老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

2白菊特攻隊

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          白菊特攻隊 出撃前の記念写真。(笑顔も見えるが心の中は・・・・)


白菊特攻隊
        48、「白菊特攻隊」戦死者名簿 

(菊水7号作戦) 
昭和20年5月24日        
菊水 白菊隊(高知空)中 尉 野田  勉 以下 16名 聯合艦隊告示156号
     
 1926  操縦員 一飛曹 柴原   繁    (大阪・丙飛15期)  
       偵察員 少  尉 小堀 淳三郎  (埼玉・予備13期・埼玉師)

 1936  操縦員 一飛曹 川端   滋   (大阪・丙飛16期)  
       偵察員 二飛曹 荒東 国夫   (広島・甲飛13期)

 1939  操縦員 上飛曹 水野   博   (愛知・丙飛16期)  
       偵察員 上飛曹 木戸 門一   (愛知・乙飛17期)

 1942  操縦員 少  尉 佐々木 威夫  (宮城・予備13期・明大)  
       偵察員 少  尉 高橋   中    (栃木・予備13期・日大)

 1944  操縦員 二飛曹 松本   直   (宮崎・特乙1期)  
       偵察員 上飛曹 小倉 敏男   (山形・甲飛10期)

 1945  操縦員 一飛曹 菅原 喜三   (秋田・丙飛17期)  
       偵察員 中  尉 野田   勉   (山形・海兵73期)

 1946  操縦員 一飛曹 佐々木 重衛  (愛媛・丙飛14期)   
       偵察員 一飛曹 中根 輝治    (愛知・乙飛18期)

 1950  操縦員 一飛曹 能見   博    (広島・予備練15期)  
       偵察員 少  尉 力石 権四郎  (静岡・予備13期・日大)


徳島第一白菊隊(徳島空)少 尉 須田 治  以下22名 聯合艦隊告示200号

 2019  操縦員 上飛曹 水戸 丈夫   (新潟・甲飛11期)  
       偵察員 上飛曹 高木 敏夫   (北海道・甲飛11期)

 2051  操縦員 二飛曹 隈倉 悦二   (徳島・特乙飛1期)   
       偵察員 一飛曹 木田 由男   (富山・乙飛18期)
 
 2050  操縦員 少  尉 須田   治   (東京・予備13期・明大予科)  
       偵察員 少  尉 根本 喜一   (福島・予備13期・専大)

 2051  操縦員 上飛曹 藤原 一男   (京都・予備練14期)   
       偵察員 二飛曹 脇田 七郎   (岐阜・甲飛13期)

 2053  操縦員 上飛曹 井上   博   (兵庫・予備練14期)   
       偵察員 一飛曹 伊東 勝義   (岡山・乙飛18期)

 2055  操縦員 上飛曹 高野 利雄   (長野・丙飛7期)   
       偵察員 一飛曹 江田 耕二   (岩手・甲飛12期)

 2127  操縦員 二飛曹 岡島   勝   (福井・特乙1期)   
       偵察員 一飛曹 浦上   博   (長崎・乙飛18期)

 2130  操縦員 一飛曹 栗木 朝明   (福岡・丙飛16期)  
       偵察員 少  尉 真野 敏弘   (富山・予備14期・明大)

 2210  操縦員 二飛曹 寺井 政雄   (福岡・特乙1期)   
       偵察員 一飛曹 平島   栄   (宮崎・乙飛18期)

 2210  操縦員 二飛曹 成田 松之助  (千葉・特乙1期)  
       偵察員 少  尉 渕元 五十雄  (滋賀・予備14期・神戸商大)

 2302  操縦員 二飛曹 中岡 安美   (熊本・特乙1期)  
       偵察員 一飛曹 三浦 松義   (大分・乙飛18期)


昭和20年5月25日
菊水 白菊隊(高知空)一飛曹 坂本 俊実 以下2名  聯合艦隊告示156号

 2007  操縦員 二飛曹 西   久道   (京都・特乙1期)  
       偵察員 一飛曹 坂本 俊実   (山口・乙飛18期)


(菊水八号作戦)
昭和20年5月27日
菊水 白菊隊(高知空)中 尉 川田  茂  以下18名  聯合艦隊告示156号
      
 1801  操縦員 中  尉 川田   茂   (北海道・予備13期・一師)  
       偵察員 一飛曹 増田 幸男   (宮崎・甲飛12期)

