認もせず《敵機発見》の電報を基地
に発信したのである。そのことを私は知らなかった。
 
 基地ではこの電報により、《訓練中止、全機直ちに帰投せよ》と、指令した。だが、不幸
にもわが機の電信員は、電信機を送信の状態にしたまま、次に打つべき電報の起案にで
も気を取られていたのか、この基地からの電報を受信できなかった。

 またなぜかそれ以後、 訓練用の交信も中断したままであった。電信機の故障ではない。
訓練中の電信員は、他の配置と違って暗号書を引いたり電信機での送受信が精一杯で
外を眺める余裕がない。だから、機外の様子が分からないため不安が募り気が転倒して
いたものと思われる。

 《敵機発見》を打電して一時間近くも音沙汰無しでは、墜とされたと判断されても仕方
がない。それを、のこのこと帰って来たのだから叱られるのも当然である。敵機の確認を
怠ったため、飛行訓練を中断させ、基地全体にも大変な迷惑をかけて、誠に面目丸潰れ
であった。しかし、本物の敵機でなくて助かったわけである。

2-51、航法通信訓練

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              訓練に使った 偏流早見表。


白菊特攻隊
         51、航法通信訓練
 
 目印のない洋上飛行を主な任務とする海軍の飛行機は、いかなる場合でも推測航法が
原則である。推測航法とは、風向と風速を測定して、自分の飛行機が予定コースに対して、
何度の方向に何ノット流されているかを算定し、その流された分量を修正しながら、目的地
に到達する方法である。

 飛行機は空中に浮かんで、風に流されながら飛んでいる。だから、機首の方向(軸線)
と実際の飛行方向(航跡)には差異がある。この風に流される角度を偏流角と呼ぶ(風向
と同一方向に飛行する場合は偏流角○度となる)。この偏流角を異なった二方位で測定し
て作図すれば、風向と風速が算出できる。この演算を簡素化したのが航法計算盤である。

 この計算手順は、地上でも練習することができる。だから、地上で充分に演練してから
機上訓練を行う。ところが、実際に飛行しながら実施すると思わぬ間違いが起こる。これ
は、空中では思考能力が激減するからである。

 訓練飛行の場合は、離陸して上昇しながら出発点に向かう。予定高度に達すると、
「高度千五百メートル水平飛行、偏流を測定しまーす、針路三十度ヨーソロー」
と、航法担当者から声がかかる。操縦員は、
「高度千五百、針路三十度ヨーソロー」
と復唱し、針路三十度高度千五百メートルで水平飛行を行う。航法担当者は偏流を測定し、
「みぎー変針、百二十度ヨーソロー」
と、次のコースを指示してくる。

二度目の偏流測定を予定飛行コースと同じ方向になるように計画すれば無駄が省ける。
右に九十度変針して百二十度で再び偏流を測定する。偏流測定には偏流測定儀か爆撃
照準器が使用される。

「偏流測定おわーり、偏流プラス五度、針路を修正しまーす、修正針路百十五度、ヨーソ
ロー」
と、航法担当者から指示がある。この意味は、計器の示度では百二十度で飛んでいても、
風のため五度右に流されている、だから実際の航跡は百二十五度になっている。そのため、
航跡を百二十度にするためには、計器示度を百十五度に修正して飛ぶ必要があるというこ
とである。

 針路を変えて二方向で偏流を測定すれば、これを合成して、風向と風速が算出できる。
一方向だけの測定では、そのコースで流されている角度は分かるが、気速(計器速度)と
実速(対地速度)の差が算定できない。風向と風速をもとにして実速を算出すれば、目的
地までの所要時間や到着時刻が計算できる。

 航法図板(白図)に引かれた予定コースに、解析したデーターを記入しながら、飛行機
を目的地に誘導するのが航法であり、航法担当者の主要な任務である。

 また変針する前後には必ず偏流を測定して、風向風速を算出して再確認する。コースの
途中でも余裕があれば随時偏流を測定する。風向や風速は常に変化しているからである。
訓練飛行の場合には操縦員は航法担当者の指示どおりに飛びながら、チャートを見て崎の
突端や灯台などの著名目標の方位や距離を確認して、航法誤差がどれほどあるか見当を
付けている。

 上達すれば、時刻どおりに目的地の真上に到着することができるようになる。中には目標
を外れ、海の上に帰ってくる者もいる。
「おーい、ここに降りるつもりか? 水上機ではないぞー」
と、からかうことになる。
 
