老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

2白菊特攻隊

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2-43、遺書と遺髪

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               白菊の列線


白菊特攻隊
          43、遺書と遺髪  

「おい、お前はもう遺書は書いたのか?」
「いやまだだよ、遺書って、どんな風に書けばよいのかなあー」
「遺書なんて簡単だよ、借金と女性関係なし、とだけ書けばいいんだ」
「なんで借金や女性が遺書に関係あるんだ?」
「それはだなー、戦死した後になって金を貸していたとか、おなかの赤ちゃんはあの人の
子供ですとか言う者が出てきたら、 親が困るだろう……」
「なーるほど、それじゃーもう女遊びも駄目かー」
「そうだよ、特攻隊員は軍神になるんだぞ、身を謹まなくっちやー」    
「おいおい偉そうぶって、お前さんが一番遊んでるくせに……、それでも軍神になれるつ
もりかよ」

などと、とんだ方向に話が弾むのであった。また、
「遺書なんて止せ、止せ、お偉いさんが読むだけで、特攻は軍の機密だとか何とか言って、
どうせ家族には渡してもらえないんだ……」
と、検閲されて破棄されるのが落ちだと言い張る者もいる。その当時、分隊長や飛行隊長
その他責任ある立場の者から、遺書の取り扱いについて説明を受けたことはなかった。

思っている事や、伝えたい事をそのまま書くことのできない立場にいながら、なおかつ、
肉親に伝える内容や渡す方法を模索しなければならない焦躁は、これを体験した者でなけ
れば到底理解できないであろう。そのうえ、遺書を書いたとしても家族に確実に届けても
らえるという保証はなかったのである。    

 洋上飛行を主な任務としていた、海軍の搭乗員が戦死や殉職した場合、遺骨などは残ら
ないのが普通である。まして帰還を否定された、「体当たり攻撃」ではなおさらである。
だから、なんらかの証しを遺しておきたいと思うのは人情である。

 この時期、だれが思いついたのか「遺髪」を伸ばすことが流行し始めた。われわれ下士
官兵は規則によって長髪は禁止されて、すべて丸坊主であった。だからその場になって、
遺髪を遺そうとしても、短すぎて役に立たない。そのため、頭の天辺に一つまみの頭髪を
刈らずに残していた。そして、お互いにその長さを自慢し合っていた。無邪気といえば無
邪気なものである。しかし、この様に大切に育てた遺髪でも、確実に家族に渡される保証
はなかったのである。

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             機上作業練習機「白菊」


白菊特攻隊
         42、「白菊」特攻機となる
 
 ある日、飛行場に出てみると、指揮所前に今までのオレンジ色から濃緑色に塗り替えら
れた機体が置かれていた。見ると、翼の付け根に黒光りする爆弾を搭載している。二十五
番が二発である。

 そして、操縦席前面の計器盤の横に爆弾の投下杷柄のような物が取り付けられている。
だが、これを引っ張っても爆弾は落ちない。爆弾は投下器に固定されたままである。その
代わり、この把柄を引くと、信管の安全装置である風車押さえが外れる仕掛けになってい
る。風車押さえを外すことで、爆弾を飛行機に装着したまま撃発状態にできる。 そして、
体当たりの衝撃で爆発する。

 爆弾は飛行機に積んだままでは破裂しない。それは信管に安全装置が施されているから
である。信管の先端には風車が取り付けられていて、爆弾が投下されるとこの風車が風圧
を受けて回転し、安全装置が解除される仕組みである。そして着弾の衝撃で爆発する。

 信管の風車は、不用意に回転しないため、ピンで止められている。爆弾は飛行機に搭載
してから信管をねじ込む。そして、風車が回転しないように、風車押さえで固定してから、
ピンを抜き取る。

 飛行中は風圧を受けても、風車押さえで固定されているので風車は回転しない。爆弾が
投下されると、風車が回転し安全装置が解除される。これで初めて、撃発状態となり衝撃
を受ければ爆発する。だから、風車押さえがあるかぎり、「特攻機」が体当たりしても、
信管の安全装置が働いて搭載した爆弾は破裂しない。そのため、機上で撃発状態にするの
がこの把柄である。

 後部席の中央に、零戦用の増槽(燃料タンク)を積み込み固縛している。これで燃料は
七百リットル近く積載可能となる。だが、これらを合わせると、人員にして十名程度余計
に乗せるのと同じ重量が増加するのだ。

 こんな重量で、果たして離陸できるのだろうか? 不安は増すばかりである。われわれ
搭乗員の思惑に関係なく、航続距離を延ばす手段や、爆弾を飛行機に積んだまま爆発させ
るための装置など、特攻機としての改造は着々と進められていたのである。