 1832  操縦員 上飛曹 市原 重雄   (神奈川・予備練13期)  
       偵察員 中  尉 縄野 恭平   (東京・海兵73期)

 1832  操縦員 一飛曹 佐藤 新四郎  (宮城・丙飛17期)  
       偵察員 二飛曹 安藤   広    (静岡・甲飛13期)

 1834  操縦員 少  尉 牧ノ内 幸雄  (東京・予備14期・早大)  
       偵察員 二飛曹 後藤 春夫    (熊本・甲飛13期)

 1842  操縦員 二飛曹 横山 誠雄   (大阪・特乙1期)  
       偵察員 一飛曹 橋本 隆夫   (大阪・乙飛18期)

 1842  操縦員 一飛曹 今野 作蔵   (宮城・丙飛17期)  
       偵察員 二飛曹 島田 常次   (宮崎・甲飛13期)

 1845  操縦員 二飛曹 畠中 政人   (広島・特乙1期)  
       偵察員 少  尉 渡世   保   (東京・予備13期・日大)

 1846  操縦員 少  尉 岩崎 鉄也   (兵庫・予備13期・同志社)  
       偵察員 二飛曹 河本 茂男   (山口・特乙2期)

 1847  操縦員 少  尉 篠部 克巳   (兵庫・予備13期・大阪専) 
       偵察員 二飛曹 木藤 静雄   (佐賀・甲飛13期)


昭和20年5月27日
徳島第二白菊隊(徳島空)中  尉 田中 正喜 以下14名  聯合艦隊告示201号
      
 2040  操縦員 二飛曹 中尾 照雄   (兵庫・特乙1期)  
       偵察員 二飛曹 安達 昭二   (静岡・甲飛13期)

 2052  操縦員 少  尉 荒木 圭亮   (京都・予備13期・日大)  
       偵察員 少  尉 井上 健吉   (福岡・予備14期・拓大)

 2100  操縦員 少  尉 佐藤 四郎   (宮城・予備13期・日大)  
       偵察員 少  尉 市野 義春   (愛媛・予備13期・真宗専門)

 2105  操縦員 二飛曹 井尻登 良一  (京都・特乙1期)  
       偵察員 一飛曹 岩崎 正男   (埼玉・乙飛18期)

 2110  操縦員 二飛曹 石井 正行    (広島・特乙1期)  
       偵察員 一飛曹 稲子 多喜男  (鹿児島・乙飛18期)

 2120  操縦員 中  尉 田中 正喜   (東京・予備13期・中大)  
       偵察員 少  尉 中野 喜弘   (茨城・予備13期・中大)

 2120  操縦員 二飛曹 帯川 文男   (長野・特乙1期)  
       偵察員 少  尉 能勢 寛治   (大阪・予備14期・関大)


昭和20年5月29日
徳島第三白菊隊(徳島空)一飛曹 北  光圓 以下7名   聯合艦隊告示202号

 1913  操縦員 一飛曹 北   光圓   (熊本・甲飛12期)  
       偵察員 二飛曹 為広 二見   (香川・甲飛13期)
      
 1914  操縦員 二飛曹 上村 早苗   (福岡・特乙1期)  
       偵察員 二飛曹 三宅 四郎   (兵庫・甲飛13期)

 1915  操縦員 二飛曹 山岸 純一   (新潟・特乙1期)  
       偵察員 

 1919  操縦員 二飛曹 門田 善次   (高知・特乙1期)  
       偵察員 二飛曹 滝本 幸一   (和歌山・甲飛13期)


(菊水九号作戦)
昭和20年6月21日
徳島第四白菊隊(徳島空)中 尉 井上 國平 以下6名 聯合艦隊告示203号

 1927  操縦員 上飛曹 大住 博也   (富山・乙飛17期)  
       偵察員 少  尉 萩原 満三   (鹿児島・予備14期・京大)

 1929  操縦員 中  尉 井上 国平   (神奈川・予備13期・九大)  
       偵察員 少  尉 末次 直輔   (東京・予備14期・京大)

 1930  操縦員 中  尉 北脇 博夫   (滋賀・予備13期・大東文化)  
       偵察員 少  尉 水無 瀬勇   (高知・予備14期・拓大)