 一般に偏流のプラスとマイナスの勘違いや、針路修正の加減算の間違いが多い。地上で
の練習と違い、空中では思考力が低下するので、地上では考えられない錯覚を起こすので
ある。昼間の訓練飛行では、操縦員がチャートを見ながら自分の位置を確認しているので、
航法に誤差が出ても直接事故につながることはない。ところが、夜間洋上での航法誤差は
命取りとなる。
 
 操縦員は訓練中、航法の間違いに気づいても、知らぬ顔をして飛行する。航法担当者が
自ら気づいて修正するのを待っているのである。着陸してから、地上の教官が航法図板を
点検する。白図に記入した予定コースと、偏流を測定して修正した航跡図を検討して、そ
の適否を判定して必要な指導を行う。
 
 私は甲飛十三期生に対しては、後輩という意識もあり、
「おーい、針路の修正が逆じゃないのか?」
「風は右から吹いてるはずだぞー、偏流を計り直せ!」
などと、機上でそのつど注意する。だから、大きな誤りを起こすことはない。ところが、
学生出身の予備士官に対しては、上級者だからそのような、僣越な注意などしない。ただ
指示されたとおりに飛ぶ。
 
 恐らく他の操縦員もそうであったと思う。そのため、着陸して教官から叱責されている
のは、ほとんど彼ら予備士官連中であった。搭乗員は士官も下士官兵も機上で行う作業
は同じである。だから、士官が上手で下士官兵が下手とは限らない。

 ある日、夕食も終わりデッキで雑談していた。すると、われわれが訓練を担当している
予備士官数名がやってきて、操縦員に整列をかけた。そして、いろいろと文句を並べたう
え、操縦員全員を殴った。

 彼らにすれば、いくら飛行時間が少なく経験が浅くても、れっきとした偵察士官である。
それに対して、下士官の操縦員が機上で間違いに気づいていながら、知らぬ顔をして協力
しないから、地上の教官に叱責される結果となる。下士官の分際で生意気だ、というのが
彼らの言い分である。

 さーあ大変だ。飛行兵に志願するほどの者だから、みんな向こう意気が強い。殴られて
率直に言うことをきく者より、反発する者が多い。日ごろから階級をかさに着て、本来な
ら自分たちが準備すべき落下傘など、下士官操縦員にやらせる者もいた。だから、日ごろ
の鬱憤が爆発した。

「何だ奴ら! 偏流も満足に計れんくせに、一人前の士官面しやがって……」
「本来なら一升瓶でも下げてきて、願いまーすと挨拶するのが筋だ!奴ら礼儀も知らん!」
「格好だけは一人前だが、腕前は練公(練習生)以下だ、 あれでも士官かよ……」
「自分の腕前は棚に上げて、俺たちに当たるとはもってのほかだ……」
「飛行時間が二〜三十時間じやー、まだまだヨチヨチ歩きのヒヨッ子同然だ! ヒヨッ子
のくせに空を飛ぶとは、生意気だ!」
「よーし見とれ、明日は只では済まさんから!」

 こんな調子では飛行作業が順調に行われるはずがない。阿曽兵曹などは、飛行前の
打ち合わせの時から、
「今日は晴れていますが、上空は気流が悪そうですよー」
などと気流が悪いことを前もって予告している。ちょっとした操縦のテクニックで、悪気流
を演出するのは簡単である。これを繰り返すと顔面蒼白となり、「ゲエー、ゲエー 」と
戻し始める。

 それだけではない、
「偏流を測定するー、針路三十度ヨーソロー」
と、声がかかると、
「針路三十度ヨーソロー」
と、復唱しながら、飛行機をちょっと右に傾けて方向舵で左に応舵をする。すると、右か
らの横風を受けているのに、飛行機は右の方に流されるような芸当だってできるのである。
これでは、正確な偏流測定など不可能に近い。結果は支離滅裂な航跡図ができあがり、
以前にも増して、教官からお目玉を頂戴することになる。
 
 また、飛行中にACレバー(燃料混合比調節レバー)を少しずつ出していくと、燃料は
だんだん薄くなる。一定の限度を越えると、《パン! パン! パパン!》と、異常爆発
を起こして、エンジンが停止する。しかし、プロペラは空転している。ACレバーを元に
戻すと、《プルン プルン》と、エンジンがかかる。これを二〜三回繰り返す。