 だが、新鋭の実用機でも敵戦闘機の襲撃や、猛烈な対空砲火にさらされ、多数の犠牲を
出している現状で、果たして敵陣に到達できるのだろうか。いくら改造したとはいっても、
しょせん練習機に変わりはないのである。

 死装束も戴いた。海軍葬に飾る写真の撮影も終わった。そして、棺桶(特攻機)の準備
もできた。後は命日(出撃命令)を待つばかりである。このようにして「体当たり攻撃」
の準備は着々と進められていったのである。

 この時期、だれからともなく「遺書」を書く話が出た。しかし、検閲の厳しいなか、な
にを書けばよいのか、どうして家族に渡すのか、その方法すら分からなかった。戦死者の
後始末をするのは同期生間の不文律である。 しかし、心を許し合い後を頼むと誓い合った
同期生がいても、生還が前提の出撃と違い特攻出撃ともなれば、だれ一人として帰っては
こないのである。

 だから、後始末をするのは見ず知らずの他の兵科の連中である。親や兄弟だけが読むの
ではなく、他人の目に触れるとなれば、本心をそのまま書くわけにはいかないのである。
だれに読まれても恥ずかしくない立派な文章を書こうとするから、文才のない者には難し
いのである。

2-41、死に装束と遺影

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          遺影作成用の写真 前列左から二人目筆者。(個人別に切り離すようにして撮影)


白菊特攻隊
         41、死に装束と遺影 

 われわれが飛行機に搭乗する場合は飛行服、飛行帽、飛行靴それにライフジャケットを
着用する。これらは、 航空隊ごとに装備されている貸与品である。個人ごとに支給されて
いる、軍服や軍帽などとは違い、転属の際に返納し、次の航空隊で再び貸与をうける。

 谷田部航空隊や百里原航空隊での飛行術練習生時代は、洗い晒らしの先輩のお古が
貸与されていた。飛練を卒業して九○三航空隊に赴任し、衣料倉庫で受領した飛行服は
毛皮のついた新品の冬服であった。これで、一人前の搭乗員として扱ってもらえるんだと、
喜んで名前を記入していると、
「勝手に記名してはならぬ!」
と、甲板係の下士官から注意を受けた。

 個人に支給されたり、貸与された品物に記名するのは、帝国海軍の常識である。不審に
思っていると、新品の飛行服は、体形の似通った古参の搭乗員に譲り、そのお古を着るの
が、仕来りだと教えられた。

 せっかく貸与された新品の飛行服は、昼飯に帰ってきた、先輩搭乗員に早速召し上げら
れた。着古した感じではないが、その先輩のお古を頂戴することになった。田舎の農家の
三男坊であった私は、学用品や遊び道具などは、兄貴のお下がりを使用することもあった
が、衣服などは常に新しいものを着せてもらっていたので、不愉快な事件であった。

 大井航空隊に着任して貸与された飛行服は、今までの様な上下ツナギの服と違い、上着
とズボンが別々に分かれた新しい型の新品であった。九○三航空隊での前例があったので、
ここでも、先輩のお古と交換させられるのではないかと思って、しばらく記名せずに着用
していた。

 ところが、今度はだれからも注文はなかった。ここでは、もう一人前の搭乗員として認
められたのであろう。それとも、「死装束」だけは新品を着せてやろうという、帝国海軍の
親心だったのかも知れない。

       *
 特別攻撃隊が編成されると、早速「体当たり攻撃」の訓練が開始された。「白菊」での
特攻は、初めから単機での出撃を想定していたのであろう、編隊飛行の訓練は一切なく、
単機ごとの航法・通信訓練が主体であった。離陸して高度をとりながら御前崎に向かう。
御前崎を基点として、百浬ほど太平洋上に進出する。次に側程三十浬を飛んで帰投する。
この三角航法訓練が連日続けられた。

 また、付近を航行する艦船などがあれば、「御前崎からの方位○度○浬、進行方向○○
度○○ノット」とその位置や進行方向が示され、これを目標にした接敵攻撃の訓練が実施
された。各機ごとにチャート(航空図)に目標の位置を記入して、飛行場からの方位と距
離を計測する。次に、気象状況などを勘案して、 接敵の高度や方向、それに「体当たり攻
撃」の要領など、事前に研究して攻撃に向かう。

 目標を発見すると低空接敵に移る。海面での低空飛行は艦上攻撃機操縦員のお家芸で
ある。鹿島灘での雷撃訓練が大いに役立った。プロペラの風圧で、海面に水しぶきが上が
るほどの超低空飛行である。こうなると、高度計の針はマイナスを指して役にはたたない。

 これは出発に際して、標高百八十三メートルの飛行場をゼロメートルとして、高度計を
規正するからである。実際の高度は、恐らく十メートル以下であろう。一瞬の油断が事故
の原因となるので、飛行中は緊張の連続である。