菊水第二白菊隊(高知空)中 尉 古賀一義 以下10名 聯合艦隊告示235号

 1900  操縦員 中  尉 針生 房吉   (宮城・予備13期・東北学院)  
       偵察員 二飛曹 河野 直義   (岐阜・甲飛13期)

 1905  操縦員 二飛曹 藤本 利雄   (大阪・特乙1期)  
       偵察員 二飛曹 掛川 諒一   (長野・特乙1期)

 1916  操縦員 中  尉 井上 幸胤   (大阪・予備13期・同志社)  
       偵察員 一飛曹 有賀 康男   (長野・乙飛18期)

 1922  操縦員 二飛曹 粟倉 一雄    (静岡・特乙1期)  
       偵察員 上飛曹 佐久間 潔   (香川・甲飛10期)

 1930  操縦員 中  尉 古賀 一義   (福岡・予備13期・攝南高工)  
       偵察員 一飛曹 宮沢 茂雄   (東京・甲飛12期)


昭和20年6月25日
徳島第五白菊隊(徳島空)少 尉 三浦 猛輝 以下10名 聯合艦隊告示204号

 1922  操縦員 一飛曹 高沢 啓次   (富山・予備練14期)  
       偵察員 二飛曹 前野 博之   (兵庫・特乙4期)

 1937  操縦員 二飛曹 木塚 梅夫   (佐賀・特乙2期)  
       偵察員 少  尉 岡田   清   (山口・予備13期・中大)

 2005  操縦員 二飛曹 今西 登志男  (大阪・特乙2期)  
       偵察員 一飛曹 緒方 秀一    (熊本・乙飛18期)

 2008  操縦員 上飛曹 菅野 繁蔵   (福島・乙飛17期)  
       偵察員 二飛曹 沢原 昭夫   (愛媛・甲飛13期)

 2012  操縦員 二飛曹 山口 清三郎  (新潟・丙飛17期)  
       偵察員 少  尉 三浦 猛輝    (鹿児島・予備14期・中大)

 
昭和20年6月26日
菊水第三白菊隊(高知空)一飛曹 春木 茂 以下2名 聯合艦隊告示236号

 2000  操縦員 一飛曹 春木   茂   (愛知・甲飛12期)  
       偵察員 二飛曹 岩下   武   (神奈川・甲飛13期)

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               徳島航空隊所属 白菊


白菊特攻隊
         47、「白菊特攻隊」出陣

 昭和二十年三月、練習航空隊から実施部隊に改編された第十三聯合航空隊は、第十航空
艦隊の命により「白菊」による「神風特別攻撃隊」を編成した。高知航空隊(菊水白菊隊)
徳島航空隊(徳島白菊隊)・鈴鹿航空隊(若菊隊)・大井航空隊(八洲隊)である。これが
世にいう「白菊特攻隊」である。

 編成を完了した各航空隊は、離陸発進・接敵・攻撃(体当たり)などの訓練を、昼夜に
わたって実施した。そして、着々とその錬度を向上していった。夜間出撃が可能となった
「白菊特攻隊」は、五月二十日、聯合艦隊の命を受け、第三航空艦隊及び第五航空艦隊に
それぞれ配属され、ついに「菊水作戦」と呼ばれた「特攻作戦」に参加することになった。

 関東方面に備える第三航空艦隊に配属された大井航空隊(八洲隊)と鈴鹿航空隊(若菊
隊)は、「特攻待機」の状態で更に訓練を続行することになった。九州及び沖縄方面に備
える第五航空艦隊隷下の第十二航空戦隊に配属された高知航空隊(菊水白菊隊)は鹿屋基
地へ、徳島航空隊(徳島白菊隊)は串良基地へとそれぞれの作戦基地へ進出展開した。

 そして、五月二十四日の「菊水七号作戦」が開始されるや、勇躍基地を飛び立って沖縄
周辺の敵艦船群に対して「体当たり攻撃」を敢行したのである。「白菊」の速力は最大で
も百二十ノットと極端に遅く、 爆装すれば百ノットそこそこである。だから、昼間の攻撃
は不可能と判断され、夜明け前に突入する戦法がとられた。そのため、基地を発進したの
はすべて夜半であった。(私の調査した資料によると、夜間に発進した「特攻機」は白菊
と水上偵察機のみである)