「おい! 操縦員大丈夫かっ?」
「ちょっと、エンジンの調子がおかしいですねー」
「おい、引き返せ! 早く引き返せっ!」
ところで、エンジンはどこも悪くはないのだから、引き返したのでは操縦員が困る。

「何とか飛べるでしょう……、しかし、悪い燃料を使っいますから、いつ止まるか分かり
ませんよ……」
などと言って、「八○丙」の燃料のせいにしてそのまま飛ぶ。現実に《海上不時着、殉職》
の実例があるので、後席の連中は着陸するまで生きた心地がしない。

予備学生出身の士官は兵学校出身者と違い自分たちの立場を理解して、一般に穏やかな
人格者が多かった。だから、われわれを殴ったのは一部の者に過ぎない。しかし、こうな
ると一蓮托生である。殴られたお返しはなかなか厳しい。

2-50、田中部隊へ

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                白菊 本来の姿へ

白菊特攻隊
         50、田中部隊へ  

 われわれが「特攻隊」を編成して訓練を開始してから、既に三ヵ月が経過し、沖縄の戦
闘もついに終局を迎えた。六月二十五日、同期生の春木茂一飛曹(菊水第三白菊隊)が参
加した「菊水十号作戦」を最後として、「白菊」による特攻作戦は中止された。これに伴
なって、われわれの「特攻待機」が解かれた。

そして、金近上飛曹以下十数名の第十三分隊に所属していた下士官操縦員が、三重県の
鈴鹿基地で臨時に編成された田中部隊へ派遣された。これは、相次ぐ「体当たり攻撃」な
どで、大量の搭乗員を消耗した海軍が、急速錬成により搭乗員を補充する必要に迫られ、
この訓練を担当するために臨時に編成された部隊である。    

 燃料不足などのため飛行訓練を中断していた、予備学生や予備生徒それに甲飛十三期生
がその訓練の対象であった。そして、通常の偵察員教育が航法、通信、射撃、爆撃などを
すべてを習得させるのと違い、彼らに対しては、即成でその一部門のみ習得させて、実施
部隊へ送り出す方法がとられた。

 そのため、航法担当者は航法のみの訓練を実施し通信はやらない。同様に通信担当者は
通信訓練のみに専念した。また、攻撃員は見張りと機銃操作が専門である。

 ここでは、機上作業練習機としての「白菊」が本来の任務に使用されることになった。
操縦員は通称「馬車曳き」と呼ばれ、後席に航法・通信・見張り兼機銃操作の攻撃員を乗
せて飛行訓練を実施する。

 訓練はあらかじめ指定されたコースを、航法担当者の航法に従って飛行する。通信担当
者は飛行中、機上と基地の間で交信訓練を実施する。攻撃員は見張りと旋回機銃の操作が
役目である。

 操縦員は一見楽な勤務のようにみえるが、ちょっとの油断もできない緊張の連続である。
その理由は航空燃料に、「八○丙」を使用していたからである。八○はオクタン価を示し、
丙とはアルコールを意味する符諜である。精製したアルコールを燃料にして飛んでいたの
である。これは当時の航空燃料として最低の品質であった。だから、馬力が出ないうえ、
シリンダーの温度が冷え過ぎると、エンジンが止まる恐れがあった。

 飛行訓練を開始して間もない日、最終の帰投コースを飛んでいると、前方を飛行してい
た僚機が急に高度を下げ始めた。よく見るとプロペラが空転している。エンジンが停止し
た様子である。飛行場まで滑空するにはとても無理な距離である。

 私は増速して高度を下げながら後を追った。近づいて見ると、横井兵曹が操縦している。
いろいろ操作を行っているがエンジンが回復する様子はない。
「おい電信員! 不時着機の位置を確認して基地に電報を打て!」
と、叫んだ。

「ただ今不時着機からの発信を傍受していまーす……」
不時着機の電信員は必死になってキーを叩いているのだろう。うまく着水できたと思った
が、飛行機は転覆してしまった。白子の沖合で知多半島との中間ぐらいの海上である。

 上空を旋回しながら見ていると、黒いものが五個浮かんできた。全員が脱出できたのだ。
だが、乗員は四名のはずである。更に注意して見ると泳いでいるのは三名である。あとの
二つは車輪が浮いているのだ。着水の衝撃で脚が折れたらしい。