 急降下のできない「白菊」では、超低空で敵艦に接近してそのまま突込むか、二千メー
トル程度で進撃して緩降下しながら接近して、体当たりする方法が考えられていた。敵の
レーダーを避けるため、低空で接近し、体当たりの効果を高めるため、直前で急上昇して
切り返す方法なども検討された様子であった。だが、二十五番を両翼に抱けば、飛行性能
から考えても、そのような器用な操作などできないことは分かり切っていた。

 そして、昼間での錬度が向上すると、次は、 夜間飛行に移行した。「白菊」の性能から、
夜間以外に接敵できる可能性はないとの判断であろう。夜間飛行は徹底的に実施された。
艦上攻撃機で、夜間雷撃の訓練を実施するのであれば、生還の可能性をかけて猛訓練に
も耐えることができる。だが、帰還を否定されている「体当たり攻撃」に、なぜこれほどの
訓練が必要なのだろうか。技術的な問題よりも、精神的問題の解決こそ重要ではないかと
痛感させられた。

       *
 ある日、飛行訓練も終わり、デッキで皆が雑談していた。すると当直下士官が、
「写真撮影をするから、第一種軍装の上衣だけを着て、兵舎前に集合せよ!」
と、伝達した。

「おい! 何の記念写真だ? 上衣だけとは変だなあー」
当時は現在のようにカメラが普及していない。だから、特別な事情でもないかぎり写真な
ど写してもらえない時代であった。

「どうせ写真を撮ってくれるんなら、飛行服で写せばよいのになあー」
「当直下士、本当に一種軍装と言われたのか?」
「一種軍装だってかまわんよ。俺、今度外出したら写真屋に行く予定だったので助かった、
写真班の兵隊に航空食でもやって、焼き増ししてもらおう……」

 過去の例からも、お仕着せで写真を撮ってもらったのは、初飛行とか卒業記念など特別
な場合に限られていた。「特別攻撃隊」を編成したので、晴れ姿を家族にでも送れという
のだろうか……、何となく華やいだ気持ちになり、皆ニコニコと談笑していた。

 写真班の兵隊は、十名ずつを二列に並ばせて次々に写していく。何となく楽しい気分で
ある。すると、
「お前ら、いい気なもんだなあ……、それが何に使う写真か分かっているのか?」
と、遅れて出てきた先任下士官が口を出した。

「……?」誰も答える者はいない。
「この写真はだなあー、お前らが戦死した時、引き伸ばして額に入れて、海軍葬の祭壇に
飾るんだぞー。家族に渡すのはその後だ」
今までの華やいでいた雰囲気が一変して、皆しゅーんとなってしまった。

 「死装束」にしろ「遺影」の作製にしろ、帝国海軍の手回しのよさには感心させられた。
気づいてみれば、毛布で前後列の間を仕切り、後で一人一人に切り離せるように、細工を
して撮影していたのである。

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           神風特別攻撃隊 八洲隊 第三中隊第三小隊。(二列目左から二人目、筆者)


白菊特攻隊
         40、保有全機で「特別攻撃隊」を編成する! 

噂話は現実となった。アメリカ軍の沖縄侵攻が開始され、三月二十六日「天一号作戦」
が発動された。それと前後して、新編成の第十航空艦隊から参謀が来訪し、飛行隊の搭乗
員のみが映写講堂に集められた。

 ここで、大井航空隊司令奈良大佐立ち会いのもとに聞かされたことは、一般国民にはも
とより、部内にも秘匿されていた重大機密であった。それは、ミッドウェー海戦をはじめ、
マリアナ海戦、レイテ沖海戦その他における、我が聯合艦隊の壊滅的な被害である。即ち、
戦闘に参加できる軍艦は、航空母艦はもとより、戦艦や巡洋艦などを含めて、もう一隻も
残っていないことを知らされたのである。

 更に、通常の手段では挽回することのできない、我が軍とアメリカ軍との戦闘力の差が
説明された。そのうえ、飛行機一機で敵の一艦を沈める「体当たり攻撃」だけが残された
手段であると告げられた。そして、第十航空艦隊は保有全機で「特別攻撃隊」を編成する
と宣言したのである。いわゆる「白菊特攻隊」の誕生である。

 私は第三中隊、第三小隊に配置された。分隊の所属は第十三分隊に変わった。飛行隊長
岩見少佐、第十三分隊長富松大尉、先任分隊士西村中尉、先任下士官藤田上飛曹であった。
工藤健一、伊藤昭二、八木亨、 高崎秀、吉田実、藤原昌、平原武則、島田義春の同期生も、
同じ第十三分隊で生死を共にすることになった。九○三空から一緒に転属し、金谷町で同
じ家に下宿していた外村修は、第十二分隊の所属となった。明日から、いよいよ「特攻訓練」
が始まるのだ。