(菊水七号作戦) 
昭和二十年五月二十四日   指揮官       出撃機数  未帰還 戦死  出撃基地  
菊水白菊隊    (高知空)  中 尉  野田  勉 二〇機   八機 一六名  鹿屋
徳島第一白菊隊 (徳島空)  少 尉  須田   治 一四機 一一機 二二名  串良

昭和二十年五月二十五日
菊水白菊隊   (高知空)  一飛曹  坂本 俊実 一五機  一機  二名  鹿屋

(菊水八号作戦)
昭和二十年五月二十七日
菊水白菊隊   (高知空)  中 尉  川田  茂 二〇機  九機 一八名  鹿屋

昭和二十年五月二十八日                                
徳島第二白菊隊 (徳島空) 中 尉  田中 正喜 一六機  七機 一四名  串良

昭和二十年五月二十九日
徳島第三白菊隊 (徳島空) 一飛曹  北  光圓 一五機  四機  七名  串良

(菊水九号作戦)
昭和二十年六月二十一日
徳島第四白菊隊 (徳島空)  中 尉  井上 國平 八機  三機   六名  串良
菊水第二白菊隊 (高知空)  同     古賀 一義 八機  五機 一〇名  鹿屋

(菊水十号作戦)
昭和二十年六月二十五日
徳島第五白菊隊 (徳島空)  少 尉  三浦 猛輝 八機  五機 一〇名  串良

昭和二十年六月二十六日
菊水第三白菊隊 (高知空)  一飛曹  春木  茂 六機  一機   二名  鹿屋

 以上は出撃月日・指揮官・出撃機数・突入確実と認められた機数及び特攻戦死と認めら
れ聯合艦隊告示により全軍に布告された人数である。(防衛研究所資料)

 徳島航空隊六十一機、高知航空隊六十九機、 合計百三十機が出撃し、五十六機百十名が
特攻戦死と認められた。このように、六月二十五日の「菊水十号作戦」までに、百三十機
の「白菊」が出撃し、 多数の尊い命が「白菊」と共に大空の彼方へ消え去ったのである。

 「白菊特攻隊」に編入され戦死した同期生は次のとおりである。

昭和二十年五月二十七日、神風特別攻撃隊菊水白菊隊。  一飛曹 増田 幸雄(宮崎)
        鹿屋基地発進、嘉手納沖の敵艦船群に対し、「体当たり攻撃」を敢行。
                           (聯合艦隊告示一五六号)

昭和二十年六月二十五日、神風特別攻撃隊菊水第三白菊隊。一飛曹 春木  茂(愛知)
        鹿屋基地発進、沖縄周辺の敵艦船群に対し、「体当たり攻撃」を敢行。
                           (聯合艦隊告示二三六号)

 「白菊特攻隊」の殿を務めて散華された、春木一飛曹の出撃の模様を紹介する。
すでに沖縄は玉砕し、基地では「いまさら特攻とは」という気分が蔓延していた。だから、
前日出撃した三機は全機引き返している。

六月二十五日、「菊水第三白菊隊」は前日の三機を含めて六機の出撃を予定していた。
一九〇〇から一九三〇までに三機が発進した。ところが、この日も全機が引き返してきた。
春木機は油漏れのため止むを得ず引き返したのである。整備兵を督励して修理を急がせた。

「次の機会を待て、もう出なくてもよい!」
そう言う隊長の制止を振り切って、春木一飛曹は単機で離陸し南の空へ消えていった。

 六月二十六日〇〇一八、「ワレ今ヨリ突入ス ユタ ユタ ユタ 」との、春木機から
の電信を受信した。この電文は、「我今ヨリ、輸送船ニ体当タリスル」という略語である。
この電信を打ったのは、彼のペアである甲飛十三期出身の岩下武二飛曹であった。

 春木一飛曹は予科練では同じ分隊で、 隣の六班に所属していた。正義感が強く、責任感
も旺盛でその行動は積極的であった。分隊対抗や班対抗の競技などを実施する場合、纏め
役の中心で、存在感のある人物であった。その彼が、「白菊特攻隊」最後の指揮官として
その名を残したのも、偶然とは思われないものがある。