 訓練を打ち切り、直ちに飛行場に帰って地上指揮官に状況を報告した。後で分かったこ
とだが、殉職したのは電信員であった。恐らく最後まで不時着の状況を送信し続け、着水
の衝撃に対応する暇がなかったのであろう。エンジンが停止した原因は明確ではないが、
恐らく粗悪な「八〇丙」と関係があったものと思われる。

 ここでの飛行訓練は、後席に同乗して訓練を受ける予備士官や練習生は、一回ごとに交
替するが、操縦員に交替はない。午前も午後もぶっ続けの搭乗で、緊張の連続であった。
だが、「特攻待機」を解かれ、死から解放された気分は爽快で、肉体的な苦労などは問題
ではなかった。短期間であったが、私の搭乗員生活の中で最も充実した時期であった。

2-49、特攻隊員の心情

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                        楠公旗印  「非理法権天」  


白菊特攻隊
          49、特攻隊員の心情  
  
 今日は人の身、明日はわが身、いつ出撃命令が出るか分からない状態で、更に死ぬため
の訓練が続けられた。一度は死を決意したものの、夜半ふと目覚めて故郷に思いを走らせ
ることがある。そして、まだ死にたくない、何とか生き延びる方法はないものかと、生へ
の執着に悩まされることも度々であった。

 特攻隊が編成された当初は、皆一様に無口になり、決意を胸に秘めている様子であった。
ところが、日が経つにつれて、今度は以前にも増して快活になってきた。皆それぞれ自分
の死を納得したのであろうか。それとも、表面の快活さは、心中の悩みを隠すための手段
なのかも知れない。

 心を許し合った同期生の間でも、直接この問題に触れて話し合うことはなかった。それ
は、他人の介在を許さない、自分自身で解決すべき問題だからである。そうは言っても、
人生経験の浅い十八歳の若者に、このような解答を出させるとは非情である。

 だが、内心の葛藤とは裏腹に、飛行機を操縦している時だけは、緊張のため雑念も涌か
ず、死ぬための訓練でありながら、超低空飛行を行っても怖いというよりもむしろ爽快な
気分を味わうことさえあった。

 訓練は続き技量は上達しても、死に対する不安や恐怖は消えるどころか益々強くなって
くる。この生への執着は、出撃命令を受けて最後の離陸の時までは、恐らく断ち切ること
はできないであろうと感じていた。

 だれでも、一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れない。しかし、理性的に自分
の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、いかに大変
なことであるか、経験しない者には想像もできないことであろう。日ごろ大言壮語してい
た者が、「特攻隊」の編成に際し、仮病を使ってまで逃げ隠れした事例からも判断できる。

 見方を変えれば、あれが人間の正直な姿であったのかも知れない。当時のような「全機
特攻」の重苦しい雰囲気の中で、なお死から逃れようと努力する者には、それ相当の勇気
が必要であったと思われるからである。

 他人の心を計り知ることはできない。だが、意識して皆との話の輪に加わり、他愛ない
話題に興じて、 無理に快活に振る舞っている自分の姿を彼らはどう見ているのだろうか。
彼らもまた私と同じような心理であったのかも知れない。皆と一緒に談笑の輪の中にいな
がら、ふと脳裏を掠める不安に戦(おのの)く事も度々であった。

 昼間は同僚との語らいで気を散らす事もできる。だが、夜中は自分だけの時間である。
眠れぬままに、古里の思い出に浸り、死後の未知の世界を想像することも再々であった。
際限なく次々と頭に浮かぶ雑念を振り払いながら、 儚い人生につかの間の安らぎを求めよ
うと、 焦燥する日々がが続いたのである。

       *
 「特攻隊員」を命じられた場合、覚悟が決まるというか、決心がつくというのか、死に
対する気持ちの整理ができるのに、二〜三日かかるのが普通である。中には一週間程度も
悩み続ける者もいる。そして、一週間が過ぎても、なお決心がつかなければ脱落するしか
ない。

 では、特攻隊員はいかにして、死に対して自分の気持ちを整理し、覚悟を決めたのであ
ろうか。まず一般的に死を解決する要素として考えられるのは、宗教であろう。私の家は
真宗の信者であった。子供のころから、仏壇に向かう母親の後に座り「正信偈」その他の
お経を読む程度の関心は持っていた。

 また法要などで「夫レ人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ観ズルニ・・・」に始まる蓮如上人
の「白骨の御文章(おふみ)」に無常を感じたり、説教師の法話を聞いて感銘を受けるこ
ともあった。しかし、いくら「極楽浄土」を信じていても、敵とはいえ「殺生」に変わり
はない。だから、「極楽」ではなく「地獄」に落ちるのではないか。などと考え始めると、
ますます混乱する。