 ついに来るべき秋がきたのである。たとえ一パーセントの確率であっても、 生還するこ
とが前提である雷撃や爆撃など通常の攻撃であれば、自分だけは絶対に生還できると信じ
ることで、精神的な不安を克服することができる。戦死は結果であって、目的ではないか
らである。ところが、いくら命令だからといっても、必ず死ぬと分かっている「体当たり攻撃」
に、平静に出撃することが果たして可能なのだろうか。

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                牧之原から富士山を望む。



白菊特攻隊
         39、特攻隊要員とも知らずに

 昭和二十年三月中旬、九○三空の館山本隊で、艦上攻撃機操縦員の配置にあって、対潜
哨戒や船団護衛などに従事していた私たち数名の者に、大井航空隊への転属が発令された。
みれば操縦員ばかりで偵察員は含まれていない。

 大井航空隊は偵察搭乗員を養成する練習航空隊でる。だから、操縦教員の配置に就く為
の転属だと思った。
「俺もいよいよ一人前の搭乗員として認められ、教員配置につくのだ……」と、嬉しさで胸を
弾ませていた。

 久しぶりの汽車の旅である。東京駅で東海道本線に乗り換えた。すると、同じ箱に田川
中学の帽子を被った者が乗っていた。懐かしさのあまり話しかけた。その生徒は大学受験 
のため上京した帰りで、私の郷里のお寺の長男とは同級生で知り合いの仲であった。同郷
というだけで、共通の話題も多く話が弾み、思いがけなく楽しい旅となった。

 金谷駅で彼と分かれて下車した。運よく、航空隊からトラックが来合わせていたので、
これに便乗して飛行場へ向かった。見渡すかぎり茶畑の続く「牧之原」の景観。そして、
夕日に輝く早春の富士山を眺めながら、希望も新たにして大井航空隊の隊門をくぐった。

 大井航空隊に着任すると、飛行隊の第十四分隊に配属された。そして翌日から早々と、
先任下士官茶野上飛曹の指導によって、機上作業練習機「白菊」による操縦訓練が開始さ
れた。地上で機体の構造やエンジンの性能、それに飛行諸元などの説明を受ける。 次に、
エンジンを始動して地上滑走を練習し、いよいよ離陸着陸の訓練開始である。

 「白菊」は、天風五百十五馬力エンジンを装備した固定脚機である。後席に乗った茶野
上飛曹から助言を受けながら、ぶっつけ本番で操縦することになった。艦上攻撃機に比べ
れば機体は軽く操縦は思ったより簡単であった。スピードも百ノットそこそこで、二〜三
回も飛べば、簡単に乗りこなすことのできる安定性のよい飛行機であった。

 ところが、教員配置のつもりで転属してきたのに、飛行隊の空気は予想とは違った感じ
であった。それもそのはず、学生や練習生に対する教務飛行は既に中止され、大井航空隊
は練習航空隊ではなく、実施部隊に改編されていたのである。そのうえ、「特別攻撃隊」
を編成するとの噂がささやかれていた。

 私たちと前後して、他の航空隊からも数名の操縦員が赴任してきた。中には水上機から
陸上機に転換した者もいた。また遅れてきた転勤者の中に、百里原空で艦上攻撃機の教育
を一緒に受け、同じ九〇三空に配属され大湊派遣隊にいた、吉田実二飛曹が転入してきた。
彼とは、九〇三空の館山本隊で別れて以来の再会であった。ちょうどタバコを切らしてい
たので、

「おい、吉田兵曹、タバコ持ってないか?」
と、ねだった。
「おーお、あるぞー」
そう言って、トランクの中から「光」を一箱出してくれた。早速連れだってタバコ盆(喫
煙場所)へ行き、館山で別れて以来の積もる話に興じた。

「おい吉田兵曹、百里原で一緒だった、平原と田中が同じ飛行隊にいるぞ……、それから
これは内緒の話だが、特攻隊を編成するという噂があるぞ……」
「おいおい、変なこと言うなよ、ここは練習機ばかりで、実用機なんかないんだろう」
この時期、練習機で「体当たり攻撃」を実施するとは夢想もしていなかったのである。

「しかし、今度転勤してきた連中は、皆操縦員ばかりだよ……」
「それは、操縦教員の配置だからだ!」
彼も教員配置のつもりで赴任してきたらしい。

 雑談しながらふと彼の手元を見ると見ると、指先でトントンと叩けば半分に縮まるよう
な、中身がスカスカになった「ほまれ」を吸っていた。私には取って置きの「光」を渡し、
自分はまずい「ほまれ」で我慢していたのである。

 当時「ほまれ」は一袋(二十本入り)七銭で「光」は一箱(十本入り)三十銭であった。
彼はそのような人柄であった。その後も同じ分隊で起居を共にし、お互いに交友を深めた。


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