       *
 零式戦闘機    六三一機
 九九艦爆      一三五機
 白菊         一三〇機
 彗星艦爆      一二二機
 銀河         一〇〇機
 九七艦攻       九五機
 水上偵察機      七五機
 一式陸攻(桜花)   五四機
 天山艦攻       三九機
 九六艦爆       一二機
  合計      一、三九三機

以上は、昭和二十年四月から六月までの間、沖縄方面の作戦に「特攻機」として出撃し
た、機種別の機数である。零式戦闘機は別格として、 練習機である「白菊」が実用機に伍
して、いかに数多く、 特攻作戦に使用されたかを知ることができる。

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               長兄の遺書と遺影。


白菊特攻隊
           46、第百二十七飛行場大隊
 
 戦後私の知り得た資料では、長兄の所属部隊の行動概要は次のとおりである。

昭和十九年四月 西部第百部隊(太刀洗)に召集入隊。

同五月二十七日 第五航空教育隊(太刀洗)内で、
        第百二十七飛行場大隊編成。 隊長楠田武治大尉以下四百三名。
同五月三十一日 第四飛行師団より第十四方面軍隷下に入り比島派遣を命ぜらる。
        編成完結式及び出陣式を挙行。                             

同 六月 六日 乗船予定が変更され、太刀洗にて待機。

同 九月十七日 午前八時、太刀洗駅を出発。
同 九月十八日 午後二時、門司港着。乗船待ちのため旅館や民家に分宿。

同 十月 七日 大彰丸 (大阪商船・六八八六総トン) に乗船(乗船総人員約三千名)。
同 十月 八日 門司港出港。敵機動部隊台湾沖に来襲の情報により伊万里湾に退避仮泊。
同 十月十六日 伊万里湾を出港。五島列島付近で船団編成(モマ〇五船団)。
        輸送船十二隻・護衛艦六隻。

同十月二十四日 台湾の高雄に入港。水及び食料を搭載して、即日出港。
同十月二十六日 船団は午前三時五十六分、アメリカ潜水艦アイスフイッシュ(SS367)及び
        ドラム(SS228)の雷撃を受ける。
        午前五時、大彰丸沈没。沈没地点バリタン海峡カラヤン島西方四十キロ。
        船団被害、沈没三隻 (大彰丸・大博丸・泰洋丸)。人員の約半数が救助さ
        れ、ラボック湾で他船に分乗。

同十月三十一日 コレヒドール島沖で潜水艦の雷撃により二隻沈没。空襲により二隻沈没。
同十一月 一日 マニラに上陸(マニラ到着六隻)。
        第百二十七飛行場大隊の生存者は約二百名。(約半数が海没戦死)
        大隊は、リパー東飛行場に展開。以後ルソン島各地を転戦、昭和二十年
        三月五日人員を消耗して解隊、他の部隊に統合された。編成当初からの
        隊員は殆ど全員が戦死、終戦後復員した者は数名に過ぎない。<br>


      *
 長兄の戦死公報では、昭和十九年十月二十六日戦死となっている。恐らく大彰丸沈没の
際に死亡したものと認定して、戦死公報が出されたものと推察する。ラボック湾での生存
者の中には含まれていなかった模様である。比較的早い時期に戦死公報が出されたのも、
そのためであろうと想像する。

 この時期、長兄の親友青木一飛曹も戦死した。二座水偵から陸上機への転換により、戦
闘機の操縦員となった青木一飛曹は、昭和十九年十月十三日、零式戦闘機に搭乗して南西
諸島上空において、来襲した敵艦上機と交戦し壮烈なる戦死を遂げられた。享年二十五歳、
私の長兄に先立つこと十三日であった。

 青木二三氏と長兄は、入隊前同じ職場で働いていた関係で、生前よく一緒に遊んで友情
を深め合っていた。
「人生五十年、ただし軍人は半分の二十五年だ!」とは二人のよく口にした言葉である。
奇しくも二十五歳で、時を同じくして戦死したのも、何らかの因縁であろう。

2-45、親子の絆

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            神風吹かして 八洲護らむ


白菊特攻隊
          45、親子の絆 

 その夜は久し振りに、親子水入らずで過ごした。故郷の様子も聞いた。しかし、誰々に
召集令状がきたとか、海軍に志願していた本家の次男が、南洋方面で戦死したとの公報
が届いたとか、明るい話題ではなかった。