「そうだ! 狙うのは敵艦であって敵兵ではない!」そう心に決めることで、自ら安らぎ
を求めるのであった。

 当時の年齢や人生経験から、信心といっても程度が知れていた。それに比較して解決す
べき問題が、あまりにも大き過ぎたのである。だから、宗教によって死を肯定する心境ま
でには至らなかったのである。

 次に、「悠久の大義に生きる」という国家神道の教えである。当時の精神教育は、この
一点に集約されていた。だが、前述の宗教と同じように、真にこれを理解し、これで死を
納得するまでには至らなかった。

 日ごろ同僚との会話の中で、
「俺たちは、戦死すれば軍神として靖国神社に祀ってもらえるんだなあ……」
「そうだよ、靖国神社にも先任後任があるんだ、俺が先に行って待っている。遅れて来た
奴は食卓番だぞー」

「ソラツクなよ、軍神が食卓番なんかするものか。毎日が上げ膳据え膳で、 お神酒は飲み
放題だ!」
「そうだー、俺たちは軍神なんだ。だからお神酒だけは今から供えて欲しいなあー」
「なに言ってる。お前さんの供えてもらいたいのは、おふくろさんのオッパイだろう」
などとふざけ合っていても、本心から、軍神になることや靖国神社に祀られることでこの
問題を解決できた者は、恐らく一人もいなかったのではなかろうか。

 人間はどうせ一度は死ぬのだ。それなら多少とも、後世に名を遺したいという見栄があ
る。そして、軍神や靖国神社は生前に予想できる唯一の死後の姿である。 地獄や極楽など
単なる幻想の世界ではない。

 立派に戦って戦死すれば、靖国神社に軍神として祀られることは約束された現実である。
しかし、初めからそれを目的として考えることは、神に対する冒涜であろう。私たちは、
国家神道を観念的には理解できても、それは、死後の姿を想定する手段としてであって、
死を解決するには別の何かを求めざるを得なかったのである。

 次に運命として諦観する方法がある。確かに人の運命には予測できない面がある。それ
は、過去の戦闘や飛行機事故などの例で、生死は紙一重であることを痛感していた。だか
ら、これに運命的なものを感じていたとしても不思議ではない。
 
 だが、これは結果としていえることで、運命そのもで死を解決するのは、諦らめの理論
である。諦らめ切れないから悩むのであって、これが解決の手段にはならなかった。要す
るに理屈で解決するのでなく、感情的に納得できる何かを求めていたのである。

 私が死に直面して、真っ先に考えたことは、最も身近な者のことであった。即ち、両親
や姉など肉親のことであった。自分が犠牲になることで、国家が存続し親や姉達が無事に
暮らす事ができるのであればという、切羽詰まった考え方でこの問題に対応したのである。

 恐らく、 私以外の者の考え方も大同小異であったと思う。この問題を解決するのには、
肉親に対する深い愛情が根本にあったと信じている。その対象が妻子であり、また約束を
交わした最愛の女性であった者もいたに違いない。

 この肉親に対する愛情が、わが身を犠牲にして顧みない、重大な決意を可能にしたので
ある。また立場を変えて、親の側からこれをみるとき、親もまた複雑な思いに駆られてい
たに違いない。

  親想う 心に勝る 親心
    今日のおとずれ 何と聞くらむ

 吉田松陰の辞世を、現実に体験することになったのである。いかに国のためとはいえ、
わが子の無事を願わない親はいない。お互いの愛情と信頼が、「特攻」という常軌を逸し
た行動の原動力になったとすれば真に非情である。


♪    八洲隊の若桜

 一、あの教官も あの友も 神風隊の 若桜
   笑って散った 勲に続き 征くぞ 俺らも体当たり
    一機命中 轟沈だ

 二、あゝ南海や 北冥に  手柄残して 散華した
   同期の友に 後れをとった 悔し涙も 幾度か
    今日は門出の 嬉し泣き

 三、八幡菩薩の 旗風に  地獄の使者だ 俺たちは
   敵に恨みの いざ体当たり 富士がほほ笑む この朝だ
    友よ笑って さあ征こう

 四、さらば祖国よ 山河よ 離陸のあとは 何もない
   心は澄んで 気は落ちついて 笑顔が写る 計器盤
    目指す針路へ 真っしぐら


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