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白菊の列線
白菊特攻隊
43、遺書と遺髪
「おい、お前はもう遺書は書いたのか?」
「いやまだだよ、遺書って、どんな風に書けばよいのかなあー」
「遺書なんて簡単だよ、借金と女性関係なし、とだけ書けばいいんだ」
「なんで借金や女性が遺書に関係あるんだ?」
「それはだなー、戦死した後になって金を貸していたとか、おなかの赤ちゃんはあの人の
子供ですとか言う者が出てきたら、 親が困るだろう……」
「なーるほど、それじゃーもう女遊びも駄目かー」
「そうだよ、特攻隊員は軍神になるんだぞ、身を謹まなくっちやー」
「おいおい偉そうぶって、お前さんが一番遊んでるくせに……、それでも軍神になれるつ
もりかよ」
などと、とんだ方向に話が弾むのであった。また、
「遺書なんて止せ、止せ、お偉いさんが読むだけで、特攻は軍の機密だとか何とか言って、
どうせ家族には渡してもらえないんだ……」
と、検閲されて破棄されるのが落ちだと言い張る者もいる。その当時、分隊長や飛行隊長
その他責任ある立場の者から、遺書の取り扱いについて説明を受けたことはなかった。
思っている事や、伝えたい事をそのまま書くことのできない立場にいながら、なおかつ、
肉親に伝える内容や渡す方法を模索しなければならない焦躁は、これを体験した者でなけ
れば到底理解できないであろう。そのうえ、遺書を書いたとしても家族に確実に届けても
らえるという保証はなかったのである。
洋上飛行を主な任務としていた、海軍の搭乗員が戦死や殉職した場合、遺骨などは残ら
ないのが普通である。まして帰還を否定された、「体当たり攻撃」ではなおさらである。
だから、なんらかの証しを遺しておきたいと思うのは人情である。
この時期、だれが思いついたのか「遺髪」を伸ばすことが流行し始めた。われわれ下士
官兵は規則によって長髪は禁止されて、すべて丸坊主であった。だからその場になって、
遺髪を遺そうとしても、短すぎて役に立たない。そのため、頭の天辺に一つまみの頭髪を
刈らずに残していた。そして、お互いにその長さを自慢し合っていた。無邪気といえば無
邪気なものである。しかし、この様に大切に育てた遺髪でも、確実に家族に渡される保証
はなかったのである。
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