 私は「特攻隊」に編入されたことについては、意識して話さなかった。いまさら話して
も、詮なき事だからである。父親も自分からその話を聞き出そうとはしなかった。お互い
死ぬ前に、一目会えただけで満足であった。

 父親は米などの食糧を、リュックサックに一杯詰めて持ってきていた。それを下宿で炊
いて貰っていた。また、ここのお茶はおいしいと言いながら何杯もお代わりをしていた。
そして、残りの米を下宿に渡して、お茶と交換して帰ると言っていた。私に会うのに、 何
日かかるか分からないので、数日分の食糧を用意してきたらしい。

 ここ牧之原はお茶処である。そして、私の下宿先はお茶問屋であった。最初にお伺いし
た時に出されたお茶を戴いて、「お茶とは、こんなにおいしいものであったか……」と、
感心した。われわれは日ごろ番茶ばかり飲まされていたので、本当のお茶の味など知らな
かったのである。

 翌朝になって、特攻隊編成に際して第三中隊第三小隊の仲間と写った写真を持ち出して
いたのを父親に渡した。昨夜渡してもよかったのだが、裏に余計なことを書いていたので、
父親が気にしても困ると思い、渡すのをためらっていたのである。その写真の裏面には、

   火柱と 共に消えゆく命なれど
     神風吹かして 八洲護らむ
            八洲隊 永 末 千 里  

と、拙い一首を遺書代わりにしたためていた。

 下宿の前で別れるとき、父親から「成田山」の「御守袋」を渡された。「特攻隊員」に
編入され、生還を望めなくなっている者に、いつまでも無事にいて欲しいとの願いを込め
て、「御守袋」を持たせる親心に、胸中込み上げるものがあった。

 これが最後となるであろう親子の対面も終わった。そして、後ろ髪を引かれる思いで飛
行場へ向かった。恐らく父親も、今生の別れとの思いを込めて、私の後ろ姿を複雑な思い
で見送っていたのではなかろうか。

        *
 昭和十九年十月初旬のことである。出征した長兄が船待ちのため門司港の旅館に分宿し
ているとの情報を人伝えに聞き付け、母親が末の姉を連れて面会に行った。運よく旅館を
探し当てて、面談することができた。翌日今度は父親が旅館を訪れた。だが、部隊は既に
乗船して出港した後で、会うことができなかった。

 父親は長兄との最後の面会ができなかったことを、 心残りにしていたと思われる。だか
ら私のハガキを見て、この機会を逃したら永遠に会えないと判断して遠路はるばる面会に
来たのであろう。そして、去り行く私の後ろ姿に長兄の面影を重ね合わせ、今生の別れと
見送っていたに違いない。

2-44、父親面会に来る

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               晴れ姿


白菊特攻隊
         44、父親面会に来る

 特別攻撃隊の編成は、軍の機密事項である。だから、その事を手紙などに書くことは許
されなかった。軍隊では機密保持のため、われわれ下士官兵が出すハガキや手紙は、すべ
て分隊士に提出して検閲を受けることになっていた。だから、日ごろ家族に出す手紙類は、
元気で勤務しているから安心するようにとの、簡単な内容であった。

 ところが、「特別攻撃隊」が編成され死を意識すれば、両親に対して、今生の別れを告
げたいと思うのは人情であろう。また、死の瀬戸際に立って、最後の気持ちを伝えたいと
いう切実な願いもあった。切羽詰まって、ついに規則を無視することにした。 他人に読ま
れても気づかれないように、それとなく最期を仄めかすような文面のハガキを、金谷町の
下宿の住所を使って父親宛に出した。

 現在では想像もできないことだが、その当時の一般家庭には電話などなかった。だから、
ハガキか手紙を出すのが一般的な通信手段であった。また急ぎの場合には電報に頼るしか
方法がなかった時代である。

 ある日、航法訓練から帰り地上指揮官に報告を終わって控室に入ろうとしていると、
「面会人が来ているから、正門の面会所に行け」
と、西村分隊士から告げられた。更に、理由は分からないが、
「飛行服は脱いで行け」
との指示があった。

 面会人てだれだろう? 近くに知り合いもいないのにと、不審に思いながら衛兵詰所に
行った。衛兵伍長に届けて面会所に入ると、意外にも父親が待っていた。例のハガキを見
て、金田駅の助役に頼み込んで切符を都合してもらい、三日がかりで来たとのことである。
当時は、特別の理由がないと長距離の切符は手に入らなかった時代である。たまたま父親
の従兄弟が、郷里金田駅の助役として勤務していたのが幸いした。

 昨日、金谷町の下宿を探し当てて待っていたが、外出して来なかったので、下宿の人に
飛行場の場所を聞いて、朝早くから来ていたとの話である。衛兵所で面会を申し込んだが、
「ただ今、飛行訓練中である」と言われて、三時間近くも待たされたとのことであった。

 私の家族は、長兄が前年の十月二十六日に、フィリピン方面で戦死したとの公報を受け
取っていた。次兄は現役兵として陸軍に入営中で、三名の姉婿もそれぞれ召集されて軍務
に服していた。

 それらの家族や親族の近況を聞き、母も会いたがっていたが、遠いのと留守番の問題も
あって断念したとの話であった。空襲も激しさを増している時期に、遠い九州からはるば
る会いに来ていただき、親なればこそと感謝の気持ちで一杯であった。昼飯の時間も近づ
いたので、今夜は間違いなく外出するから下宿で待つようにと言って、面会所を出た。

      *
 デッキに帰り、昼飯をすませて皆と雑談していた。すると、副直将校が来て全員に整列
をかけた。何事かと思っていると、
「貴様らの中に、検閲を受けずに隊の外からハガキを出した不心得者がいる」
と、文句を並べ始めた。
「しまったー!」 「これは俺のことだ!」

 一通り文句が終わると、皆の前に引っ張り出された。
「足を開け、歯を食いしばれ!」
早速型どおりの制裁が始まった。しばらくは我慢していたが、 あまり殴られても馬鹿らし
いと思って、わざとぶっ倒れて恭順の意を表した。これで制裁は終わり、副直将校が立ち
去った。

「なんだーあの野郎、飛行隊では見かけん顔だが、他所のデッキにまで来て殴るとはけし
からん話だ、うちの分隊士に連絡して注意させれば済むことだ」
「そーだよ、自分たちは検閲なしで手紙を出してるくせに、下士官や兵隊ばかりを苛めや
がって……」

(海軍では、士官に対しては人格を認め、文通など自主的判断に任されていた。だから、
遺書や遺稿など、 下士官兵に比較して多数残されている。)

「特攻隊から外れた奴らは、いつ死ぬか分からん俺たちの気持ちを、少しは考えたことあ
るのか……」
「俺たちだって人間だ、死ぬ前に親に会ってなにが悪い。 立派に死んでやるから、つべこ
べ文句を言うな!」
「おい永末、気にするな、気にするな……」      

 気にするなと言われても、殴られた後ではどう仕様もない。頬は腫れあがり口中からは
出血している。同情して慰めてくれる皆の気持ちはありがたいのだが、 非はこちらにある。
ところが、皆の話を聞いていると、 他にも検閲を受けずに外から手紙を出している者がい
る様子である。露見した私が不運ということか。

 事務室に行って先任下士官に、
「先任、 すみませんでした、ちょっと医務室に行ってきます」
そう謝まって、医務室に治療に行った。まだ午後の診療が始まる前なので、廊下の長椅子
に腰かけて待っていた。

すると、通りかかった看護科の兵長が、練習生とでも勘違いしたのであろう、
「おい、ひどくやられたなあ……、どこの分隊だ?」
と、下級者に対する応対である。癪に障ったが、怒る気にもなれず無視していた。
 
 ところが、その兵長が「八洲隊・永末」と書いた胸の名札でも見たのか、飛行隊の搭乗
員と気づいたらしく、急に態度を改めて、
「こちらに来ませんかー」
そう言って、奥の方へ誘った。ついて行くと、予備の病室らしく、空のベッドが数個並べ 
られた小部屋があった。

「ここで休んでいてください、軍医官もたいした処置はできないと思いますから……」
そう言いながら、枕と毛布を出してくれた。横になっていると今度は氷嚢を持ってきて、
「これで冷やしてください……」
と、言う。看護科の兵隊ですら「特攻隊員」と知って、これだけ気を使ってくれるのだ。

 それなのに、副直将校の制裁は酷過ぎる。 ハガキの内容は読めば分かるように、軍の機
密など書いてはいない。ただ、お別れの時期が近づいたことを、それとなく父親に伝えた
だけである。それが、そんなに悪い事なのだろうか。

 あの副直将校は飛行隊では見かけない顔である。だが、飛行隊のデッキに来てまで文句
を言うところをみると、搭乗員には違いないだろう。恐らく練習生分隊あたりの分隊士で
あろう。

 本来なら、順序を経て私の所属する分隊士か分隊長に、事情を通報して注意させるのが
筋というものである。飛行隊の所属でもく、直接の指揮系統もないのに、国のために命を
捧げる決心をした「特攻隊員」を殴るとは、搭乗員の風上にも置けない奴である。無性に
腹がたった。

 飛行訓練は、午前中に終了していたので、治療というよりも気分を静めるため、医務室
で時間を潰すことにした。ベッドで横になりながら、なぜあのハガキの件が副直将校の耳
にまで入ったのか考えてみた。

 恐らく実直な父親のことだから、あのハガキをそのまま衛兵伍長に見せて、私の所属を
探してもらったのに違いない。私の父親は軍隊経験がない。だから、検閲印がなく航空隊
以外の住所から出されたハガキに疑問を持たなかったのであろう。

 夕方デッキに帰ったが、食事をする気にもなれず、ぼんやりしていると、
「おーい、先任下士が呼んでいるぞー」
と、同僚が告げに来た。また文句の一つも言われるのかと思って事務室に行った。
「こらっ! 何をぐずぐずしてる……、親父が待ってるんだろう、早く上陸せんか!」
そう言って、上陸札を渡してくれた。

 規律違反として「外出止め」ぐらいは喰らうだろうと覚悟をしていたので、暗くなった
ら脱柵(無断で外出すること)でもしょうと考えていた矢先であった。だから、先任下士
官の心使いが嬉しかった。

 当時下士官は「半舷上陸」といって、半数ずつが夕食後から翌日の朝食までの間、外出
が許可されていた。ところが、町まで遠いのと遊ぶ場所も少ないので、平日はあまり外出
する者はいなかった。その代わり、日曜日などは浜松市や静岡市まで遠出して遊んでいた。
だが、今日は違う。早速有り合わせの酒や、果物の缶詰などを持って飛び出した。

 副直将校が、先任下士官ぐらい物分かりがよければと思う半面、殴られただけですんだ
のだから、不幸中の幸いであったと思い直した。下手をすると「外出止め」を喰らい今夜
もまた、せっかく遠くから来た父親に逢えなかったかも知れないと思いながら、金谷町の
下宿へと急いだ。

 下宿に着いてから、話の合間にそれとなく面会を申し込んだ時の状況を父親に尋ねた。
それによると、私が大井航空隊に転属してから最初に第十四分隊から出した、検閲済みの
ハガキを見せて面会を申し入れたそうである。ところが、現在、第十四分隊はなくなって
いると言われた。氏名と飛行兵というだけで階級も分からない(伍長・軍曹など陸軍の階
級と違って海軍の階級にはなじみが薄い)。仕方なく何らかの手がかりになればと思って、
例のハガキを提出したそうである。

 特攻隊編成に際して、飛行隊は第十一分隊(第一中隊)第十二分隊(第二中隊)第十三
分隊(第三中隊)に再編成された。そして、特攻隊に編入されなかった搭乗員は、練習生
分隊などに配属され、飛行隊からは第十四分隊がなくなっていたのである。

 衛兵伍長は、飛行兵というだけで、所属も階級も分からない者を、飛行隊員か、それと
も練習生分隊か、と探さねばならなかったのである。飛行訓練を中断して、掩体壕作業や
機銃陣地に配置されている、三十九期や四十期の飛行術練習生も飛行兵に変わりはない。
だから、大井航空隊には飛行兵と名のつく者が、数百人もいたのである。衛兵伍長にもと
んだ苦労をかけたわけである。

 私はうかつにも、父親が面会に来るなど夢にも思わず、第十三分隊に編成替えになって
からは、例のハガキを出しただけで、隊内から正式に検閲を受けた手紙類は一切出してい
なかった。だから、正に身から出た錆である。衛兵伍長は例のハガキの文面から、「特攻
隊員」であると見当をつけ、飛行隊の各分隊に問い合わせて探し当てたのであろう。


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